第31課 依頼の表現
<名詞の場合>
相手に何かを求めるとき「~(を)ください」
#キーフレーズ
「そこにある野菜をください」
コギ インヌン チェ’ソ チュセヨ
거기 있는 채소 주세요.
@거기=そこに、 있는=ある、 채소=野菜
#公式:「~(を)ください」=「名刺 + 주세요」
助詞 를/을を付けてもいいが、会話では省略することが多い。
「お茶をください」=차를 주세요.
「この本をください」=이 책을 주세요.
@果物:リンゴ=사과 、みかん=귤 、バナナ=바나나
「何をさしあげましょうか?」= 뭘 드릴까요?
「みかんをください」= 귤을 주세요.
「何個さしあげましょうか?」
ミョッケ ドゥリrッカヨ?
몇개 드릴싸요?
「3個ください」= 세개 주새료.
「りんごとバナナはどうですか?」= 사과 하고 바나나는 어때요?
「そうですねえ…全部ください」= 글쎄요...다 주세요.
<動詞の場合>「~してください」
#キーフレーズ
「ステキなレストランに連れて行ってください」
モシンヌン レストゥ’ランウロ テリョガ チュセヨ
멋있는 레스트랑으로 데려가 주세요.
@멋있는=すてきな、 레스트랑으로=レストランに
#公式:「~してください」
・動詞の語幹 + 아/어 주세요(陰陽母音型)
・하다が付く動詞の場合は、데하+여 주세요 →縮約 「해 주세요」
@連れて行く=데려가다
連れて行ってください=데려가 +아 주세요 →縮約 데려가 주세요
@紹介する=소개하다
紹介してください=소개하 여 주세요 →縮約 소개해 주세요.
@探す=잦다 チャッタ
探してください=잦아 주세요. チャジャ ジュセヨ
@愛する=사랑하다
愛してください=사랑해 주세요. サランヘ ジュセヨ
<ワンポイント>
#キーフレーズ
「今日は僕たちの100日記念日じゃないですか」
オヌリ ウリ ペギル キニョミリジャナヨ
오늘이 우리 백일 기념일이잖아요.
#人生の記念日
百日(誕生100日目)=백일
100日目のお祝い=백잏 잔치
初誕生日=돌
初誕生日のお祝い=돌 잔치
誕生日=생일
結婚記念日=결혼 기념일
還暦=환갑 ホァンガム
<エクササイズ>
1,水ください。
ムr チュセヨ
물 주세요.
2,値段をまけてください。
カpスr ッカッカ ジュセヨ
값을 깎아 주세요.
3,ソウルを案内してください。
ソウルr アンネヘ ジュセヨ
서울을 안내해 주세요.
<ひとこと>
「どうなさったんですか?」(相手に理由を聞く)
ウェ グロセヨ?
왜 그러세요?
※親しい間柄や年下の人には「どうした?」=왜 그래? ウェグレ?
<発音> ㄴの添加と鼻音化
・한극 요리= [한긍뇨리] 韓国料理
극のㄱが鼻音化してㅇに、ㄴが添加して요が뇨 になる。
・前の単語のパッチムがㄱ、ㄷ、ㅂ、で、次の単語の最初の文字が이、야、여、요、유のとき、パッチムはㄱ→ㅇ、ㄷ→ㄴ、ㅂ→ㅁと発音され、次の文字のㅇにㄴが添加されて、
이→니、야→냐→、여→녀、요→뇨、유→뉴に変化する。
@16=십육 [심뉵] シmニュk
<フィナーレ>
「さあ、撮りますよ」
자,찍어요.
「よく撮ってください」
チャr ッチゴ ジュセヨ
잘 찍어 주세요.
「1,2,3,キムチ!」
하나 들 셋 김치!
「カメラください」
카메라 주세요.
「きれいに撮ってください」
イェップゲ ッチゴ ジュセヨ
예쁘게 찍어 주세요.
「任せてください」
マッキョ ジュセヨ
맠겨 주세요.
