おはようございます(^^)
昨日は新宿百人町の俳句文学館に用があって、大久保駅北口より線路沿いにテルアビブ、じゃないシシカバブの露店の目つきの鋭く鬚を蓄えた高安のような中東の移民がたむろするイスラム横丁を過ぎ、具がぐちゃぐちゃ詰まったホットドッグのような真っ赤なベトナムの露店の前をベトナム語のお経のような抑揚の言葉を聞き流し、入口と出口に暖簾のかかった小料理屋風の店は何かと思えば和風とるこ湯屋だそうで隣がラブホテルだから風呂付昇天コースというわけですが、行き過ぎようとすると立ちんぼうのお姐さんが石榴の成る実のそばで中国系のイントネーションの呼び込みで、「オジイチャン、ナカニハイラナイカ」と誘うので「我的珍宝卧床不起。只有小便流出」と言うと喉ちんこを見せて笑うので、「何日君再来」
パカヤロと南京訛りの石榴かな
と一句を残し、目指す俳句文学館に入ったわけです。
でナニシニキタアルカというと、きっこ裏俳話集「第二十一話 増殖する左脳俳人」の最後に、2003年(平成15年)6月7月号の『俳句αあるふぁ』の29頁に「左脳俳人の作った写生句と、左右の脳をバランス良く使って作った本物の写生句」が並んでいると言うのです。わたくしはきっこさんに薦められて初心者だから『俳句αあるふぁ』がいいでしょうと言われて鎌倉逗子ハイランドの書店「バオバブ」に頼んでいたので2003年度からのものは全部持っています。この『俳句αあるふぁ』が不滅なのは巻頭の「炎環」主宰石寒太の選句がずば抜けて素晴らしく、虚子亡き後の俳句の目利きとしてはわたくしは石寒太の選句が一等だと思っています。本当にこれだけ古今東西の秀句を一人で選句しているのですかと親しくしている「炎環」の同人たちに聞くと間違いなく主宰が一人で選句しているとのことでしたから、これだけ未知の俳人たちの句を選句し寸評も見事で切り取ってファイリングをしていたほどです。残念ながら東大日本地震の際に創刊号からの「マリ・クレール」(ファッション雑誌ですがスーパーエディター安原顕が編集していたので中央公論社の『海』と並んで彼の編集する雑誌に寄稿するメンバーの豪華さと中身の濃さは世界的にも最前線の編集でした)などと一緒に津波にやられてしまいましたが、捨てるに忍びず、未だに水膨れしたダンボールごと取ってあります。しかし、毎日新聞社にも在庫はなく古本屋でも見つからないため、コロナ禍の中、那珂湊には戻れないし、国会図書館や都立図書館の手続きを考えると行ったことの無い俳句文学館が一番閲覧コピーが簡単なのでいやいや出かけたのです。いやいやというのはわたくしがこういう文学館というのが好きではないのですね。図書館は好きなのですが、こういう特化した文学館というのはわたくしのような作品主義のタイプは「作品が作家の顔」なので実生活には全く興味がないのです。俳号の作品だけに興味があるので本名でのプライベートには全く興味がありません。映画もそうです。わたくしは原節子の演じる紀子が好きなので本名の彼女には興味がないので、鎌倉の家が彼女の家の山の上でしたから、情報は入ってきますが、わたくしを含めた鎌倉の映画ファンは誰も口を閉ざしていました。彼女がどうして映画界から身を引いたかも知っていますが、わたくしには『晩春』『麦秋』『東京物語』の中に永遠に紀子として生き続けている、それだけでいいのです。
戀の至極は忍戀と見立て候。逢うてからは戀のたけが低し。一生忍んで思死にする事こそ戀の本意なれ。
勿論、2003年(平成15年)6月7月号の『俳句αあるふぁ』の29頁は図書室のサービスはコピーは12時までです、閲覧は16時までですのであと15分で閲覧終了ですからお急ぎ下さい、って、19時まで開いているのは何のため?と、必死で筆記して来ましたので、来週のアップをお楽しみに♪
それにしても大久保駅界隈の暗黒街感は半端ではない。新宿の高層街のこんな近くにまだ戦後史の闇が生きているとは。カメラなど向けられないほどの無頼の街でした。韓流ブームで話題になった新大久保のコリアン・タウンも竹島上陸事件で日韓関係が悪化して以来十年前の面影はなくチャイナタウンとイスラム横丁が力を伸ばしているようです。ああ、昔ながらのカルビの塊の入ったカルビクッパが食いたいよう~。あ、杉並区は雷警報。初めて聞きました。空中放電の音が凄まじい。ここは北陸か。
写真は大久保駅表通り。夜になると露地裏はラブホテルや連れ込み旅館の灯が点る。ホームから見える大きな性病科産婦人科の看板も。