那珂湊では秋刀魚は塩焼きが定番なので昔は換気扇などないから部屋で焼くと脂の煙りが凄くて衣服やカーテンに臭いが付くから、外で七輪で焼くので秋刀魚の季節になると家ごとに七輪で闇に秋刀魚の脂が燃える秋刀魚を焼く景が見られた。漁村は秋刀魚の季節は毎日秋刀魚であり、いくら大漁で安いからと言っても朝昼晩に秋刀魚では飽きるから塩焼き以外にも、刺身、つみれ、醤油漬、味噌漬、干物、味醂干し、腸の酒煮と手を替え品を替え、女たちは秋刀魚料理を作った。母は味醂干しが好きだったが、わたくしは保育園の弁当の醤油漬、味噌漬の味変が飽きなかった。塩焼は大根卸しと酢橘が合うのである。佐藤春夫の「秋刀魚の歌」には
さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑の酸〔す〕をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
とあり、詩人は和歌山県東牟婁郡新宮町生まれなので、青き蜜柑でもうまかったが、手に入りやすい酸というと酢橘かレモンなので「ふる里のならひ」でいいのだろう。刺身と言うと東京人は驚くが、那珂湊では四角い発泡スチロールに入った網獲りの秋刀魚と区別して丸い発泡スチロールに入ったのが刺身用の秋刀魚で、大ぶりで脂の乗りも違うが(口の先の黄色が脂の乗り具合を表す)腸も網獲りだと秋刀魚同士が揉み合って小さい鱗が腸に入るので口当たりが違うのである。生姜醤油でいただくが紫にキメの細かい脂が散って酒の当てにも御飯にも合う。しかも味噌汁は秋刀魚のつみれと来れば、悪いが鰯のつみれの出る幕は無い(嫌いではないが那珂湊の作り方が擂鉢で卸して作るので、秋刀魚は脂が凄いので多少の骨や皮はかまわず包丁で荒く叩いて作るからその違いが味噌汁では秋刀魚の方が味噌と相俟って風味が勝るのである)。
それがどうだろう。もう何年前になるか忘れたが、猫が跨いで目もくれないほど溢れていた秋刀魚が獲れなくなり、試しに一匹焼いたら、これは秋刀魚ではない!と愕然とする貧しい味で、那珂湊の行きつけの「魚徳」のオヤジさんも「あんたの口に合うようなのはないなあ」と言いつつ、丸箱を開けて少し高くなるがと料亭用の秋刀魚を分けてもらって以来だから、コロナで帰郷出来なくなる前だと思うので、もう四五年秋刀魚は食べていないことになる。
地球温暖化による海面温度の上昇によって徐々に秋刀魚の回遊ルートが変わってしまったのが不良の原因らしいが、いつだったか本鮪の子どものメジが乗っ込んできて驚いたことがあったが、金曜日などクマゼミがやかましく関西弁で「わしやわしやわしやがな」と鳴いたので「ここは道頓堀か」と驚いたが、京都育ちのお客が「地球温暖化で関西から来やはったんやなあ」と言っていたから、あのガシガシガシガシ五月蠅い蝉がはびこるのは情緒が無いなあと法師蝉を懐かしく感じるほどだった。本当に今年の夏は暑かった。秋も暑いけどね。
写真は在りし日の秋刀魚の塩焼と秋刀魚のつみれの母との夕御飯。茄子の丸焼きの煮浸しとか烏賊の塩辛とかわたくしの手作りが並ぶ。
波多野爽波は「歳時記をつらぬくもの、それは農のくらしを含めた自然、即ち農耕文化です。その農のくらしへと、自分から身をすりよせて行きたいものです。そのくらしの中心を占める米作りのざっとした一年を取りあげてみました。ひろがりのある季語を□で囲んでみました」と以下のように記しています。猫髭註:線で囲めないので隣に😀マークを付けます。
田打
↓
種選・種浸し・種井(池)・種俵
籾😀
種蒔(種下し)
苗代😀・水口祭😀・種案山子
↓
畦塗・代田・溝浚へ・代掻牛
