猫髭さま、二人分のににん、お待ちしています♪
今日は小筆遊びの日。小村雪岱の模写に美魔女さんの句をそえる。美魔女さんは、この日本画のように半衿をたっぷりのぞかせるお方。美魔女さんなどと呼んでいるが、料理や庭いじりのお好きな実に家庭的な奥様である。
体温の抜けて重たき花衣 西宮舞
今日から句集のゲラの校正やら桜祭や獅子踊を見たり来週土曜日の黒川吟行に備えて俳人モードになりに歩き回るので、午前中に「ににん」春号を郵送してから出かけます。あ、りんさんの住所がわからんなあ。お吟さん、知っているならメールくださいませ。
あ、お吟さん宛に二冊送るからりんさんに次に会う時に渡してください。
猫髭さまの文語の解説を拝読していたら、亡くなった地元の師匠の逸話を思い出しました。
「あのですね皆さん、文語は正しく使いましょう。でもですね、<禿げる>の文語は<禿ぐ>ですから、<禿ぐる頭>なんて、なんだかとても変で、髪もないのに<はぐる>だなんて、可笑しすぎて使えないのもあります」と、化石のようなバーコード頭を撫でつけていました(笑)。
今とりかかっている色無地、茶道を習い始めたら一枚は持つべき色無地ですが、ライトブルーに雲の地模様で、下がり藤の家紋ときているので、なんと楽しい取り合わせでしょうと、一人ほくそ笑んでいます。
レッスンの脚よくあがる荷風の忌 中原道夫
おはようございます😃
言葉に厳しく人に優しい猫髭さん、いつも学ばせてもらってます。
しばらくここに来れなかったので未読の書き込みを読み直したら、「円錐」「ににん」、送ってくださるとの事。お忙しいのに。感謝するばかりです。ゆっくりお待ちしています。
「ににん」のタイポで新井代表の句をあげましたが、わたくしの間違いでタイポではありませんでした。「入る」を文語では「いる」と表記し現代語では「はいる」と表記すると頭にあったので、「はいる」が「はひる」と表記されていたので間違いだと思ったのですが、「はいる」の漢字表記は「入る・這入る」とあり、「這ひ入る」の略語として「はひる」が正しいと辞書に載っており、わたくしの勘違いでした。というのは森鴎外や谷崎潤一郎が「はいる」と書いていたからです。ところが坪内逍遥や芥川龍之介は「はひる」なので、國語にうるさかった丸谷才一はと見ると、語中語尾にある〔i〕音の中で「ひ」でははなく例外として「い」と書くものを挙げてをり、その中に「はいる」があると書いていたので、では『私の國語教室』の福田恒存はと見ると彼も「はいる」と思っていたら「はひる」が正しいようだと書いているし、どっちでもいいような感じですが、「入(はい)る」の旧仮名表記はすべての辞書が「這入る」の変化の「はひる」で統一されているのでやはり辞書に従わざるを得ないということです。新井代表の句は、
コンビニへまた人はひる春の宵 新井大介
なので、「また人入る」と書くと字が似ているので平仮名表記にしたら「はひる」が辞書では旧仮名表記になっているので新井代表も首をひねりながら「はひる」にしたような気もします。大谷崎が旧仮名表記を間違えるわけが無いと思い込んでいましたが、例外もあるようです。このコンビニの句はきっこさんには厳しく省略語は使わないようにと言われていたので、
コンビニエンスストアーに入(い)る春の宵
と添削される気がします。ちなみにわたくしが愛用する「新明解国語辞典第四版」には「コンビニ」は載っていません。「コンビニエンス ストア」で載っています。「自販機」もなく「自動販売機」のみです。ただし「大辞泉」といった大型辞書には省略語として載っています。時代は変わる、ですね。
校正の大変さ、気づいた人の落胆、お察しいたします。
お吟さんなど、ゆく先々で他人のうっかりミスの被害を受けるので、「被害に遭わないための方策」を練っている昨今であります(笑)。
今日は終日冷たい花の雨。図書館にて模写遊び。美魔女さんの好きな木島櫻谷の模写の難しいことったら。純朴で一途で素晴らしい美的感覚のお人の様です。目の描写が特徴的。
花の雨やがて音たてそめにけり 成瀬桜桃子
「ににん」春号は4月1日月曜発行なので同人にはこの日には届くはずだが、土日を挟んだので四月馬鹿の日に郵送したのだろう。印刷所が広島になっているので三日に届いたというものだ。岩淵先生と新井代表の句をぱっと見て、どちらにもタイポがあるので、ナニコレとがっかり。毎号タイポの訂正があるので校正にゆるい同人誌であることは承知していたが、発行人と代表の句にタイポがあるのは前代未聞で、校正も高齢化の波をまぬがれないのかも知れない。しかし、じゃあお前やれと言われると片っ端から校正だけでなく添削もしてしまうので、小さな親切余計なお世話ですぐ首になるだろう。つくづく団体行動には向いていない。ネットならすぐタイポを指摘しあえるし、推敲も意見交換できるが、同人誌や結社誌となると、三日遅れの便りを乗せて、どころか三月遅れの俳句を載せてになるから、月間総合誌ともなると、正月の句を去年のうちに詠む羽目になるから、季節の先取りが俳句とはいえ早過ぎて逆に遅れた媒体であることをネット時代には露呈するので、俳句というものは古臭いものであるという事実を伝統であると「ホトトギス」のように開き直るしかないのかも知れない。わたくしは古典も大好きなのでつまらん新作とのバランスを取っているが、詰まるところ、「時代を越えていいものはいい」というのがわたくしの信条なので、達観すればタイポのない作品であればその中の優れた作品に出合う楽しみだけが大事であるという結論に落ち着く。
雪達磨解脱の時となりにけり 川村研治
雪達磨が日差しに溶けるのを「解脱の時」とは言い得て妙の破顔一笑の佳句である。出会えて良かった。丁寧に読めばもっと佳句に出会えるかもしれない。A級の句はわたくしにはつまらない。というか、一流とされる句には自分が発見する楽しみがないからだ。手垢のついていない、まだ見ぬB級やC級の句にこそ発見の楽しみがある。それが同人誌のわたくしの楽しみ方である。
