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仏教を勉強したいです

仏教を勉強したいです。
今まで仏教入門~みたいな感じの本を読んだのですがイマイチよくわかりません。
そこで仏教の概要?を理解しようと思い仏教史を読もうと図書館でさがして読んでみたのですが、長々と書かれていてよくわかりません。
ほかに仏教の本では三枝充悳著・仏教入門と橋爪大三郎著・世界がわかる宗教社会学入門などを読みましたがぴんときません。おすすめありませんか?

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ぺよんぐさん。貴君の仏教学習の目的は何ですか。主催人の場合は”心を強くする”ことでした。二十歳の学生の頃でした。大教室での授業になじめず、友人も出来ず、孤立しました。そういう時に出会ったのが岩波新書版の「仏教」(渡辺照宏著)でした。そこには苦しみの原因は欲望であると説かれていました。欲望を無くせば心は強くなる。苦しみも無くなる。少なくとも、当時の主催人はそう教えを受け取っていました。二十歳の学生の頃でした。
ところが、心を強くするどころではありません。不安はつのるばかりです。禁欲生活を自身に課したのですから、当然です。解決は四年生を待つことになります。どうにか就職先は決まったものの今度は社会に出る不安が募ってきました。そして、切羽詰まって、一種の回心体験をします。このあたりの事情は拙著「妙法十句入門」に書きました。
ここからは本題に入ります。まず、仏教は宗教です。宗教の独学はお勧めできません。釈尊は必ず師匠について学べと教えられています。
そこで提案です。拙著「仏教入門ーバラモン教・ウパニシャッド・仏教ー」(ブイツーソリューション)をテキストにしたらいかがですか。仏教には先行する思想があります。それが、バラモン教とウパニシャッドです。少なくとも、釈尊にはこれら二者の素養がありました。まず、これら二教を学んでください。微力ながら、当方も、少しはお手伝いできると思います。

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質問させて下さい。

40代主婦をしております。
こちらのサイトには時折拝見させてもらっております。
特に表紙(最初の時事ネタ)での考察が素晴らしく何時も関心させてもらっています。
早速ですが先生のご意見をお聞かせ下さい。
私は日蓮宗の家系なのですが、他人の葬式はその人の宗派に合わせて式に参加しますか?それとも自分の教義に反する事ならやりませんか?
意見をお聞きかせ下さい。
なかなか他のサイトでは回答いただけない場合が多く気になっていました。
どうぞ宜しくお願いします。

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迅速な対応に感謝いたします。
丁寧で分かりやすい解答にホットしました。
あまり考えず呪文を唱えてきますね!
これからも応援してますので、どうぞよろしくおねがいいたします。
毛利

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釈尊はご自身の葬儀について、出家修行者はそれに関わってはならない。在家信者にまかせよと仰せになりました。ご遺骨は七つに分骨され、受け取った在家信者がそれぞれのやり方で釈尊をお送りしました。
また、対機説法と言って、相手の能力に応じて教えを説かれました。今の仏教各宗派はこれら釈尊の基本的考え方にルーツがあります。
ご質問の件。主催人はこう考えます。葬儀の仕方は各宗派により異なるのですから、参加される宗派のやり方に従うのが良いと思います。それが釈尊のご意思にかなうものと思います。
それに、宗派は違えども我々日本人にとって死生観は共通です。つまり、人は死後荒魂
(あらみたま)となって、人に危害を加える。これを祟り(たたり)と言いますが、日本人にとっての宗教のルーツは祟りの封じ込めにあります。これを殯(もがり)と言います。結局、現代の各宗派の葬儀もまた死者の祟りの封じ込めなのです。そうすると、訳の分からないお経も悪霊封じの呪文と考えれば納得かいくのではないでしょうか。

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明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。
どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
先生にはお身体と健康を地元神社にて祈願してきました。
これからも益々、ご活躍期待しております。
アリ

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年07月29日 19:30)

ご子息何歳ですか。大きく見えますね。2020年3月に男子誕生の連絡を受けています。そうすると、本年3月で2歳ですよね。「三つ子の魂百まで」と言います。本年はご子息にとって、大事な時期かも知れません。子育て、大変でしょうが、頑張ってください。陰ながら応援しています。

