Q
精神病質の人たちは物事にこだわらないタイプの人だと本で読みました。すると禅のお坊さんたちもこだわりを捨てる悟りを開く修行をしていますが、お坊さんたちは精神病質の人たちの行動とは違うのでしょうか?
A
こんなん私に聞いてもわからん。精神病質という言葉は、今は使わなくなったんです。精神医学の考え方が変わって。精神病質というのは精神科医が使う差別用語だったので、「あの人はイヤな患者だ」とか「あれは絶対治らんぞ」というのを精神病質という名前で呼んでいたから、使わなくなったので、かつてどんな意味で使っていたかよくわからないんです。精神病というのは病気で、治療したら治るけど、精神病質は性格で治らないんだというくらいのニュアンスで使っていたんですが、今は使わないからあんまり意味ないし、悪い意味でこだわりを持たない人で(自分が)、変なことにこだわるから、世間の人がこだわっていることにこだわらない人だと思うんです。僕、禅のお坊さんは嫌いなんです。個人的に何人か禅坊主を知っているけど、あんなになるんだったら悟りなんか開きたくないと思うような人だから、ちょっとコメントしがたいんです。ごめんね。コメントなし。
Q
現在、会社のある部門の責任者をしています。部下は10人です。この部門は会社内では軽く見られています。何かあるとこの部門のせいです。(はー、ショムニだな)。仕事がうまくいかないと攻撃の的にされています。このことに部下はやる気をなくし、余計に悪循環に陥っています。私は何とか部下を引っぱっていき勇気づけたいのです。良きアドバイスをお願いします。
A
抽象的でよくわかんないけど、何か軽く見られる要因があるんでしょうか。あんまり的確な判断ができない、イメージが読めなくて。僕はD形だからよくわからない。重く見られようという気がないんです、本人に。人からどう評価されるかというのは、大して別にどういうこともなくて、そんなんより自分に納得のいく仕事ができたらいいと思っているので、具合が悪い。社会不適応を起こす原因なんです。勲三等なんか目ざして頑張るとね、もうちょっと世の中の受けが良くなるとかも、全然いらないし、大阪文化賞もいらんし、何もいらんから、外からの評価が欲しくないので、てなこと言ってたら変人ですね。ですからこの質問者の意図と違って、軽く見られたらかえって楽じゃないか。重視されて頼りにされたらしんどいじゃないか。楽だから自分たちの納得のいく仕事がやりやすいなんて考えますが、ごめんなさい。あまり答えにならなくて。
Q
夫さんはCタイプだと思いますが、私が外出するのをとてもイヤがります。一緒に行こうと誘ってもイヤなようです。どうしたらいいでしょうか?外出するために。
A
もう感謝し感激し「あなたのおかげでこうやって外へ出してもらって、あなたと結婚してほんとに良かった」と言う。彼がボスで、「私が幸せなのはボスのおかげ」って言われたいんですよ、きっと。「あなたのおかげで今日までやってこられてほんとにありがとうね。こうやって外へ出してくれて」って忘れず言ってください、今日帰ったら。
Q
親の責任について教えてください。
A
責任というのは「仕事」という意味なんですよ。「親の仕事について教えてください」と聞いているんです。親の仕事はごく簡単。子どもの食事を作ったり、身の回りの世話をしたり、子どもの相談に乗ったりすること。責任という言葉も尊敬と一緒で、日本語では変な意味で使われますから、いつも出てきたら「仕事」と言い直したほうがわかりやすいと思う。親の仕事ってどんなものか知りたかったらまあ「PASSAGE」に出てください。そんなにたくさんの仕事はない。どうしてかというと、子どもは基本的には育つ力を持っているわけです。人間の子どもは大きな脳みそをしていましてね、僕の友だちで障害児治療をやっている先生が言っていたんですけど、昔、心理学の実験室にいて、ネズミの条件づけ、ネズミに学習させる実験をしていました。なかなか賢くていろんなことをするようになるんです。ある日、障害児の施設を見に行きました。そしたら無茶苦茶なんで、「おかしいなあ。障害児でもネズミよりも脳はでかいぞ」と、「ネズミが学ぶのにあの子らが学ばないはずはない」と、次の日から障害児教育に転向しました。