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ワレモマタキミモマタカゼ吾亦紅

>長き夜や今後ジテとなる江口 星野立子

きっこさんと能の話をすると間違いなく皆さんは遠い宇宙の果てに飛ばされたような気分になるのは間違いないので(笑)なるべく宇宙塵にならないように話すと『江口(えぐち)』は能の題名で、原作は能楽の完成者である室町時代の観阿弥が書き、それを子の世阿弥が直筆改作し、それを江戸時代の本阿弥光悦が更に短く改訂して現行の観世本になったもので、観阿弥・世阿弥親子という能楽の完成者の代表作であるとともに、仏教の奥義と数寄(風流・風雅)が融合した能楽としても有名です。

江口は平安時代から鎌倉時代にかけて摂津国江口の里にいた遊女の総称で江口の君というのは遊女宿を束ねていたあるじのことです。能では『新古今和歌集』巻十の978と979の西行へ返歌した遊女の女あるじ妙(たえ)を指します。歌のト書きに寄れば西行は天王寺に参詣しようとして花街で俄か雨にあい、雨宿りを頼んだら断られたので、「尼寺へ行けと無理を言っているのではないのに雨宿りの仮の宿すら惜しむのですね」とハムレットを知っていたのか皮肉交じりに詠んだ歌に、「出家した身と聞き及びましたのでかようなうたかたの宿に心をお留めにならないようにと思ったまででありんす」と遊女の妙がやんわりと受け流したので、西行は感心して他の宿を探したという歌問答です。これは実話のようです。

  世の中を厭(いと)ふまでこそ難(かた)からめかりのやどりを惜しむ君かな 西行法師
  世を厭ふ人としきけばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ 遊女 妙

鎌倉時代の西行をモデルにした説話集『撰集抄』にも江口の話はふたつあり、ひとつは歌問答に感心した西行が年増の美魔女きっこ、じゃなくてあるじの妙と意気投合して朝まで語らい、後朝(きぬぎぬ)の別れにあらず、何もしないで再会を期して別れるという石部金吉で、再会叶わず、妙は尼寺に出家してしまうという話です。信憑性全くなし(笑)

もうひとつは西行には関係ない生身の普賢菩薩を拝みたいという上人の話で、菩薩像の究極の美を表す中宮寺の弥勒菩薩半跏像の生身を見たいという気持はわからないでもないので(わたくしの昔の親会社は穀物関連ではソ連の小麦危機を救ったので有名で、日清とも太いパイプがあり、若かりし美智子様が渡米した時の案内役で米国支社の坂田専務が指名され、その時のポトマック湖のボート遊びの写真を自慢げに見せてくれた際の美智子様がまさに生身の普賢菩薩でした)、この上人が江口の遊女が普賢菩薩であるとの霊夢を見て行って見ると目をつぶれば遊女が菩薩に見え、目を開けると菩薩が遊女に戻るという霊験譚です。

能の『江口』は、『新古今』の歌問答にプラスして『撰集抄』の遊女に菩薩を見る霊験譚を江口の遊女妙に重ねて作られたものです。

数寄の旅の僧たちが天王寺に参詣の途次、西行を偲ぶがゆえに江口の君の態度を咎めたのを聞いて、前シテの女が現れ、西行の頼みを断ったのではなく娼館であるゆえ出家の身をおもんぱかって遠慮したのだと教え、問われると、女は江口の君の霊だと告げて消えてしまいます。

僧たちが地元の男に江口の君のことを聞くと、男はかつて上人が霊夢で江口の君が普賢菩薩の生まれ変わりだと知ったという霊験譚を教え、江口の君を弔うよう勧めました。

僧たちが弔っていると、夜になって舟に後シテの江口の君が二人の侍女を従えて現れ、淀川の水辺で妙が俗世の艶やかさと華やかさと儚さ、そして無常の奥にある執着こそ悟りへの妨げと四季の美しさを散りばめて仏の教えを浮き上がらせることで、後シテは実は普賢菩薩で、西行に「この世はすべて仮の宿ゆえ惜しむ心を捨てることこそ悟りにいたる道」と諌めて、舟は白象と化し西の方へと上って消えてゆくという物語です。観世本のラストであるキリは、

思へば仮の宿
思へば仮の宿に。心とむなと人をだに。諌めし我なり。これまでなりや帰るとて。
即ち普賢菩薩と現れ舟は白象となりつゝ。光と共に白妙の白雲にうち乗りて西の空に。行き給ふありがたくぞ覚ゆるありがたくこそは覚ゆれ。

