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会社での人間関係

Q0355
 私は会社を経営しています。その場面でも、良い人間関係を築くための基本的な考え方は同じだろうと思いながら、野田先生の話を聞いています。会社の人間関係において特に気をつけることはありますか?

A0355
 会社の人間関係へ応用できるけど、すごく限られていると思う。親子や夫婦は、お互いどうし注意し合えるというか、相手のやっていることを「ちょっと変えてくれる?」と言える範囲が広い。会社は基本的に他人だから、「そんな服を着て会社へ来るのをやめて」と言えない。家だと「その服どうかと思う」と言えるけど。お互いどうしが相手を制限する程度がうんと低いから、アドラー心理学がフルに応用できるとあまり思わない。アドラーは、そもそもそのことにあまり関心がなかった。
 なぜ、アドラー心理学が、親子関係、夫婦関係、教師と生徒の関係に注目するか?
 アドラーは若いとき、30歳台には、社会主義革命が起こって良い政府ができれば、人々は幸せになるだろうと信じていた。実際、オーストリアの社会民主党の党員さんで、機関誌に政治的な論文を投稿していたりした。ところが1918年にロシア革命が起こりました。実際に政治革命が起こってみると、全然良くない、むしろ革命によって悲惨な生活が始まってしまったと気がついた。多くの人は気がつかなかった。レーニンやスターリンは、自分たちのやっていることを隠して、西洋から見学に来る人たちに良いところだけ見せたし、その人たちと会うロシア人を制限していた。良いことを言う人しか会わせないようにしていたから、西洋社会では長いこと、ソビエトは理想の国だと、そこでは人間は幸福に暮らしていると思っていた。アドラーの奥さんはロシア人で、しかも共産主義者で、しかもトロツキーの親友で、ロシアのネタをすごく初期から知っていた。そこでレーニンがどんなひどいことをしているとか、みんな貨車に乗せられてシベリアへ送られているとか、即、銃殺されているとか、現実を知っていたので、大変失望した。1918年にすでに共産主義を批判する論文を書いた。翻訳が初期の『アドレリアン』に載っている。そのとき外側の共産主義も批判したけど、彼自身のそれまでの考え方も批判した。それまでの、社会変革をすれば幸せな世界が来ると思っていたけど、違う。精神の変革をしないといけない。精神はどうやったら変革できるのか考えたら、結局、精神が作られるときに変革しておかないといけない。できてしまってからではなかなか変わらない。それで、育児とか学校教育で、より横の関係、相互尊敬・相互信頼とか協力、目標の一致とか、たくさん話を聞くとか、葛藤解決するとかを、子どもに体験しておいてもらうと、大人になったときに別にアドラー心理学の話を聞かなくても、アドラー心理学ふうに暮らす大人になるだろうと、彼は思った。実際日本でも、私がアドラー心理学を持って帰ったのが1983年ですから、最初のころ教えた子どもたちが今大人になって、お父さんお母さんになって子どもを育てている。その子たちを見てると、ほんとにうまく育ったと思う。教えなくてもアドラー心理学が身についていて、自分の親たちがやったように自分の子どもたちを育てている。叱るとか強制するとかなしに、ちゃんと責任を取って育っている。こうやって未来の社会を作っていくのが、アドラー心理学の大きなテーマです。
 今われわれが住んでいる世界の中で、今暮らしている個別の子ども、自分自身とか、配偶者とかが幸せになるようにというのは、一種のエゴイズムです。自分たちさえ良ければそれでいい。そうじゃないだろう。人類が今後もずっと良い状態で存続していけるように、あるいは、今までの間違いを正していけるように、どすればいいか考えないといけない。アドラーはまだ20世紀の初めの人ですから、われわれの世代ほど深刻に考えていなかった。第二次世界大戦が終わってから生まれた人間は、近代文明は間違っていると思う。端的な話をすると、日本国は今のような暮らし方を始めて2000年になる。弥生時代というのがあって、そのときに狩猟生活から水田稲作で暮らすようになった。水田稲作にともなって、天皇家が中心にいて、天武天皇、天智天皇のように天皇が直接政治をなさることもあったし、藤原氏の摂政関白の時代もあったし、源氏から徳川までの武士が幕府を開く時代もあったし、明治以後の議会制民主主義の時代もあったし、いろんな時代があったけれども、一貫して水田稲作があって、天皇が中心にいて、日本人の祭りがあり、年中行事がある暮らしが一貫してあった。この暮らしは2000年できる暮らしです。では、これから先2000年、今やっている暮らしを続けられるか?絶対無理です。そんなに永続感のある暮らしじゃなくなった。なんでか?資源のものすごい浪費。原子力であれ、石油であれ、天然ガスであれ、本来地球のバランスの中に入っていないエネルギーです。地球のバランスというのは、現在降りそそいでいる太陽と、現在宇宙へ出ていく熱対流輻射とがバランスを取っていて、そこに昔降りそそいだ太陽のエネルギーでできた石油や石炭や天然ガスを持ち込んだり、本来太陽エネルギーと関係ない原子力を持ち込んだりすると、エネルギーの収支バランスが崩れている。会計学的に見れば、どこかからお金が湧き出している不思議な帳簿を書いている。変なことをやっていて、これって永続できない。石油や石炭や天然ガスはそういつまでも保たないし、またそれらを使ったら廃棄物が出る。原子力もとんでもない廃棄物が出る。あの廃棄物は最終的に処理できない。福島の原子炉が壊れて、ごく少量の放射性物質が出ただけで、あれなんです。