チチチチという声なので雀だと思うが、杉並の妙正寺川の側に住んでいるし車椅子介助は善福寺川だから通し鴨の軽鴨は年中見られるが季節の渡り鳥も水鳥を中心に飛来するから雀が珍しいほどバードウィッチングには向いているので珍しい鳥も来るのでカメラマンの姿も絶えないから、地味な雀は黙殺されるので、雀の好きなわたくしは寂しかったが、そうか朝の挨拶は雀か、そう言えば妙正寺に移って来てからは多いと気づいた。前住んでいた善福寺川は氾濫警報が台風の度に夜中でも鳴るので津波で逃げて来たのに出水ではかなわんと妙正寺の高台に引っ越したが椋鳥と鵯がキュルキュルヒーヒーとけたたましく、逗子鎌倉の時は鶯の声のでかさに辟易していたから、雀の声は落ち着く。泉鏡花の『鏡花短篇集』 (岩波文庫)に入っている「二、三羽―十二、三羽」など絶品であるが、代表作のひとつ『春昼・春昼後刻 』は鏡花が住んでいた岩殿寺を舞台にしており、ここは家から近くよく長女を抱っこして散歩しており、彼が寄進した池は雌の翡翠が棲んでいて、どういうわけかわたくしが顔を出すと必ず出て来てくれたので、今思えばすごい環境に暮らしていたということになるが、住めば都で妙正寺もまた自然の移ろいを楽しませてくれる。
昨日は原石鼎を顕彰する俳人(俳誌代表)に請われて原石鼎の旧居をともに探訪したが、麻布本村町から大磯に引っ越すまでの本村町116番地が戦争を挟んでいるので特定不明で広尾の有栖川公園にある日本最大の都立図書館で再度古地図を調べた。この時期都立図書館はどこも館内工事の時期なので自分で直接調べることが出来ず館員を通して戦前と戦後の古地図を持って来てもらい探しまくるという気の遠くなるような作業で、代表はもう十年近く調査していたが不明だということで諦めかけていたのを、そこは名探偵きっコナンの弟子のしつこさでは鬼も逃げ出すという迷探偵猫髭なので、代表が諦めかけても諦めない。
代表の情報では、神田に文具店「オカモトヤ」という有名な店があり、この創立者が鈴木芳如(すずき・ほうじょ)という俳号を持つ女性で、原石鼎や松本たけしにも師事して神奈川県大磯町にある鴫立庵の18世庵主になって句誌も主宰し、かの中村汀女も参加しており、毎年三月に行われる大磯町の「西行忌」も芳如の発案と云われるから明治の女性って凄いヴァイタリティがあると驚くほどの人物だが、彼女の自伝『あの頃』に彼女が原石鼎が大磯に移る前、石鼎夫妻の住まいを芳如が買い取ったことが記されており、鈴木芳如の住まいがわかれば石鼎の旧居もわかるという代表の読みが藁にもすがる一縷の望みだった。鈴木という名前は沢山あってどれが本命かわからないが、三時間ほどかけて本村小学校の横に鈴木名義でほにゃらら編集部とあるのが目に止まった。わたくしは目が悪いので代表に、
これ編集部と書いてあるみたいだけどその前のこおろぎってなあに?
芳如の主宰する俳誌の名前で「こよろぎ」よ。住所も116とあるから間違いない!
