きっこさん、茂雄さん、みなさんこんばんは。
きっこさん、皆さん、こんにちは。
悪童の継ぐ篠笛や赤とんぼ 撫子
昨夜猫髭さんに繋ごうとしたのですが、歯の隙間の飛蝗脚が怖すぎて(笑)たじろいでいるうちに寝落ちしてしまった句です。
飛蝗といえばわたくしは鳥居三太句集『小林金物燃料店』(夭夭房叢書)の一句を思い出します。
バッタバッタバッタバッタと跳びにけり 鳥居三太
一度見たら絶対忘れられない句でわたくしは大好きですが、「童子」の巻頭句に辻桃子主宰が掲載した時には、こんなのが俳句なら同人を辞めるとまで言い出す者もあり、辻桃子主宰はこの句がわからないなら同人を辞めていいと言ったそうな。わたくしもそう思う。新しい船を動かすのは古い水夫ではないでしょう。そう言えば、きっこさんのNHK王国の辻桃子さんの特選句は
瓜蝿が瓜蝿を呼ぶ雨催 横山きっこ
以外に飛蝗の句があって、わたくしの記憶では
近づけば跳ぶ近づけば跳ぶ飛蝗 横山きっこ
も辻桃子特選句だったと思う。確か大好きな辻桃子が主宰選の時だけ投句したときっこさんから聞いたように思う。瓜蝿は正直汚い句だなあと当時は思ったが(今も実家が魚市場の裏の大ドブのそばなので盛大な蝿軍団の宴会で臭いまで蘇る)リアリティが凄い。飛蝗の句は文句なしに幼稚園の蝗獲り(砂糖と醤油で炒って食べるのである)や小学校の草罠で遊んだ記憶に一直線に飛んで行った。
Tikazukeba Tobutikazukeba Tobubattaという繰り返しの脚韻をba、ba、ttaと地面に押し付けるような調べで切りながら頭韻がTobu、Tobuと飛翔する韻律と視覚のアンサンブルは見事と言うほかはない。巧まずに出来ることではないし巧んで出来ることでもない。「幸せな俳句」としか言いようが無い。
わたくしたちが詠まなければいけないのは作者ではなく俳句が詠まれたことで幸せだと感じるような俳句だと思う。また鑑賞も、作者ではなく俳句が読まれることで幸せだと感じるような鑑賞だと思う。わたくしの考える「作品主義」とはそういうことである。作者も読者も100%死ぬ。あとに残るのは読まれることで幸せそうな顔をしたよみ人知らずの俳句だけである。
ところでお前さんの句は飛蝗が佃煮にされて喜んでるように見えるとでも言うのか。眼高手低の見本。
明日は次女の誕生日で何かと忙しいので「ハイヒール図書館」も臨時休館で~す。
きっこさん、皆さん、おはようございます。
大阪南部・泉州地域のだんじり祭り、今年は3年ぶりに開催されるようです。テレビでニュースになる岸和田は去年も9月に開催していましたが、その他の泉州地域は10月のスポーツの日(この呼び方には慣れません。体育の日、が好き)のあたり。
うちはだんじりには参加しませんが、夕方になると漏れ聞こえてくる祭囃子の練習の音は、秋の深まりを感じられてとても好きです。