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ヤマザトタンポポ、どこにあるのだろう。

(要約)
いの町のヤマザトタンポポ、見出せず・・・。
代わりにキバナシロタンポポを見つけました。

前回の愛媛県西条市での"シコクタンポポ"探しの続きです。
余吾一角氏の記録のある場所では見出せなかったため、今日は横峰寺への道のさらに奥、石鎚ロープウェイのある下谷、平組、野地、名古瀬、東之川の各集落を観てきました。
2015年の愛媛県の調査報告のヤマザトタンポポのメッシュを見るに、おそらくこのあたりなのではないかと考えたためです。
ただ残念ながらいずれの集落にもセイヨウタンポポが進出しており、特に野地、名古瀬、東之川は廃集落となっていて「山里」の環境は既にありませんでした。
愛媛側の横峯山周辺の山間集落ではとうとう見つけられなかったため、石鎚山を跨いだいの町側でのヤマザトタンポポのメッシュに着目し、夕方から2020年の記録のある場所に行ってきました。
2020年に確認されており、明確なメッシュ情報もあり、さらに「車道沿い」となっているわけですから、これは確実に観られるものと信じて疑いませんでしたが、残念ながら今日見つけることは出来ませんでした。
また晴れの日の本腰を入れて捜してみようと思いますが、車道沿いにあるものを見落とすことがあるかなあと若干自信を無くしました。
ただ思いがけない発見もあるもので、同メッシュでキバナシロタンポポを観ることが出来ました。
お恥ずかしながら、初めこれがヤマザトタンポポだと思ったのです。しかしどう見ても草姿はシロバナタンポポで、花の色だけ黄色という状況だったのでキバナシロタンポポなんだろうと思い直しました。
既にほとんどが結実していましたが、萎んだ花を観て回ると見た限りすべて黄色です。
この点たんぽぽ調査2010の掲示板で坂本さんが言及されている、個体群すべてが黄花のシロバナタンポポと同じ性質のものなのかもしれません。
また来年の本調査の時には時期を早めて観に行かないとと、課題が一つ増えた一日でした。

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AKR1948 様、こんばんは!
詳細を有難うございます。
頂いた座標を観て驚きましたが、このキバナシロタンポポを観たのはまさにその座標の場所でした。
キバナシロに目を奪われて肝心のヤマザトを観なかったようです。
もう一度行ってみようと思います。
このメッシュの場所では今でも耕作が続けられているようで、車を走らせていて「これが山里という環境か!」となった場所でした。
たんぽぽ調査のおかげで普段のスタイルでは行かないような場所にも行くことになり、大変勉強になっております…。

引用して返信編集・削除(編集済: 2024年04月22日 00:03)

やまなこうへい様 精力的な調査お疲れさまです。
いの町清水上分のヤマザトタンポポの生育地は N 33.68795 E133.36859です。東向いて(奥の方を向いて)道の右側に小さい車庫があり、その近くの路傍と休耕畑、左手山側のこんにゃく畑?、果樹園に生えています。2019年4月23日に調査していますので、時期的にはまだ大丈夫だと思います。2019年の際には、左手の上の方に民家があって、その方が手入れをされているようでしたが、今年はどうでしょう?
5年たって行ってみると、家に人が住まなくなったり、畑を管理しなくなった事例が多いですので、ヤマザトタンポポの生育地も気になっています。
同じ集団内で総苞外片に変異があります。1個体だけでなくたくさんの頭花の形態を確認してみてください。
場所は緯度経度で分かると思いますが、念のため下流側からの写真を付けておきます。

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そこでキバナシロの種子と近隣メッシュのシロバナの種子を比較してみました。
複数の画像を提示してその差異を共有したかったのですが、代表的な一枚を載せておきます。
傾向として、キバナシロの方は果実の棘の先端がやや開出する方向に向くため棘が目立つ一方、シロバナの方は同程度の棘でありながら先端が頂端(綿毛の方)を向くので、棘が立っていると印象をキバナシロよりかは受けません。
シロバナタンポポは基本的に全国で同一クローンだと聞いていますので、こういう個体群差が出てくるとは思いませんでした。
他のシロバナタンポポの種子も検めてみようと思います。