老子第3章
賢を尚(たっと)ばざれば、民をして争わざらしめ、得難(えがた)きの貨を貴(たっと)ばざれば、民をして盗(とう)をなさざらしめ、。欲すべきを見(しめ)さざれば、民の心をして乱(みだ)れざらしむ。ここをもって聖人の治は、その心を虚(むな)しくし、その腹を実(み)たし、その志を弱くし、その骨を強くし、常に民をして無知無欲ならしめ、夫(か)の知者をして敢(あ)えてなさざらしむ。無為をなせば、則(すなわ)ち治(おさ)まらざる無し。
為政者が知者賢人を(必要以上に)尊ばなければ、人民を争わないようにすることができ、珍しい財宝を価値ありとしなければ、人民に盗みをしないようにさせることができ、欲しがるものを見せなければ、人民の心を乱れないようにさせることができる。だから無為自然の道の体得者・聖人が、支配者として政治を行う場合には、人民の心に何の欲念もないようにして、十分に腹力をつけさせるようにさせ、外に向かう心の動きを弱くして、体の骨をしっかりとさせるのである。いつも人民をムチ無欲の素朴で健康な状態に置き、あの知者賢人と呼ばれるさかしら病患者につけ込む隙を与えないようにする。このようにして無為自然の政治を行っていくならば、平和に治まらぬ国とてはないのである。
※浩→この章は、老子の欲望論や文系批判の立場を最も基本的に示している点で注目され、また人間にとっての本当の降伏とは何か、人間の本来的なあり方と言われる文明や文化との関係は如何という問題についても、鋭い思考を言外に含んでいるとされています。
ここに説かれている聖人の無為自然の政治が、都市の華やかな文明文化と人間の知的能力の偏重、その軽薄な享楽主義と不健康な官能の耽溺を批判しつつ、都会的な奢侈と享楽の風潮に汚染されない、素朴で健康な農村の生活を基盤として構想されたものであることがわかります。都市の知者賢人はみずから生産せず他人の生産に寄食し、彼らの足はしっかりと大地を踏みしめていない。彼らは口を開けば「心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治められる」とうそぶきます。彼らはおのれの独善を尺度として人間の価値づけをし、おのれを頂上に据えた社会の秩序づけを構想します。彼らの自画自賛する賢知は人間の欲望の肥大化を促し、欲望の肥大化はまた人間の知力を凶悪化させます。そして知力が欲望を肥大化し、欲望が知力を凶悪化させる悪循環の中で人間の心は日に日に険悪化し、人間の社会はいよいよ対立と闘争を激化していきます。彼らは文明文化の美名と虚栄心とに自己陶酔して、それが人間をもはや人間でなくさせる危険性、人間の社会を虐げと搾取で血まみれにする凶悪性を内包することに気づかない。大切なのは、人間の安らかな生活であり、必ずしも文明文化の発達ではなかったのです。
老子は人間の欲望を際限なきままに放置することは、人間に真の幸福をもたらさないばかりか、かえって人間を惨めにし、人間の社会に混乱と無秩序と破滅をもたらすと考えます。ですから、人間が本当に幸福な生き方を持ち、平和な社会を実現するためには、欲望はまったく棄てられるか、もしくはそれに近い状態に保たれることが望ましいです。無欲であるか寡欲であることが人間を幸福にし社会の 平和を実現する根本の原理であると考えます。しかし、人間は生まれてきた限り生きていかなければなりません。生まれてきたことが自然であるならば、死ぬこともまた自然であるように、死の訪れるまで生きていくこともまた自然です。欲望を無限に放置することは危険ですが、それを完全になくすることもまた不可能です。無欲は理想ですが、実際には寡欲を──できるだけ無欲に近い寡欲を説くものだと見なさないといけません。彼が説く「足るを知る」というのは、何ほど火の欲望充足を認めることで、欲望の全面的否定ではありません。老子においては生そのものを否定する厭世思想はなくて、むしろ生を全うすることこそ彼の哲学の基本です。生を全うするために無意志自演の道に従うのであり、無為自然の道に従うために無欲や寡欲、もしくは知足が説かれるのです。
野田先生は次のように説かれました。↓
アドラー心理学では、心の要素は、一見矛盾し対立しているように見えても、実は分業し協力して同じ目標を追求していると考えます。人間の欲にはボディとマインドとハートがあるとします。ボディもマインドも心の要素ですから、一見矛盾し対立しているように見えても、実は分業し協力して同じ目標を追求しているはずです。