早苗
↓
田植😀・早乙女・早苗饗
↓
植田・田草取(一番草・二番草)
↓
青田
↓
稲の花😀
↓
早稲
豊年・鳴子・稲雀・案山子・鳥威
↓ 毛見(検見)
落し水
稲刈😀・稲架・落穂
稲扱・籾干😀・籾筵・籾磨
↓
新米
新藁(今年藁)
藁塚
藁仕事・縄なふ
(以上の繰り返しです)
溝浚ふところを登り蝉丸社
納戸に灯一つ垂れをり田水張
帳場から見ゆる限りや秋収
出穂の香や蟹が出て来る物語
青稲や老いては肩のひん曲り 爽波
以前、ハイヒールには農家に嫁いだお仲間がいらっしゃいました。歳時記の宝庫の中にいる人だなあと感じてうらやましく思っていました。本人は御苦労が絶えなかったと思いますが。
杜人さんも季語の宝庫の中にいます。籾殻焼の煙を捉えた素晴らしい写真ですが、雲の下には汲めど尽きせぬ農のくらしがあることをお忘れなく。稲の花の写真は接写しましたか。落穂拾いは見ましたか。
昔廃刊になった「俳句研究」に「農の一年」という田打から始まる連載があり、切り取って大切に読んでいたが廃刊になると聞いて石井編集長に何とか完結するまで頑張ってくださいとお願いしたが、季刊になってとうとう休刊となり「農の一年」はなくなった。何年か伝を探して同人誌に残りが連載されて完結していることを願ったが作者は亡くなっており、結局「農の一年」が本になることはなかった。俳句文学館にバックナンバーがあれば全部コピーして農のバイブルとして永久保存したい。あの連載は爽波の志そのものだった。今の農のくらしは現代化されて昔とは変わっているが、群馬県川場村のわたくしが愛して止まない日本一おいしい「雪ほたか」の余生のうちに一年は移住してお手伝いをして「雪ほたか」を文藝として残したい。冷えてもうまさを失わない米は初めてだった。
インターネットアーカイブがありましたか。昨日もインドで大量の学究捏造、盗作、改竄が見つかり、原著よりも三ヶ月早く発表されているといった詐称を見破るためにアーカイブが活躍していましたが、確かにハイヒールが始まった2003年から辿れましたが、すべてではない。とはいえ、わたくしもプロのはしくれだから、猫髭さんの「作句の姿勢」の凄さをアラスカのりんさんまで見に来るとはナンダッペとアーカイブすると、いやすさまじい薀蓄の羅列で道理でわたくしとの論争をみんな避けたがるわけだという雑学の帝王ぶりで、ラスカルに藤沢の飲み屋で猫髭さんウンチク垂れ過ぎと怒られて反省しているのもむべなるかなで、今のわたくしでもかなわない。俳句の初山踏みの頃はワルノリして切字だけの俳句や四季いずれにも使える季語とか遊んでいてもう二昔前の記録だしわたくは自分の過去には興味がないんで皆さんの作品ときっこさんの作品ときっこ語録だけチェキ(check it)していただけで、句念庵さんが「猫髭さんって、きっこさんの影(髭)猫みたいな時があるじゃん(笑)。」と言っていたのには笑いましたが、過ぎたことは過ぎたことで忘れてあげてもいいのではないかとも思う。表にはほとんど出ないので、余りひとに褒められたことがないせいで、きっこさんや茂雄さんやかもめさんや龍吉さんやかげおさんといった先達に褒められることが嬉しかったのでしょう、アーカイブで見ると恐ろしいほど勉強していますが、残ったことと言えば、やはり地道に目の前のものを見て心を託せる季語が自分の中にあるかということでしょうか。歳時記ではなく自分の心の中で血肉化されている季の言葉でなければ俳句は血が通わないから。
きっこさん、ハジメ2018さん、皆さんおはようございます。田圃に籾殻焼の煙が棚引いています。子供の頃の馴染みの田舎の風景を今存分に楽しんでいます。