新之助です。
アイビーさんの次回の秋のミニ句会の幹事立候補の発言、感謝です。
アイビーさんの現在のペースで、句会運営をされる点依存ありません。
先程はアイビーさんの次回句会幹事立候補の発言を知らないで、「次回句会の中止」を提案し、大変、失礼しました。
なお、秋のミニ句会の後に行われる「秋の句会」については、先ほどの発言通り、小生も幹事をさせて頂きますので、よろしく、お願いします。
句会の名称を誤記して、しばしば発言し、失礼しました。
新之助です。
アイビーさんの次回夏の句会の幹事立候補の発言、感謝です。
アイビーさんの現在のペースで、句会運営をされる点依存ありません。
先程はアイビーさんの次回句会幹事立候補の発言を知らないで、「夏の句会の中止」を提案し、失礼しました。
なお、秋の句会には、先ほどの発言通り、小生も幹事をさせて頂きますので、よろしく、お願いします。
新之助です。
昨日、小生は本句会の運営方法について、どなたか無理なく次回の幹事をされる方があれば良いですが、
そうでないなら、次回8月の夏の句会は、この際、休会として、9月から、「秋の句会」をするように
したら、どうでしょうかとの提案をしました。
ところが、その際、「秋の句会の幹事については、その時点で決めればよい」との先の小生の発言に反する
消極的な発言をしたことが、その後、気になりました。
9月以降の句会の幹事なら、小生も引き受け可能と思いますので、今から立候補させて頂きたいと思います。
そのような次第ですので、皆様の御意見をお知らせください。
元はと言えば、アイビーが幹事を引き受けていながら、白内障の手術のために、急遽、野の風さんと幹事交代したことが原因です。責任がありますから、次回「秋のミニ句会」の幹事はアイビーが引き受けさせて頂きます。その代わり開催を遅らせて、8月20日ぐらいということをお認め頂きたいのです。そういう条件つきで、立候補します。
新之助です。
てつをさんからのご連絡がありませんので、てつをさんには、健康その他の事情で、
この掲示板への連絡が出来ない事情にあるものと、推察します。
そのような事情にあったてつをさんに、小生が次回の幹事のご照会をしたこと、
心からお詫びします。
小生も静養の結果、熱も下がり、コロナ感染の7月17日から5日経過しましたので、
現時点のコロナの基準からは、外出が可能な時期となったことを報告します。
さりながら、体力的には、まだ、自信がないので、今すぐに、次回幹事を引き受けるのは
無理と思います。
そんな状態ですので、もし、どなか無理なく次回の幹事をされる方があれば良いですが、
そうでないなら、次回8月の夏の句会は、この際、休会として、9月以降の時点で、
「秋の句会」をするようにしたらと思いますが、どうでしょうか。
なお、秋の句会の幹事については、その時点で決めればよいと考えます。
皆様の御意見をお知らせください。
新之助です。
小生が「次期幹事の件」で掲示板に載せた後、同じような記事が又でています、
この後の記事は、最初に掲示板の中で書いた不完全な記事が掲載されたものです。
てつをさんには、くどい文章のように思われたと思いますが、ご容赦下さい、
アイビーさん、そのような事情ですので、後の時期幹事の件の文章を可能なら消去下さい。
新に助です。
野の風さんの後は、新之助がいつもは、幹事を引き受けていましたが、昨日、喉が痛く咳もでるので、「風邪かな」と思い、
内科を受診したところ、「コロナ感染」との通告を受け、現在は妻とは離れた部屋の書斎にて薬を飲み安静にしています.
回復には、10日~2週間必要のようです、
その次第ですので、次回幹事を小生は無理です。
それで、もし、お元気でしたら、てつをさん、繰り上げ当選で次回幹事をお願いできませんか。
その後は、小生が必ず引き受けますから。
もし、てつをさんも健康が許さない場合は、しばらく期間をおき、次回句会を開くことにしたらと思います。
ご検討頂ければ、幸いです。
野の風です。
野の風の感想です。
隣まで来たる朝刊明易し (アイビー)
夏の夜の明けがたが早くなり隣まで朝刊がもう届いている。すっかり夏も其処まで来ているのですね。
一徹は親父ゆずりよ冷奴 (てつを)
てつをさんは冷奴一つにも親父に似て質素に耐えることが出来る性格をもっているのですね。
紫陽花のけふの色出す雨の糸 (新之助)
きれいな俳句ですね。七変化に色をいろいろ変えながら雨の雫を落としている状況が見えてきます。
噴水の飛沫浴びゐる石の像 (泉也)
石の像は金沢の兼六園の歴史的に有名な方の像とのこと、無いものねだりで見てみたいいですね。
てつをさんの質問に答えて。
天命と思いて書けり桜桃忌(野の風)
太宰治は津軽の大地主の6男として明治42年に生まれ,戦後昭和23年6月13日愛人と心中してこの世を去りました。そしてこの日を桜桃忌として名付けられました。
若いときから文学に志しそれを天命として意識し文学に打ち込みました。しかし時には共産主義運動に惹かれ、それとの脱落をくりかえしました。
候補に上るも芥川賞に落選,絶望の中でもいろいろな作品に挑戦続けました。
幼い頃から愛情に恵まれず、今でも彼の作品は絶望の中でも「愛」を求める作品として若者によまれている。
彼の文学碑には下記の文字が刻まれている。
「選ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」