暮れの12月19日に神高教本部のエントランスに、6人の会員それぞれの作品を3点ずつ、掲示してきました。講演会などで本部を訪れたときに、部屋に入る前に、少し上を見上げてご覧ください。
撮影会の場所は毎回メンバーが企画するのですが、今回の展示は、6月の昭和レトロの六角橋商店街と松原商店街・10月の南足柄の大雄山最乗寺とざる菊まつりの少し前の花咲く里山を訪ねた時の作品です。松原商店街は先日のテレ朝のニュースでもハマのアメ横と称して取り上げられ、年末には欠かせない魅力的な風景でした。
本部まで行かれる機会がないという方はシニア運動のホームページの左枠の【new!写真同好会作品展】をクリックすると同じ作品がご覧になれます。懐かしい音楽をBGMで聴けるようになっていますのでどうかお楽しみください。なにかひとことでも、こちらにコメントくだされば会員の励みになります。
最後に、プロ級の腕前の方も、これから孫や庭の花を狙ってコンデジデビューを目指す方も絶賛会員募集中です。ご一報ください。再来週には『虎に翼』の三淵嘉子さんゆかりの甘柑荘も訪ねる撮影会を予定しています。
2024/12/16、秦野CCにて、
今年度締めくくりのゴルフ会でした。少し気温は低いものの、昼ごろには気温も上がり、絶好のゴルフ日和でした。富士山、大島を眺めながらのゴルフは楽しさを倍加させて頂きました。ゴルフプレーも好プレーの続出で、バーディも数多く出た
ゴルフ会になりました。来年も皆様のご参加をお待ちしています。
終戦記念日を前にした7日、神奈川県地域労働文化会館で、「戦争をおこさせないかながわの会」主催による標記の講演会が開催された。
横浜市HPによると、1945年5月29日の午前9時20分頃、B29編隊517機が横浜上空を飛行し約1時間で総数43万8,576個の焼夷弾を投下した。中区・南区・西区・神奈川区を中心に、横浜の市街地は猛火につつまれ死者3,650人をはじめ罹災者は311,218人とされる。
講演者は当時14歳だった藤原律子さん。29日元町にあった女学校に登校すると間もなく空襲警報が鳴り、急いで帰宅する事になった。交通機関は全て止まり、歩いて浅間町の叔母の家に向かった。空は大きな黒い雲のようなものに覆われ轟音と地響きが起こり、防空壕に一時避難したが周りに火の手が上がり、蒸し焼きにされると叫ぶ声に飛び出した。叔母とは会えず、防空頭巾を被り救急用品を入れたカバンをさげて線路に沿って妙蓮寺近くの自宅へ向かった。途中で同じ防空壕にいた男の子が爆撃で膝から下を飛ばされるのを目撃したが、逃げることを優先していた。しばらく歩いて浅間神社の軒下に潜り込み、持っていた救急用品で傷ついた足の手当てをすると疲れのため寝込んでしまった。目が覚めて外へ出ると、神社の高台からは一面焼け野原となった光景が目に飛び込んだ。ようやく戦火を逃れた家に辿り着くと意識を失い、翌朝母親に起こされ、背中をさする手の感触に涙が止まらなかった。
戦後、胸に刻まれた戦争体験と労働組合結成に熱心だった夫に感化され、平和運動に取り組むようになった。沖縄の戦争体験談や蛮行を行った元憲兵の加害体験と苦しみを聞き、改めて戦争を考える。戦争で失うものはあっても、得るものは何もない。安保法制違憲訴訟では、原告側証人として被災体験を証言。いまもウクライナやガザの紛争を見て心が痛むとのこと。
最後に次世代に向けて台湾有事の動きなど、油断すると戦争に向かう足音が高くなることを伝えて欲しいと話された。
日時 12月19日(木)午後3時
場所 高校教育会館会議室
内容 会員各自3点の作品を高校教育会館の玄関ホールに展示作業
*第32回撮影会(六角橋・松原商店街)と
第33回撮影会(大雄山線)の中から3点を展示
10月21日は絶好の天気の中我がシニア運動ゴルフ同好会の秋季親睦ゴルフ会でした。会場は箱根湖畔GC、大涌谷の噴煙を愛でながら、最高齢は92才会員から若手は60才代の皆さん日頃の鍛えた技を遺憾無く発揮されて、難コースに挑んでいます。
そして、無事に全員元気にホールアウトできました。また、次回の参加もお待ちしています。
10日にラポール日教済で、「五者合同学習会」が開催された。開会等の挨拶の後、基調報告があり、例年通り2本の講演が午前と午後に行われた。午前の講演は表題に上げたピースボート共同代表の畠山 澄子さん、午後は「医療・介護をめぐる動向について」をテーマに連合の小林 司さんが話された。ここでは、畠山さんの講演の一部を紹介します。
平和活動に関心を持ったきっかけは、高校1年のときイタリアのユナイテッドワールドカレッジに留学した体験が大きかった。そこでは東西の国々から1名ずつ若者が集まり、文化や宗教の違いを超えて交流し将来の考え方・行動を学びあう授業が行われた。
