おはようございます😃
納豆は茨城の県庁所在地が水戸で水戸納豆の産地だから那珂湊も毎朝納豆売りが「なっと~、え、なっと~」と売りに来た。藁苞(わらづと)に入っていた。あと蜆売りが「蜆はでっかいよ、父ちゃん蜆だよ、母ちゃん蜆だよ、でっかい蜆だよ」という面白い掛け声で売りに来たのが涸沼の蜆だろう大きくて来れば買っていた。蜆売りの小父さんが亡くなってからは那珂川とつながる浜辺の浅瀬に蜆がうじゃうじゃいたから採って来て砂を吐かせて朝餉の味噌汁になっていた。納豆も蜆も生まれた時から食わせられていたので特に好きではなかったが当たり前のように食べていた。魚もそうで那珂川の生鮭の焼いたものや石持の塩焼、赤次の干物、柳鰈の干物は好きだったし、大洗の母の実家は蛸の仕出し屋だったので丸々一匹茹でた蛸を引き千切って食っていたが、鮪の缶詰工場の臭いが湊中に漂って食傷気味でツナ缶は自分から買ったことは一度もないし、刺身も納豆と混ぜて食っていた。田舎では鮪のトロなど見向きもされなかったが、東京に出て来てからはなんじゃこりゃ~と驚く不味い魚ばかりで愕然としたので、実にガキの頃は贅沢な魚介類を食していたことになる。
納豆は母が納豆を叩いてひきわり納豆にしてくれたのが子どもの頃からのお気に入りで、今はひきわり納豆はどこでも売っているが、自炊するようになってからも自分で納豆を叩いてひきわりにして食べていたものだ。
海につながれた日々の豊穣がわたくしの体を作ったのだろう。当たり前のように食べていた地元の魚介類と納豆と蜆の味噌汁が大きな病気一つない健康体を作ってくれたのだ。「みんな元気な馬鹿ばっかりだっぺよう」と漁師たちが言っていたが、然なり。
写真は餅が余っていたので黄粉餅。
あ、晩飯の青森の大蕪の味噌汁作ってたらお吟さんを飛び越していた。そうそう、カシニョールとかローランサンの美術展は伊豆をひとりでバイクでツーリングしていた若き日に伊豆高原美術館とやらで開催していて観光バスで女性たちが群れて賑わっていたが、わたくしはわが国初の現代美術館である「池田20世紀美術館」目当てで来たので、薄気味悪い絵が流行るもんだと早々に立ち去ったが、あの観光客用の美術館はどうなったのか。わけのわからないメルヘンチックな美術館がならんでいたが・・・。「池田20世紀美術館」はいつ来てもがらがらで心おきなく静かな時間を楽しめた。
仕事のお供のテレビで、今朝はモネの特集をしていた。で、図書館でモネの模写遊び。マルマンのヴィフアール水彩紙の荒目は色鉛筆の乗りがよく、さらさら描ける。
寒漉のしんそこ透けて乾きけり 石井みや
猫髭さんの蕪の葉とじゃこの炒め物、最高ね。ステーキや刺身よりこういうのが好き。どうして大根や蕪の葉はみじん切りにして炒めると、他の野菜より美味しいんでしょうね。
和裁の集まりの日。四年生向き俳句教室をしてやろうと意気込んで行ったのに、金蠅は発熱で、銀蠅は帰省でお休み。今日は駄目だなと思っていたら、20年俳句の話をしかけると知らんぷりしていた瑠璃蠅が、「夫の古希の厄落としに神社へ行ったとき、ふと見た横顔にごま塩のあご髭があり、強烈に過ぎ去った時間を感じたから、そのことを句にしたい」というので、喜んで付き合ってあげた。「神社で出会った冬は?」と尋ねると、「北風・風音、、、」の後が出てこないので、「冬帽子・コート・冬木立・隙間風・底冷もあるでよ」と、励ましてやった。脈ありだな(笑)。
その答撥に聞けとや寒復習 山口珊瑚
