お世話になっております。
匿名で投稿いたしますが、竹川先生に発達障害で受診させていただいているものです。
いつも丁寧な診療、ありがとうございます。
私は当初仁和医院と別の病院で、ADHDの診断を受け、しばらく障害者枠で働いていました。
全く問題なく長年勤めましたが、転職による環境の変化を機に、ASDの症状が出てくるようになり、
「書類のダブルチェックさえすれば問題ない障害者として採用したのに、話と違う」と、障害者枠採用でありながら職場から受け入れられず、孤立しています。
今回のことがあってから、自分でも発達障害、とりわけASDの症状について勉強しました。
どうにかして、社会と適合しようと、努力をしましたが、その過程で、かえって絶望する機会が増えてきてしまいました。
今日、お伺いしたかったのが、自分の人生の今後についてです。
(さすがに診療中に伺えませんので、お時間あるときにご回答くださいませ)
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自分の人生を振り返ると、確かに法則性のあるものは好きだし、
学生時代からだいぶ変な奴だとは言われていたし、苦手なことも多かったのです。
ADHDの診断は24歳の時に受けましたが、周囲にも恵まれました。
手帳は持ってるけど、配慮事項の少ない、ある種「都合のいい障害者」であると、自分のことを思っていました。
しかし、今回の転職でそれがすべて崩れ去りました。
自分は発達障害の呪縛から逃れられないのだと察しました。
ASDについて調べれば調べるほど、(一部の超優秀な方を除いて)基本的には社会に適合することは難しく、
辛い人生を歩んでいて、二次障害の発症も懸念されると知りました。
実際私も今、適応障害スレスレの状態ですので、ある種「お迎えが来たのか」と感じています。
会社でも、努力しようが泣こうがわめこうが、「空気を読む」ことができないと達することができない高見があると知りました。
資格を取ったり、勉強したり、ネットワークを作ったり、社会で戦力となれるように頑張ってきましたが、
それもすべて無駄だった、茶番だったと感じています。
今までの人生の前提が完全に崩れ去り、夢や目標、やる気やモチベーションを失い、生きる希望を完全に失っています。
(希死念慮はさすがにないですが)
私は今後私はどのように生きていったらいいのでしょうか。
こんにちは、いつも受診ありがとうございます。
発達障害があっても障害者枠で仕事をしてきたのは凄い事ですよ。
「都合のいい障害者」というのは存在しません。
辛くても逃げずに頑張ってきた時間は、茶番でも無駄でもありません。
頑張っていた自分を褒めましょう。
二次障害は定型発達の人と自分と比べることで起こります。
治療の基本は治らないことを自覚し、開き直りとマイペースですが・・・
社会に適合しようとしているということは、
あまり障害受容が出来ていないのでしょうかね?
業務が変わって自分の弱点が、露見するということは非常に多いです。
初診の時にも話したと思いますが、ADHD傾向のある人は
皆 ASDの傾向も持っております。その他に学習障害や協調運動障害など、
色々な傾向を少しずつ持っております。
患者さんから自分はASDなのか?ADHDなのか?と良く聞かれますが、
皆両方持っております。ASDだけADHDだけという症状の人は存在しません。
他人に症状を説明するのに、ADHDやASDという言葉を使うと解りやすいだけで、
実際は全て併存していると考えて下さい。
ASDの特性の一つに空気が読めないという症状がありますが、
ご指摘の通り、訓練して治るものではありません。
治らないことを自覚し、周囲に伝える事と
全ての行動をパターン化すると良いですよ。
今回上司からは酷いことを言われましたが、
自分の新たな特性に気が付けたというのは、
今後の人生を送る上で非常に有益なことと思いませんか?
ダブルチェックさえすれば配慮している??と思っている上司がおかしいです。
発達障害についての理解が無さすぎですね。
再度貴方の方から自分の特性、配慮事項、自分の取扱説明書を再作成し、
上司に提出してみてはどうでしょう?
それでも全く理解を示さないのであれば、就労支援センターで定着支援を受けるとか、
場合によっては労働基準監督署に相談しても良いと思います。
よろしければ是非又 相談にいらして下さい。