父親だと思ってた…笑 女装して、母親のふりをしている父親だと… そんな人に育てられた過去はそりゃトラウマよね〜父親は閉鎖病棟行きだよね〜とか思ってた。マジで。
先に字幕版を観て、後に吹替版を観ました。
字幕版では女性の声でしたが、吹替版はなぜか男性のよう声で驚きました…。日本語スタッフ、なぜそうした??
父親だと思ってた…笑 女装して、母親のふりをしている父親だと… そんな人に育てられた過去はそりゃトラウマよね〜父親は閉鎖病棟行きだよね〜とか思ってた。マジで。
先に字幕版を観て、後に吹替版を観ました。
字幕版では女性の声でしたが、吹替版はなぜか男性のよう声で驚きました…。日本語スタッフ、なぜそうした??
雑な感想。
映画でクラークがバックルームズに行っちゃった(住んでた?)くだりで、利用価値的な観点で良いじゃんと感じた。住める四次元ポケット的な。なんか広くて便利そう。安全性が全然ダメだけど。
もっと雑な感想(考察)を聴きたい
考察ではないかもですが……。
今まで観てきた映画の中でダントツで一人称視点が多い作品。
あと、誰かに追われる、逃げる、バックルームのなかを歩き続ける、進み続ける…場面が多かったからか自分は座っていただけなのに鑑賞後の疲労感が凄かった気がする。
また、手ブレや映像のノイズがあったことで「今のなに?!」とか、鮮明に見えないことによる何かがわからない不気味さがより際立っていた。登場人物達もパニックになっているなかで全てを見て理解して動いている訳ではないだろうし…?
これが没入感ということ……??
クラークが知性も自我も(おそらくほとんど)無いと言っていたStillLifeが状況次第で人を追跡するのは何故か。また、追跡してこない時もあるのは何故か気になる。
赤毛の女型(バーバラ?)のStillLifeは初遭遇時にクラークを追い回していたのに、キャプテンクラークのように危害を加えることは無かった。VHSのカメラを止められた後に何があったのかも気になるし、その後は何故かクラークと共に偽の家族生活を送っていた。
また、キャプテンクラークは基本的に人を追跡し危害を加える存在であるにも関わらず、最後のメアリーと研究員の面談シーンでは黒塗りで分かりにくくなっているものの、クラークとキャプテンクラークが一緒に映る写真が出てきた。
この写真もキャプテンクラークがクラークを追い回している様な様子は見受けられ無かった。
これを見るに恐らくStillLifeは特別、人類に対して敵対的でも友好的でも無いが、何らかの条件で人に恐怖や危害を加える事があると推測できる。
しかし、その条件や意図がさっぱり分からない。
もし、これらの疑問に答えられる考察を持っている人がいたら教えて欲しい。
Everything must goの看板、部屋の奥に行くにつれて看板の大きさ自体が小さくなってるのはBackroomsが奥行き(遠近法?)の概念を理解できなくて小さくなっちゃってるのだろうか
あの世界の不自然な置き方の家具とかめり込んでるオブジェクトとか、奥行きや三次元的な概念を学習しきれていない一昔前のAI生成画像みたい
だとしたら私たちがいる世界のAIもしくはAIが作り出し見せてくれているのはバックルームスかもしれないですよね。
奥行きか なるほどなー
なんかあんまり言及してる人を見ないんだけど、最初の街が引きで映るカットの青空に、バックルームによく出てくる気球が浮かんでたんだよ
つまりメアリーが脱出したあとの研究所って、元々メアリーが居た世界ですらないガチの現実世界だったりする?
クラークたちの居る街がそもそもリミナル空間っていう……
真に脱出出来たのはメアリーだけって
(でも研究員は広告のCM見て気付いてるからなあ……電波だけ繋がるとか?)