戦争をテーマにした授業では、校内に検問所が設けられたり、空襲のサイレンが鳴らされたりして擬似体験を受けた後、討論が行われた。紛争地のボスニアの学生からは「戦争を知るとは何だ!」という怒り、ガザの学生からは「お母さんを返して!」との悲痛な言葉を聞き、戦争を体験していない自分と彼らとの違いにショックを受けた。
国際交流の船旅ピースボートでは、1994年に初めての日本発着の地球一周の船旅が企画され、現在約1,800名を乗せて世界各地をまわっている。船の規模は客船「飛鳥」を上回る。乗船者の約300名がアジアの人々で、船内では日本語、中国語、英語など多くの言語が飛び交わされている。船の良いところは多くの荷物を積めることである。一番人気の鍵盤ハーモニカのほか、足踏みミシン、カーブミラー、はては救急車まで。顔の見える国際交流を目指し、支援物資を届けるだけではなく、現地で民族刺繍のワークショップをお願いしたり、民族舞踊を観賞したり双方向の交流を行っている。
ピースボートは多文化共生の旅という側面も持っている。中学生の国際交流などを企画し、自分の国でも相手の国でもない船の中で交流し合うことに大きな意義が見出せる。
話題はさらにウクライナ侵攻、核兵器禁止条約、戦争ではなく平和の準備を、応答責任等におよぶ内容の濃い講演でした。
午後の講演について少し補足すると、事前に配布された資料をもとに詳しい解説が行われた。まず、2040年までの人口等に関する短期・中期・長期の見通し、それに伴う医療・介護分野の様々な計画の話から始まり、項目ごとの話に移った。医療体制、医療保険制度、介護保険制度、連合がめざす社会を図表をもとに説明された。
会場からは、マイナ保険証と生殖医療の問題、利用率の少ない介護保険と徴収額の使い道などの質問が出たが、今後注目して行きたいとのことだった。
大雄山線 沿線(ざる菊祭り、最乗寺)の撮影
<10月24日(木)>
集合場所:大雄山線小田原駅改札口10時当日雨天の場合
当日雨天の場合:小田原城
予定通り実施で:帰りの大雄山線で途中下車して撮影することもあります
21日に神奈川県地域労働会館で、「9.21ストッププルトニウム神奈川連絡会学習会」が催された。ゲストは「おしどり」のお二人で、原発事故を長年取材して集めた豊富な数値データと資料写真、ビデオ映像をもとに、福島原発事故発生から現在の原子炉デブリ取り出しの進展まで2時間超えで熱弁をふるった。ここでは、その中で印象に残った幾つかを紹介します。
原発事故から間もない、3月19〜21日にかけて吉本興業主催の「春休みお子様キャンペーン」が開かれ、大阪から東京よしもとに移ったばかりの夫婦漫才「おしどり」も出演していた。舞台では、爆発とか不安を煽るような言葉は使わないようにと言われていた。子供達をまえに、いま起きている本当の事を伝えなければいけないと、そのとき強く思ったそうだ。それ以来、ニコ動で資料を調べたり、記者クラブに紛れ込んだりした。東電記者会見では毎回取材に参加し、一般紙の記者が年々減る中、2023年には一人になった。2024年にデブリ取り出しで記者が急増したのは、今のマスコミの実態をよく現している。取材は福島の被災地をはじめ、脱原発を決めたドイツの市民運動にまで及んだ。
取材で明らかになったのは、廃炉に向けての「長期ロードマップ」のずさんさであった。それでも、事故から13年に渡る経緯について、マスコミは一様に口を閉じていることに疑問が生じた。後になって一連の開示請求により電通が「心の除染」というパンフレットを各方面に配り、事故処理のネガティブな内容をマスコミから遠ざけるよう働きかけたことが分かった。また、農業従事者の声として、国の行う空中放射線量調査だけでなく農地の面放射線量の調査が身の安全に必要との強い要望が上がっていることなども紹介された。さらに多額の事故総費用、除染作業における作業員を取り巻く劣悪な労働環境、被曝労災保険の問題など話題は多岐に渡った。
長い講演の後のまとめとして、自分たちが動いて行動していくことが大切であり、事故処理を担う労働者ひとりを守ることが、国民みんなを守ることに繋がると話された。
学生時代、FM放送から流れたメリー・ホプキンの「悲しき天使」(原題Those were the days)に魅せられた。胸に響くメロディーと天使を思わせる澄んだ歌声が心をとらえたのだと思う。あとで知ったが、この曲はポール・マッカートニーが彼女のためにプロデュースしたものであった。森山良子がカバーした日本語の歌詞と歌声も哀愁をおびたものだった。いまでは、歌詞の意味につくづく共感する歳になった。先日、YouTubeで「悲しき天使」の原曲であるロシア民謡の「長い道を」を視聴することができた。これも、とても美しい歌詞で、英語、日本語、ロシア語それぞれを比べると楽しい。世界各地で戦禍の絶えない中にあって、歌声や文学・芸術を通じて平和を築いて行けないものかと切に願う。