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花の色で言えば、黄色みの強いシロバナタンポポというわけでなく、しっかりとした黄色です。
ただ、総苞片の開出具合や角状突起の様子はシロバナタンポポと同じで、花茎がよく伸び、やや厚ぼったくツヤのある大型の葉もシロバナタンポポと変わりません。
挙句近隣メッシュには普通のシロバナタンポポもありました。
ただし、キバナシロタンポポの場所にはシロバナタンポポは無いようで、シロバナタンポポの場所にもキバナシロタンポポは無いようでした。

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旧名野川村北川集落の興味のあるアカミタンポポ

こんにちは。
先の投稿から連投で失礼いたします。
仁淀川町の北川集落は牧野富太郎が多くの植物を観察した記録のある場所なので勉強によく通っていますが、舗装道路沿いに総苞外片の開出具合が2-3のアカミタンポポを観ました。
早速タンポポ調査のWebページで「総苞」の項目は"上にななめになる"と"横になる"で、「タネ」は"赤褐色"にチェックを入れて検索してみると59件がヒットし、高知全体で観られるものの、特に仁淀川町で多くサンプリングされていることが分かりました。
情報の蓄積具合に圧倒されました。

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AKR1948 様、コメント有難うございます。
改めて地図を見返すと北川集落というのは不適切で、その手前の下北川集落に当たります。
奥の北川集落にはセイヨウタンポポがよく咲いていました。
2020年の調査で国道33号線沿いの50332151メッシュにてアカミの記録があるため、南東の風が吹けば二ノ滝、下北川方面に種が飛んでいくのかもしれません。
一方で深い谷筋のため、山の位置関係を踏まえると国道から二ノ滝、下北川方面へ吹き抜ける南東の風が吹くものだろうかとも思います。
高齢化の進んでいる小集落ではありますが行くたびに車とすれ違う程度には往来がありますから、地元の方の車や靴に着いて入ったのかもしれませんね。
頑張って奥へ奥へ行っている途中なのかもしれません。一回進出してしまえばアカミタンポポにとって殖えるのは造作もないでしょう。
一方で安田町の例を考えると若干この拡大の仮説に疑問を覚えます。
安田町の50331779メッシュや50341080メッシュでは2020年の調査でアカミタンポポが出ていますが、その奥では確認されていないようです。実際今年私がこの県道12号線に沿ってサンプリングしていった際も、アカミタンポポはこの辺りに限定され、馬路村の方に拡がっているということはありませんでした。
風通しは仁淀川町よりもずっとよさそうである上、車の往来も活発に思われますが、アカミタンポポは5年でそう拡がれなかったようです。
車や靴に付着して拡大するというのは、案外たんぽぽにとってはそうそう無い貴重な拡大の機会なのかもしれません。
風散布の植物の分布拡大を考える上でも、継続して実施されているこのたんぽぽ調査の重要性を実感している今日この頃です。

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仁淀川町の在来総苞型のアカミタンポポについては、前回調査で仁淀川町潰溜から県境までの国道と、右岸側の大度ダム公園付近を調査しました。国道沿いに多かったので、国道33号経由で入ってきているのかな?と考えましたが、北川集落にもあるとなると、そんな単純な話ではなさそうですね。この形状のアカミタンポポは県下に広くみられるというより、仁淀川町に特異的に見られる気がします。写真は2020年4月22日に大度ダム公園で写したものです。