もっと大規模な壊れ方だと、地震ではしなくても、テロではするかもしれない。あの上にミサイルを撃ち込まれたりしたら、中身全部はみ出したりしたら、もう収拾がつかない。毒性物質、農薬とか公害の汚染物質は、解毒できるかもしれない。別の薬物を使うと毒ではなくなるかもしれないけれど、放射性物質は何をやったって解毒できない。時間が来るまで待つしかしょうがない。洗い流しても、洗い流れた先には溜まる。海の底であれどこであれ。溜まったものを何かの生物が食べて、生物濃縮して、僕らが食べる魚とか植物の中へまた現れる。完全に崩壊するまでこの地上にあり、大変呪われた物質。ああいうものを使いながら、今後2000年3000年とかのスケールで考えると、それは無理です。100年くらいなら保つかもしれないけど、100年くらいで亡びるような文明の営み方って、子孫に対して申し訳ない。だからまず最低2000年3000年のレベルで、物事を考える。そうするとわれわれの国では、やったことがあるのは水田稲作で、水田稲作中心の産業にしたほうがいい。西洋世界では西洋世界の暮らし方が、その土地風土に応じてあるだろう。中国では中国の土地風土に応じたやり方があるだろう。それをやらないからだんだん砂漠化していって、変なことになるのだろう。ちょっと深呼吸して、1000年2000年のレベルで持続できる文明を営めるために今何をしなければいかないか、考えます。考えた上で、子育てと学校教育をする。今の子育ても学校教育も全然そのほうを向いていない。ただわれわれの一生というスケールで、一生までいかなくてほんの目先のことだけで話をしている。それってすごく問題を起こしていくだろう。アドラー心理学は人類の未来の中で今何をすべきかを考えます。ただ省エネして、太陽光発電に切り替えたらいいというのは、短絡的な話です。太陽光発電はナンセンスです。だって「太陽光素子」をあとどうするの?あんなもの、永久には保たない。30年とかしたら廃物になる。廃物になった素子をどうやって処理する?あれはシリコンが入っていて有毒です。そんなものを処理するのは大変です。風力発電でもあのデカイ風車をどうやって処理する?燃やしたらものすごいガスが出るよ。そもそも発電というものを濫用している。われわれが許されている以上に、今、エネルギーを使っている。電気を消すのがたぶん答えです。新幹線なんて大阪の地下鉄と同じ頻度で走っているから、ふらっと行って乗ったらすぐ東京に着く。ときどき徳島県へ行くと、JR四国があって、1本乗り逃すともう絶望的。極端な格差がある。いったい東京と大阪とか、東京と福岡とか、あんなに行ったり来たりしないといけないの?そういう文明の設計そのものにミスがある。別に、東京と大阪、東京と福岡を行ったり来たりしなくても暮らせるタイプの文明は築ける。そうすると電気をどんどん使わなくてすむ。全国から宅急便でいろんな物を運んできて暮らさないといけないの?自分の地元でできたものを食べて暮らせないんですか?ほんとはできるんです。経済学というとても間違った学問があって、経済学というのはよくわかりません。大学の教養部で、「経済学」を取りました。大阪大学は、マルクス経済学でなくて近代経済学でした。ケインズの近代経済学を習って、そのときわからないなと思った。バラバラの、他の人と関係ない1人の個人がいて、その個人は無限に欲望する。なんぼでも欲しがる。企業家というのがいる。これは無限に売りたがる。売れるならいくらでも売る。できるだけ高い値段でなんぼでも売るでと言っていて、個人(消費者)はできるだけ安い値段で、なんぼでも買うでと言っていて、その両者がぶつかって市場ができて、ちょうどバランスのところで値段が決まり、生産量が決まり、消費量が決まる。そんな無限に欲しがる個人なんていないよ。個人というのは、あくまで社会に組み込まれていて、例えば今、アドラー心理学の本を書きます。無限に個人が欲しがるなら、無限に売れるはずですが、そんなことない。「チベット語入門」を書くと、もっと売れる。ある個人があるものを欲しがるか欲しがらないか、その個人が社会的にどういう人とつきあって、どういうグループに属しているかによる。そんなに抽象的な、社会から孤立していて、何でもかんでも欲しがる個人なんて、経済学者が作った抽象なんだ。無限に売りたがる企業家もいない。無限に売ったら無限に費用がかかる。あるところで手を打つ。「まあこれくらいでいいわ」と商売している。それとぶつかって市場が決まるというほど単純でもない。先行投資もあるし、投機もあるし、いろんなことがありますから。それを極端に抽象化して、まるで物理学みたいに、社会経済を言ったのが経済学で、その経済学によれば、新幹線をボンボン走らせて、どんどん工業製品を作って輸出して、というのが正しい見方。その経済学さえ忘れて、もう少し常識に立ち返れば、そんな暮らし方をしなくてもいけると思います。長い未来を見て、われわれの知らない時代に向かって、良い遺産を残したい。
 そのためにじゃあ今何をすればいいかというと、さしあたって、子育てと学校教育にエネルギーを注ぐのがいい。そうすれば、企業で起こっている問題も、やがて自然解決するでしょう。今、企業で問題が起こるのは、育ちが悪いから。社長も社員も育ちが悪くて、間違った育児を受けてきたから、間違った暮らし方をしてしまうので、育ちが良くなれば良くなる。
 で、そういう根本的な解決でなく、さしあたって、目先でいろんな小さなトラブルを解決するのは、役には立ちます。役には立ちますが、過去百何年間か、アドラー心理学ができてから、会社での人間関係にあまりエネルギーを注いでこなかった。できないわけじゃない。ただ制限されたやり方しか使えないと思います。(回答・野田俊作先生)

