自家製ベーコンとは聞き捨てならないですね、美味しそう♪
今日は和裁の集まりの日。浴衣地を長襦袢や寝巻に仕立てる仕事や、羽織を名古屋帯に仕立てる仕事は、お吟さんより金蠅銀蠅瑠璃蠅のほうが巧いのでお願いする。山茶花を手折って針供養をする。瑠璃蠅は莟への挿しやすさにいたく感動して、
さざんかの蕾へ針や針供養 瑠璃蠅
他の二人も負けず嫌いなので、
春浅し浴衣地で縫ふ長襦袢 銀蠅
春の雪脱いだり着たり部屋着縫ふ 金蠅
ほぼお吟さんの手中に収まっておられる。それぞれお連れ合いさんを連れておいでなさい、いつでも夏井先生してあげると言ってある(笑)。
雪いつか雨となりたり針供養 加古宗也
長靴で近所のお客を周って来ましたがお客は「ええっ、雪降ってんの」と驚いていた。赤子と老人は寝るのが仕事か。
雪は屋根や畑には残っているが車道は車が蹴散らして路面が見えているとはいえ、舗道は人が歩いてぐじゅぐじゅにしても雪掻きをする者がいないところは今夜凍ると明日が大変そう。
>人気が出て
行きつけの店が人気が出ると混んで当然常連は並んでまで行く気はないし、味も落ちるから行かなくなる。TVや雑誌やで人気が出て繁盛した店は飽きられると閑古鳥が鳴いて潰れる。宣伝お断り写真撮影禁止の常連を大事にする店は長続きする。ただし、一杯で一日ねばる常連ばかりでも潰れるので、ほどほどに常連が来て客足が絶えない方が店も客もいいけどね。
今日は午前中の仕事終わりに、カセットのガスボンベが切れたので「毎日安い」が売り物の「オーケー」に高いIwataniではなく安いサンのボンベを買いに行ったら頻りに店内放送が「降雪情報のためレジが大変混雑して誠に申し訳ございません」とアナウンスしている。雪が降るのは夜からで積もってもせいぜい五センチだろうと思ったら、どのレジも目一杯並んでいてガスボンベひとつ買うのに掻き分けて取り出して最後尾に並ぶ始末で、こいつら全員鼠年かとあきれた。秋田では一日でその十倍も積もるというのに、たった五センチ前後の積雪で街中買いだめに走るとは。
トイレットペーパーを買い占め、米を買い占め、飲料水を買い占め、マスクを買い占めと下から上まで右往左往する群集心理は社会学の古典デヴィット・リースマンの『孤独な群衆』(みすず書房、1964年)で高校生の時に読んでいるので今も昔も変わらないと呆れるが、他人指向型の連中も今はスマホで情報過多の島国根性が増幅されているのだろう。論語の「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。」で、わたくしは君子ではないが、「和して同ぜず」である。お、雷が鳴ってる。雷神様も呆れているか。
今日は幸い午後の仕事がないので予備のパソコンに句会の兼題句を再構築して、吟行句は丁度横浜中華街が9日から春節なので、50年近い行きつけの店で娘の誕生会を開き、ついでに山下公園や大通りの飾りつけや演武も見学して俳句を拾ってくる段取りをつけていたが、昼頃から降り出した雨が雪に変わり、雷まで鳴って、夜には車の通りもなくなったので五センチは積もっているだろうと思ったら、埼玉では50センチ積もっているというので外を見るとなるほどファミマの前や屋根は雪景色だったが5センチくらいで、それよりも車道がタクシーがそろそろ走って雪はぐじゃぐじゃになっていたので、明日は凍ると滑るなあと心配になった。新雪のままならふかふかして滑らないが、踏み固められて凍ると滑って自転車は危険なのだ。明日は近場は歩きで練馬区は坂道は降りてあとは慎重に真っすぐ走らせるしかない。わたくしは雪でも待っている客がいるなら休まない。
写真はちぢみ菠薐草と自家製ベーコンの炒め物。
猫髭さん、himariちゃんのご紹介ありがとうございます。去年の暮れだったかな、報道ステーションのスタジオを暗くしてhimariちゃんの独奏がありまして、妖精が舞い降りたような可憐さなのに深い音色で、大越キャスターがだじだじで質問していたのを覚えています。
今日は久しぶりに倉庫カフェに出没。店が忙しくなったうえに親の介護が加わって、夫婦でダウンしていたそうです。家具調度が手づくりで、珈琲にもケーキ作りにも軽食にも手を抜かないマスターなれば、じわじわ人気が出て当然ですね。「お吟さんも自分の身体を守るため、心を鬼にして注文を断っている。マスターも省けるところは省いて末永く続けてください」とお願いしてきました。
寒明の大地をどんと杭打機 境野大波