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このアカミタンポポと同所に生えているセイヨウタンポポは頭花が5.5 cmと大きめで、葉身はクシバタンポポのような裂け方をしています (写真)。種子は褐色で、総苞外片は強く反曲します。
先ほどの投稿はちょうど4つの頭花と1つの綿毛が写っていますが、向かって左側の縦に2つ並んだ頭花の下の方のがセイヨウタンポポで、残りは綿毛を含めアカミタンポポです。
セイヨウタンポポも頭花の大きさや葉の裂け方に注目してみると色々な姿をしており、まれに見慣れない姿のものを観るとワクワクします。

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タンポポで学ぶ土地の利用

こんにちは。
私の住むいの町本川地区でもたんぽぽの盛りの時期になりました。
ただ当地には水田も土手も無いので在来のたんぽぽは見られず、延々セイヨウタンポポや在来総苞型のよくわからないものを観ています。

石鎚山を超えた向こう側、愛媛県西条市では点々と在来のたんぽぽが記録されており、勉強がてらシコクタンポポ (Taraxacum shikokianum Kitam.) を捜していますが、たんぽぽを取り巻く厳しい現状を実感させられました。
シコクタンポポは横峰山で採られた余吾一角氏の標本に基づいて北村四郎が記載し、後に北村自身がツクシタンポポの異名としたたんぽぽと理解しておりますが、愛媛県のタンポポ調査2015でもその実態の把握が課題に挙げられています。
安直に林道通行料1500円を払って横峰寺を探索してみましたが、そもそもたんぽぽが生えるようなオープンな環境はほとんど無く、延々陰湿な杉植林地が続きます。伐採跡地、駐車場、奥の院星が森遥拝所はセイヨウタンポポが侵入し、境内は丁寧に整備されていてたんぽぽすらありませんでした。
納経所でお話を伺うと、植林は大分進み、今ある道も最近均してこしらえたものだということでした。ただし、昔は山全体が草原だったというようなことは無く、昔から植林地ではあったようです。

落胆して帰宅し、手掛かりを求め余吾一角氏について調べていると『周桑郡植物誌』の存在を知りました。幸い国会図書館のNDLで読めたのでキク科のところを見てみるとビンゴ! 「カンサイタンポポ?」という記述で横峯山と戸石山が挙げられており、環境として"山地の乾地"とありました。戸石は西条市丹原町楠窪、志河川ダムの奥の集落です。さらに愛媛県のタンポポ調査2015でもちょうどいい感じの位置のメッシュにヤマザトタンポポとしてのマークアップがありました。ヤマザトタンポポであれば余吾氏の「カンサイタンポポ?」の表記も納得です。2015年の調査で確認されているわけで、山奥の集落なんだから雰囲気のある場所を当たればまず観られるだろうとウキウキで観に行きましたが、延々あるのはセイヨウタンポポ。戸石、影無、借宿、小谷などの集落をしらみ潰しに回りましたが、シロバナタンポポが辛うじてあるくらいでセイヨウタンポポがほとんどです。

どうしてこんな山村にセイヨウが侵入しているのだろう。地元の方に聞きとりをしてみると、余吾氏の歩いたであろう90年ほど前は一体に野稲、アワ、小麦、イモ類の畑があり、戸石の集落も尾根筋まで家が見えるほど広がっていたそうです。通学路ではセンブリやリンドウなども普通に観られたとのこと。ただ現在その集落跡にはスギが植えられ、全面植林地となっており、辛うじて残る影無のクリ・ユズ畑も除草剤をたくさん使うとのお話でした。なるほど道理で写真のような”ありそうな環境”にたんぽぽがまったく生えていないわけです。さらに悲しいことに、ここ10年での土地の変化をお伺いしてみると天ヶ峠と余野に抜ける林道が全通し、台風等で山の上に続く道の管理が断念され、また繰り返される氾濫対策で川原が嵩上げされたとのことでした。セイヨウタンポポが多い理由もハッキリしました。