もう代表と図書館の係員と一緒に手をとって喜び合いました。「じゃあ行ってみましょう」と暮れなずむ麻布の丘で、ここに石鼎が居たのねと代表はしみじみと喜び、わたくしは敬愛する須賀敦子の『遠い朝の本たち』の「ひらひらと七月の蝶」で書かれていた「家のとなりで、いつも庭に立って、空を見てた、じじむさいおじいさん」「うるさくてこわいおじいさん」が原石鼎だったことを確認したのである。
夕月に七月の蝶のぼりけり 原石鼎 昭和25年
わたくしが全作品を、初めて掲載されたオリベッティ社の文化誌「SPAZIO」から単行本、翻訳本を収集し、全集を愛読しているイタリア文学者の須賀敦子は芦屋出身で「西宮文学回廊」には、彼女のプロフィールに、
プロフィール 1929年1月19日(戸籍上は2月1日)~1998年3月20日
西宮・東京で育つ。東京では俳人原石鼎の隣家に住んだ。
日本の随筆家・イタリア文学者。20代後半から30代が終わるまでイタリアで過ごし、40代はいわゆる専業非常勤講師として過ごす。50代以降、イタリア文学の翻訳者として脚光を浴び、50代後半からは随筆家としても注目を浴びた。2014年には、イタリア語から日本語への優れた翻訳を表彰する須賀敦子翻訳賞が創設された。
と記されている。「東京では俳人原石鼎の隣家に住んだ」と記されているが、実に、その旧跡が特定されたのは昨日が初めてなのである。
写真は広尾駅1番出口有栖川公園。
きっこさん、ハジメ2018さん、皆さんこんばんは。今日は津市の空は何やら妖しい雲行き。まさか大地震の前触れでは?これはいずれわかることながらびっくりしました(^^)。
>大阪・箕面の滝
これがあの「滝の上に人現れて落ちにけり」じゃなかった、
滝の上に水現はれて落ちにけり 後藤夜半 昭和四年(オリジナル表記)
の名句が詠まれた滝ですか、初めて見ましたが立派な滝ではありませんか。この句が大阪・箕面の滝を詠んだものだと言うのは坂口昌弘氏の「平成の好敵手」第二回「岸本尚毅VS小川軽舟」の孫引きですが、「 軽舟は、夜半の句については『現代俳句最前線』の中で、箕面の滝をいくら眺めても句の景色は見えてこず、「落ちにけり」と言えるものではないと言い、実際の滝を見た写生句ではないと実景で確認している。」とあったので呆れたことがあります。歳時記の「一月」を見ると、
一月の川一月の谷の中 飯田龍太
の句が必ずと言っていいほど例句として挙げられていますが、あの川は、
雪解川名山けづる響かな 前田普羅
といった山を削るような渓谷を流れる川ではなく家の前の飛び越せるような小川を見て出来たと龍太が屈んでその田水を引いたような流れの前の写真を見た記憶があるのですが、句の姿がシンプルなので、軽舟のように、この小川をいくら眺めても句の景色は見えてこず、「一月の川」と言えるものではないと言い、写生句ではないと実景で確認したと書くかというと、騙されたとは感じても腹は立たないどころか、よくここからあれだけシンプルで美しい句を詠めたものだと感心するしかない。俳句は「客観という実」に軸足を置いた「主観という虚」であり、それがリアリティや美しさをもたらすのは各位の「多作多捨」「多読多憶」の修練次第ということになる。
ところで、「滝の上に」の「上」は「うへ」と字余りで読むのか「へ」と上五に収めて読むのかという話題があるが、
滝の上人あらはれて去りにけり 原城 昭和2年
という句が「ホトトギス雑詠選集」にあるので、滝の上は「うへ」と訓じるのが正しいとわたくしは思います。
写真は冬季限定トンカツ屋の牡蠣フライ定食。醤油をかけてレモンを絞りタルタルソースでいただく。エビフライも自宅で冬は半額セールのエビフライの揚げるだけのやつを買って来て、タルタルだけだと甘すぎるので醤油か塩で軽く下味を付けてからタルタルを少々付けて食べる。エビフライは大好物で炊き立ての白米に合うのである。
おでんの季節だが、「孤独のグルメ」で見た富山のおでんの蟹面(蟹の甲羅の身から味噌から内子まで混ぜて練りこんだもの)が強烈に旨そうで、これは東京では入手困難なので、年の瀬大均市で大根一本丸ごと88円と安いので買って来て、奈良の大根炊きを思い出して厚めに大根を切って串でぷつぷつ挿しまくって中まで火が通る奈良おでんのやり方で半額で冷凍しておいた手羽先をどかんとぶち込み、シンプルに大根と手羽先の炊いたんにした。これは出汁が旨味の元だから、昆布、干し椎茸、煮干、鰹節、酒、醤油と塩で火を通しては冷まして味を入れ、また火を通して冷ますことを繰り返して完成。大根一本食べてしもうた。この出汁で饂飩で締める。しかし、千秋楽を見てがっかり。茨城出身の高安はいざという時に限って弱い。困ったもんだ。
きっこさん、兎波さん、皆さんこんばんは。今日は伊勢路から尾張路へ鉄道で移動です。藤井聡太五冠の郷、瀬戸市訪問。瀬戸焼きというより今や将棋の街になった観が(笑)。桑名で揖斐川木曽川という大河を渡る鉄橋が圧巻です。
猫髭さん、写真でお言葉ありがとうございます。これを励みにさらに精進します。
きっこさん、猫髭さん、皆さん、こんにちは♪
猫髭さん、ハイヒール図書館ゆるゆるのんびり楽しみにしております。大事な猫の手も目もどうぞお疲れの出ませんように。ありがとうございます。
きっこさんは、いつ降臨されるか分からないこのドキドキ感がオタクにはたまらないのです(笑)ゆるゆるのんびりお待ちしております♡
写真はパパとお出掛け中の次女から届いた、大阪・箕面の滝です。紅葉の天ぷらを食べつつラムネを飲んだそうです。ええなあ。
