>お吟さんが小太りなのはなぜかしら?
それは写真のクリームたっぷりのウインナ・コーヒーとケーキといったカロリーの高そうな間食のせいではないでしょうか。
コーヒーを毎日何杯も飲む人は、インスタントコーヒーであっても飲まない人よりは寿命が伸びるそうで、勿論本物の豆から挽いたコーヒーが一番寿命が伸びるそうです。アーモンドの産地の住民とかお茶の産地の住民とか海辺の魚主食の住民の寿命とか健康度が高い(癌や生活習慣病で死ぬ確立が低い)という話題も何度か聞いたことがありますが、「病は気(ストレス)から」という言葉もあるので都会は田舎より刺激が多い分ストレスが溜まりやすいし、何より「医食同源」の海幸山幸の自然の中で暮らしているかどうかの違いが大きいでしょう。都会の方が世界中の食を集めているから何でも食べられるというのは一面だけで、そこに団欒があるかどうかが大切で、たとえ遠く離れていようと心に「家族という信仰」があるかないかで仏や神を敬うことはあっても頼らないという生活の強さが生まれるので、素朴で誠実な人間関係のないところには「おふくろの味」といった「全世界共通の食の普遍性」は食材や料理の豊富さではなく、「おいしくて早くて安い」という繰り返しに堪える「日常」があるかどうかが人間の体と心の健康を育むのだとわたくしは想います。
ですからお吟さんが小太りなのは幸せだからでしょう。少し小太りなほうが長生きすると言われて久しい。
わたくしも連休だとつい食い過ぎ飲み過ぎるのでストレッチが大事とかかり付けの接骨医に言われているのでシャッフル・ダンスを習おうかと公園でステップしていると(尻振りなしのステップだけですが)子どもたちが口を開けて見ているので手をふると、お母さんのところに逃げていきます。(*^▽^*)ゞ。
>饅頭を一度に18個食わない、一度に米は四合食わないという二点を守って
守るもなにも、それを食うこと自体不可能なんですけれど(笑)。ごはんなら一杯・饅頭も一個・日本酒も一合で十分なお吟さんが小太りなのはなぜかしら?きっと猫髭さんの十分の一くらいしか動いていないのね。
今日は岬の名曲喫茶に出没。山道は、茨の実が真っ赤に、山葡萄が濃紫に成っていました。ただただ雰囲気がいいので通っているのですが、いつのまにかクラシックもちょっとだけ好きになったみたい。「まったく、ろくな番組がない!」と怒って、縫い仕事のBGMにEテレのクラシックの2時間ものなど聴いてますもん。司会の講釈のうるさい30分ものはペケ。
秋水の昃ることのまたはやし 倉田紘文
秋の終りの長雨が続き肌寒くなる頃に必ず作るのが茸汁である。深酒をした後などは下痢腹になるから冷たいものや追い酒は余計障るから酒毒が治まるまでは体を温めて静かにしているしかないから、酒に弱ければ吐けば治りも早いがなまじ酒に強いばかりに迎え酒で鎮めるのは若いうちだけで、年を取ると意地汚くなって酒は百薬の長と一滴残らず滋養にしようとするから、わたくしの場合は動悸に現われ数えたことはないが一度お客の血圧計で計ったら210あって良く生きてますねと驚かれたが、その程度では特に気になるほどではなく、問題は目の前が霞んだり黄色や橙色の粒子が出て来るときで我慢していると目の前が暗くなって気絶して倒れる。貧血だと思うが横になって寝ると血が戻って焦点が合うから、この症状になったら駅のホームでも神社でもベンチを探して横になるしかない。これは若い頃に無理して仕事をしすぎて徹夜明けとかいう時にホームでいきなり気持悪くないのに吐いたり社内で前の乗客に突っ伏したことがあるので、倒れるまで働くというのがわたくしの知る限界なので倒れないうちは大丈夫で倒れたら限界というのはわかりやすく、口先だけで倒れるまでやれという奴は倒れるまで何かに入れあげたことがない口説の徒に過ぎないから黙殺するに限る。
