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掲示板の投稿、大幅に減少、投稿歓迎!

一昨年8月のteacup.掲示板のサービス終了に伴って開設したこのロケットBBS掲示板だが、teacup.掲示板と比較すると圧倒的に投稿数が減少している。teacup.掲示板では月に数件程度の投稿があったが、こちらは一般の投稿は年に数件程度になっている。
teacup.の方は、最初から書き込みボードが表示され、書き込みを誘導する案内文が書かれ、投稿にパスワードは不要だったが、こちらの掲示板は「新規投稿」をクリックしなければ書き込みボードが表示されず、また投稿にはパスワードの設定が必要だったり、少々面倒なのが原因かもしれない。もっとも、そのため、大幅に落書きのようなものも減少している。(ただし数は少なくとももともと投稿が少ないため、相対的には落書きの比率は高くなっている。正常な投稿より落書きの方が多い状態だが、当然落書きは発見次第削除している。)しかし、投稿がなければ掲示板設置の意味が無いため、気楽に投稿するようお願いしたい。この掲示板は以前は大量の詐欺広告が表示される難点があり、一時は使用中止を考えるほどだったがその後は改善されており、現存する他の掲示板と比較して使いやすい仕様になっていると思われる。なお、管理者個人への連絡がある場合は、掲示板を使用するのではなく、下段の「お問い合わせ」を使用されたい。

引用して返信編集・削除(編集済: 2024年06月24日 23:16)

chojiro22さん
情報ありがとうございます。そのようなことは全く知りませんでした。この件につきFacebookの「東京教育大学」にも投稿したところそれなりの反応がありました。
ブログの存在も知らなかったので、今しがた「同窓生のWebサイト集」に追加しておきました。
調べてみたところ「草加市議佐藤のりかず公式ブログ」にもいろいろ書かれていました。
https://blog.goo.ne.jp/nsato0125/e/1dc365be5d824c0e295aa6919607162e
なお、1965年11月に行われた1965年度後期文学部学生自治会執行部選挙においては、1位、2位の候補がいずれも過半数に達せず、12月6,7日に上位2者による決選投票となり、投票総数776で1位中島束(漢文)・秦惟人(東史)408票、2位高崎宗司(日史)・新田文一(法政)332票となり、中島・秦氏が当選しています。この選挙に敗れた高崎宗司氏は、後に、津田塾大学教授を勤められた方です。この年6月の1965年度前期文学部学生自治会執行部選挙で構改派(名護晃朗氏)が敗れて以来、共産党系が続いていました。

引用して返信編集・削除(編集済: 2024年06月27日 09:41)

久しぶりに訪れてみたところ、「投稿が少ない」とのことなので、ちょっとした情報を書き込みます。

当方が入学した1966年の文学部自治会の委員長は漢文の中島束氏でした。氏は共産党から衆議院議員選挙や文京区長選挙に出馬していましたが、近年(たぶん居住地の)草加市の共産党委員長となり、2021年3月に死去しました。

まあ中島氏もそれなりの年齢なので、ここまではそれほど驚かないのですが、予想外だったのは、氏が死亡の直前に共産党から除籍されていたという事実です。
事の経緯を記した中島氏自身のブログがまだ残っています。

https://tsukanenakajima.hatenablog.com/

氏は党中央に100%従順だと思っていましたから、これにはちょっとびっくりです。

この掲示板はURLを1つしか書き込めないようなので、詳しくはネットで調べてください。

引用して返信編集・削除(未編集)

当会設立50周年!(2024年6月2日)

東京教育大学新聞会OB会は、1974年5月31日に会員名簿の作成を完了し、6月2日、パールホテル両国で設立総会を開いて設立されたので、この6月で、設立50周年となる。