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論語でジャーナル

4,斉人(せいひと)、女楽(じょがく)を帰(おく)る。季桓子(きかんし)これを受く。三日朝(ちょう)せず。孔子行(さ)る。

 斉国が魯国に女性の歌舞楽団を贈った。(家老の)季桓氏はこれを受け容れて、(その美しさと素晴らしさに魅了されて)三日間朝会に出席しなかった(政務を行わなかった)。孔子は絶望して魯国を去った。

※浩→魯の定公十四年、五十六歳の孔子は、司法担当の国務大臣として、一番家老の季孫斯(きそんし)などと国政にたずさわっていました。隣国の斉国は、孔子によって魯の国政が振るうのを妬んで、女歌舞伎八十人に飾り馬三十駟(くみ)を添えて魯に贈りました。それに魅了されて政治を忘れてしまった季桓氏を見て、孔子は魯国の将来を見限ってしまったのです。このエピソードが史実であるか否かはわからないそうですが、孔子は為政者が色(女性)や欲(金銭)に溺れて政務をおざなりにすることを最大の不徳と考えていたことを、この伝説が説いています。
 「女歌舞伎」というと、日本では「出雲の阿国(おくに)」です。出雲の阿国は生没年未詳ですが、1603(慶長8)年、京都四条河原で歌舞伎踊りを演じ、歌舞伎を始めた人物だと言われています。出雲大社の巫女(みこ)だと称していたそうですが、詳しいことはわかりません。当時の芸能の多くは、河原や寺社の境内に作られた仮設舞台で演じられて、興行が終わると舞台は取り壊されていました。阿国は、京都の北野神社境内に自分専用の舞台を作って踊ったそうです。1607(慶長12)年には、江戸城で踊ったという記録も残っているそうです。「歌舞伎を始めた人物」として数々の伝説が生まれました。阿国のような女性芸人が歌舞伎踊りを始めて女歌舞伎が生まれ、それが現在の歌舞伎につながっています。その後、女歌舞伎は幕府によって禁止されて、男性の役者が演じるようになり、今日のような“女形”役者ができます。現在の男女同権の世の中で、お相撲と歌舞伎はいまだに“女人禁制”のままです。もっとも、宝塚歌劇は男子禁制ですが。その宝塚歌劇は、目下大騒動です。夢を売るはずのこの歌劇団であらまじき悪習が存在したなんて、ファンへの裏切り行動だと思います。一方、歌舞伎のほうは、昭和の名優がほとんど去り、若手の躍進がめざましいですが、こちらもやはり猿之助事件でもやもやしています。ここでもアドラー心理学の教えにより、ネガティブな面でなくポジティブな面に注目していきたいです。大事な日本の文化ですから、絶滅させるわけにはいきません。

