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写真同好会合評会

<合評会>

日時 11月21日(木)午後3時
場所 高校教育会館会議室
内容 大雄山最乗寺とさる菊(10月24日撮影)
   の写真を持ち寄って合評

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平和を願う「ピースボート」の活動

 10日にラポール日教済で、「五者合同学習会」が開催された。開会等の挨拶の後、基調報告があり、例年通り2本の講演が午前と午後に行われた。午前の講演は表題に上げたピースボート共同代表の畠山 澄子さん、午後は「医療・介護をめぐる動向について」をテーマに連合の小林 司さんが話された。ここでは、畠山さんの講演の一部を紹介します。
 平和活動に関心を持ったきっかけは、高校1年のときイタリアのユナイテッドワールドカレッジに留学した体験が大きかった。そこでは東西の国々から1名ずつ若者が集まり、文化や宗教の違いを超えて交流し将来の考え方・行動を学びあう授業が行われた。
 戦争をテーマにした授業では、校内に検問所が設けられたり、空襲のサイレンが鳴らされたりして擬似体験を受けた後、討論が行われた。紛争地のボスニアの学生からは「戦争を知るとは何だ!」という怒り、ガザの学生からは「お母さんを返して!」との悲痛な言葉を聞き、戦争を体験していない自分と彼らとの違いにショックを受けた。
 国際交流の船旅ピースボートでは、1994年に初めての日本発着の地球一周の船旅が企画され、現在約1,800名を乗せて世界各地をまわっている。船の規模は客船「飛鳥」を上回る。乗船者の約300名がアジアの人々で、船内では日本語、中国語、英語など多くの言語が飛び交わされている。船の良いところは多くの荷物を積めることである。一番人気の鍵盤ハーモニカのほか、足踏みミシン、カーブミラー、はては救急車まで。顔の見える国際交流を目指し、支援物資を届けるだけではなく、現地で民族刺繍のワークショップをお願いしたり、民族舞踊を観賞したり双方向の交流を行っている。
 ピースボートは多文化共生の旅という側面も持っている。中学生の国際交流などを企画し、自分の国でも相手の国でもない船の中で交流し合うことに大きな意義が見出せる。
 話題はさらにウクライナ侵攻、核兵器禁止条約、戦争ではなく平和の準備を、応答責任等におよぶ内容の濃い講演でした。

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 午後の講演について少し補足すると、事前に配布された資料をもとに詳しい解説が行われた。まず、2040年までの人口等に関する短期・中期・長期の見通し、それに伴う医療・介護分野の様々な計画の話から始まり、項目ごとの話に移った。医療体制、医療保険制度、介護保険制度、連合がめざす社会を図表をもとに説明された。
 会場からは、マイナ保険証と生殖医療の問題、利用率の少ない介護保険と徴収額の使い道などの質問が出たが、今後注目して行きたいとのことだった。

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第33回シニア写真同好会撮影会

大雄山線 沿線(ざる菊祭り、最乗寺)の撮影

<10月24日(木)>  
集合場所:大雄山線小田原駅改札口10時当日雨天の場合
当日雨天の場合:小田原城
予定通り実施で:帰りの大雄山線で途中下車して撮影することもあります

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おしどりマコさんケンさん縦横無尽に原発問題を語る

 21日に神奈川県地域労働会館で、「9.21ストッププルトニウム神奈川連絡会学習会」が催された。ゲストは「おしどり」のお二人で、原発事故を長年取材して集めた豊富な数値データと資料写真、ビデオ映像をもとに、福島原発事故発生から現在の原子炉デブリ取り出しの進展まで2時間超えで熱弁をふるった。ここでは、その中で印象に残った幾つかを紹介します。
 原発事故から間もない、3月19〜21日にかけて吉本興業主催の「春休みお子様キャンペーン」が開かれ、大阪から東京よしもとに移ったばかりの夫婦漫才「おしどり」も出演していた。舞台では、爆発とか不安を煽るような言葉は使わないようにと言われていた。子供達をまえに、いま起きている本当の事を伝えなければいけないと、そのとき強く思ったそうだ。それ以来、ニコ動で資料を調べたり、記者クラブに紛れ込んだりした。東電記者会見では毎回取材に参加し、一般紙の記者が年々減る中、2023年には一人になった。2024年にデブリ取り出しで記者が急増したのは、今のマスコミの実態をよく現している。取材は福島の被災地をはじめ、脱原発を決めたドイツの市民運動にまで及んだ。
 取材で明らかになったのは、廃炉に向けての「長期ロードマップ」のずさんさであった。それでも、事故から13年に渡る経緯について、マスコミは一様に口を閉じていることに疑問が生じた。後になって一連の開示請求により電通が「心の除染」というパンフレットを各方面に配り、事故処理のネガティブな内容をマスコミから遠ざけるよう働きかけたことが分かった。また、農業従事者の声として、国の行う空中放射線量調査だけでなく農地の面放射線量の調査が身の安全に必要との強い要望が上がっていることなども紹介された。さらに多額の事故総費用、除染作業における作業員を取り巻く劣悪な労働環境、被曝労災保険の問題など話題は多岐に渡った。
 長い講演の後のまとめとして、自分たちが動いて行動していくことが大切であり、事故処理を担う労働者ひとりを守ることが、国民みんなを守ることに繋がると話された。