設立総会では、最年長の内田京治氏(1949年哲学)が会長に就任したが、当時、住宅評論家としてデビューしたばかりであり、刊行されて間もない自著「欠陥住宅の見わけ方」(三一書房)をぜひ買ってください、と出席者に呼びかけていたのが思い出される。その後は大量の住宅関連の著書を出版された。http://tue.news.coocan.jp/books.htm#01(内田亰治氏は2006年ご逝去。後継会長は未選出。)
過去の会員139人分の会員名簿を作り上げ、会場で配布したのは吉田経営研究所長の吉田文太郎氏(1955年英文)であり、当会の初代事務局長に就任したのだが、1980年頃から消息不明となっており、殺害されたらしく迷宮入りらしい。
その後当会は、東京教育大学の閉学を前に、出資者を募って、東京教育大学新聞縮刷版刊行会を組織し、1978年3月、教育大学新聞の縮刷版を刊行し、大評判となった。縮刷版の刊行業務は森山光人氏(1951年国文)の経営する績文堂出版を中心に行われた。第一刷分はたちまち完売となり、第二刷の増刷が必要となった。この営業利益を使って会費無料としたOB会総会が1995年7月16日にスクワール麹町で開催された際には、全国から53人が参加した。
現在、当会の本部事務局は水沢千秋OB(1967年哲学)の経営するあずさ書店にあり、縮刷版の販売業務を行っている。
なお、当サイトの管理運営は、1999年2月5日から前澤研爾OB(1964年日本史)が担当している。2024年は、偶然、当会設立50周年と、当サイト開設25周年が重なる、記念すべき年となった。

引用して返信編集・削除(編集済: 2024年07月02日 15:53)

文学部日本史学専攻1962年入学の須永昭(阿部昭)氏、2021年11月16日ご逝去

文学部日本史学専攻1962年入学の須永昭(後に阿部に改姓)氏が、2021年11月16日、78歳で永眠されたとのことなのでお知らせします。
須永昭氏は、1962年に栃木県立足利高等学校を卒業して本学(日本史学専攻)に入学、在学中は文学部学生自治会の活動家(構改
派)でした。1966年の卒業論文テーマは「田中正造の日本近代精神史上における一考察」。卒業後は、栃木県立高校、栃木県教委総務課勤務を経て、国士舘大学教授を勤められていました。宇都宮市在住でした。
ウィキペディアにも「阿部昭(歴史学者)」として立項されています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/阿部昭_(歴史学者)
謹んでご冥福をお祈りいたします。

引用して返信編集・削除(編集済: 2024年07月19日 23:42)

文学部日本史学専攻1964年入学の木之内良一君ご逝去

先日の長尾君の訃報に続き、同学年・同教室の同窓生の訃報が続きますが、1964年入学(川崎高卒)の木之内良一君(在学中は川崎市在住、筑波闘争の時期にあたり在学期間は7年、全学闘争委員会で活動、闘争末期には少数派であった藤原春雄氏のグループに所属。その後は中野区に転居)が5月19日に、肺炎のため、永眠されたとのことです。この数年は高齢者養護施設で加療中だったそうです。2018年11月5日のこのクラスの同窓会には体調不良で欠席されていました。ご葬儀はご家族で行われるとのことです。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

引用して返信編集・削除(編集済: 2024年09月28日 09:38)

文学部日本史学専攻1964年入学の長尾信也君ご逝去

文学部日本史学専攻1964年入学(高田高卒、在学中は国分寺市在住、八千代町セツルメント所属)、筑波闘争の時期にあたり6年在籍し1970年卒業で新潟県上越市南本町在住、高田市の明厳寺の住職を務められていた長尾信也君が、4月3日午前8時13分に永眠されたとのことです。喜寿を迎えたのを契機に住職は引退されていました。78歳でした。昨年1月17日に亡くなられた小林守君同様、2018年11月5日に東京・池袋で開催された1964年日本史学専攻入学者の同窓会が同窓生との最後の再会になってしまいました。この際、次回の同窓会は、はるばる新潟から上京した長尾君の主催で新潟で開催することに決められていたのですが、コロナの影響で中止されたままになっていました。
連絡によると「腎臓疾患を抱えていましたが、胸苦しさを覚えて通院したところ肺炎を発症していて3月始めに入院。腎臓透析と合わせて肺炎との1か月の闘病だった」とのことです。謹んでご冥福をお祈りします。
通夜・告別式は次のように予定されています。
通夜/4月8日(月)午後6時~   上越市大和会堂 電話 025(522)1188
告別式/4月9日(火)午前11時~
なお、長尾信也君が住職を務められていた明厳寺のサイトはこちらです。
https://myougonji.com/

引用して返信編集・削除(編集済: 2024年05月30日 16:45)
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