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葛藤解決のお話に夫婦・親子・教師&生徒がよく出てくるのは?

Q0354
 先週の「葛藤解決」(野田:神戸かな?)と今回で初めてアドラー心理学に触れた初心者です。喩えで、夫と妻、親と子、教師と生徒がよく出てきますが、それはなぜですか?(野田:いい質問ですね)「葛藤解決」において夫と妻が喩えに出る理由を説明されていましたが。 

A0354
 どうしてかというと、人生で一番近い関係だからです。親子って結構秘密がある。夫と妻は秘密の作りようが、まったくないことはないが、ほとんどない。パンツの色まで知っているからね。最も近いだけに最も傷つけ合いやすい。だから夫と妻が一番激しい葛藤をします。(回答・野田俊作先生)

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論語でジャーナル

3,斉の景公、孔子を待たんとして曰く、季氏の若(ごと)くせんことは則ち吾能(あた)わず。季・孟の間(かん)を以てこれを待たん。曰く、吾老いたり、用うること能わざるなり。孔子行(さ)る。

 斉の景公が孔子を招こうとしてその待遇について言った。「魯国の季氏のような手厚い待遇はできませんが、季氏と孟氏との中間くらいの待遇をしましょう」。しかし、しばらくすると、また言った。「私は年老いてしまいました(六十歳くらい)。あなたを採用することもできなくなりました」。孔子はこれを聞いて斉の国を立ち去った。

※浩→斉の景公は、孔子を高官として採用したいとする考えがあったが、天命が近づき年老いてしまったという理由で、孔子を採用しなかったのですが、斉の賢者として聞こえた晏嬰(あんえい)が、孔子の任用を邪魔立てたとも言われます。これが孔子の政治生活における最初の挫折です。今ふうに言えば、「就活」の最初の不成立ということでしょうか。孔子の弟子たちの中には諸侯に任用された人がいましたが、師匠の孔子自身はほとんど「本採用」のようなことはなかったみたいです。その理想が高邁すぎたのでしょうか。昔の東映時代劇では、悪代官が「水清ければ魚棲まず」とほくそ笑んでいました。今の時代も政治はどうもどす黒い。大臣や議員の不正が続々露見します。古今東西、綺麗な政治の例はないのでしょうか?
 この条に続いて、孔子が失意落胆して、国を去る場面が次々出てきます。今の私は、お仕事やる気満々です。真剣に私の講義を聴いてくださる方がかなりの人数いらっしゃいます。他にいろいろ不満はあっても、その方たちを見捨てるわけにはいきません。来年度も現職を続行しようと、昨日決心しました。同僚のK先生が喜んでくださいました。

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おしゃべりや雑談が苦手

Q0353
 今日の講演「相談する」の第一レベル「おしゃべりをする」「雑談する」のことですが、私は小さいときからおとなしすぎていろいろあって、おしゃべりや雑談がなかなかできなくて友人を作れず、仲間に入れず、いつでもどこでも孤立してしまいます。おしゃべりや雑談ができるにはどうしたらいいでしょうか、とても悩んでいます。

