Q0296
55歳になる伯母のことです。その伯母の夫がここ1か月くらい、会社には通常どおり行くそうですが、帰宅すると、30年くらい前に伯母が不倫しそうになってしまったことを持ち出し、「今も続いている」とか、わけのわからないことを家にいる間中言い続ける。「訴えてやる」とか、丸裸で家を出すとか(野田:ばあさんを丸裸で家を出さんでもいいのに)、「目の色を変えて責め続ける」と言います。
伯母はどんな対応をすればいいのか困っています。何かアドバイスはありますか?病院にも本人は行くつもりはないそうです。
A0296
嫉妬妄想ね、きっと。これは治らんで、なかなか。
夫婦関係が悪いことと関係があるのかもしれない。だから、少し性的な関係まで含めて、夫婦関係が良くなるといつの間にかなくなるような気もしますけど、お医者さんにかけてもお薬は効かないし、あんまり意味なかろうと思います。伯父さん伯母さんの夫婦関係が良いか悪いかは、セックスまで含めてはわからないから、外から見ても。
もしも伯母さんが相談してみようと思うなら、聞いてあげてください。50いくつになったら、なおいっそう恋人らしく暮らす稽古をなさったらいいのではないですか。(回答・野田俊作先生)
28,子曰く、衆これを悪(にく)むも必ず察し、衆これを好むも必ず察す。
先生が言われた。「大勢の人が嫌う人であっても、必ずその人物を丁寧に観察する。大勢の人が好む人であっても、同じように必ずその人物を観察する」。
※浩→大衆の人気・不人気に影響されないで、自分で人物を納得するまで観察してみる。噂などによらないで、自分の目と耳で見聞し、独自の判断をくだすことを孔子は力説しています。以上は貝塚先生の解説で、吉川先生は次のように述べられます。群衆は往々にして衆愚であることがあり、それが原因となって独裁者が生まれ、村八分も生まれる。それに対する警告である、と、スケールがでかい。孔子が考える「見識眼(人を見る目)」では、大衆(多数派)の意見に従って人物の善悪を判断することは危険で、大勢の人たちが「良い・悪い」と言っていても、それを鵜呑みにするのではなくて、自分の目と耳、感性で実際にその人物を観察してから評価することが大切だということです。今、ネットやSNSでの誹謗中傷で悩み苦しむ人が多いと聞きます。その人たちへのアドバイスになりそうです。イジメ防止にも役立つかもしれません。周囲の言動で自分がぐらつくのは、心理学ふうに言えば、「自我」の確立が未熟だということになるんでしょう。アドラー心理学では、「自我」とか「自己」とかの存在は言わなくて、「ライフスタイル」の働きを言います。それが未熟・幼稚なら、発達・成長させればいいのです。「個性化」と「社会化」という人間の生きる目標は矛盾している、と言ったのはフロムでした。『自由からの逃走』です。民衆が愚かだと、権威主義的(サディズム・マゾヒズム的)性格とか権力に操られるままになる“自動人形”になってしまいます。それでナチの独裁政治を生んだとか書かれていました。吉川幸次郎先生はこれをイメージされたのでしょうか。アドラー心理学の育児の目標は、行動面では「自立」と「社会との調和」です。それが達成できるために、心理面の目標として、「自分には(自己管理や社会貢献の)能力がある」&「(まわりの)人々は(原則として)(信頼できる)仲間だ」という“信念”を築く必要がある、と言います。ありがたいことに、そのための実技を学ぶ講座が用意されています。『PASSAGE』という親御さん向けの講座です。今も全国で開催されていて、お勧めです。
Q0295
感情の力を使う人がいるのですが、その人との対話の仕方についてのアドバイスをお願いします。
A0295
まず、その場を離れること。こっちがとにかく落ち着いて、その人と話ができる態勢を作る。それから、いつもその人を尊敬して感謝してつきあう。なぜなら、その人が欲しがっているのは居場所、自分がボスとしての居場所が欲しいわけで、それをあげさえすれば感情的にならないから、あげられるものはあげればいいと思います。(回答・野田俊作先生)
