知人にて不幸があり作法について教えて下さい。
神道の方はお線香は使わないのでしょうか?数珠等も不要でしょうか?
ご住職様の見解をお聞かせ下さい。
No.190ごん米2022年7月29日 18:44
神道を務める者さん。的確な説明、痛み入ります。実は、当方には神道に関する知識はほとんどありません。ただ、神道つまり伝統宗教の死生観、これを死蓐観(しじょくかん)といいますが、死に対する穢れ観を仏教が取り入れたとは理解しています。
記憶だけで、申し訳ありませんが、以前、テレビで、ある地方の神道式の葬礼の映像を見たことがあります。参列者は白装束であったと、記憶しています。仏教の黒とは真逆です。白は穢れを払う象徴として葬礼に用いられたのでしょう。
伝統宗教では死は穢れの対象です。穢れを封じ込めるために、殯(もがり)をします。先帝陛下が父君昭和天皇の葬礼時、殯を実践されていたことが記憶にあります。
神道式葬礼で、線香を使うかどうかは分かりませんが、線香が穢れを払うものでもあるとすれば、線香を使う地方もあるのではないでしょうか。
また、数珠は仏教の象徴です。正式には、108、つまり、煩悩の数の数珠玉があるはずです。数珠たまをひと珠ひと玉繰ることに、おのれの煩悩を滅ぼしてゆく。このことが、本来の数珠の目的です。
神社にも燈明はありますね。その通りです。明かりを神に捧げると言うのは、諸宗教に共通の宗教儀式だと思います。明かりが神や仏、そして、教えを象徴しているのでしょう。ちなみに、仏教では、明かりは仏の教えとその導きの象徴です。暗闇で道に迷うた者たちに、仏は明かりをささげて、真理つまり仏に導くのです。
No.193主催人2022年7月29日 18:45
仏教葬では必ず霊前へのご焼香が行われますが、神道葬ではお焼香は行いません。
神道葬では玉串奉奠(たまぐしほうてん)という、玉串と呼ばれる葉のついた枝を神前にお供えします。 慣れない作法ですが、殆どの場合、作法の説明書を参列する皆さまにお渡ししておりますので、ご安心ください。
参考までに
No.192しし丸2022年7月29日 18:45
ご住職ではないですがご説明させて頂きます。
こちらのサイトのファンの一人です。
まず、神道と仏教の違いを理解する必要があります。
二つの大きな違いは「普遍宗教」か「民族宗教」という点があります。
「普遍宗教」にあたる仏教やキリスト教などには経典というような「教え」が存在しています。その「教え」を信じるのであれば人種や国など関係なく、誰でもその信徒になることが出来ます。明確に信じる物や信じる考え方があります。
それに対して「民族宗教」にあたる神道には伝説や言い伝えなどはありますが、明確な「教え」というものがありません。日本で例えてみるならば「八百万(やおよろず)の神」というように自然や自然現象を神格化した神、思考・災いといった抽象的なものを神格化した観念神と数多くの神々が存在すると考えられています。しかしながら、そこには経典や教えは存在していません。そのため人種や国などが違えばなかなか理解しづらいものになる可能性があります。
因みに線香は必要ないですがローソクは必要となります。
ご住職様の意見も聞かせて頂きたいですね
初老のおじさんでした。
No.191神道を務める者2022年7月29日 18:44
ご住職様お世話になっております。ボーイです。
本日、管理者業務適性試験にて合格の通知を頂きました。
ご支援、ご指導本当にありがとうございました。
結果、15人中3名の合格者の内容でした。
これにより派遣社員の時給が上がります。また正社員の道が大きく前進しました。
これもご住職様のお陰かと思います。
応援頂いた、トミー様、アリさんご指導頂きありがとうございました。本当に感謝しております。この年になって涙がでる程嬉しかったです。
アリさん、今日は飲ませて下さい。
ご報告まで
No.183ボーイ2022年7月29日 18:38
ボーイさん。適正試験合格おめでとう。太閤秀吉は、その時、その時の自分の置かれた境遇と身分・立場、そういった環境の中で最大限の努力をしました。草履拾いから始めて、侍大将、長島領主、そして、ついに、天下人まで上り詰めました。
