夏のミニ句会を開催します。下記の開催要領に従い奮って投句して下さします
2025夏のミニ句会・開催要領
1・投句期間 5月10日(土)~5月20日(火) 兼題句1句を含め当季雑詠4句
2・兼題 麦の秋 または「海」を詠みこんで
3・清記&選句 5月11日(水)~5月30日(金) 選句要領は後報
4・結果発表 5月31日(土)
野の風さんの投句を非表示にしました。実は、野の風さんの投句は非表示にしたのですが、独立したコメントではなく、主コメントを非表示にした際に一緒に非表示のコメントも消えてしまいました。
野の風です。
新之助さん、投句受け付けました。
記録しましたので、アイビーさん非表示お願いします。
新之助さんの投句を非表示にしました。
野の風です。
泉谷さん、アイビーさん、投句受け付け記録しました。。
アイビーさん非表示お願いします。
泉也さん、アイビーの投句を非表示にしました。
アイビ-さん、特選おめでとうございます。
ところで、地貌季語について小生の愚見を申し述べます。
アイビ-さんが言われるように歳時記に掲載されている季語は東京や京都が中心になっている点はその通りだと思います。それは、総ての情報が嘗ての首都であった京都、そして現在の首都である東京に一度集中し、フイルタ-を通過した上で全国に発信されると言う情報の一極集中に起因するところがあるのでないかと思います。
ただ、アイビ-さんの言われるように東海地方にお住まいの方々にとっては、伊勢湾台風は忘れることの出来ない災難であることは十分に理解いたしますが、季語として定着させるかどうかについては些か問題があるのではないかと思量いたします。
例えば、現在、歳時記に載っている「震災忌」は、ご承知のように大正12年9月1日に発生した京浜地区の大地震に依拠するものですが、その後、我が国では各地で大きな震災を経験してきていて、例えば、阪神地域の人間には1月17日の阪神淡路大地震のことが、また、東北地方の方々は3月11日の東日本大震災のことが忘れることの出来ない震災忌です。
したがって、災害の記念日を季語に取り上げることについては大変難しい問題があると思います。
一方で、地域に根ざした伝統文化などで季語として取り上げても良いものがまだまだあるのではないかと思います。
私の住む大阪泉州地域では、9月頃に各地域で「地車=だんじり祭」が行われ、とりわけ岸和田の「だんじり祭」がその勇壮さが評判になり、テレビで大きく報道されるようになりました。「地車」は角川の合本歳時記にはありませんが、ホトトギスの歳時記には「祭」の子季語として地車(だんじり)が載っています。また、野田ゆたか氏の「清月俳句歳時記」には「岸和田まつり」が主季語として、「だんじり祭」を子季語として取り上げています。
このように結社によって季語の扱いに相違があり、私見としては、全国版の歳時記に加えてロ-カル版の歳時記があっても良いのではないかと思います。そしてその季語を採り入れた名句が数多く生まれていくことによつてそれがやがて全国版の歳時記にも取り上げられていくことになるのでと思います。
小生の独断と偏見です。皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
てつをさんの地貌季語に関する考察を拝読しました。卓見です。伊勢湾台風自体は65年前のことで、現在のこととしてを詠むのは無理があります。そこで「伊勢湾台風忌」として忌日俳句にしたのですが、いずれにしても先行句がありません。あれほどの大災害でありながら歳時記には掲載されず地貌季語に留まっていたのも、ここらあたりに原因がありそうです。
伊勢湾台風忌という季語を使って [碑の泥を拭ひ伊勢湾台風忌] なる句をつくり中部地方のブロック紙・中日新聞の中日俳壇に投稿したところ、一席特選に入りました。実は伊勢湾台風忌なる季語は、私の調べた範囲では歳時記に載っていません。歳時記に載っていないような季語の俳句を出す方が非常識と、非難されることも承知の上で投稿したのですが、選者の高田正子先生の見識に救われ、望外の栄に浴することが出来ました。しかし、従来、歳時記に掲載の季語は東京中心、あるいは京都中心の畿内の季節感を主体に編集され、私どもの中部圏、あるいは地方の実情が顧慮されていないじゃないかと、私は常々思っていました。勿論、有名な地方の祭り、例えば阿波踊り、佞武多、風の盆などは歳時記にも掲載されています。そこで、皆さんの地元には、いわゆる地貌季語にはどのようなものがあるのでしょうか。勉強のためにお尋ねします。
リプライ有難うございます。私の住んでいる愛知県は伊勢湾台風の進路の東に当たりますが、おりしも満潮と高潮の重なる時刻で、死者5000人を超える大災害となりました。私は当時中学1年で、昭和34年9月26日のことでした。ちょうど土曜日で、あくる日が日曜、学校の休みの日でした。月曜朝になって登校するのですが授業どころではありません。同級生でも2人の犠牲者が出ました。そんなこともあり、忘れることのできない災害でした。
アイビーさん
泉也です
「伊勢湾台風忌」の季語で特選、おめでとうございます。歳時記に載っていない季語でも、季語の意味が分かれば俳句となる。を知り大変勉強になりました。ありがとうございます。
