ご無沙汰しています!みなさんお元気ですか。5月の誕生日からもう4ヶ月過ぎようとしています。
この間いろんなことがあった。
8月17日高石ともやさんがお亡くなりになった。失ってみてその存在が自分の心の中に占めていた大きさを自覚させられている。今でも信じがたくともやさんとの出会いから今までを振り返っている。
フォーシンガーであり卓越したランナー。僕にとっては8歳年上の大きな人だった。ともやさんがまだ現役で歌い続けている,ホノルルマラソンにも参加していることが大きな励みとなっていた。今年の年忘れコンサートに参加しともやさんと,ともやさんを支える人達との久しぶりの再会を楽しみにしていた。
2000年3月31日「高石ともや58歳を歌う」で歌った時がともやさんとの出会いだった。あの受験生ブルースで有名なの人ぐらいの認識だった。高石ともやさんがぼくのギターにサインをしながら「あなたは歌えるよ」と言ってくれた。
そこが教室の外で歌うきっかけとなった。
と勇ましい言葉で書いて見ました。言葉だけでも元気に生きたい。
認知機能検査26日(金)
1枚の画用紙に4つの絵が描かれている。それぞれ違った絵が描かれた画用紙を4枚検査官が順番に見せる。約5分。そしてその記憶を妨げるように数字に関係した簡単な問題を2題を出題。その後先ほど見せられた絵16個を思い出したところから書けという問題。なかなか浮かばなかったがなんとか書き出す。しかし3個が出てこなかった。それからヒントつきで改めて問われた。これは全部できた。試験後思い出して絵の名前を書き出したけれど1つだけ出てこなかった。
そして次は動画を見せられバスケットボールで複数の人がパスをしている。白いシャツの人が何回パスをしたかを問う問題。途中で熊のような者が通り過ぎるのを認知した。検査官が途中で何か通り過ぎたのに気がついた人といったら気がついたのはぼくだけだった。ただ熊でなくゴリラだった。
その後実地研修。係官が運転しながらいろいろなケースを実演して説明してくれた。腰がいたいといいながら熱心に説明してくれた。そして視野測定をして無事に認定認知機能検査結果通知書と高齢者講習修了証明書を頂きこれをもって警察署の行けば免許更新できる。
いやはや自分が勉強した成果を試す学生時代の時と違って自分の身体の衰えを確認するためのテスト。嫌ですね。でも身体能力の確実な低下を自覚してより注意した運転に専念しなければという思いで自動車学校を後にした。職員の方の熱心に貴重なお話しをしてくれた。ときどきスマホを見ながらの運転をすることがある。運転にのみ集中wしよう。
そして3年後に免許更新ができるように日頃から記憶するを意識しながら生活しよう。
写真:2013年6月4日南アフリカへ
コンサートいうとできるだけ多くの人に来てもらいたいとお知らせしたり、チラシをつくったりと大変だ。
公開練習とすると誰にも知らせないでその場にたまたまいた人に聴いてもらう。間違っても練習です!という気楽さがある。
今日はいきいきバンド「バーズ」の公開練習。取手ウエルネスプラザという半分、野外の施設でのライブだ。久しぶりに機材の会場への搬入。物を運ぶには力がいる、歩ける、音を出すまでの機材の接続、施設の方とのコミュニケーションと多くの「できる」とそしてやる気がなければできない。このようなチャンスがあることを有り難いと思うと苦にならず自然と笑顔になる。
練習とはいえ施設を訪問した方が一休みできる場所だから自然と会話が生まれ、いい雰囲気になる。ワイヤレスのギター、マイクで相棒のギターの支えがあるからいろんなアクションをしながら思いきり歌った。そして小さな子どもがいれば「虹の向こうに」をそして今日は野球の試合を終えた高校性が集団で一休み。彼らの顔をこちらに向かせる歌を歌った。「栄光の架け橋」というと高校生は「おーっ」と反応してくれた。練習不足と、気合いを入れすぎて途中間違えたがそれでも盛り上げてくれた。最後にテーマ曲を歌い終わると、「いい歌ですね」と話しかけてくれた。そしてしばしの交流となった。どんよりとした天気だったが晴れ晴れするようなライブだった。練習を続けよう!
みなさんお元気ですか。
世の移り変わりの速さにちょっとついて行けないなと感じるこの頃
ふと3年前の今日はどんな日だったか振り返ってみた。
この1枚の写真がすべてを語っています。
我が家の前は田んぼが広がっていた。それが潰されて新しい家が建ち並ぶ住宅街に変わった。
一番寂しいのは、まさにカエルの合唱が賑やかにひびきそしてその後田植えと続いた風景が楽しみだった。
人間の快適さのためにあのカエルたちは殺された。そして家の前の用水のザリガニも姿を消した。
自分の住まいも元はたんぼ。文句はいえずため息だけだ。
父が撮ってくれたころの写真はフィルム写真。写真関係の仕事をして趣味も写真を撮ることで膨大な写真が残っている
が写真は撮りっぱなしでしまい込まれている。
デジタル化されてスマホで簡単にきれいな写真が撮れて何よりそれを見ることが容易になった。とはいえそのデジタル化された写真も膨大でそれを見るための整理が必要になる。妻がなくなった時点で想い出の写真は見る気がしなかったがやっと振り返ることができるようになった。過去に生きると言うが写真はそんな力があるような気がする。あの頃若かったよな、よくこんなことができたなとか振り返ることができる
おもいでの写真:2015年2月20日 楽走会利根川縦走の下見雪の中走るMさん