仏教にも似たような教えがあります。法華経に長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の喩えと名付けられた教えがあります。
話はこうです。ある所に、年老いた長者(資産家)がいました。この人には、幼くして、行方不明となった一人息子がいました。
息子は亡くなったものと諦めていましたが、ある時、一人の若い男が門前にいるのを見つけました。長者はそれが別れた一人息子とすぐに分かりました。
一方、男は男の方で、長い流浪の末、我が家とも知らず、その門前に至ったのでした。身分の高い出身にもかかわらず、長い流浪生活のせいで、心まで卑屈になっていました。威風堂々とした父の長者の姿を見て、男は逃げ出そうとしました。それを見た父の長者は、使用人を使わして、かの男を連れてこようとしましたが、逃げられてしまいます。そこで、父の長者は使用人にボロを着させて、さらにかの男近づかせ、汚物掃除の仕事をやらせることにします。長者の息子であるかの男はその仕事に一生懸命取り組み、長者はその仕事ぶりを認めました。そして、次に、長者の資産である財宝でいっぱいの倉庫の管理を任せました。かの男はこの仕事も、一生懸命取り組み、長者はその仕事ぶりを認めました。そして、次には、倉庫をはじめ、他の長者の資産全ての管理を任せることにしました。かの男は、これも何んなくこなしました。そして、長者はついに「お前は私の一人息子である」と宣言し、王侯貴族や町の有力者に紹介しました。かの男は気が付いたら、大資産家になっていました。太閤秀吉はその時その時置かれた立場で努力した結果、気が付いたら天下人になっていました。これらの話は、我々に日々刻々努力する大切さを教えています。
ボーイさん。かの長者窮児あるいは太閤秀吉のように、今従事している仕事に全力で取り組んでください。必ず見ている人は(長者、信長)います。幸運を祈ります。
No.187主催人2022年7月29日 18:41
ボーイちゃん合格おめでとうございます。
社員目指して頑張ってね!
またお酒飲んでるの?
ほどほどにしましょうね!
秋刀魚おいしそう~
No.184アリ2022年7月29日 18:39
質問失礼します。
学ぶ前は仏教にどんな印象を持たれてましたか?
返信宜しくお願いします。m(_ _)m
No.185どこにでもいる主婦2022年7月29日 18:40
どこにでもいる主婦さん。
主催人が仏教と出会ったのは、小学校の4年か5年頃かと思われます。その頃、母が本門仏立宗という幕末期におこった日蓮宗系の新興宗教の信者になりました。父はそれを黙認しましたが、本人は入信しませんでした。
本尊は「南無妙法蓮華経」の題目で、いわゆるひげ題目と呼ばれもので、少年の目には文字と認識されませんでした。これがインドの文字かと思ったぐらいでした。会合が信者の家で持ち回りで行われており、母に連れられて参加していました。題目を唱えるでもなく、お菓子をもらえるのが目的のようなものでした。渋谷に東京本山があり、朝参りと称して、特に、夏休み中には連れていかれた記憶があります。
このようなことも、小学生時代だけだったと思います。その後、宗教的なものとは疎遠になりました。転換点となったのは、大学時代に、大教室での授業になじめず、精神的に孤立したことでした。弱い心がそうするのだ。心を強くしようと思いましたが、そうはいきません。
孤立した中で出会ったのか、岩波新書「仏教」でした。そこには、「苦しみは欲望により生じる。欲望を棄てれば、苦しみは解消する」ありました。
主催人はそれを実践しました。教室と自宅を往復する日々が続きました。友達も作らず、遊びもせず、孤立の日々でした。禁欲の実践でした。
どこにでもいる主婦さん。当時の主催人にとっての仏教とは、現世利益の打ち出の小づちでした。当時、仏教に期待したのは、こころを強くする方法でした。母の仏立宗の影響から逃れられなかったのも知れません。宗教としての仏教は遠い存在でした。
転換点は、大学卒業寸前の大不安とある種の悟り体験でした。この辺の事情は拙著「妙法十句入門」に詳しく書きました。参照にしてください。
No.186主催人2022年7月29日 18:40
お世話になっております。ボーイです。
ご住職様お元気でお過ごしでしょうか?
