半世紀以上前、東大全共闘・安田講堂闘争の参加者で、教育大全学闘のメンバーとも親交のあった原田誠司氏、その後の消息を知らず、今頃どうしているのかと検索してみたら 「原田誠司 プロフィール」という記事がヒットした。山あり谷ありの人生のようだ。
https://www.hmv.co.jp/artist_%E5%8E%9F%E7%94%B0%E8%AA%A0%E5%8F%B8_200000000286094/biography/
新聞会OB橋本恭明さん(1961年倫理、上野高校卒、埼玉県比企郡小川町在住)が本年1月7日にお亡くなりになったとのことなのでお知らせします。卒業後は埼玉県立高校、埼玉県教育委員会に勤務されていました。
1963年度後期文学部学生自治会(鈴木啓介委員長)で副委員長として活動された飯田正孝氏に関する記事がネット上にありましたのでお知らせします。
「インタビュー調査<飯田正孝氏>」というタイトルのもので、「土屋礼子ゼミ@早稲田政経 」というサイトの一部です。
およそ1年前の昨年6月にアップされたものです。管理者の上級生なのですが、信濃毎日新聞にいたことは知りませんでした。ここの労組でも副委員長をされていたそうです。
なお、この記事にある「松本タウン情報」とは、信濃毎日新聞折り込みのフリーペーパーだそうで、現在は「MGプレス」と改称しているそうです。(MGは、Media Gardenの頭文字とのことです。)
https://note.com/tsuchiya_zemi/n/n8e55bd482f52
なお、飯田正孝氏が副委員長の時の委員長鈴木啓介氏は、2013年9月6日72歳で永眠されていますが、ご本人のブログ「川越だより」は現在も残されています。
「川越だより」
http://blog.goo.ne.jp/keisukelap
一昨年8月のteacup.掲示板のサービス終了に伴って開設したこのロケットBBS掲示板だが、teacup.掲示板と比較すると圧倒的に投稿数が減少している。teacup.掲示板では月に数件程度の投稿があったが、こちらは一般の投稿は年に数件程度になっている。
teacup.の方は、最初から書き込みボードが表示され、書き込みを誘導する案内文が書かれ、投稿にパスワードは不要だったが、こちらの掲示板は「新規投稿」をクリックしなければ書き込みボードが表示されず、また投稿にはパスワードの設定が必要だったり、少々面倒なのが原因かもしれない。もっとも、そのため、大幅に落書きのようなものも減少している。(ただし数は少なくとももともと投稿が少ないため、相対的には落書きの比率は高くなっている。正常な投稿より落書きの方が多い状態だが、当然落書きは発見次第削除している。)しかし、投稿がなければ掲示板設置の意味が無いため、気楽に投稿するようお願いしたい。この掲示板は以前は大量の詐欺広告が表示される難点があり、一時は使用中止を考えるほどだったがその後は改善されており、現存する他の掲示板と比較して使いやすい仕様になっていると思われる。なお、管理者個人への連絡がある場合は、掲示板を使用するのではなく、下段の「お問い合わせ」を使用されたい。
chojiro22さん
情報ありがとうございます。そのようなことは全く知りませんでした。この件につきFacebookの「東京教育大学」にも投稿したところそれなりの反応がありました。
ブログの存在も知らなかったので、今しがた「同窓生のWebサイト集」に追加しておきました。
調べてみたところ「草加市議佐藤のりかず公式ブログ」にもいろいろ書かれていました。
https://blog.goo.ne.jp/nsato0125/e/1dc365be5d824c0e295aa6919607162e
なお、1965年11月に行われた1965年度後期文学部学生自治会執行部選挙においては、1位、2位の候補がいずれも過半数に達せず、12月6,7日に上位2者による決選投票となり、投票総数776で1位中島束(漢文)・秦惟人(東史)408票、2位高崎宗司(日史)・新田文一(法政)332票となり、中島・秦氏が当選しています。この選挙に敗れた高崎宗司氏は、後に、津田塾大学教授を勤められた方です。この年6月の1965年度前期文学部学生自治会執行部選挙で構改派(名護晃朗氏)が敗れて以来、共産党系が続いていました。
久しぶりに訪れてみたところ、「投稿が少ない」とのことなので、ちょっとした情報を書き込みます。
当方が入学した1966年の文学部自治会の委員長は漢文の中島束氏でした。氏は共産党から衆議院議員選挙や文京区長選挙に出馬していましたが、近年(たぶん居住地の)草加市の共産党委員長となり、2021年3月に死去しました。
まあ中島氏もそれなりの年齢なので、ここまではそれほど驚かないのですが、予想外だったのは、氏が死亡の直前に共産党から除籍されていたという事実です。
事の経緯を記した中島氏自身のブログがまだ残っています。
https://tsukanenakajima.hatenablog.com/
氏は党中央に100%従順だと思っていましたから、これにはちょっとびっくりです。
この掲示板はURLを1つしか書き込めないようなので、詳しくはネットで調べてください。
東京教育大学新聞会OB会は、1974年5月31日に会員名簿の作成を完了し、6月2日、パールホテル両国で設立総会を開いて設立されたので、この6月で、設立50周年となる。
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設立総会では、最年長の内田京治氏(1949年哲学)が会長に就任したが、当時、住宅評論家としてデビューしたばかりであり、刊行されて間もない自著「欠陥住宅の見わけ方」(三一書房)をぜひ買ってください、と出席者に呼びかけていたのが思い出される。その後は大量の住宅関連の著書を出版された。http://tue.news.coocan.jp/books.htm#01(内田亰治氏は2006年ご逝去。後継会長は未選出。)
過去の会員139人分の会員名簿を作り上げ、会場で配布したのは吉田経営研究所長の吉田文太郎氏(1955年英文)であり、当会の初代事務局長に就任したのだが、1980年頃から消息不明となっており、殺害されたらしく迷宮入りらしい。
その後当会は、東京教育大学の閉学を前に、出資者を募って、東京教育大学新聞縮刷版刊行会を組織し、1978年3月、教育大学新聞の縮刷版を刊行し、大評判となった。縮刷版の刊行業務は森山光人氏(1951年国文)の経営する績文堂出版を中心に行われた。第一刷分はたちまち完売となり、第二刷の増刷が必要となった。この営業利益を使って会費無料としたOB会総会が1995年7月16日にスクワール麹町で開催された際には、全国から53人が参加した。
現在、当会の本部事務局は水沢千秋OB(1967年哲学)の経営するあずさ書店にあり、縮刷版の販売業務を行っている。
なお、当サイトの管理運営は、1999年2月5日から前澤研爾OB(1964年日本史)が担当している。2024年は、偶然、当会設立50周年と、当サイト開設25周年が重なる、記念すべき年となった。