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ボーイさん。新しい年を迎えますます人生充実の様子、当方も嬉しく思います。一歩一歩精進を重ねている貴君の姿が目に浮かびます。
仏は十万億土の遠い彼方に居られるのではありません。貴君が精進を重ねているその場所(職場)に在られます。貴君の精進が仏なのです。努力は仏と心得てますます精進を重ねてください。必ず、正社員というお宝(御利益)が得られるはずです。
それから、酒の飲みすぎには注意しましょう。ただ、当方の感じとしては、飲酒量はうまくコントロールされている気がします。
今後も自由闊達な意見をお待ちしております。
本年も当ホームページを宜しくお願い申し上げます。

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今日は親戚一同集まって賑やかですー、先生のお陰で元気に育っていますよ 感謝感謝!
写真間違ってました。すみません、旦那の妹の子供でした。
こちらが、今年の町内祭りの時撮りました。3歳です。

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明けましておめでとうございます。
昨年は大変お世話になり人生の素晴らしい転換期となりました。今年は大きな目標として正社員を目指して頑張って行く所存で御座います。
先生には大きな夢を頂き感謝しております。
健康に注意して社会、世界の為にご活躍する事を願って挨拶とさせて頂きます。
ボーイ
今日は少しだけ贅沢な時間を楽しんでおります。

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アリさん。年明け早々、新年のご挨拶いただき痛み入ります。こちらこそ、本年も宜しくお願い申し上げます。
今年で、当ホームページ開設から十年となります。アリさんには、開設当初よりご支援いただき感謝の念に堪えません。ここで、気を抜くことなく、さらなる十年に向けて精進したいと思っています。どうか、今後もご支援のほどお願い申し上げます。

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二日酔い

お久しぶりです。ボーイです。
今年は大変お世話になり自分の人生での大きな転換期となりました。
自分にはご住職様の方がしっくりくるのですが、勝手に決め付け、大変ひつれいをいたしました。昨日は会社の仲間と少人数での忘年会を開催して久々にお酒を堪能したしだいです。先ほど起きましてまだ頭がクラクラとしています。
先生もお体には気をつけて頂き、社会に貢献出来る事を祈っております。

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ボーイちゃん飲み過ぎ良くないよ!健康第一だよ

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質問させて下さい

ネットで検索してたらこちらのホームページにたどり着きました。次郎と申します。
早速ですが、質問させて下さい
なぜ日本ではキリスト教は流行らないのでしょうか?気になっていたのでご回答よろしくお願いいたします。

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大変素晴らしい解答に感謝いたします。
またお二人方様の説明も解りやすく納得出来ました。
他のサイトではこの様な的確な解答は無かったと思います。
ご解答頂きありがとうございました。このサイトが縁となり益々繁栄する事を心から祈っております。

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次郎さん。既に、お二方より、的確な回答が為されています。その上で、主催人の考え方を記させていただきます。
一神教と多神教という区分の仕方は貴君も御存じのことと思います。日本は多神教の国です。八百万の神と言って、あらゆる所に神が宿ると考えます。山の神。川の神。田の神。火の神。かまどの神。自然だけでなく、生活空間のあらゆる所に神が存在しています。
一方、一神教であるキリスト教では、この世界は人間を含め神の創造物だと教えています。多神教である日本の民族宗教ではこの世界、つまり、周りの環境はすでにあるものとして考えられています。
このような世界観を持った日本人に対し、この世界は神が創ったと言っても容易に信じられるもではなかったと思います。山の神は山を創ったわけではありません。元々、山は山で神そのものであったわけです。
しかも、八百万の神には教祖はいません。神社があり、氏子という信者がいますが、世話人は家々の持ち回りが多いようです。
多くの人々に新興宗教に対する抵抗感があるのも、同じ理由と考えられます。
室町から戦国にかけて浄土真宗や法華(日蓮)宗が伸長しましたが、地域の基礎集団つまり神祭り組織をうまく取り入れたのではないでしょうか。
次郎さん。あまり、上手く説明出来たようなには感じられません。一つの考え方として、受け取ってください。

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バプテストのクリスチャンです。
大体において、良いものだと思います。
しかし、クリスチャンでない多くの日本人にとって、キリスト教というと異端のキリスト教のイメージが強いため(日本では異端の方が布教活動が活発です)、ただでさえ宗教アレルギーの人がほとんどな日本において、さらに伝道を難しくしています。
日本には「日本教」が確実にあります。社会学者の山本七平と小室直樹がその名をつけています。内容は、神よりも人間の都合が優先、シンクレティズム、唯一の神という神概念の排斥などです。日本にキリスト教が広まるには、日本教とは何かをしっかり理解し、日本教を脱する必要があります。
しかし、イエス・キリストの父なる神はは不可能を可能にすることのできるお方です。いつか必ず、日本人にも救いが訪れます。