今月6日はライン設備の整備点検の為、お休みとなりました。
業務については今の所大きな問題がなく楽しく作業をしております。
これもご指導のお陰かとおもいます。
またアリさんには感謝しております。最近ではお酒は、ほどほどにして健康を考えた生活を送っております。
少しですがボーナスも出ることが決まりました。本来なら感謝の気持ちをご住職様のお寺で賽銭をしたいと思っております。
つまらない話でしたがご報告まで
本日は焼酎のレモン割りと秋刀魚となります。
No.182ボーイ2022年7月29日 18:38
ご住職様お世話になっております。ボーイです。
夜分にひつれいいたします。
明日、製造部にてライン認定に試験があります。
俗に言う昇格試験になります。合格すれば正社員への道がグッと近くなる重要な検定試験です。
ある程度の自信はありますが筆記試験もある為、只今勉強中です。
緊張のあまり少しお酒を頂いております。
良い報告が出来るよう頑張りますのでよろしくお願いいたします。
ボーイ
No.179ボーイ2022年7月29日 18:36
アリさんご指導頂きありがとうございました。
試験結果は来週じゃないとわからないです。
今日の感じだと良い感じかと思います。
またこちらで報告はいたしますよ
お酒は毎日飲んでいるので今さら回数を減らす事は出来ないですが飲む量は調整して飲んでますのでご安心下さい。
本日は日本酒と半額の刺身となります。
No.181主催人2022年7月29日 18:37
ボーイちゃん試験合格したのかな?
昨日もお酒飲んでたみたいだけどほどほどにしないと
身体がおかしくなっちゃうよー
No.180アリ2022年7月29日 18:36
実際にどんな精神的なメリットがありましたか? どんなに些細な事でもけっこうです。
また、仏教を理解するコツなどもあれば(個人的見解でOKですので)
回答くださればうれしいです。
No.177どこにでもいる主婦2022年7月29日 18:34
主催人が秩父三十四か所観音霊場を巡拝したのは、確か、四十年ぐらい前だったと思います。精神的なメリットは心の癒しと達成感でしょうか。
次に、仏教を理解するコツとのことですが、そんなものはありません。仏教は宗教であって、理解するものではなくて”信ずる”ものだからです。頭で理解しようとすれば、それは仏教思想です。
宗教としての仏教を実現するには、師匠と仲間が必要です。世間には、仏教系の教団は新旧合わせて、数多あります。しかし、そうそう自分に合う師匠と教団に出会うのは並大抵のことではありません。
どこにでもいる主婦さん。まず、思想としての仏教から始めたらいかがですか。そして、その上で、信じられてきたら、師匠を見つけてください。
No.178どこにでもいる主婦2022年7月29日 18:35
ご住職様お世話になっております。ボーイです。
お恥ずかしい話、昨日クラブ活動の野球練習において頑張り過ぎたせいか仕事に影響が出るほどの筋肉痛になり悩まされました。
最近では日常生活に不満がなく楽しい日々を過ごしておりましたがバチが当たったようです。
お酒の飲み過ぎも一因にありそうです。
今日はも少し控えめに一杯やろうかとおもいます。
No.175ボーイ2022年7月29日 18:33
ボーイちゃん飲み過ぎは良くないですよ!
お酒はほどほどにしましょうね!
No.176アリ2022年7月29日 18:33
初めて投稿させてもらいます。40代のどこにでもいる主婦です。
仏教に関心を持つようになり、お寺巡りなどもしていこうかと思っています。 そこで疑問に思ったことはお寺めぐりをしている人達はお寺に行って何をしてるのでしょうか?