こちらも午後から冷え込んできました。寒波襲来の立春ですね。心待ちにしているお客さんがいるから積っても休めないですよね。どうぞ転倒にお気をつけくださいませ。
>文学的にはゴーリキーの「どん底」で哲学的にはニーチェの「病者の光学」だが、
お吟さん、読んだことがなくても大うけです。亡くなった師匠が、おんぼろの車に乗っていたのや、よその庭をのぞいて通報されたり、山道でブレーキを踏んだまま強風の日の竹林を凝視していて、後続車にどなられたことを思いだしました(笑)。
妹の身長が伸びるのが止まったからと、姉妹の小紋を新調したいお母さんが見えました。小紋と言っても友禅染に金彩がほどこしてあり、この子たちが茶会のお運びをするとさぞかし華やかになるだろうと思います。しかし広げてびっくり、まったく同じ柄でした。同じサイズに仕立てるので、まったく同じ柄ゆきにするか、違った感じにするか、今夜楽しく悩みたいと思います♪
藍を生み立春の雨夜をあがる 上村占魚
窓の外でぴしぴし音がするので雨にしては音が固いと思ったら霙だった。道理で寒いわけだ。昨日は最高6℃で最低は2℃と一昨日よりも10℃下がって北風もあったが今日は霙で明日明後日は雪とか。雪が積もると自転車はお手上げなのでバスや電車を乗り継いで客先に行かねばならず厄介極まる。積もると雪の歩き方に慣れていないので足首くじくと自転車も難儀するし、ヘルパーには雪は大敵である。
9年ぶりで句会や吟行に参加するので、俳人モードになるために昔の「多作多捨」「多読多憶」や「定点観測」を思い出そうとしたが、9年のブランクは大きく、先ずは兼題から片付けようと「大型俳句/俳句関連文書データベース検索エンジン」を探して、ツールバーに固定して、今回の兼題を「俳句例句データベース(季語以外による分類)」で検索すると129句の先人の例句をエクセルに取り込んで、自分がこれはと感じた秀句は緑、佳句は黄、句は凡句だが措辞に新しさや工夫があれば措辞のみ赤字にして類想類句の句は詠まないという戒めとする。兼題の場合は俳人の「目の付け所」が自分とマッチすればそれを参考に自分のイメージを膨らませて推敲を繰り返す。誰もが見ているが誰もが見落としている些細な「ずれ」が俳句ではオリジナリティとなる。俳句は世界で一番地味で幸せの目線が低い文藝だから、俺が俺がのが(我欲)を捨てておかげおかげのげ(解脱)で暮らす平身低頭の目からしか見えない世界が俳句の立ち位置だから文学的にはゴーリキーの「どん底」で哲学的にはニーチェの「病者の光学」だが、上からものごとを観たがる連中には見えない、繰り返しに足るものしか残らない日常の素朴な誠実さがある。
あとは写生句の世界だが、これは定点観測でも旅行でもいいが、ただ見たまま聞いたままではなく、それらの見聞を自分の血肉とする言葉との推敲が大切で、二時間吟行に費やしたら二時間は推敲に費やし、また翌日推敲を重ねてゆく自分の感性を研ぎ澄ます過程となり、自分の言葉に置き換える自分のゾーンに入る作業となる。これが一番難しく一番楽しい時間で「自分言いたいことだけを言う」と「自分の言いたいことは言わずに季語に託す」という終わりなき往復作業となる。
で、根を詰めると疲れるので、わたくしは料理を作ったり、音楽を聴いたりしてのんびりする。今日はちぢみ菠薐草の塩豚炒めと菜の花のひきわり納豆和えを作った。3分間茹でた菜の花を冷水で色を鮮やかにし、ひきわり納豆を辛子とマヨネーズと醤油で混ぜ混ぜして菜の花にかけて食すのである。スープはちぢみ菠薐草のスープで、雪でつぶされてぺちゃんこになった冬菠薐草の出汁がふくよかで絶品なのである。
と、満足して吉村妃鞠ちゃんのヴァイオリン協奏曲を聴いて涙を流していたらパソコンがぷすんと鳴って御臨終。まいったなあ。NECの同じ大型画面のパソコンの御臨終と同じで、電源が入れば自動バックアップなのでファイルは救えるが、電源が全く入らないとお手あげで、もうNECに見切りをつけるしかないなあ。小型のNEC一台しかもうバックアップがないので、兼題と吟行俳句は記憶しているうちに書かないとダミだなあ。
Himariちゃんの名演を聴いてもらおう。これで小学生とは。ヴァイオリンが感情を持っているとしか思えない。ストラディバリウスという名器を弾いているが、彼女が弾いてこそだろう。
HIMARI | Curtis Recital 11years old ヴィエニャフスキ / ヴァイオリン協奏曲 第1番(2022.10.28)
