御気持ちですがお使い下さい。
10年位前にこちらのサイトで大変お世話になりました。千葉
千葉さん。ご協力ありがとうございます。入金確認しました。大切に使わせていただきます。
当サイトも、10年間で進歩しました。検証してみてください。今後も、末永くご支援のほどお願いいたします。
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主宰者様から、何かきっかけになるアドバイスが、戴けたらと投稿しました。
私は、今巷間騒がせております某自動車販売店で営業を担当して、4年になります。
仕事は、好きなのですが、会社の倫理感の欠如を考えると転職するかどうか、思案しております。
仏教の視点から、何かいいアドバイス
がありましたら、宜しくお願い致します。
ありがとうございます。
自分自身と向き合い、全く違った生き方が、私にもあるのではないかと、
いろいろ考えてみたいと思います。
仏(ほとけ)は「うそをつくな」と教えています。B社はお客さんにうそをついて車を売りつけたこともあったと聞いています。勿論、前日島さんはそんなことはないと思いますが・・・正直は商いの基本です。新経営陣が会社改革を始めたそうですが、自己改革はなかなか難しいです。社会がなかなか信用してくれません。前社長は会社を売ったらどうですか。新しい経営陣の下全社員一丸となって、会社再建に取り組めば、社会も信用してくれるでしょう。
前日島さん。他の社員はどう考えているのでしょうか。営業はお客さんとの信頼が第一です。特に、車はそうだと思います。会社に留まるか、辞めるか。それは、前日島さん自身が決めることです。幸運を祈ります。
在日朝鮮人の金です。
今は祖国でフライドチキンのお店を経営してます。評判いいです。また日本に行きたいです。お金入れました。大好き先生応援してます。金
金さん。ご協力ありがとうごさいます。入金確認しました。大切に、使わせていただきます。今後とも、ご支援のほど宜しくお願いします。益々の商売繁盛を願っています。
ツチヤ リュウジさん。ご協力ありがとうございます。入金確認しました。
大切に使わせていただきます。今後とも、ご支援のほどよろしくお願いいたします。
何時もこちらで勉強させて頂いております。御気持ちですが、運営費等にご利用してもらえば幸いです。
駿河
駿河さん。ご協力ありがとうございます。入金確認しました。大切に使わせていただきます。
今後とも、ご支援のほど宜しくお願いいたします。
スズキ ダイキさん。ご協力ありがとうございます。入金確認しました。大切に、使わせていただきます。今後とも、宜しくお願いいたします。
ネット検索しているなかで、
こちらのサイトに行き当たりました。
仏教の死生観を受け入れることが、なかなか出来ません。
仏教の死生観を理解し、受け入れるには、どのような視点や考え方が必要ですか?
宜しくご教示下さい。
ご返答ありがとうございます。
自分の周りの家族は皆、ある教団に
入信しており、自分だけは、関わらないで数十年過ごしてきました。
一人信心とは、その通りだと思います。
なかなか自分だけでは、道も啓けていきません。
ありがとうございました。
水島さん。投稿ありがとうございます。ご質問の件ですが、まず、仏教は宗教であるということを前提条件とすることが必要かと思われます。その上での仏教の死生観の学びだと思います。仏教のそれは言うまでもなく「業と輪廻」です。このような考え方はもともと日本人にはなかったものです。だから、学修が必要なのです。
水島さんはすでに頭の中(思想)では仏教のものの考え方(業と輪廻)は理解しているのではないかと推察します。その上で、今必要なのは「信心・信仰」です。歎異抄の冒頭に「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏まうさんとおもひたつこころのをこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には、老少善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすべし」とあります。
ここでで親鸞聖人が主張されているのは、救いの母は「信心」であるということです。しかも、「おもひたつこころ」だと言われます。水島さんは、信心をことばで理解しようとしていませんか。聖人の言われる「信心」とは自ずからこころに湧き出してくる「信のこころ」だと思います。
今一つ「信心」で必要なのは、仏法僧の三宝です。「仏」は信心・信仰の対象であるとともに、指導者つまり師を意味します。「法」は当然に仏の教えです。そして、「僧」です。今は僧侶を意味しますが、本来は僧伽(サンガ)で信徒の集団つまり教団を意味します。水島さんは一人信心になってはいませんか。何か、法縁があれば、その教団に入信するのも一つの方法でしょう。
当ホームページは仏教に関心のある方々のネット上の意見交換の場です。思ったこと、疑問のこと、何かあったら、投稿してください。何がしか、サンガの代わりになると思います。
何時も楽しく拝見させて貰ってます。お気持ちですが応援させて頂きました。益々のご活躍祈願しております。久保田
久保田さん。ご協力ありがとうございます。入金確認しました。大切に使わせていただきます。
今後ともよろしくお願いいたします。
初めまして、著作拝読させて頂きました、北島と申します。
道雪さんと同年代ですが、
道雪が幸せを感じる時って、
どんな場面ですか?
いきなり不躾で、申し訳ありません。
返信ありがとうございます。
日頃、余り宗教的な価値に
接する機会もなく、どちらかといったら、敬遠して、生活しておりました。
これを縁として、何か別の
自分に向き合いたいと思います。
北島さん。拙著のご購入ありがとうございます。お尋ねの件、正直言って、どうお答えしたら良いか分かりません。何しろ、幸福(しあわせ)などということは考えたこともありませんから。
仏教に出会ったのは、二十歳の頃でした。だから、サラリーマン生活と仏教修学の期間は重なります。拙著の完成はサラリーマン現役中です。仕事の合間を使って、執筆しました。出版に至った経緯は同著あとがきに書きましたので参照してください。
今、ホームページと掲示板で、妙法十句の教えの発信と多くの方々のご意見を伺うこととができています。つまり、二十歳から始まった仏教修学の道は未だ道半ばということです。この意味では、愚生にとっての「幸せ」は日々の信心生活そのものにあると思います。