No.173どこにでもいる主婦2022年7月29日 18:31
どこにでもいる主婦さん。お寺巡りとは札所巡りのことですね。百観音と言って、西国三十三か所、坂東三十三か所、秩父三十四か所が最もポピュラーな巡礼コースです。
参拝の前に般若心経を写経し、参拝時に納めます。そして、般若心経および観音経を読経します。終わったら、受付で納経帖に記帳してもらいます。納経帖は確か一番札所で手に入るはずです。
重要なのはその目的です。観音経は法華経の第二十五章が独立して一経として読まれるようになったものです。法華経では、シャカ仏は2500年前亡くなられたのでなく、今も常にここに在って教えを説いていると説きます。観音さまは人々の願いに応じて、三十三のお姿にその身を変えて、人々を救います。つまり、観音さまはここに在って教えを説いているおシャカさまということになります。
一番札所は旦那さん、二番札所はお子たち、三番札所は舅姑に、四番札所は・・・と言う風に、感謝の気持ちを納める。こう出来れば理想的でてす。
札所巡りを開催している寺もあるはずです。一度、ネットで調べて問い合わせてみたらいかがでしょうか。
不明な点は、再度問い合わせてください。
No.174どこにでもいる主婦2022年7月29日 18:32
ご住職様お世話になっております。ボーイです。
季節も変わり肌寒い日々をお過ごしかと思いますが
体調管理には十分気をつけてお過ごし下さい。
さて昨日、野球部の親善試合があり6ー3で勝つこと出来ました。
私自信も選手として4打数1安打と勝利に貢献出来ました。
試合後に懇親会があり相手チームと一緒に楽しい時間を過ごさせて頂きました。
正直、人生で一番充実した日々を過ごして頂いております。
ご住職様には本当に感謝で一杯です。
短いですがご報告まで ボーイ
No.172ボーイ2022年7月29日 18:31
ちょっとした疑問なんですが、なんで仏教やイスラム教に戒律のない宗派がないことが厳しいと思わないのですか?
No.170にたまご2022年7月29日 18:30
にたまごさん。ご質問の趣旨は、インド仏教やイスラム教は戒律を重視するのに、日本の仏教は、何故、戒律を重視しないのかということですね。とりあえず、この視点に立って考えてみましょう。
まず、インド仏教ですが、この地の仏教は釈尊の開教以来、出家中心でやってきました。各時代、長者と言われる経済的スポンサーがおり、教団を支えてきました。大乗時代においても事情は同じで、基本的には出家者が中心でした。出家集団は基本的には組織の秩序維持のためににも何らかの規則が必要でした。この規則が戒律に他なりません。
イスラム教はコーラン全巻が戒律集のようなもので、信徒の日常生活の細部まで規定されています。確か、そのはずです。コーランの知識がないもので、ここまでとしてください。
さて日本仏教ですが、伝来のその初め、仏は異境の神として、強大な呪力の持ち主として捉えられました。日本の神を崇拝し廃仏を主張する物部氏は、仏教擁護者の曽我氏と対立しました。最終的には曽我氏が勝利して、仏教重視を掲げる聖徳太子の治世が実現しました。
聖徳太子は仏教を理論的に探究し、三経義琉(さんきょうぎしょ)を著しました。その後、最澄の天台宗、空海の真言宗が起こりましたが、国家安泰を祈る祈祷仏教でした。しかし、一方で、仏教の理論的研究は進展し、鎌倉仏教を準備しました。
平安から鎌倉時代にかけて新仏教が起こるのですが、その祖師方、法然、親鸞、道元、そして、日蓮らは皆比叡山・天台宗の出身でした。
これら祖師方は皆比叡山を下りて、大衆の中に入ってっていきました。大衆には戒律は不要でした。戦いが仕事の武士、魚や鳥獣を殺さなければ生きていけない漁師や猟師。そして、農民たちもまた殺生を犯さずして、生きていくことは出来ませんでした。つまり、日本の仏教は今ある庶民の生活をそのままに仏の救いを説いたのです。つまり、在家仏教と言うべきものでした。特に、浄土真宗は愚禿親鸞というように、頭を丸めた在家でした。
要するに、日本の仏教は信心・信仰を重視し、信心・信仰がそのまま修行というような傾向がどの宗派にもありました。浄土真宗に妙好人という篤信の信徒がありました。彼らは、まさに、生活即信心であって、誰もが認める篤信の信者でした。だから、妙好人と呼ばれました。彼らに、あえて戒律は不要でした。何故なら、生活そのものが持戒の生活になっていたからです。
No.171主催人2022年7月29日 18:30
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