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長い道を

 学生時代、FM放送から流れたメリー・ホプキンの「悲しき天使」(原題Those were the days)に魅せられた。胸に響くメロディーと天使を思わせる澄んだ歌声が心をとらえたのだと思う。あとで知ったが、この曲はポール・マッカートニーが彼女のためにプロデュースしたものであった。森山良子がカバーした日本語の歌詞と歌声も哀愁をおびたものだった。いまでは、歌詞の意味につくづく共感する歳になった。先日、YouTubeで「悲しき天使」の原曲であるロシア民謡の「長い道を」を視聴することができた。これも、とても美しい歌詞で、英語、日本語、ロシア語それぞれを比べると楽しい。世界各地で戦禍の絶えない中にあって、歌声や文学・芸術を通じて平和を築いて行けないものかと切に願う。

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にじ

昨日の雷雨はすごかった!買い物を終えて帰ろうとしたら、土砂降りの雨。そしてピカリ!と稲光り。バリバリと雷鳴!近くに落ちたような…。身の危険を感じてスーパーで小一時間雨宿りした。頭の中に流れてきたのは🎵にじ🎵 NHKのど自慢で小学校の音楽の先生が歌っていた。どうやら音楽の教科書に載っている、新沢としひこさんの作品で小学校では定番の作者らしい。空に虹は確認できなかったけれど、心は晴れた。

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間島出兵から学ぶ ー朝鮮植民地支配から中国東北部への侵略ー

 18日に、かながわ県民センターで「かながわ歴史教育を考える市民の会」主催による「9.18満州事変記念市民集会」が行われた。その中で、神奈川大学講師の谷川雄一郎さんによる標題の講演の一部を以下に紹介します。
 「間島」(カンド)とは現在の中国吉林省延辺朝鮮民族自治州にほぼ該当する地域で九州くらいの面積を持つ。朝鮮半島から様々な理由で移住してきた朝鮮人の末裔が多く居住している。
 1910年の韓国併合から続く日本の朝鮮植民地支配から逃れた人々の独立運動の拠点となったのが「間島」であった。間島出兵とは1920年10月、日本軍が不逞朝鮮人団(武装した独立派)討伐を名目とし中国東北部に侵攻し、住民を大量に殺した事件である。
 間島では毎年クリスマスになると教会ではモーセの劇を行っていた。旧約聖書から民族解放の主題を取り上げ、その指導者であるモーセの劇をして民族的な願いを表現した。キリスト教系の私立学校、端甸(ソジョン)書塾や明東(ミョンドン)からは1,000余名の革命人材を輩出した。
 1919年の三・一独立運動は間島にも波及し、独立派100万人以上の参加があり死者7645人、負傷者4万5562人に及んだという。当時、銃火器を持たなかった独立派は、その一部がロシア革命勢力と結びつき武装闘争を開始する事になる。
 間島出兵におけるジェノサイドの有り様は、調べる事なく住民を見境なく殺し、4,5歳の子供まで含まれたという。カナダ人宣教師の報告により国際的な問題になったが、陸軍参謀部は不逞の徒と良民とを判別するのは困難であったとの意見書を欧米に向けて送り弁明を行った。間島からの撤兵は1921年5月であった。
 おわりに講演者は、「15年戦争」という「区切り」をどのように考えるか、強権的な植民地支配が何をもたらしたのかの視点で、東アジアの近現代史における「間島」のもつ意味と歴史教育を考える事の重要性を訴えた。

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