と世阿弥本も光悦本も観世本も同じです。このキリの謡は「追悼の謡 江口」として仏法の奥義に触れているので、通夜、葬儀、法要でよく歌われます。婚儀の「高砂や」の葬儀ヴァージョンで、わたくしと仲良しだった京都の妻方の祖母の葬儀で、焼き場の際に最後のお別れで謡の先生と義母が一緒にこの「江口」を歌って送り出したのを思い出しました。義母はわたくしと並んで歩くと夫婦に間違えられるのを喜んでわたくしを聞き手に唸るものですから、それも八百屋お七といった派手な謡が好きで、東京に来ると千駄ヶ谷の国立能楽堂とか皇居近くの国立劇場とか引き回されたので、観阿弥の『卒塔婆小町』から人形浄瑠璃の数々を御相伴に預かり、国宝級の演者も見ていますが、何せ能は出て来るまでが長くて出て来ても亀より遅いので、正直素人さんの謡はきつうございました。はい。

短いですので、大島衣恵さんの小謡「江口」をお聴き下さい。猫髭の右矢印をクリック。

したがって、

  長き夜や今後ジテとなる江口 星野立子

という句は、これから江口の霊が遊女としても無常を嘆きながら月の夜に淀川の水辺の舟遊びのひと時を歌い舞う「数寄」の美しさと、それらはみなうたかたの迷いに過ぎないと惜しむ心を捨てて悟りを得るという仏教の奥義を普賢菩薩が告げて昇天する長き道にも長き夜がかかっています。

しかし、実はこの後シテの謡曲の無常の四季がこよなく美しい。光悦本と観世本はほぼ同じなので、「今後ジテとなる江口」には一番のこの能楽の見どころ聴きどころが後ジテの歌い舞ふシーンですから、語る虚子たちも聴く立子たちも、四季の移ろいの美しさと無常と惜しむ心の入り乱れる思いを過ごしたと思います。

正直わたくしは煩悩がこよなく数寄(=好き)なので、悟らなくていいです。(*^▽^*)ゞ。

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無意識に戻す終筆われもこう

おはようございます。

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本棚に戻す字典や十三夜

おはようございます(^^)

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長き夜の本棚に坐す父の本

きっこさん、皆さん、おはようございます😃

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夜長妻きのこの山を滑落す

皆さん、こんばんは。

あたしのメルマガを購読してくださってる人の多くは、特に俳句には興味のない人たちが多いので、「季節の言葉」では、あまりマニアックなことは書かないようにしてきました。
でも、今回の「夜長」では、どうしても書きたかった星野立子の「長き夜や今後ジテとなる江口」を取り上げてしまいました。
隣りの部屋で、父である虚子が友人と謡っている「遊女江口」を聴きながら、娘の立子が「後場」を詠むなんて、こんなにも素敵なことがあるでしょうか?

あたしも父さんから、フランク・ザッパ&マザーズ・オブ・インヴェンション、ボブ・マーリィ&ザ・ウェイラーズ、アサヒビールのスーパードライという3つの宝物を教えてもらい、今も大切にしています。
娘は、母さんからはたくさんのものを受け継ぎますが、父さんから受け継ぐものは少ないので、とても大切なのです。

それが能の謡い、それも「江口」だなんて、あまりにも素敵すぎます。
あたしは母さんから「小倉百人一首」や「万葉集」を教えてもらいましたが、能や狂言は自力で勉強しました。
星野立子が羨ましいです。

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指先のコンソメくさき夜長かな

きっこさん、皆さん、こんばんは🌓

エスパーじゃないですけど、小さい頃、魔女っ子メグちゃんというアニメが大好きでした。夕方になると、タイムボカンシリーズとともに繰り返し再放送されていて。クールビューティなライバル、ノン派でした。真似して、おでこにおもちゃのペンダントをぶら下げて魔法の練習に励んでいました。そろそろ成果が出る頃かと(笑)

2022年度「きのこの山たけのこの里国民大調査」結果はこちらです。県民別に真面目に丁寧に分析してあって、面白いんです♪
https://www.meiji.co.jp/sweets/chocolate/kinotake/cmp/daichosa2020/

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新パソコンさくさくさくと秋うらら

 きっこさん、みなさんこんばんは。

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さくさくとたけのこの里夜長妻

>ぽりぽりときつこの山の夜長かな 贋撫子

なんで今朝配信のきっこのメルマガの今週の季語が「夜長」とわかったのか撫子さんはエスパーかと驚いたが、今朝の配信は7:00だったので8:23の投稿時間で普通のオカンだったと納得。しかし「きのこの山」を出したのはさすが♪

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ぽりぽりときのこの山の夜長かな

きっこさん、皆さん、おはようございます🌧

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封きりて加へるだけの茸飯

おはようございます。

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