その目標とは何かというと、ボディの側から見ると簡単なのですが、生存(=自己保存+種族保存)と所属です。マインドはこの目標の実現に向かいながら、かつ社会と折り合いを付けるために、さまざまの工夫をしています。
こう考えると、ボディはフロイトが言う「イド」であり、マインドは「エゴ」であり、目標追求とはリビドー・エネルギーのことであることがわかります。
ボディには個性がありません。どの人のボディも、本能的に生存と所属を追求しているだけです。マインドは、ひとりひとり違っています。その違いをライフスタイルと言います。
ボディは動物的なものですから、悩むことはしません。欲求不満は持つでしょうが、それは「今ここで」のことであるにすぎず、くよくよ悩む材料にはならないのです。
悩みはすべてマインドが作り出すトリックです。マインドは、自分をごまかし他人をごまかすために悩みを作り出します。悩みによって、ボディの目標追求と社会の要求との折り合いを付けようとするのです。その悩み方がひどくなって、現実には目標追求できていないのに、幻想的にできているような気になっている状態を「自己欺瞞」と言い、「神経症」と言い、「マインド・トリップ」と言います。
例えば、「みんなの仲間でいたい」というのはボディの仕事です。しかし、「仲間がいなくなる」「友だちが離れる」ということに異常なくらい恐怖心を持っているのはマインドです。そうして奇妙な神経症症状を出して、幻想の中でだけ目標追求しています。この場合でも、幻想の中においてではあるが、マインドはボディに協力しています。しかもボディは永久に欲求不満です。
マインドが悩んでいる時の解決法は2つあります。「俗」アドラー心理学では、より巧妙なマインドを作り出そうとします。「聖」アドラー心理学では、マインドを捨てて大きなものに「お任せ」するように勧めます。どちらを採ってもかまいません。でも、「より巧妙なマインド」は、より問題を深くする気がします。だから、マインドを捨てて、しかもボディだけの動物レベルに還るのではなくて、ハートの目覚めた新しいレベルに進むように、人々に勧めています。
禅宗の人が「遍界かつて蔵(かく)さず」と言います。真理は日常にいつも現れ出でている。ただ、人がそれを見ないだけだ。どうして見ないかというと、《マインド》(≒自我)でもって《ボディ》(≒感覚)の快楽を追求する工夫ばかりしているからで、《ハート》でもってものを見ないからだ。《ハート》というのは、アドラーが《共同体感覚》と言い、ベイトソンが《マインド》と言ったものだと思っている。自分と世界が作り出すシステムの中にある心だ。
《マインド》によってではなくて《ハート》によって問題を見ると、まったく違って見えてくる。そのことをいちいちの事例について示したいのだ。そうすることで、クライエントにとって良い解決ではなくて、クライエントを含むシステムにとって良い解決を見つけたい。
第27課 語気助詞の“给gei3”
<キーフレーズ>
#語気助詞「给」
「私はあなたに電話をします」
Wo3 gei3 ni3 da3 dian4hua4.
我给你打电话。
@给 =(前置詞)~に、~のために
打电话 =電話をかける
※発音:3声が4つ並ぶとき、主語のWoを独立させ3声に、あと、gei2 ni2 da3と読んでもよい。
※語気助詞「给」の文型
「主語 +给+動作の対象 +動詞フレーズ」
← 前置詞フレーズ→
※他の例─
「皆さんに注意事項をご説明します」
Wo3 gei3 da4jia1 jie4shao4 yi2xia4 zhu4yi4 shi4xiang4.
我给你大家介绍一下注意事项。
「あなたは友だちにどんなお土産を買いたいですか?」
Ni3 xiang3 gei3 peng2you mai3 shen2me li3wu4?
你想给朋友买什么礼物?
#動詞の「给」=(与える)
「領収書をお渡しします」
Gei3 nin2 fa1piao4.
(我)给您发票。
※文型:「主語+“给”+人+もの」
「領収書を(私に)ください」
Gei3 wo3 fa1piao4.
给我发票。
<練習>
「私にタクシーを1台呼んでいただけますか?」
Qing3 wo3 gei3 jiao4 yi2 liang4 chu1zu1che1, hao3 ma?
