おはようございます😃
山口県の海辺の町生まれの私。小学校の遠足は近くの遠浅の浜辺でした。きらきら輝く瀬戸内海の海辺。時間を忘れて貝殻をよく拾いました。
お吟さん、最近はモカイルガチェフェをなんとなく注文します。酸味があるのが好み。あれ、イルガフェチェだったかな(笑)。
一重なる山吹の散りやすきかな 深川正一郎
カフェから珈琲つながりで。今日モカマタリの最後の一杯を飲んだ。もう香りもほとんど飛んで苦い味しかしないが口中に残る酸味は確かにモカの酸味だった。モカエチオピアはマタリに比べると酸味が立ち過ぎている。内戦でモカマタリは壊滅したので、二度とあの香りとコクのある味には出会えないが、嗅覚と味覚は不思議と何十年経っても覚えているもので、無くなってもわたくしが生きている限りはわたくしのなかで生きているので、他人というのはわかりあえないものだが、例えばモカマタリをこよなく好んでいたひとと出会えば、その香りと味を介して共有できる部分はあるということで、ひととひとがわかりあうということがあるとすればこういった五感に響くものでつながるといった関わりが積み重なって親しさを感じるということだろう。過ぎ去ってしまったことはこの古くなったモカマタリのようなものでもう二度とあの日には帰れないが、あの味を覚えているということは記憶の回廊の中ではそれは過去ではなく今も生き直しているから覚えているので、昔を懐かしむ心というものは今を生きている心と同じことなのだと言えなくもない。ひとは進歩も変化もしない。生まれた時から死ぬ時まで自分であるしかない。そう思うと、そういう目を自分も子どもたちにしていると気がつく。親はいくつになってもこの子は自分の子だという目を失わない。一緒にいるだけで楽しいと思えるのも子どもだった。もっともわたくしの場合は女の子がふたりだったからかも知れない。男の子だったら自分の分身のようになってきたらと想像するだに下から見上げる不遜な目が鬱陶しい。(*^▽^*)ゞ。
原石鼎座談会で御一緒した詩人の清水哲男さんが昨年亡くなったら、同席した俳人の斎藤慎爾さんも亡くなった。しみじみと生きているのは岩淵喜代子さんと詩人の正津勉さんとわたくしの三人になった。岩淵さんも「ににん」の春号90号で「追悼 清水哲男さん」に「わたしも間もなく清水さんと同じ世界にいくことになる」と書いていたが、一緒に麻布の旧石鼎跡地を探索してやっとここだと発見した時も、わたくしは坂道でぜいぜい言って近所の公園のベンチで伸びていたのに彼女はしゃかしゃか歩き回っていたから「間もなく」じゃあないと思うよお。(*^▽^*)ゞ。
和裁の集まりの日。織物作家の浦野理一(幸田格子を手掛けた)の経節紬の直しをしています。ビンテージなのに、いかにもと言うビンテージ感のない、節くれだらけの魅惑の紬です。白髪のみごとなマダムが仕上がりを待ってくれています。
椿落ち昨日の雨をこぼしけり 蕪村