ところが極限まで堪えられる肉体と精神を持っているとわたくしの精神はダイヤモンドより固いから肉体の衰えで限界を知るしかないので還暦古稀と来て「動悸」が加わった。これには二種類あっていきなり原因もなく動悸が速くなって来ることで、これは深呼吸して息を止め、限界でゆっくり息を吐くことを繰り返すと治まるケースと体が揺れるほど動悸が大きい時とあって、深酒した後とか原因はわからないが地震かと思うほど揺れる時は酒を呑んだら治まったということがあり、後者はよくわからないが、どちらも「求心」という薬を飲むと効くことがわかった。「求心」は高いのでジェネリックを常備しているが、コロナ便乗で値上げしているので困ったちゃんである。五十代から人間ドックが義務付けられて心電図などを取ると寝ずに働いた後など死体のように寝てしまうので心電図が取れないと看護師長クラスでないと脈が取れないこともあったが、不整脈や動悸で死ぬ事はないのであくまでも、何か異常を感じた時の警報だと思えば、酒を控えよう、糖分を控えようといった対策が必要になる、特に糖分は血糖値が340から120に落ちたせいでめまいが劇的になくなったので、饅頭を一度に18個食わない、一度に米は四合食わないという二点を守ってから体重もあと2キロ減らせばベストに維持できているので、遊びを含めて今の66キロが維持できていればとりあえず恙無しと思われる。多分カナグル錠100mgを飲み続ければ血糖値は正常を維持できると思うが「求心」と同じで副作用はないが効く薬は高いので、そこまで食費減らして健康を気遣うのは、健康のためなら死んでもいいとジョギングし過ぎて心臓麻痺で死んだジョギングの提唱者ジム・フイックス父子(二人とも冠状動脈性心疾患で死亡)と同じで突然死の可能性があることを覚悟で走ればいいので、いつも言っているが人間は犬や馬ではないから散歩でいい。
あれ、なんで茸汁の話を書こうとして健康のためなら死んでもいいと死んだバカモノの話をしてるんだ。まあ、いい。
茸汁は巻繊汁(けんちんじる)と同じでちまちま作っていると貧乏臭い味になるからどかっとわたくしは十人前くらい作る。茸はいま沢山出ている茸をナメタケといったぬるぬるタイプ以外は癖のない油(菜種油とか胡麻油以外)で炒めてから煮ると香りが立つ。茸以外に欠かせない野菜は大根、里芋(剥いたやつでいい)、牛蒡(笹掻きにした方が火の通りが速い)、蒟蒻(小粒の丸蒟蒻がお薦め)、それと焼豆腐(崩れにくい)で、人参とか入れたいひとは入れて良いが、わたくしの場合は必須は以上である。出汁は醤油と酒だけで昆布と煮干も鰹節という八方出汁と同じであるが、好みで千鳥酢を足すのが猫髭流。茸を炒めるのとお酢を足すくらいかなわたくしの流儀は。もう昨日から一味唐辛子をふってどんぶり五杯は食っているが飽きないなあ、毎年の茸汁は。(*^▽^*)ゞ。
あ、不適切な言葉があると拒否され続けて一時間以上訂正を続けたが結局どの言葉が不適切だったか不明で、どたばたしていたらお吟さん飛び越した。疲れるわ、この表現の自由の時代に不適切と言われてもねえ。
写真は西洋美術館のブールデルの「弓を引くヘラクレス」の後ろのふぐりを見上げた写真。多分世界初。馬鹿か。
今日、図書館で見つけた、文章も書ける個性派女優の室井滋著『女優の箪笥』が面白い。なで肩で小顔のうりざね顔の室井さんは着物がよく似合う(20年前のお写真だけど(笑))。喫茶店で原稿を書いていたが、カップルやおばさんグループがうるさいので帰ろうかと思った時、薄紫の着物姿の女性が入って来て、店内が水を打ったように静まりかえった、、、、経験をしてからの着物愛らしい。
身に合ふは縞よ絣よ菊の頃 鈴木真砂女
おはようございます😃
来年4月10日句画展開催。来年の手帳にしっかり書き込みました。知らせて下さり有難うございます。蟒蛇会、恐るべし♪
