Q0296
55歳になる伯母のことです。その伯母の夫がここ1か月くらい、会社には通常どおり行くそうですが、帰宅すると、30年くらい前に伯母が不倫しそうになってしまったことを持ち出し、「今も続いている」とか、わけのわからないことを家にいる間中言い続ける。「訴えてやる」とか、丸裸で家を出すとか(野田:ばあさんを丸裸で家を出さんでもいいのに)、「目の色を変えて責め続ける」と言います。
伯母はどんな対応をすればいいのか困っています。何かアドバイスはありますか?病院にも本人は行くつもりはないそうです。
A0296
嫉妬妄想ね、きっと。これは治らんで、なかなか。
夫婦関係が悪いことと関係があるのかもしれない。だから、少し性的な関係まで含めて、夫婦関係が良くなるといつの間にかなくなるような気もしますけど、お医者さんにかけてもお薬は効かないし、あんまり意味なかろうと思います。伯父さん伯母さんの夫婦関係が良いか悪いかは、セックスまで含めてはわからないから、外から見ても。
もしも伯母さんが相談してみようと思うなら、聞いてあげてください。50いくつになったら、なおいっそう恋人らしく暮らす稽古をなさったらいいのではないですか。(回答・野田俊作先生)
38,子曰く、君に事(つか)うるには、その事を敬(つつしみ)てその食を後(あと)にす。
先生が言われた。「主君に仕えるには、仕事を大切に行うこと。俸給(給料、待遇)のことは後回しに考える」。
※浩→主君に仕える(官職に就いた)場合には、まず誇りを持って懸命に職務を遂行することを考えて、俸給のことは後回しにせよということです。今の就職試験でもこれは通用するでしょう。履歴書や面接の際の「志望の動機」に、もしも「給料が高いから」と書いたり言ったりすると、きっと不合格でしょう。昔、私が大学を卒業して、井原市の新設高校への赴任が決まって、高校1年のときの担任・大月邦彦先生のお宅にご挨拶に行きました。先生からは「漢文」を教わりました。今もときどき漢詩・唐詩を思い出したり、新たに調べてアップしたりできるのは、まさしく大月先生のおかげです。1年の担任はもうお1人、岩○先生という物理の先生がいらっしゃいました。この先生にはあまり好感を持てませんでした。お2人ともすでにお亡くなりですが、大月先生は、その面影も口調もしっかり覚えています。お宅は奉還町の裏筋にありました。高校への奉職が決まったことをお伝えしたときの先生のお言葉は、「校長先生に忠実を尽くしなさい」でした。さすが漢文の先生です。先生から、「白文」に“返り点”をつけると、日本語の古文と同じように読めることを教わって感動しました。先生の授業で習った漢詩で、今もはっきり思い出せるトップは、李白の「静夜思」です。
牀前(しょうぜん) 月光を看る
疑うらくは是 地上の霜かと
頭(こうべ)を挙げては 山月を望み
頭を低(た)れては 故鄕を思う
「春暁」も覚えています。
春眠暁を覚えず
処処啼鳥を聞く
夜来風雨の声
花落つること知る多少
どんどん思い出します。たくさんあって網羅できませんが、今一番好きなのは、杜牧の「江南春」です。
千里鶯啼いて緑紅に映ず
水村山郭酒旗の風
南朝四百八十寺(しひゃくはっしんじ)
多少の楼台煙雨の中
友人と一献交わすとき必ず思い出すのは、王維の「元二の安西に使するを送る」です。
渭城(いじょう)の朝雨(ちょうう)輕塵(けいじん)を潤す
客舎(かくしゃ)青青(せいせい)柳色(りゅうしょく)新たなり
君に勧む更に盡くせ一杯の酒
西の方(かた)陽關(ようかん)を出ずれば故人(こじん=知っている人)無からん
「君に勧む更に盡くせ一杯の酒」のところがいつ詠んでもジーンときます。平田信彦さんを思い出します。
Q0295
感情の力を使う人がいるのですが、その人との対話の仕方についてのアドバイスをお願いします。
A0295
まず、その場を離れること。こっちがとにかく落ち着いて、その人と話ができる態勢を作る。それから、いつもその人を尊敬して感謝してつきあう。なぜなら、その人が欲しがっているのは居場所、自分がボスとしての居場所が欲しいわけで、それをあげさえすれば感情的にならないから、あげられるものはあげればいいと思います。(回答・野田俊作先生)
今日はこちらでお読みください。↓
http://www2.oninet.ne.jp/kaidaiji/dai1keiji-11-3.html
Q0294
アメリカにおけるアドラー心理学の発展はどのように行われたのですか?アメリカの心理学会でどのような地位にありますか?
A0294
アメリカの心理学会の中では無視されています。日本でもそうです。ドイツは学問の世界の中で無視されないでおこうという方向で動いたので無視されていないが、その代わりに莫大な量の妥協をしました。
日本アドラー心理学会はいわゆる学術会議に入れないんです。心理学や医学を専攻した大学卒業生の集会ではないから、学会じゃないんです。普通のおじさんやおばさんが入っているから。その普通のおじさんやおばんを全部退会処分にして、大学卒だけで固めると学術会議と認めてくれる。それをやりたくない。アメリカもイギリスもそうです。そのため、学問の世界からは完全に無視される。そこの選択は、アメリカのアドラー心理学の歴史は長いから、たくさんの論争もあり葛藤もあり憎しみ合いもあり罵り合いもあって決まってきた。最終的に見るとね。
日本のアドラー心理学会とアメリカのアドラー心理学は全然体質が違う。日本のアドラー心理学会は、地域の活動グループの積み上げからできた学会で、徳島も福岡もそこからアドラー心理学会にルートが通じている。アメリカにはそんな地域の活動を重視する雰囲気がないから、もっと規制力の弱い方向性のない、ただの連絡議会としてある。あまり参考にならない。あれはアメリカという国の1つの気風ですね。アメリカという国は、アメリカという統一国家として動くよりも、個人の独立や州単位の独立を大事にする国民性だからあんなふうな学会ができたんだと思う。(回答・野田俊作先生)