植物誌の感覚では2015年というと最新情報のように感じてしまいますが、10年もあれば消えるものは消えるのかと勉強になりました。これで余吾氏にまで遡れる産地は絶望的になりました。余吾氏と交流のあった山本四郎氏の『愛媛県産植物の種類』でも特に新事実は追加されていません。もっとも、単純に私が見落とした可能性もありますが、草原性の在来たんぽぽは今後ますます観るのが難しくなっていくのかもしれませんね。

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異郷の地で分布を広げるカンサイタンポポ その2

今回は国道439号、旧吾北村小川西津賀才の高岩トンネル北口に根を下ろしたカンサイタンポポを紹介します。
最初に確認したのは2014年4月24日です。株数について、はっきり数えた記憶がありませんが、写真では1株です。その時は、カンサイタンポポは単独生活は無理なので、すぐに消えるだろうと考えました。しかも生えているのはアスファルトとコンクリートの隙間で、カンサイタンポポの本来の生育地とは全く違う環境でした。
2019年の調査で再度訪れると、5株に増えていました。また、個体も大きくなり1株で68個の頭花(開花済みのものを含めています)をつけていました。環境に適応した数少ない個体が、1個体あたりの花を増やすことによって集団を維持していこうというパイオニアの熱意みたいなものを感じました。
先日(4月11日)に調査に出向くと18株に増え、道路のアスファルトとコンクリートの間に列をなしていました。
多分このまま、分布を広げることができるのではないかと考えています。

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このタンポポがどうしてここにいるかについて考えてみました。
周辺を調べてみると、トンネルの出口と旧道との間に、3角形の空き地があり、現在は廃墟になっているものの、パーゴラやベンチが設置され、藪になっている植物も植栽されたものと見ました。トンネルの開通は1991年のようです。
トンネル開通時に利用者のために設置された園地の整備に伴って、タンポポがこの地に来たものの、園地の荒廃によって住みづらくなり、道路に逃げ込んだというストーリーを考えてみました。

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仮説 くろしお鉄道によって運ばれたかな?カンサイタンポポ

 前回四万十川後川堤防のカンサイタンポポを確認することができ感激の話しをしました。
 この場所のカンサイタンポポ生育地の拡がり方を興味深く思いました。堤防上面の線路すぐ脇に沿って生え、それから堤防南側の法面左右に扇状に生育しています。線路北側には発見できませんでした。ということは、この場所のカンサイタンポポは、線路南側から生え徐々に拡がっていったと考えられます。
 なぜ南側なのか。タンポポが実を付ける4月あたりまで、この場所は北西からの強い風が吹きます。このことからタンポポの種は、南側に飛ばされるはずです。
 では人の手ではなく、なぜくろしお鉄道なのか。前提要件として、どの場所かで飛んできたタンポポの種がたまたま車両と車両の間にひっかかったとします。走っている時は、車両と車両の間は、風が直接当たらず、くっついた場所にそのままある確率が高いでしょう。
 さて、四万十川後川堤防です。線路は川に垂直に走っています。そしてカンサイタンポポの生えている堤防に高知方面から来ると右にほぼ直角に曲がることと、中村駅が間近なので徐行運転になります。右に曲がる時、車両と車両の間は、北側が狭く南側がハの字のように開きます。風の物理法則によって強い風が北側から南側に吹きます。さらに強い北西の風が吹いていたら車両と車両の間は、強風になるでしょう。しかも汽車のスピードは最徐行です。これだけの条件が揃えば、ここまで頑張って付いていた種も南側に落ちるのではないでしょうか。それではまた、前田さんの苦笑する顔が。

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列車によるタンポポの移動、楽しいですが証明が難しいですね。
カンサイタンポポを含め、高知県にもともと自生しないタンポポが生育している場所は造園や植栽工事がされたところが多く、これに伴って非意図的に持ち込まれたと考えるとすっきりすると思います。
面白いのは、大名のお国替えに伴うタンポポの移動で、大名が樹木などを移し替えるときに意図せずまぎれここんだ可能性があると考えられています。
2012年の朝日新聞の記事を画像で紹介します。

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