A0353
 きっとこの人は、話が面白くないんだ。面白い話の材料を作らないといけない。まず、人生に興味を持つこと。この世に生まれて死ぬまで生きているのは、面白いことだと思いませんか。生まれてこなかったらつまんないし、学校へ行ったのは面白かったし、結婚したのは面白かったし、子どもを育てるのも面白いし、歳取った親とつきあうのも面白いし、仕事をするのも面白いし、みな面白い。面白いというのはファニー、おかしいというのではなくて、興味深いこと。やってみて、しんどいことも楽しいこともいろいろあって、やりがいのあることだと、まず思ってほしい。おしゃべりがヘタな人は、人生がつまんないと思っていると思う。だから、おしゃべりのネタがない。人生がどんなに面白いかというのを練習してほしい。團伊玖磨さんという作曲家がいて、「どうも自分は心の底から笑えない」と思った。これは笑うお稽古をするしかしょうがないと思って、テレビの前にマットレスを敷いて、ちょっとでもおかしいと、わざと転げ回って笑う。2,3か月もすると、凄く笑うのが上手になったと、彼は言う。笑うことひとつでも修業がいる。人生を面白がるには、相当修業がいると思う。人生は何なのか、若いときにはよくわからない。僕は大学生のころに、面白いと思った。とにかく。生きてみるということはやってみる値打ちのあることで、生きてみると、楽しいことが次々と起こる。楽しいこというのは苦しいかもしれない。失恋するとか、友だちに裏切られるとか、お金を落として、「あーなくなった、10万円が」とかかもしれないが、それはそれで興味深い出来事でしょう。まず、人生を面白がること。
 アドラー心理学って、そのへんが当たり前だと思って作ってある。アドラーがそういう人だった。人生を楽しむ人。彼の生徒さんたちももともとそうだったのか、アドラーとつきあっているうちにそうなったのか、人生って面白い、子育てって面白い、夫婦生活って面白いと思うことにしちゃったので、あまりアドラーの本の中で強調されていないけど、でも、そうなんです。人生は生きるに値するものだと思ってほしい。その中でも特に面白いものを見つけてほしい。いろいろあるけれども、スポーツネタでも、芸能ネタでも、政治ネタでも、何でもいい。自分が心動くものを決めてほしい。誰に向かってもその話をすると、イヤがる人と喜ぶ人といる。喜ぶ人は友だちになれます。イヤがるか喜ぶか、話しをしてみるまでわかりません。話をすると、結構ついてくるかもしれないし、誰もついてこないかもしれません。
 私は基本的に、人生忙しいので、スポーツネタはない。ゼロ。野球とか、まだやってるのかと思っているくらい。サッカーもどっかに書いてあったから試合したんだと思うくらいで、オリンピックも次は、どこが出るか知らないし、これは、私は話のネタにしないから、いらんところにエネルギー使わないから、スポーツ切り捨て。芸能も切り捨て。「こういう俳優知ってる?」と聞かれたら「知らん」で、そこで話は終わり。今時の俳優さんも歌手も何にも知らない。それでちっとも困らない。まったくそれでもって人生不自由しませんし、それでもって私とつきあってくれなければ、つきあってくれなくていいです。誰かとつきあうためにわざわざスポーツや芸能に興味を持とうと思わないから。みんな興味のないことにすごく興味があるんです。それでいいです。それでもつきあってくれる人はきっといるから。ゼロではないから。
 だから、自分の好きなものを見つけることです。楽しい人生の中で、特にことさら楽しいものを見つけること。それを話題にして、向こうの話も聞く。「こんな面白い話があるんだけど」と言うと、「何それ、つまんない」と向こうへ行く人もいる。それでOK。傷つかない。うちの父親は変な人で、内気かな、無口かな、ただ彼は人生を面白がっている人です。とにかく。ネタが変わった人で、「とんでも古代史」が好き。古代についてのすごい嘘話みたいなとんでもない話で、超古代の文書(もんじょ)とかあって、超古代文字というのがあって、日本は実は宇宙人が降りてきて作った国だと書いてある。それを本気で読んで、「面白い話がある。聞けー」と言うから聞いていたけど、あれでも結構友だちはいたみたい。だから“モノ”は何でもいい。ネタを1つ作っておくこと。そうすると、お話できるようになるんじゃない。で、人生楽しんでない人と友だちになりたくない。いつも暗い顔して、「つらいんやー。友だちおらんしなー」と言っている人の話は絶対聞きたくない。精神科医をしていると、「人から嫌われる。誰にも好かれない」と言う患者さんが結構来るんです。「なんでかわかる?」と聞くと、「わかりません」。「あんたの話がつまらんからだ。ここへ来るときは、暗い顔をして『私は不幸や。みんなは私をわかってくれない』という話は聞き飽きてつまんないから、次から来るときは絶対面白いネタを持ってきて」と言うんです。「面白いネタを言わなかったら診察してやらん」と。大阪に住んでいる限りは、これは必修科目です。大阪でネタをふれなかったら、これは「しね」ですから。楽しいネタを探してください。(回答・野田俊作先生)

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