27,子曰く、巧言は徳を乱る。小、忍びざれば、則ち大謀(たいぼう)を乱る。
先生が言われた。「上手すぎる弁舌は徳に害がある。小さいことは大目にみておかないと(重箱の隅をほじくらないようにしないと)、大きな計画に害がある」。
※浩→前半は「学而篇」の「巧言令色鮮なし仁」の変化球です。後半は、些事に怒ったり否定したり固執したりばかりしていると、「大きなプロジェクト」に差し支えが生じるから、「小事を捨てて大事を取る」とるということでしょう。このことで、「大道小異」とというフレーズを思い出します。昔、アメリカが「中華人民共和国」を正式な中国と認めて、それまでの「台湾=中華民国」と断絶したことがあります。当時、わが国では田中角栄首相でしたが、即、日本も同調して、北京政府と国交を結びました(1972年)。そのとき確か、「大同小異」というフレーズが引用されたように記憶しています。あのとき、この成句の真の意味はなんだかんだとインテリさんたちの間で騒がれました。記憶がまことにあやしいのですが。「小異を捨てて大同につく」ことだと言われませんでしたか?
そもそも「大同小異」は、『荘子』の「雑編」最後の項目『天下』にある記述が由来となっています。「大同而与小同異、此之謂小同異。万物畢同畢異、此之謂大同異。」
現代語訳すると「世の中には、大きな全体の中では同じだが、小さな部分が異なっているものがあり、これを小同異という。これに反して、普遍的な意味としては同じものを表しているが、個別的なものとしては異なるものがあり、これを大同異という」となり、「ものごとの見方を変えることで、違うことが同じことになることもあれば、同じことが違うことになることもある」という意味になります。ここから、「大同小異」という四字熟語は生まれて、それが俗化して「似たり寄ったり」という意味になったのでしょう。でも、これでは軽すぎる気がします。実際、同義語を調べると「五十歩百歩」「似たり寄ったり」「同工異曲」などがあるようですが、これだと、「日中国交回復」のときの日中の“絆”を象徴する言葉にはならないのではないでしょうか。
日常の教訓としては、「些末にこだわっていないで大局を見よ」とはよく言われます。「小さい点では違いはあっても、結局同じではないか」というと、やはり『荘子』の「朝三暮四」を思い出します。
Q0294
アメリカにおけるアドラー心理学の発展はどのように行われたのですか?アメリカの心理学会でどのような地位にありますか?
A0294
アメリカの心理学会の中では無視されています。日本でもそうです。ドイツは学問の世界の中で無視されないでおこうという方向で動いたので無視されていないが、その代わりに莫大な量の妥協をしました。
日本アドラー心理学会はいわゆる学術会議に入れないんです。心理学や医学を専攻した大学卒業生の集会ではないから、学会じゃないんです。普通のおじさんやおばさんが入っているから。その普通のおじさんやおばんを全部退会処分にして、大学卒だけで固めると学術会議と認めてくれる。それをやりたくない。アメリカもイギリスもそうです。そのため、学問の世界からは完全に無視される。そこの選択は、アメリカのアドラー心理学の歴史は長いから、たくさんの論争もあり葛藤もあり憎しみ合いもあり罵り合いもあって決まってきた。最終的に見るとね。
日本のアドラー心理学会とアメリカのアドラー心理学は全然体質が違う。日本のアドラー心理学会は、地域の活動グループの積み上げからできた学会で、徳島も福岡もそこからアドラー心理学会にルートが通じている。アメリカにはそんな地域の活動を重視する雰囲気がないから、もっと規制力の弱い方向性のない、ただの連絡議会としてある。あまり参考にならない。あれはアメリカという国の1つの気風ですね。アメリカという国は、アメリカという統一国家として動くよりも、個人の独立や州単位の独立を大事にする国民性だからあんなふうな学会ができたんだと思う。(回答・野田俊作先生)