请我给叫一辆出租车,好吗?
<ショート会話>
明日は空港にお見送りに行きます。
Ming2tian1 wo3 qu4 ji1chang3 song4 ni3.
明天我去机场送你?
ありがとう。どこで合流しましょうか?
Xie4xie. Wo3men zai4 nar3 hui4he2?
谢谢。我们在哪儿汇合?
空港の待合ロビーにしましょう。
Zai4 hou4ji1ting1 hui4he2 ba.
在候机厅汇合吧。
わかりました。どうやってご連絡しましょうか?
Hao3. Wo3men zen3me lian2xi4?
好。我们怎么联系?
私からあなたにお電話します。
Wo3 gei3 ni3 da3 dian4hua4.
我给你打电话。
はい。私の電話番号をご存じですか?
Hao3. Ni3 zhi1dao wo3 de dian4hua4 hao4ma3 ma?
好。你知道我的电话号码吗?
わかります。019-283-7465ですよね。
Zhi1dao. ling2 yao2 jiu3-er4 ba1 san1-qi1 si4 liu4 wu3, dui4ba?
知道。019-283-7465,对吧?
はい。間違いありません。
Dui4. Mei2 cuor4.
对。没错儿。
<発音> nとng
・n : 舌先が上の前歯の裏あたりにつく
・ng : 舌の根っこが上がって舌先はどこにもつかない
@dan1xin1 担心 心配する
@dang1xin1 当心 用心する
@ren2 shen1 人参 高麗人参
@ren2 sheng1 人生 人生
@pin2 fan2频繁 頻繁である
@ping2fan2 平凡 平凡である
Ren2 shi4 tie3, fan4 shi4 gang1, yi2 dun4 bu4 chi1 e4dehuang4.
人是铁,饭是刚,一顿不吃饿得慌。
人は鉄であり、飯は鋼である。一食抜くとひもじくてたまらない。
(腹が減っては戦はできぬ)
老子第2章
天下みな美の美たるを知るも、これ悪のみ。みな善の善たるを知るも、これ不善のみ。故に有無相生じ、難易相成し、長短相形(あらわ)れ、高下相傾き、音声相和し、前後相随(したが)う。ここを以って聖人は、無為の事に処(お)り、不言の教えを行なう。万物作(おこ)りて辞せず、生じて有せず、為して恃(たの)まず、功成りて而も居(お)らず。夫(そ)れ唯(た)だ居らず、ここを以って去らず。
世の人は皆美の美たるを知って美のみに執着するが、その美はすなわち醜に他ならぬ。皆善の善たるを知って善のみに執着するが、その善はすなわち不善に他ならぬ。かくて有ると無いは互いに生じ合うセットの概念であり、難しいは易しいを前提として成立し、長いは短いがあるから、それぞれに形を持ち、高いと下(ひく)いは互いにとって代わりうる相対的な概念であり、楽器の音と人の肉声とは相互に調和し合い、前には後ろが、後ろには前がつきまとうのである。だから道の体得者である聖人は、一面的な価値観にとらわれない無為のいとなみに身を任せ、言語概念の相互性を超える不言の教えを行っていく。一切万物がおのれの造化の働きによって生起しても黙々として一言も語らず、万物が生成しても、それをわがものにしようとはせず、生成化育の偉大ないとなみを行いながら手柄顔もせず、大功が成就しても栄位に居座らない。そして、成功者の栄位に居座ろうとしないからこそ、その地位から去ることもなく永遠に偉大な存在でありうるのだ。
※浩→ここでは、形而下的な世界における一切の存在と価値の相対性を論じ、形而上的な根源の真理すなわち「道とすべからざるの道」を体得した聖人が、無為不言─一切の人間的な秩序づけと価値づけを否定的に超える「道」の絶対の立場に立つこと、また、その立場に立つことによって、人間的ないとなみの限界性を克服する、覆りや崩のない「道」のあり方が実現されることを明らかにします。
ここで老子は、人間の定立するさまざまな価値概念や存在規定が要するに相対的なものであって絶対的なものではないこと、にもかかわらず、それを絶対的なものであるかのごとく錯覚して万物を勝手に差別し秩序づけ、あるがままの世界を歪曲しておのれを縛り他を釘付けにする人間の愚かさと危うさを警告しています。
老子にとってあるがままということ、すなわち自然とは、一切の人為的なもの、無くもがなのものをすべて抹殺しさり、人間が棄てうる限りの余剰物をことごとく棄て尽くして、なお最後に棄て得ざるものとして残る究極的な事実でした。
