1965年日本史学専攻入学の米田(旧姓中山)雅子さん(桐朋女子高卒)が、7年間に及ぶ闘病生活の末、7月31日に亡くなられたとのことなのでお知らせします。「歴史教科書に関する<もうひとつの指導書>研究会」のメンバーとして活動されていました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
当会のメンバーである倉根巳之男さんが本年8月1日に肺炎で亡くなられたとのことなのでお知らせします。野沢北高卒、1959年文学部経済学専攻入学(1963年卒)、長野市在住。1963年信濃毎日新聞社入社、報道部員、上越支局長、論説副主幹を歴任し2001年定年退社、2002年にニュージーランドに渡り2004年まで3年間、現地の公立高校で日本語教育に従事しておられました。
2011年5月には、倉根さんの呼びかけにより、OB会中期世代による「別所温泉の集い」が開かれたこともありました。(倉根さんは前列右端です。) http://tue.news.coocan.jp/news.htm#a1
2021年3月には、ご自身の海外での取材体験を著書(ルポルタージュ)「諸国漫遊 袖ふり合うもまた楽し」にまとめ、勤務先であった信濃毎日新聞社の信毎書籍印刷から刊行されていました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
在学中は1964年度後期文学部学生自治会(当時の久保田忠夫委員長は2017年ご逝去)で常任委員を務め、卒業後は江戸川区労協等で労働運動に従事していた小畑精武(おばたよしたけ、1964年西洋史、大手前高)君が、本年5月28日、旬報社から「語りつぐ東京下町労働運動史」という著書を刊行したとのことなので、お知らせします。2011年3月から「下町ユニオン」に「下町労働運動の歴史を訪ねる」として書き始め、2020年5月まで10年100回連載したものを編集してまとめたものだそうです。
同書の紹介サイトはこちらです。
https://www.junposha.com/book/b647910.html
60年安保闘争当時、本学の全学連反主流派幹部であった等々力孝一氏、今頃どうしているのか気になって検索してみたところ、「等々力孝一 プロフィール」というページがヒットした。どうしてそうなったかは不明だが現在は西尾幹二氏主宰の坦々塾で憲法改正を目指しているらしい。なお、等々力氏は当新聞会の藤田会員と、桐花寮で同室だったという話。(同時期の反主流派幹部で1961年新興出版社刊「現代の学生運動」を共同執筆した共同通信の黒羽純久氏、静岡大学教授の田村貞雄氏はすでに他界されている。)
https://www.hmv.co.jp/artist_%E7%AD%89%E3%80%85%E5%8A%9B%E5%AD%9D%E4%B8%80_200000001103913/biography/
半世紀以上前、東大全共闘・安田講堂闘争の参加者で、教育大全学闘のメンバーとも親交のあった原田誠司氏、その後の消息を知らず、今頃どうしているのかと検索してみたら 「原田誠司 プロフィール」という記事がヒットした。山あり谷ありの人生のようだ。
https://www.hmv.co.jp/artist_%E5%8E%9F%E7%94%B0%E8%AA%A0%E5%8F%B8_200000000286094/biography/