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日本で覇権?を取れた宗教はないですので、キリスト教に限らずですね。
キリスト教がはいってきた当時(ザビエルか)、「キリスト教を信じれば天国に行ける」に対して、「自分らのご先祖さまは天国に行けないのか、あんたんとこの神様はそんなに了見が狭いのか」と反論され答えられず、本国に泣きついたという記録があるようです。
特定の宗教は広まっていなくても、日本人には「お天道様が見ている」「八百万の神」にも表される様な強い宗教観がありますので、特定の宗教不要とも言えますね。

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浄土真宗

お久しぶりに投稿させていただきます。
私事ですが、最近父がなくなりました。そのときに、浄土真宗は法名というものを付けることで、生まれ変わること、転生することができると聞きました。しかし、信じてはいません。主催者様のような仏教に通ずる人は本当に生まれ変わることが出来ると思っているのですか?

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にたまごさん。当ホームページの初回を見てください。それぞれの宗教の背景には必ずそれを生みだした民族なり社会の死生観(宗教観)があります。仏教のそれは、業と輪廻です。悪因悪果。善因善果。生ける者(衆生)はすべて(一切)今生の行為(業)によって、生き変わり、死に変わり永遠に苦しみの人生(輪廻転生)を繰りり返します。
釈尊時代のインド社会では、このような死生観は社会共通の考え方でした。勿論、釈尊も業と輪廻という死生観を前提に教えを説かれました。だから、「業と輪廻」を否定した仏教は仏教ではありません。それは仏教思想です。
ご質問の件ですが、主催人も勿論「業と輪廻」を信じています。道元禅師は因果の道理と教えています。人生には不条理はつきものです。主催人も例外ではありません。つまづくたんびに因果の道理を思い出しました。過去世まで思い至れば必ずそうなった原因があるはずです。決して、他人のせいには出来ません。仏教は自己責任です。
法名の件ですが、日本人の死生観からすれば、死は黄泉というもう一つの世界に生まれ変わるということです。この意味で、法名はもう一つの世界の新しい名前だと思います。正確には、当方は分かりかねます。どなたか、わかる方がおられたら、お教え願います。

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仏教に詳しい方に質問です。

仏教では欲望を否定し、貪り・怒り・無知の煩悩をセーブし、厭離し消滅させていく道だと思います。 そして、日常生活も、自制を心がけ、悪を為さず煩悩に振り回されないような生活を心がけ煩悩を無くすように努めるのが一般的だと思います。
しかし一方で、
『あえて煩悩を肯定し、煩悩の赴くままに行動し、煩悩の追及に飽き飽きした所で、自然と深い悟りに向かう道もある。』
というとある覚者の方の意見を目にしそれが気になっているのですが、そのような方向性も正しいのでしょうか?
例えば女性の肉体に執着のある方の場合、仏教では、女性との触れ合いを抑制し、不浄観・骨相観などをして煩悩を消滅させるよう努力すると思います。
しかし、その覚者さんの言うところによると、
『あえてその煩悩を肯定し、女性と触れ合いたいならその欲に正直に行動する。そうすることで満足し、煩悩が落ち着き、そうした方が深い悟りに到達しやすいのだ。この方法の方がよっぽど確実で簡単だ。』
といいます。
そして、出家僧侶たちに深い悟り(浅い悟りも含めて)に到達するものがとても少ないのは、このあたり(厳しい禁欲)に原因があるといいます。
自分としては「ブッダの言ってる事と違うんじゃないかなぁ。」と思うのですが、この覚者さんはおそらくかなり深い悟りに到達しているであろうと個人的には思っています。
この事についてアドバイス的なものをいただけたら幸いです。

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先生は10年もこのサイトを運営している方ですよ、確かに住職に間違えちゃうかも?

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的確な説明に感謝いたします。
ここで訂正ですが、皆さまはご住職様と勘違いされている方が多く見られますが、正確には宗教研究者の一人です。先生の著作本を読めば分かりますが、そこら辺の住職より知識は豊富で素晴らしい人格の持ち主です。
ご住職に間違えるのも致し方ないかな?