実験心理をやめて。そして彼のところへは重度障害の人がいっぱい行くけど、「ネズミでも学ぶんだから」という彼の信念が良い成績を上げてくれています。子どもは育つ力があるんだと最初に思っておかないと、私が引っぱってあげないと動かないと思うと、何か重苦しいじゃない、親としては。育つ力があるのを、ちょっと方向を変えてあげないと、ちょうど羊の群れをシェパードさんがあっちへ向けたりこっちへ向けたりするように、少し方向修正はしてあげないといけないだろうと。それが親の仕事だと思うんです。だからまず子どもに自由にいろんなことをしてもらってて、それをこちらから見てて「これは将来自立するほうにつながるな」と思うことには言葉をかけ、「つながらないな」と思うことにはそーっとしておくと、向こうに気づかれないままにこちらの思う方向に操作していけるではありませんか。ひどいことを言ってるなー。初め手がかかるけどね、人間の子どもはね。ゼロ歳から2歳くらいまでの生活能力が極めて低いから手がかかりますが、お母さんたちはあの乗りでずっと中学生・高校生まで行こうとするから、子どもに背かれるんですよ。最初だけなんです、あんなに手がかかるのは。3歳を越えるとだんだん手がかからなくなって、小学校に入ると相当手がかからなくなって、何だったら中学に入ったら放し飼いにしてもいいんだけど、そうもいかないから、一応高校へ入ったら放し飼いの線で行くほうがいいんじゃないかな。
Q
担任しているクラス、小学校5年生にいる気になる子2人についてお願いします。発達の遅れのある男の子、学習の理解がかなり難しい。算数だけ別の先生に見てもらっている。小学校入学直前に癲癇発作を起こして以来、薬を飲んでいるので発作はない。授業中にその子はよく寝ます。(ああ、そうでしょうね)。勉強がわからなくなると寝るそうで、休み時間は元気に遊んでします。薬のせいなのだと思うのですが、起こしたほうがよいのでしょうか?親は起こしてほしいと言われます。でも起こしてもどうしても起きない状況です。起きているときは感情が高ぶって妙にハイな状況です。繰り返し何度も同じ歌を歌う。椅子の上に乗って喜ぶ。友だち関係もクラスの中で浮いてしまっています。身の回りもグジャグジャ。料理するのが遅いので気になり、私自身いけないとは思いながら、イライラしたり怒ったりしてしまいます。私はこの子をどう理解しどう接していけばよいのでしょうか?とりあえずその子とできるだけ話をするように心がけています。
もう1人は、冷たい水が嫌いなので水泳の嫌いな男の子です。今までの様子は、プールサイドにしがみついてほとんど水泳に参加できなかったらしい。母親の話では年々少しずつ進歩してきていると言われるが、また学校に行きたくないという理由でときどき休むので、水泳の時期はこれも心配です。水泳の授業のときこの子をどうしたらいいのでしょうか?何か良いアドバイスをください。お母さんとても心配しています。
A
癲癇の子は気の毒だけど、一生癲癇を持って暮らすわけだ、これから。一生薬を飲んでお医者さんとの縁が切れずに暮らし、ある種の職業には就けないし、車の運転なんかもひょっとしたら危ないかもしれないし、いろいろ制限があるわけですよ。それから性格的な障害もあるみたいだから、まあ障害者手帳を持って障害者として暮らすことになるんでしょう。障害者を教育するときの目標って何なのかというと、例えば算数ができてもあまりしょうがないわけです。一番大事なことは、まわりの人たちから愛される性格に育ってほしい。人に助けてもらって暮らさなきゃいけないから、嫌われちゃうと凄い暮らしにくくなるから、担任の先生もそこをはっきっり意識したほうがいいじゃないでしょうか。学校でその子に教えるのは、どうやったら友だちに好かれてみんなに助けてもらえる人になるかどうか、そっちの方向で少し考えたらどうかな?
水泳も強制すると余計イヤになるから、いっぺんこのことについて子どもとゆっくり話し合ってみたほうがいいと思う。こっちが絶対何が何でも水泳させようというんじゃなくて、どのへんまでだったら参加できるのか、何だったらやりたいのか、そのへんをちょっと柔軟な姿勢で話ができるといいと思うんですけど、どうですか?