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流れ星ボトルシップを掠めけり

こんばんは&おやすみなさい。

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ボトルにルージュの伝言秋の夜       

きっこさん、みなさんこんばんは。

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チーママの口紅赤き夜這星

皆さん、こんばんは!

あたしが中村あゆみさんの「翼の折れたエンジェル」を詠んだら、猫髭さんが太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」、撫子さんが庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」、ぴのこさんとラスカルさんが久保田早紀さんの「異邦人」と繋ぎ、ハジメ2018さんが美人ママのいるカラオケスナックへと着地させました。

皆さん、お見事!
これも「しりとり俳句」の楽しみ方ですね♪

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足の向く美人スナック星月夜

おはようございます。

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「異邦人」が十八番の漢星月夜

おはようございます(^^)

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星飛んで振り向いてゐる異邦人

おはようございます😃

撫子さん、異邦人でつなぎます(笑)

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年09月02日 05:41)

星飛んでイスタンブールまで何里

きっこさん、皆さん、こんばんは。
懐メロ繋ぎで失礼します(笑)

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行き合ひの空へ木綿のハンカチーフ

>秋天に翼の折れたエンジェルや

「翼の折れたエンジェル」と云うとわたくしの世代は生島治郎の私小説『片翼だけの天使』(集英社 1984)を思い出す。中年のミステリー作家が妻と別れたあと韓国人のトルコ嬢と仲良くなり、結婚して離婚するまでのシリーズがある。話題になったのでうらやましいとは思ったがベストセラーは読まないし私小説ならなおさらうらやまらしいから読まない(笑)。読まないのになぜ知ってるかというと、生島の離婚した妻の小泉喜美子の大ファンだからである。小泉喜美子もミステリー作家だったのでひとつの家にミステリー作家が二人居て毎日人殺しの話をがりがり書いていれば別れないほうがどうかしている。しかもわたくしは彼女のミステリーではなく彼女の訳す海外のミステリーの大大大ファンと来ているから小泉喜美子としては痛し痒しだったろう。しかし、彼女の訳すクレイグ・ライスは絶品で『大はずれ殺人事件』『大あたり殺人事件』(1977年 ハヤカワ・ミステリ文庫)のこのタイトルだけで読みたくなり、読むとまさにその通りの大はずれ殺人事件と大あたり殺人事件が起こるからこたえられない面白さ。P・D・ジェイムズ『女には向かない職業』(1975年 ハヤカワ・ポケット・ミステリ )なんてタイトルだけで読みたくなるでしょう。忘れがたいのはジェイムズ・クラムリー『さらば甘き口づけ』(1980年 ハヤカワ・ノヴェルズ)のカリフォルニアの光を乾きを暑さを肌で感じるようなハードボイルドの小説で強烈な印象を残しました。ビール好きのブルドックとか脇役もすこぶる魅力的。彼女はゴールデン街かで酔っ払って階段踏み外して脳挫傷でその後亡くなったので、酔いどれ探偵のミロ・シリーズは小鷹信光訳で読みましたが『酔いどれの誇り』(ハヤカワ・ミステリ文庫)が秀逸。「神様が公認している職業 酔っぱらい」ですから(笑)。

あ、きっこさんが!マークを二つ以上付けてる。間違いなく酔いどれきっコナン探偵になっています。(*^▽^*)ゞ。

でなんだっけ(笑)、そうそう「翼の折れたエンジェル」はきっこさんの世代では ハスキーヴォイスの中村あゆみ「翼の折れたエンジェル (1985年4月)」でしょう。『片翼だけの天使』にインスパイアーされたとはいえ、あの歌は歌詞が切れっ切れでサビまでの盛り上がりも見事で一度聴いたら忘れられないSongでした。1978年の中原理恵の『東京ららばい』とか、その時代の雰囲気を伝える乗りのいいSongもオジサンには東京の現代御当地ソングだねえと大洗で溶接やりながらラジオで聴いてました。太田裕美の1975年の「木綿のハンカチーフ」なんて、休みの日にひとり大洗工場で魚群探知機の巨大な配線図を作っていた時に毎日ラジオで流れていました。ジャズ流すと配線こんがらかるからね。(*^▽^*)ゞ。

>50年後、100年後の俳句マニアたちが「きっこの後に生まれてラッキー!」と言ってくれるように

ああ、わたくしはせいぜいあと十年くらいだから「きっこに俳句教わってラッキー!」と言っておこう!!!

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秋天に翼の折れたエンジェルや

皆さん、こんばんは。

言葉遊びだった連句を、俳諧と言う芸術の域にまで高めるために、その生涯を「探求」という名の旅に捧げた松尾芭蕉は、あたしの最もリスペクトするおじさんです。
芭蕉は最高で最強です!
でも、インターネットはおろか電話も無く、新幹線も飛行機も無かった時代に、わずか50年の生涯で何ができるでしょうか?

芭蕉はメッチャ頑張りましたが、残念ながら俳諧を芸術の域に高めることはできませんでした。
あと一歩、いや、あと二~三歩でした。

しかし、その芭蕉の後を継いだのが、蕉門十哲を始めとした芭蕉の門人たちではなく、意外にも与謝蕪村だったのです。
蕪村はマジ凄いです。
芭蕉が思い描いていた理想的な俳諧に、理屈や理念ではなく、実作で抜群のフォローを入れたのですから。

それなのに、芭蕉から蕪村への奇跡的な流れを、まるで星一徹のように「ちゃぶ台返し」してしまったのが、こともあろうか、明治の正岡子規だったのです。
でも、その子規は子規で、これまた文明開化の申し子として、芭蕉の時代には想像もできなかったような世の中で、さらに上を目指したのです。
本当は芭蕉をリスペクトしてた癖に、芭蕉を否定することで新たな頂きを目指そうとした子規、ある意味、究極のツンデレです。

そして、箸にも棒にも掛からない高浜虚子によって、子規が目指していた俳句は、優柔不断な社会の荒波の中へと放り出され、紆余曲折を経て、それなりの伝統的な衣を纏うようになったのです。

この、めくるめく「俳諧から俳句へ」という大冒険の果てに、今、あたしたちがいるのです。
これって、最高にワクワクする状況だと思いませんか?

あたしは、芭蕉や蕪村や子規や虚子の後に生まれることができて、本当にラッキーだったと思っています。
そして、50年後、100年後の俳句マニアたちが「きっこの後に生まれてラッキー!」と言ってくれるように、これからも俳句を愛し続けたいと思います♪

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翼持ち空を見上ぐる案山子かな

きっこさん、みなさんこんにちは。

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