電車の席を譲られたら、ショックでお吟さんなら凹むわ。こざっぱりとした猫髭さんだから、やはり腰をかばう歩き方が災いしたのでしょうね。来春の楽しい企画へむけて、若返ってくださいませ。
和裁の集まりへみえたお客さん、お年寄り相手の交通指導員をされている古希のお方。若いころは婦警さんをされていたのですか?とお聞きすると、「いえいえ専業主婦でした。PTAの活動をしていたとき、警察署の所長さんからスカウトされまして交通指導員に。主人が、警察官も普通の男だから何があるかわからないと反対しましたら、警察署へ呼び出されて説得されまして。。。(笑)」
今では日本舞踊に加え、和太鼓、南京玉簾もうまくなって披露するようになったので、普通はなかなか集まらない交通安全教室も大盛況とか。お吟さん、そんな杓子定規でないお話は大好き。↓は、今年から女踊りもするようになったので振袖に直してほしいと持ってみえました。あっぱれ、古希は女盛り♪
ゆるむことなき秋晴の一日かな 深見けん二
帽子にマスクに柿色のウインド・ブレーカーに黒のGパンにスニーカーで電車に乗ってすぐ「替わりましょうか」と前の子連れの主婦が席を立とうとするので狼狽した。杖も突いていないし帽子を被ってマスクをしているから白髪も白髭も隠れているし、ユニクロの白いバッグも肩から提げて、服装といい持ち物といい老人臭はないはずだ。それなのに彼女は間髪を要れず読んでいた本から顔をあげて目が合うと立ち上がって席を譲ろうとしたのだ。勿論断ったが、席を譲らなければならない高齢者だとどうして彼女は瞬時に判断したのだろう。帽子はゴルフの聖地マスターズでしか売っていないレア物で眼鏡はバーバリーのクラシックデザインで、マスクもブレーカーの下のタートルネックの黒で統一している。昔似たような黒尽くめに赤いスニーカーのスタイルで新宿駅で降りたときに若い女性に素敵ですと言われて徹夜明けの格好だよと驚いたことがあるが十代にはロマンスグレーのおじ様に見えて二十代の主婦にはよたよたの爺いに見えるのはなぜか、一日悩んで、最後のお客の車椅子老人の夕食を、目刺し三匹焼いて、長芋のとろろ汁と輪切りにして胡麻油で炒めた長芋のソテーと南瓜の煮物を用意して、そのときふっと足元を見ていて老人の歩き方だと思い込んだのではないかと気づいた。
確かにここ二ヶ月机作業で肩や腰を痛めて電気マッサージ治療を受けていたから歩き方が蟹股でべったり靴底を着いて安定を確かめるようにゆったり歩く癖が付いているのでドアが開いて本を読んでいた彼女の目には自分のほうへ歩いてくる歩き方がかなり高齢の老人だと察知したのではないかと気づいたのだ。確かに歩き方は颯爽としていないは。
さやけしや母子で漫画読んでをり
それにしても幼稚園か小学校かの男の子が漫画を読んでいたのは当然として母親まで漫画を読んでいるのには驚いた。そういう時代になったのだ。
東京展は上野公園が三連休最後の日だからか物凄い人で展覧会もまともな絵は特別展示の聖さんのような絵で、あとは絵ではなくイラストレーターか漫画のような展示で気持が悪くなったので、西洋美術館のロダンやブールデルの彫刻を見て、上野御徒町へ澤さんと聖さんと句画展の企画を話題に酒をしこたま呑んで聖さんと澤さんが絵画論と俳句論でバトルを始め、平行線だからお前何とかしろと、え、俺なのおと振られても困るなあと、とりあえず澤さんの初期句集『印象』(1982年)と『風影』(2008年)の句集を中心に二人のこれまでの交友が見える句画展にしようと来年4月10日開催に向けて走り出すことにした。二刷は出ていないから勿論初版で持っているのは猫髭だけじゃないのかという希覯本である。それにしても呑んだ。三升は呑んだのではないか。蟒蛇(うわばみ)会と名前を変えないといかんなあ。