伊勢湾台風、私にとっても忘れられない事がありました。当時私26才独身、大阪の鋳物会社に勤務。当日工場台風襲来で急遽操業中止、帰宅命令、トラックで最寄りの駅まで送ってもらう。トラックの荷台に20人ほど、トラックが走っている時、私何気なく中腰になる、そのとき台風で垂れさがつていた電線にひっかかり横転。幸い怪我も無くでしたが。伊勢湾台風と出るとこれを思い出します。生来のオッチョコです。
又その日独身寮にかえりラジオで台風情報聞き乍ら麻雀パイを握っていました。御免俳句と関係ないことをくとくどと。
野の風です。
2024年「冬のミニ句会」の要項を発表します。
1.句会名 2024年「冬のミニ句会」
2.投句 :当季雑詠3句 兼題句1句(兼題名 小春) 計4句
3.スケジュール
(1)投句:11月10日(日)~11月20日(水)
(2)清記:11月22日(金)
(3)選句:清記発表から12月2日(月)
(4)結果:12月4日(水)
皆さまの投句、選句が早くなれば期日を短縮することもあります。
4.投句及び選句について
(1) 投句数 : 当季雑詠3句 兼題句1句(兼題 小春) 計4句
(2) 投句方法:「句会投句」とし、投句者の名前を付し掲示板に送信
(3) 清記方法:投句者名は表示せず、通し番号を付して発表
(4) 選句方法
各投句者毎の区切りの中からブロックごとに2句づつ、全体から2句、計10句を選句(特によいと思う句に◎をつける)
5.結果発表
高得点者、高得点句、各句の得点と選者
野の風です。
アイビーさん返事が遅れて済みませんでした。11月暦の上では冬に入りました。
冬のミニ句会、冬の句会の幹事に立候補します。よろしくお願いします。
野の風の感想です。
湯煙りと霧の融け合ふ峡の宿(泉也)
昔、奥様と一緒に訪れた信州の温泉を思い出して作った句とか、「湯煙と霧が融け合ふ」風景がとても新鮮に感じられます。
八十路とて負けぬ気でゐる鱗雲(新之助)
空一面に広がる鱗雲を見上げてまだまだ元気を奮い立たせる新之助さん、すばらしい事です。私も八十路に入りました。
不条理のほかに言無く能登の秋(てつを)
今年の1月1日の「令和6年能登半島地震」さらに今年9月に発生した「奥能登豪雨」、
その二重被災には不条理と言う以外の言葉はありませんね。
長き夜の焼酎どれも二十五度 (アイビー)
焼酎には二十度と二十五度がありますが、アイビーさんは強い方の二十五度を夜長、ちびりちびと飲んでいるのですね。 私は体調を考えて二十度にしました。こうしてお酒を飲めること感謝しています。
ひと安心です。パソコンの具合でも悪いんじゃないかと心配しました。ミニ句会と冬の句会、幹事を引き受けていただけるようで、安堵しました。よろしくお願いします。
秋の句会が終わり、今日は11月です。互選結果の記事のピン留めを解除しました。ご覧になりたい方はno.760の記事までスクロールしてください。
そろそろ冬のミニ句会の幹事を決めなければいけないのですが、野の風さんのコメントがまだありません。少し気がもめてます。
アイビーさん
お世話様でした。いつもの泉也の自作あれこれです。
長き夜や妻逝きて何するでなく
アイビーさん選評有難うございます。アイビーさんの言われる通り一緒にいる時は何かとせわしく.口喧嘩も多かったのですが、一人になると、その口喧嘩も出来ず・・・。今家事も余りしなくなりました。
この句独り居の寂寥感をだしたかつたのてすが・・・。下5 「何するでなく」もつと言い言葉がないか色々推敲したのですがこれが限度でした。90になって楽しんでいるのは俳句だけですので皆さんこれからもよろしくお願いします。
湯煙りと霧と融け合ふ峡の宿
これ昔昔、家内と行った信州の○○温泉です。温泉の名前は忘れました。朝起きて外を眺めた風景です。俳句は昔を今に置き換え詠めますからいいですね。こうして家内とあちこち旅行したことを思い出し俳句にしています。中七「霧と融け合ふ」が上手く出来たと。
海霧(ガス)に消え海霧(ガス)に現る大型船
てつおさん選評有難うございます。この句はテレビで見た風景です。場所は東北の港だったと思い出す。
霧が流れ大型船が消えたり現れたりの光景です。海霧をガスとしたかったので漢字の上に振り仮名しようとしたのですができませんでした。何か方法があれば教えてください。
行く秋や木洩れ日揺らぐ下呂の宿
これも妻と往った下呂温泉。退職した60代後半から83才まてで毎年3・4回旅行していました。
泊まった宿の庭の景色です。今も強く印象に残っていてこの句は今年の句です。
昔「湯煙りの庭に散り敷く紅葉かな」の句をフォット俳句にしました。
岬鼻へ急ぐ漢に草の露
この漢は私です。これ釣場へ急ぐ釣りキチです。靴やズボンの裾が草露で濡れるのも構わずです。
処は和歌山白浜です、朝夜明けを待たず宿を出て岬鼻の礁での釣り、場所取りに急ぎました。
こんな思いでは俳句ばかり作り今を楽しんでいます。
しゃが芋剥く爺の包丁おとおどと
これ今の私です。もともと不器用な男が歳とるにつれ尚不器用。でも自分で食べたいものは自分で作っています。この「爺」を「九十爺」とし「クソじじい」としたかったのですが・・。
俳句って昔の自分を現在に置き換え詠むことが出来ていいですね。
「何するでなく」の楚辞で無聊感、喪失感、さらにそこから来る寂寥感を感ずることができます。これで充分だと思います。