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goo blogは11月18日サービスを終了

2025年11月18日午前11時にgoo blogはサービスを終了します。gooは業績不振らしく「教えて! goo」も2025年9月17日にサービスを終了しています。
当会では、藤田さんと鈴木さんがgoo blogを使用していましたが、藤田さんの方はすでに別のブログ(Ameba blog)を開設しています。「sanpokoh-fujitaのブログ」という名称は「山歩講」という山の会の名に由来。(従来の「mukan's blog」という名称は、教育大学新聞のコラム「無冠」に由来。)
鈴木さんは2013年9月6日午後11時14分に他界されており、奥様の10年前の記事が最後になっているため、このまま終了になると思われます。
貴重な情報が多く書かれているため、今のうちに閲覧されることをお勧めします。タイトルは「川越だより」、画像はこのブログ掲載の大厳寺高原への家族旅行の記念写真で、ブログ閉鎖前にこちらで保存したもの(右端が鈴木さん)。鈴木さんは在学中は文学部学生自治会の委員長を務められ、卒業後は都立高校で社会科の教員をされていました。

引用して返信編集・削除(編集済: 2025年11月21日 20:16)

今日は11月18日、goo blogは予告通り、本日サービスを終了した。
鈴木さんの「川越だより」の方は、鈴木さん本人の写真やご家族との写真が大量に掲載されており、いつでも鈴木さんに会える感じになっていたが、消えてしまい残念。
藤田さんのブログの方は、日常の身辺雑事について、深遠な哲学的考察を繰り返していたもので、かなり面白かったのだが、これも消えてしまい残念。以前1日200件ほどのアクセスがあると話していてそれは凄いと思っていたのだが。新設された藤田さんのブログはこちら。
https://ameblo.jp/sanpokoh-fujita/

引用して返信編集・削除(編集済: 2025年11月21日 16:10)

文学部学生自治会関係者の懇親会

11月16日、およそ60年前の文学部学生自治会関係者の懇親会が荻窪の杉並会館で開催された。関係者の発行していた同人誌「置文」の創刊25周年を記念して開かれたもので、何と27人も参加した。会場は公共施設で、会費はわずか2000円。当時の文学部学生自治会委員長や筑波闘争の際に設置された文学部自治会闘争委員会(略称文自闘)の書記長も出席していた。文自闘書記長からの、参加確認の電話の声は元気そうだったのだが、会場には車いすで現れたので驚いた。8月20日に亡くなられた当会の小林さんを含む多くの他界された方々に対しての献杯で始まり、なつかしい昔話に花が咲いた。末期の小林さんを見舞いに行った人も来ていた。当会からは二人(本部事務局とサイト管理者)が参加したが、当サイトの存在を知らない人も多いので、会場で当サイトを閲覧するよう勧めておいた。そのためか、その後、若干のアクセスの増加があった。新聞会OB会の方は、会員の高齢化により、すでに2015年に池袋で最後の総会、2019年に日光で最後の合宿を済ませており、もしかするとこれが学生時代の仲間の最後の同窓会のようなものになるかもしれない。

引用して返信編集・削除(編集済: 2025年11月20日 23:34)

梅根悟先生のエピソード

11月11日朝の北海道新聞に梅根悟先生(1903ー80年)のエピソードが出ていました。
「私のなかの歴史」という聞き語りの連載。話し手は札幌の光塩学園理事長、南部ユンクイアンしず子さん(77)。
札幌の藤女子高を出て、1966年開学したばかりの和光大学芸術学科に一期生として入学。学長は梅根先生。キャンパスは小田急線鶴川駅から歩いて30分。タクシーで10分。学生には高いので4人ぐらい集まって乗る。
ある時、梅根学長と一緒に乗ったら、割り勘。
「学長、おごってください」と言うと「こういうのは平等にしなくてはいけない。学長でも学生でも人間としては同じだ」と。何か変わった話になる。
(澤部勝=1961年、文学部経済学専攻入学、札幌市)

引用して返信編集・削除(未編集)

澤部勝会員に「ヒグマの会」の功労賞

当会のメンバーで北海道新聞に勤務していた澤部勝さん(1961年経済)ですが、1998年、旭川で開かれたヒグマの会のフォーラムに参加し、その場で入会、その後、会報「ヒグマ」の編集に尽力されたことに関連し、2025年6月15日、坪田敏男会長(北海道大学教授)から功労賞が授与されたとのことなので、お知らせします。(画像は「ヒグマの会会報」)

引用して返信編集・削除(編集済: 2025年10月31日 22:26)

★画像の記事についての、澤部さんの説明
尾瀬・長蔵小屋の平野長靖さんが環境破壊の行政に苦悩し、当時の大石環境庁長官に直訴したのが昭和46年(1971年)7月。その年の12月、三平峠で遭難死。36歳。「尾瀬に死す」は小説、映画化もされた。
会報の紹介では、私が「平野さんらに誘われて」会社の山岳会に入り、のちの自然保護やヒグマの会入会につながったとしている。
平野さんは京大卒業後、一時北海道新聞に勤め、私の6年先輩。ただ私が東京勤務となり、尾瀬に通うようになったのは、遭難死の数年後。直接の面識はないが、小屋の奥様も道新の出身。同期の先輩達に連れられて行ったので、平野さんとは不思議な縁と思っている。

引用して返信編集・削除(未編集)

当会使用のメーリングリスト(ML)の変更について

当会で従来使用してきたAllserverのMLは廃業したらしくサイトも消えて動作を停止したため(廃業の連絡のようなものは無かったが)、10月13日、GroupMLに新規にMLを開設したのでお知らせします。従来のML利用者については、継続使用の手続きを行いました。
新しく開設したMLのアドレスは、tuenews@groupml.jpです
現在はMLに参加していないが、新規に参加したい会員の方がいましたら、管理者までご連絡をお願いします。参加に必要な手続きを行います。

引用して返信編集・削除(編集済: 2025年11月16日 10:49)
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