アメリカ人はパーティが社交辞令なのか好きなのかわからないがよく招待されて、親しくなったアメリカ人はホーム・パーティにも招待されてもてなされたのでわたくしもお返しに手作りの猫髭MusicCD(JAZZ中心だがお客の好みでクラシックやロックやブルースやPopsやタンゴやラテンやフォルクローレも混ぜる)をBGMに簡単な料理を作って座興とするが、子どもの居る家は子どもたちのための料理も作る。鶏肉と玉葱を刻んで御飯とケチャップで炒め、豚肉と玉葱を刻んで御飯とソースで炒め、牛肉と玉葱を刻んで御飯と醤油で炒め、卵を溶いて薄い皮で包んで三種オムライスを作るのだが、子どもたちだけではなく大人たちも味変を楽しんで、ついでに餃子pot stickerを作って焼餃子pan-friedと水餃子boiledを作ってあげると、これは大人も子どもも喜んだので作り方を教えてあげたものだ。調味料はお国柄の好みで勝手に食べればいいので相手任せで子どもたちは餃子にケチャップやソースをかけていた。(*^▽^*)ゞ。
わたくしの作るオムレツは昔ながらの薄皮のオムレツだが、最近は半熟のオムレツをチキンライスの上に乗せて真ん中にナイフを入れると自重でとろりと割れてチキンライスを包んでデミグラソースをかけるタイプが多いので、おいしいアイディアだが、わたくしは昔ながらの町の大衆食堂の薄皮のオムライスが好きである。昭和の男なのでしょうがない。
たまたま暇つぶしに見たら面白かったドラマSP沢村一樹主演の『東京地検の男』で、開店割引のチラシを配られて、オムライスの値引きを喜ぶ主人公の検察官が、殺人事件の被疑者が洋食屋と知って接見でいきなり「オムレツはやっぱり薄皮ですよねえ」と同じことを話しかけていたので我が意を得たりで、こういうオムライスのチラシやとろふわのオムライスを食べて首を捻るシーンが置かれる映像の掴みが最初にあると安心してドラマに身を入れることが出来る。実は話題になった村上春樹の原作の『ドライブ・マイ・カー』がAmazon会員なので月額350円で見放題なのでクリント・イーストウッドの『クライ・マッチョ』はいくらなんでもその歳でこれはないだろうという映画だったので(まあ、わたくしはミーハーなファンなので最後まで見たが『運び屋The Mule』が素晴らしかったのであれで最後にすればという気がしないでもない)、楽しみに見始めたが3分と持たずに見るのを放棄した。映画というものはファーストシーンから見る者を一瞬にして銀幕に引き込む映像でなければ映画ではないという映画愛のわたくしとしては窓を背にして顔の見えない女がわけのわからないことをだらだら下手糞に垂れ流している画面を見続けることは苦痛で見るのを放棄した。映画館を出てくる時にがっくりして出る映画は映画ではない。ハッピーエンドで終わるということではなく悲劇でも不条理映画でも映像が素晴らしければ心に残るが映像ではなくセリフで説明するとかやくざ映画でもないのに大きな声でしゃべるとか言葉で表現できないところから映像は始まるという映画の原理すらわきまえない映画はわたくしには映画とは言えない。
と話は飛びまくるが『ドライブ・マイ・カー』の始まりに激怒してむかついたので口直しにTVのスペシャルドラマでおいしいオムレツの話が出て、すぐオムレツ作ったら、目の前にオムレツの句が、という関係妄想症でした。
きっこさん、みなさんこんにちは。
『冬夕焼』ラスカルさんのその時のお心が、静かに無窮の時を流れているようです。
それを演出された猫髭さんはさすがです。
おはようございます(^^)
suzumeさん、
『冬夕焼』を再読していただき、どうもありがとうございます。
天上の母も、きっと喜んでいることでしょう。
猫髭さん、
『冬夕焼』上梓の際は、色々とお世話になりありがとうございました。
猫髭さんにお逢いした時、帰り際にいつも母が
猫髭さんの髭に触っていたことを思い出しました(笑)
きっこさん、皆さん、こんばんは♪
屋号は、山間にある実家の町内では今でも当たり前に使われています。同じ町内の母の実家は「伊右衛門」なのですが、その名前のお茶が発売された時、祖父が喜んでいたのが懐かしいです。あ、京都の福寿園さんとはなんの由縁もありません(笑)
わたくしの産地は茨城の大洗の磯浜で(当時は子どもは実家で産みました)、育ったのは那珂湊ですが♪磯で名所の大洗様よの「磯節」で有名なので磯崎という同じ名字がずらりと軒を連ねるのでどこの磯崎さんかわからないので屋号で呼びあいます。どこの磯崎さん?「角セ」の。ああ四丁目の水神さんの太鼓叩いてる蛸屋さん、といった具合である。お墓も同じで入口に屋号も彫られます。このため子どもの頃から屋号に慣れているので、実は実家の名前も忘れがちになるほどで現に隣近所の名前は屋号しか覚えていません。そのくらい本家分家と固まって村を成していると同級生でも下の名前で呼び合うのでいざ名字というと当時は覚えていたと思いますが、今思い出せと言われても「角セ」の竜ちゃんとか「魚浅」のまり子ちゃんとか屋号でしか思い出せない。あと、漁港なので船の名前ですね。小幡丸の五朗さんとか金春丸の大将とか。撫子さんの「同じ苗字のつゞく路地」というのはわたくしの育った茨城の海辺の町やわたくしの第二の故郷の逗子・鎌倉の海辺の町には多く見かけます。農村も本家分家が残る古い村は同じ苗字が多い。
>うっかりしていました。今後は気をつけます(^^)
きっこさんからツッコミ担当を拝命しているのでゴメマムシ。ラスカルもうっかり八兵衛モードになる時があるとは、歳を重ねたせいか。お、来月で63歳、来年は64歳でもう厄年がなくなる歳か。きっこさんも来月で50歳と言っているが、女性は歳を取っても美しいから(ホイットマンは詩集『草の葉』で、The young are beautiful—but the old are more beautiful than the young.と歌っていて、ヘルパーをしているとつくづくそう想う)男性も年を取っても優しさを忘れないようにしたいね(レイモンド・チャンドラーは私立探偵フィリップ・マーロウの最後のミステリー『プレイバック』で、If I wasn't hard, I wouldn't be alive.If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.と言わせている)。
あ、昼飯食ってたらsuzumeさん飛び越してた。それにしてもラスカルの『冬夕焼』を持っているとは。猫髭校正、茂雄親方栞の、章のタイトルがみなお母さんの句を詠んだ二文字のタイトルで各章70句の静かな句集で表紙は石蕗の花。「つはぶきはだんまりの花嫌ひな花 三橋鷹女」という句もありますが、
地軸より咲きし色なり石蕗の花 原石鼎
夕闇に石蕗の明りのまだ昏れず 星野椿
つはぶきの黄の残りたる夕景色 吉屋信子
石蕗さくや猫の寐こける草の宿 村上鬼城
石蕗の花入日の窓を開けておく 飯島晴子
こころにも北側ありて崖の石蕗 堀井春一郎
のり越えし巌の向うも石蕗の花 須並一衛
母亡くて父に咲きけり石蕗の花 八木林之介
などを表紙の冬夕焼の石蕗の絵に想起します。