ここにはじめて「無為」という言葉が登場します。無為とは言うまでもなく「為」を否定する言葉ですが、それは、しばしば誤解されるように、何もしないで手をこまねいていること、もしくは、じっと寝そべる怠惰を言うのではありません。老子の無為とは、人間の勝手な計らい、ひとりよがりな「さかしら」は何もしないということです。おのれの思い上がりを捨てて天地自然の理法にそのまま従っていくということです。天地自然の世界では万物がいろいろな形をもって生まれてきて、さまざまな姿に成長変化しつつ、それぞれに充実した生命の展開を見せている。河畔の柳は緑に芽吹き、山中の椿は紅く花咲き、鳥は空高く翔り、魚は水深く飛び跳ねる。そこには何の作為的な意志や価値意識もなく、くどくどしい言い訳や理屈づけもない。すべてはおのずからにしてそうなのです。わざとらしいことは何一つ為されていないのです。しかも人間の力では到底及びもつかない偉大な仕事をやってのけているのが天地自然の世界です。この無為をふまえて人間の本来的なあり方─真の「為」を考え、人間の本来的でない為─偽を否定します。真の「為」を為すために人間的な「偽」を否定するのであり、その無為は正確言えば「無為の為」なのです。
野田先生はよく「花は哀惜に散り、草は嫌悪に生う」とおっしゃっていました。「何をくよくよ川端柳……」という歌もありました。「ケセラセラ…なるようになる」というのもありました。人間の営みなんて小さいです。アドラー心理学も「価値想定主義」の立場ですから、老子のこの章はとても理解しやすいです。NHKの大河ドラマ「篤姫」の再放送(本放送は2008年)を観ていますが、彼女の母君(お幸さん)は薩摩おごじょの模範でしょうか。島津家の分家の姫であった於一(おかつ)が島津本家の養女となり、徳川将軍家の正室となりますが、母は「一方を聞いて沙汰するな。双方の言い分をしっかり聞いて、十分思案して、思案に詰まったときは考えるのをやめて、感じるがままに動きなさい」と諭しました。
実践英語14
映画「ハムレットHamlet」(1948)
#スキットから
Nymph, in thy orisons Be all my sins remembered.
妖精よ(オフィーリアへの呼びかけ)、君の祈りに私のありとあらゆる罪の許しを含めておくれ。
Good my lord, how does your honor for this many a day?
殿下お久しうございますがご機嫌いかがでございましょうか?
@ my lord = 王子への呼びかけ
@ your honor = 王子の二人称主語の形
@ for this many a day = 長い間会っていませんが、このところ…
I humbly thank you. Well, well, well.
どうもありがとう。上々だよ、上々、上々。
My lord, I have remembrances of yours that I have longed long to redeliver.
殿下、あなたからいただいた生き形見、長い間お返ししようと思っておりました。
@ remembrance = 何か思い出させる贈り物(生き形見)
@ long to ~ = ~したいと願う
@ redeliver = 返還する
I pray you now receive them.
どうぞお受け取りくださいな。
No, not I.
I never gave you aught.
いや、違う。君に何かあげた覚えはない。
@ aught = 否定をともなうとnothingと同じ意味
My Honor’d lord, you know right well you did.
まあ殿下、そのことはよくご存じのはず。
(You gave me)And with them words of so sweet breath composed / As made the things more rich.
ひどく優しき言葉の数々を添えてくださり、なおのこと貴重なものとなりました。
@ words of so sweet breath composed = words composed of so sweet breath
(それほど甘い吐息によって作られていた言葉)
@ so ~ as …の構文
(あらゆるものを豊かにするほどそれほど甘美な…)
@「/」は韻文の場合にそこで行が切れていることを表す。
Their perfume lost,
Take these again ;
その香りが消えた今、お返しいたします。
@ 正確には、Their perfume being lost(分詞構文), …
For to the noble mind, Rich gifts wax poor when givers prove unkind.
