皆さん、おはようございます。
猫髭さん、ご指摘ありがとうございます。
昨日、スーパーで1切100円で安売りしていた南米チリ産のサーモンの西京漬けがとても美味しかったので、うっかりしてしまいました。
「鮭」だけで秋の季語なのに、「秋味」や「鮭の秋」などの季語を念頭に脳内で推敲しているうちに、うっかり「秋鮭」などと詠んでしまいました。
脂の乗った鮭は、あたしは皮が一番好きですが、鼻の軟骨で作る「氷頭なます」も好きです。
それから、アイヌの保存食がルーツの「鮭とば」も美味しいですね♪
>秋鮭の切身を選び籠に入れ きっこ
ほめられて「浜菊や師がゑさをやる野良の猫 撫子」のノラのように照れ隠しに顔を舐めている気分だが、わたくしは鮭が川を遡上する最南端の那珂川のほとりで育ったから鮭は生鮭(なまじゃけ)を焼いてレモンをちょと垂らし大根卸しに醤油で食べるのが一番旨いと子どもの頃から思っているが「秋鮭」という言葉は初めて見た。秋刀魚ほど露骨に秋を主張はしていないが鮭は「秋味」というぐらいで秋でしょう。保存食の塩引鮭(しおびき)は冬だとしても歳時記に「秋鮭」はない。で大辞泉(小学館)を見ると「秋鮭」とあり、季語ではないが、「秋に、産卵のため生まれた川に戻る前の沿岸で漁獲されるサケ。身に脂が少ないのが特徴」とある。大洗のわたくしが生まれた母の実家は魚の仕出し屋だったので伝馬船で櫓を漕いで浜を出ると船外機を回して沿岸の地魚を漁獲(いさど)ることもあるが、「川に戻る前の沿岸で漁獲されるサケ」は密漁扱いになるので獲るのは御法度だった。
那珂川から以北ではどうなのだろう。札幌で季節はずれの若い鮭を「時知らず」(秋の漁獲期に外れていることから、春から夏にかけて、北海道沿岸で獲れる若いサケ。脂がのっていて美味とされる。時鮭)を馳走になったことがあるが、脂がのるから旨いとは限らない味だった。こちとら那珂川の生鮭で育ってるからねえ。
しかし、きっこさんの句は秋味でも初鮭でもなく秋鮭だから「川に戻る前の沿岸で漁獲されるサケ。身に脂が少ないのが特徴」と値段は安そうだが「選ぶ」にはうらぶれたような味で「母さん」が喜ぶ味ではないような・・・。ここは新鮮な、
秋味の切身を選び籠に入れ
の方が皮をパリッと焼いてレモンをちょっぴり垂らし大根卸しとお醤油でいただくと母さんの笑顔が浮かぶと思いますが・・・。
せっかく褒められて餌をもらったのに猫キックかましてどうすんじゃい。
写真は那珂川で吊った鱸(すずき)。
皆さん、こんばんは。
>普段着のなかの贅沢La France 猫髭
いいですねえ。心がホクホクします♪
「普段着」の句と言えは、あたしも大好きな細見綾子の句、
ふだん着でふだんの心桃の花 細見綾子
が、ことに有名ですが、「普段着」と言うと「心」が着いて回るようで、
普段着の心大切利休の忌 阿波野青畝
普段着のこころに松も過ぎてけり 石塚友二
など「普段着」と「心」がセットになっている句が散見されます。
しかし、あたしの感覚では、「心」まで言ってしまうと、すでにそれは「普段着」ではないのです。
猫髭さんのように、サラッと「普段着のなかの」と流すことによって、本来の「普段着の心」が見えて来るような気がします。
きっこさん、ハジメ2018さん、皆さんおはようございます。
猫髭さんの心を繋ぐしりとり俳句に共感です。句を詠むときはいつもそうありたいです(^^)。
これはきっこさんの俳句の言葉でしりとりした俳句ではなく「普段の生活ではアレコレと節約ばかりしていますが、線香花火だけは高価な本物を買い続けているのです。」という心をつないだ俳句。言葉ではなく心をしりとりする俳句があってもいいだろう。
皆さん、こんばんは。
あたしの母さんは、線香花火が大好きです。
もちろんあたしも大好きなので、毎年、線香花火だけは東京の下町の職人さんが作った本物を買いに行きます。
職人さんの作った本物の線香花火は、一束ずつ薄い桐の箱に入っていて、とても高いですが、湿度によって線香花火が美しく燃えなくなってしまうため、湿度を吸引する桐の箱に入れてあるのです。
ちまたで売られている中国産の線香花火は、最初のパチパチという火花が派手で、その後、一気に火の玉がボトッと落ちてしまい、情緒も風情もありません。
でも、少々お値段は張っても、本物の職人さんが1つずつ愛情を込めて作ってくださった線香花火は、小さな火から徐々に佳境へと向かい、その後に「枯ゆく花」を思わせる「もの悲しい火花」が途切れ途切れに散り、それでも火の玉は最後の最後まで命を残してくれるのです。
まるで上質の短編映画を観たかのような起承転結、これが本物の線香花火の味わいなのです。
母さんもあたしも、この「本物の線香花火が見せてくれる短編映画」が大好きなので、普段の生活ではアレコレと節約ばかりしていますが、線香花火だけは高価な本物を買い続けているのです。