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お地蔵さん。あなたの考える本物の仏教とは釈尊の説かれた仏教でしょうか。主催人も陥った間違いでしたが、釈尊は出家者に向かって法を説かれたのであって、在家者には別の説き方をされています。出家者の在り方を在家者が実践することは容易ではありません。あなたの言う通り、それはある種禁欲主義だからです。それは出家してのみ可能です。
それに対し、煩悩を肯定し云々とありますが、親鸞聖人のことを指しているのでしょうか。親鸞聖人は比叡山で出家し世間から隔離された環境で修行をされました。しかし、どうしても、俗欲を克服することが、出来ませんでした。
歎異抄の冒頭「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏まうさんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり」とあります。
ここでの肝心は「往生をばとぐるなりと信じて」の”信じて”という箇所です。自力と他力といいますが、自力の親鸞を他力の親鸞に変化させたのは「信心」です。
つまり、釈尊当時の、或いは、比叡山の修行は自らの努力で煩悩を克服する自力の修行です。対して、親鸞聖人の到達された修行は、念仏しないではいられない「信心の念仏」です。
確かに、釈尊は「信心」は説かれていません。しかし、一方で、「こころを清めよ」とも説かれました。信心は自我を排し、仏に一切合切まかせる生き方です。それは「こころを清める」ことに他なりません。このように、信心他力の道も決して釈尊の説かれた道に違うものではありません。

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質問です。

知人にて不幸があり作法について教えて下さい。
神道の方はお線香は使わないのでしょうか?数珠等も不要でしょうか?
ご住職様の見解をお聞かせ下さい。

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神道を務める者さん。的確な説明、痛み入ります。実は、当方には神道に関する知識はほとんどありません。ただ、神道つまり伝統宗教の死生観、これを死蓐観(しじょくかん)といいますが、死に対する穢れ観を仏教が取り入れたとは理解しています。
記憶だけで、申し訳ありませんが、以前、テレビで、ある地方の神道式の葬礼の映像を見たことがあります。参列者は白装束であったと、記憶しています。仏教の黒とは真逆です。白は穢れを払う象徴として葬礼に用いられたのでしょう。
伝統宗教では死は穢れの対象です。穢れを封じ込めるために、殯(もがり)をします。先帝陛下が父君昭和天皇の葬礼時、殯を実践されていたことが記憶にあります。
神道式葬礼で、線香を使うかどうかは分かりませんが、線香が穢れを払うものでもあるとすれば、線香を使う地方もあるのではないでしょうか。
また、数珠は仏教の象徴です。正式には、108、つまり、煩悩の数の数珠玉があるはずです。数珠たまをひと珠ひと玉繰ることに、おのれの煩悩を滅ぼしてゆく。このことが、本来の数珠の目的です。
神社にも燈明はありますね。その通りです。明かりを神に捧げると言うのは、諸宗教に共通の宗教儀式だと思います。明かりが神や仏、そして、教えを象徴しているのでしょう。ちなみに、仏教では、明かりは仏の教えとその導きの象徴です。暗闇で道に迷うた者たちに、仏は明かりをささげて、真理つまり仏に導くのです。

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仏教葬では必ず霊前へのご焼香が行われますが、神道葬ではお焼香は行いません。
神道葬では玉串奉奠(たまぐしほうてん)という、玉串と呼ばれる葉のついた枝を神前にお供えします。 慣れない作法ですが、殆どの場合、作法の説明書を参列する皆さまにお渡ししておりますので、ご安心ください。
参考までに

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ご住職ではないですがご説明させて頂きます。
こちらのサイトのファンの一人です。
まず、神道と仏教の違いを理解する必要があります。
二つの大きな違いは「普遍宗教」か「民族宗教」という点があります。
「普遍宗教」にあたる仏教やキリスト教などには経典というような「教え」が存在しています。その「教え」を信じるのであれば人種や国など関係なく、誰でもその信徒になることが出来ます。明確に信じる物や信じる考え方があります。
それに対して「民族宗教」にあたる神道には伝説や言い伝えなどはありますが、明確な「教え」というものがありません。日本で例えてみるならば「八百万(やおよろず)の神」というように自然や自然現象を神格化した神、思考・災いといった抽象的なものを神格化した観念神と数多くの神々が存在すると考えられています。しかしながら、そこには経典や教えは存在していません。そのため人種や国などが違えばなかなか理解しづらいものになる可能性があります。
因みに線香は必要ないですがローソクは必要となります。
ご住職様の意見も聞かせて頂きたいですね
初老のおじさんでした。