高貴な心には送り主の心が冷めれば贅沢な贈り物もただの代物です。
There, my lord.
さあ殿下。
Are you honest?
君は貞節か?
My lord?
殿下?
I did love you once.
君のことを愛していた、以前は。
Indeed, my lord, you made me believe so.
おっしゃるとおり、殿下、そう信じておりました。
直訳すると、「あなたは私にそうであると信じさせた」(使役構文)
※使役表現
・強制的
make + 人(もの)+動詞(=原形不定詞)
get + 人(もの)+to動詞(=不定詞)
force +人(もの)+to動詞(=不定詞)
・したいからさせる
Let +人(もの)+動詞(=原形不定詞)
・中立的
have + 人(もの)+動詞(=原形不定詞)
You should not have believed me.
私を信じるべきではなかった。
@ should not have ~ = 本来すべきではなかったのにしてしまった
Get thee to a nunnery.
尼僧院へ行くがいい。
@ nunnery = 尼僧院の他「売春宿」の意味もある
Why, wouldst thou be a breeder of sinners?
なあ、君が罪人を産んでどうするんだ?
I am myself indifferent honest,
私自身はそれなりにまっとうな人間です。
But yet I could accuse me of such things that it were better my mother had not borne me.
だがそれでも犯した罪の数々をみずから責め、母親が自分を産まなきゃよかったと思うんだ。
I am very proud, revengeful, ambitious, with more offences at my beck than I have thoughts to put them in, imagination to give them shape, or time to act them in.
自分は傲慢だし、復讐心にはやり、野心に燃えていて、まだこれから先に罪を重ねてしまいかねない人間だ。いくら知恵を絞っても思いつかないほど想像力を働かせても実現できないほど、いくら時間があっても犯すことのできないほどの罪を抱え込んでいるんだ。
What should such fellows as I do crawling between heaven and earth?
私のような輩が天と地の間を這い回ったところで何ができると言うのだ。
We are arrant knaves all, believe none of us.
私たちはみんな大悪党だ。誰も信じることなどできやしない。
@ arrant = 悪名高い
@ knave = 悪漢
Go thy ways to a nunnery. …Where's your father?
だから尼僧院へ行くがいい。…今父君はどこだ?
#English for Action
You should not believed me.
I shouldn't have attended the party.
パーティーに出席すべきではなかった。(招待を断ればよかった)
I regret I didn't go and see the movie.
映画を見に行かなかったことを後悔している。
I regret I ate the dishes served for dinner.
ディナーで出された食事をすべて食べてしまったことを後悔している。
I wish I'd seen the movie.
映画を見に行っていたらよかったのに。
I wish I hadn't eaten all the dishes served at dinner.
全部食べなかったらよかったのに。
#キメ台詞
Get thee to a nunnery.
(オフィーリアを遠ざけたいのと、ハムレット自身の厭世的な人生観もうかがえる。また彼女までも自分を裏切るのかという絶望感もにじみ出ている。)
#練習問題
1,彼は休暇を取りたいと思っていた。
He longed to take a holiday.
2,彼女の言葉によって、私は実情を認識することになった。
Her words made me realize the reality of the situation.
3,彼らの話を真に受けるべきではなかった。
We shouldn't have taken their story seriously.
#A Mission Possible
見込みある部下が失敗した。あえて苦言を呈する。自分は狭量でも理不尽に怒っているわけでもない。本人の将来を考えて言っている。
予想もしない失敗をしたことに…
I don't understand why you committed such an error.
I was wondering why you made such a big mistake.
どうしてそんな失敗をしたのかわからない。
I must say you could have done better.
I thought you would do much better.
もっといい仕事ができると思っていたのに。
狭量でも理不尽に怒っているわけでもない…
I trust he won't take my criticism badly.
私の苦言を悪く取らないでくれ。
I hope you won't think me narrow-minded or unreasonable.
私を狭量であるとか理不尽であるとか思わないでくれ。
本人の将来を考えていっている…
You have a bright future.
君には明るい将来がある。
I don't think you should let errors like this ruin it.
こんな間違いを犯してそれをつぶしてはいけないと思う。
#Quote
The time is out of joint.
時のたががはずれてしまった。