これずっと気になってる
クラークが変わらなくてもいいんだ
と自分を受容した時から変わってしまったのが面白かった
劣化コピーのクラーク船長は変わることができない。人間でもない。ここでたぶん新しいクラークのコピーもまたどこかに増えた気がする。
そこから先はメアリーの記憶に入ったような感覚だった。すごい
出口と書いているのに壁がある絶望な設計怖すぎる。クラーク船長はメアリーにとって人間のようだから血が出てきたのかなと思った
あと映画最初の木の葉が落ちてる部分のシーンがめっちゃ好き!
明らかに現実と繋がってるのに帰れないとこワクワクした
昔行った商店街のある一角が更地になって、次行ったときはビルが建っていた。前の建物が思い出せない記憶の彼方に置いていかれるように、あの空間は過去そこにあった記憶が保存されているのではないだろうか?
記憶は時間が経つにつれ曖昧になり、一部が強調されたり、無かったことになったりする。その曖昧さが、家具や配置、空間自体をおかしくしていると考えられる。
特に過去の記憶の積み重ねと思えるシーンがある。
メアリーが気絶している際に、幼少期住んでいた家がエレベーターのように降下して、徐々に原型から離れてバックルームに変わっていくシーンがまさにその通りの演出に見える。
次にクラークは自分が変わるべきだとカウンセリングを受けていたが、最終的には変わらなくて良いと彼の中で結論付けた。
しかし、その結論に至った途端に今まで友好的だったエンティティに襲われた。
また、メアリーも劇中で過去住んでいた家や母親に心が囚われている描写が多々あった。
救出後に聴取されている時に、恐らくここから出れないという事を感じ取って、すべて諦めていたような演出になっていた。
この2人に共通することは、変わることをやめてしまうということではないだろうか。
赤の女王仮説は、同じ場所に留まるためには常に走り続ける事が必要があるということである。
この2人はどちらも走ることをやめてしまったため、クラークは死、メアリーは諦めという形で、バックルームに取り残されてしまったのではないかと考えた。
蛇足になるかもしれないが、ラストのシーンとフラッシュバックが多いことから、この映画で見てきた映像自体がメアリーとその空間の記憶だったのではないかとも少し思った。
浅い浅ぁぁぁい知識で動画を作ってみました。
https://www.youtube.com/watch?v=SMLj8SDRcAg
有識者の皆様、感想お待ちしております。
あとバックルームなのかバックルームズなのか
これは単純に複数形なのか…どなたか教えてください
○こういう映画を観る時、リミナルスペース(静の美学)がどう物語(動の美学)に落とし込まれるのかを注目する。
大なり小なり、人生のメタファーになる事が多い様に思う。
勇気を持って安全圏を破り、不要な慣習に気付きそれを捨てなければ、同じ様な景色の中で同じ様な悩みを抱え続ける事になる。
ノスタルジー(過去)に囚われたがる(自分の様な)者には必要な事なのだろう。
○クラークの“自分が自分でいるそれだけの事が許される場所”という意味付けはリミナルスペース好きとして解釈一致で内心深く頷いてしまった。
人が死にまくっているのにあの空間には確かな安らぎがある。
○クラークはプールの部屋で追い詰められた時、積もりに積もったタイミングでの精神崩壊でいわゆる発狂状態に陥ったと思われる。
○メアリーは母親を救えなかった代用行為としてカウンセラーをやっていたけど、どこまで自覚していたのか。手形を自分のだけ持っていたあたり、頭ではある程度母親に見切りを付けていたけれど思い出を断ち切れていなかったのかも。
○メアリーは本来、昔も今も誰かを救う責務は無い。親であろうと他人。メアリーはクラークを助けられないと認めた事でやっと母親との境界線を引けたのでは無いか。
○ラスト以降のメアリーの処遇はエイシンクへの終身雇用あたりになると予想。生存しただけで充分ましだけど、手を切ったはずの過去に離して貰えないのは前に進もうとする人にとって恐ろしく忌まわしい。
とりあえずエイシンクは一発殴られて良い。