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検定試験合格いたしました。

ご住職様お世話になっております。ボーイです。
本日、管理者業務適性試験にて合格の通知を頂きました。
ご支援、ご指導本当にありがとうございました。
結果、15人中3名の合格者の内容でした。
これにより派遣社員の時給が上がります。また正社員の道が大きく前進しました。
これもご住職様のお陰かと思います。
応援頂いた、トミー様、アリさんご指導頂きありがとうございました。本当に感謝しております。この年になって涙がでる程嬉しかったです。
アリさん、今日は飲ませて下さい。
ご報告まで

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ボーイさん。適正試験合格おめでとう。太閤秀吉は、その時、その時の自分の置かれた境遇と身分・立場、そういった環境の中で最大限の努力をしました。草履拾いから始めて、侍大将、長島領主、そして、ついに、天下人まで上り詰めました。
仏教にも似たような教えがあります。法華経に長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の喩えと名付けられた教えがあります。
話はこうです。ある所に、年老いた長者(資産家)がいました。この人には、幼くして、行方不明となった一人息子がいました。
息子は亡くなったものと諦めていましたが、ある時、一人の若い男が門前にいるのを見つけました。長者はそれが別れた一人息子とすぐに分かりました。
一方、男は男の方で、長い流浪の末、我が家とも知らず、その門前に至ったのでした。身分の高い出身にもかかわらず、長い流浪生活のせいで、心まで卑屈になっていました。威風堂々とした父の長者の姿を見て、男は逃げ出そうとしました。それを見た父の長者は、使用人を使わして、かの男を連れてこようとしましたが、逃げられてしまいます。そこで、父の長者は使用人にボロを着させて、さらにかの男近づかせ、汚物掃除の仕事をやらせることにします。長者の息子であるかの男はその仕事に一生懸命取り組み、長者はその仕事ぶりを認めました。そして、次に、長者の資産である財宝でいっぱいの倉庫の管理を任せました。かの男はこの仕事も、一生懸命取り組み、長者はその仕事ぶりを認めました。そして、次には、倉庫をはじめ、他の長者の資産全ての管理を任せることにしました。かの男は、これも何んなくこなしました。そして、長者はついに「お前は私の一人息子である」と宣言し、王侯貴族や町の有力者に紹介しました。かの男は気が付いたら、大資産家になっていました。太閤秀吉はその時その時置かれた立場で努力した結果、気が付いたら天下人になっていました。これらの話は、我々に日々刻々努力する大切さを教えています。
ボーイさん。かの長者窮児あるいは太閤秀吉のように、今従事している仕事に全力で取り組んでください。必ず見ている人は(長者、信長)います。幸運を祈ります。

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ボーイちゃん合格おめでとうございます。
社員目指して頑張ってね!
またお酒飲んでるの?
ほどほどにしましょうね!
秋刀魚おいしそう~

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質問2

質問失礼します。
学ぶ前は仏教にどんな印象を持たれてましたか?
返信宜しくお願いします。m(_ _)m

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どこにでもいる主婦さん。
主催人が仏教と出会ったのは、小学校の4年か5年頃かと思われます。その頃、母が本門仏立宗という幕末期におこった日蓮宗系の新興宗教の信者になりました。父はそれを黙認しましたが、本人は入信しませんでした。
本尊は「南無妙法蓮華経」の題目で、いわゆるひげ題目と呼ばれもので、少年の目には文字と認識されませんでした。これがインドの文字かと思ったぐらいでした。会合が信者の家で持ち回りで行われており、母に連れられて参加していました。題目を唱えるでもなく、お菓子をもらえるのが目的のようなものでした。渋谷に東京本山があり、朝参りと称して、特に、夏休み中には連れていかれた記憶があります。
このようなことも、小学生時代だけだったと思います。その後、宗教的なものとは疎遠になりました。転換点となったのは、大学時代に、大教室での授業になじめず、精神的に孤立したことでした。弱い心がそうするのだ。心を強くしようと思いましたが、そうはいきません。
孤立した中で出会ったのか、岩波新書「仏教」でした。そこには、「苦しみは欲望により生じる。欲望を棄てれば、苦しみは解消する」ありました。
主催人はそれを実践しました。教室と自宅を往復する日々が続きました。友達も作らず、遊びもせず、孤立の日々でした。禁欲の実践でした。
どこにでもいる主婦さん。当時の主催人にとっての仏教とは、現世利益の打ち出の小づちでした。当時、仏教に期待したのは、こころを強くする方法でした。母の仏立宗の影響から逃れられなかったのも知れません。宗教としての仏教は遠い存在でした。
転換点は、大学卒業寸前の大不安とある種の悟り体験でした。この辺の事情は拙著「妙法十句入門」に詳しく書きました。参照にしてください。

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