今回の無点句は32句。90句なので約3割だ。良い句もあるので鑑賞したい。
1 秋の夜やラインメールはただ既読
スマホを始めて約10か月、メールでは必ず返信があったがここでほぼない。聞くと「既読」が返事だという。一方では誹謗中傷まがいのつぶやきも。古い手紙を読みながら「昭和は遠くなりにけり」とつぶやいている秋の夜。
6 補聴器に秋鯖焼くる音高し
私は補聴器を付けるほどではないが、夜、隣室の息子から「テレビの音が大きい」とメールを受けた。特に昔の映画の場合会話の部分が聞き取れない。少し音量を上げていると急に場面が替わり慌てて音量を落とす。だから洋画はいい。字幕が出るから。この句、秋鯖の焼ける音、補聴器に心地よく響くのだろう。同時に嗅覚にも。五感で秋を満喫している様が目に見えるようだ。(次点作)
14 よだれかけ線香の香り地蔵盆
水子地蔵だろうか。赤い涎かけ。おりしもお盆、墓地には線香の香りが満ちている。この句、着眼はいいし条件がそろっている。後は表現だろうか。上5中7を工夫すれば・・・包丁さばきに期待。
37 サルビアや紅一色の身だしなみ
サルビアの花言葉は尊敬、知恵、家族愛とか。赤の他に白、青、紫などがある。作者は意識していたかどうかは解らないが中7下5を見ると紅へのこだわりが見える。そこを「身だしなみ」と捉えた。何故か花言葉と無縁ではない気がする。
41 病室の母といっしょに眺む月
素直な句である。でも物足りないのは一読「ああそうですか」となってしまう。月にもいろいろな描写があるのでそこを替えるだけでも違うのでは。例えば「良夜」「月の夜」「盆の月」などなど。すると自然に上5中7も表現が替わるのでは。
45 路地へ出すこんろ秋鯖渋団扇
「こんろ・秋鯖・渋団扇」と材料を並べた。路地ということばに「昭和」が絡む。私のメモには○3つ。鯖、団扇の季重ねは兎も角どこが問題なのだろう。どなたかご指摘を。
46 双角の子宮を月光濯ぎたり
この句アイビーさんのご指摘があったが私もお手上げ。確か何かで、どこかの国の子孫繁栄の土着の信仰として、女性性器を模した土偶を太陽(月か)に晒す記述を見たような記憶があるが定かではない。「 双角」は辞書で初めて知った。
47 耳たぶに秋色濃ゆきキャッツアイ
未開の地では当たり前のことだが、今は男性も耳輪を付ける時代。中7下5が新鮮に映った。秋色に輝く猫の目、しかも耳たぶに。
何度イメージしても・・・気になるが私には作れない分野。
50 秋簾庭に一条光差す
普通庭から簾を通して部屋に光が差すものだが、これは逆で簾を通して庭に差す一条の光を詠んでいる。簾を通して屈折した光なのかは別として一条の光を捉えた感性は素晴らしい。秋簾が効いている。
72 孫去りて虫の音浸かる老夫婦
お盆が済み孫が去った。まるで戦争のような3日間。慌ただしく過ぎ去った。やっと老夫婦の下に虫の音が帰ってきた。また正月までの静かな時が過ぎて行く。孫の句子の句は甘くなるという。この句はどうだろう。季語を「残る虫」くらいにして推敲したらどうだろうか。
78 新涼の寺の野仏赤き帽
この句のポイントは「赤き帽」と思うが、「寺の野仏」とは。野仏は屋外、道路脇などに祭られている仏様と思うが、何かの理由でお寺に安置された野仏なのだろうか。新涼と相まって赤き帽が鮮やか。
7 魂のあるを信じて盆の月 (ふうりん) 2
「人生はあざなへる縄盆の月」これある句会での私の句である。「上5中7は常套句で平凡、常套句を用いるにはかなりの腕が必要」とある方から評された。確かに「人生はあざなえる縄」は平凡、それだけに下5に苦心した。結果は3人の方に特選で支持された。その目で見るとこの句、一脈を通じるものがあり好感が持てた。8句選なら入れた句である。両句とも盆の月は動かない。
10 秋暑し不即不離とはいと難し (てつを) 2
不即不離は恐らく仏教語だろうがうまく使った。上5と下5がうまく収まっている。「即かず離れず」は句作の原則だが正にその通り。人生然り、人生に通じる措辞と思う。
27 掘るやうに担ぐがやうに踊りけり (ふうりん) 6
多くの方の賛同を得た。私の次点。3年ぶりに大府の夏まつりも行われたが、待ち焦がれた人並みで例年を上回る人出。主催者側はコロナと熱中症対策に追われたが身内からも数人の感染者が出て反省会で議論が紛糾した。盆踊りと言っても従来からのものは「大府音頭」と「大府ばやし」「大府小唄」のみ。10曲ほどあるが中に「掘って掘って担いで担いで」も入っている。いずれも中学生の太鼓で盛り上げている。でも最近は、時代の流れか「ど真ん中まつり」まがいの出し物が増え、次第に「盆をどり・鎮魂」から遠ざかっているのが寂しい。
29 名月を称ふ城址の陣太鼓 (森野) 5
城址についての連句、ご本人の解説があり地域での恒例となっている行事への住民の熱い思いを知った。一度お邪魔してその熱気を体験したいものだ。
73 葛の蔓切りて切りても切りもなや (てつを) 2
台風一過、切り残された蔦がはびこり出した。私の仕事だ。中7、下5が言いえて妙。やはり根を絶たねばと思うがそれが物置小屋の下に。妥協して「下部を切り、上は枯らす」作戦。この作戦で時を稼いでいる。
90 百幹の竹打ち合へる野分かな (えのころ草) 2
台風一過清々しい朝を迎えている。今回の台風は風が先行し台風がその後を追っているとか。良くわからないが台風も新型に進化しているのかも。いずれにしてもこの句、「百幹の竹」が打ち合っているのである。現場にいたら壮絶な風景だろう。風の息吹きと竹の咆哮。野分の状況を余さず醸し出している。
昨日がお彼岸の中日で会社関係は休み。生憎の台風で当地は雨が激しく降りましたが、一転今日は朝から秋晴れ。矢勝川の彼岸花も見頃とあって大勢の人が見に来ています。彼岸花の見頃は来週いっぱいといったところでしょうか。
アイビーの感想 その3
移ろう季無言で告げし彼岸花 (和談さん)
半田市岩滑地区は彼岸花で有名なところだ。この彼岸花という植物は、それまで何の気配も無く地中に潜んでいるのだが、秋の彼岸の頃になると急に咲き出す。昨日まで何の兆しもなかったのに2-30センチ彼岸花の茎が伸び、いきなり花をつける。この不思議な習性を和談さんは「無言で告げし」と言い留めた。岩滑に住む私にはとてもよく分かる感覚だ。上五に助詞を入れて「移る季を無言で告げし彼岸花」としてはどうだろう。
双角の子宮を月光濯ぎたり (無点句)
双角子宮という言葉自体が分らない。ウイキペディアによれば、双角子宮は女性の子宮の一種の奇形で、流産・不妊になりやすいというが、正直なところ男性の私にはお手上げだ。「月光濯ぎたり」の楚辞も非常に難解だ。かくしてアイビーごときの手に負えないので降参する。なにやらただならぬ雰囲気は伝わってくるのだが。
古城跡妣の愛した月見台 (淑子さん)
曽遊の城跡を再訪したものか。かつての訪問は母が元気な時だったが、その母も今は亡い。月見台から見る月がこよなく好きだった母、そんなことどもを思い出し感懐に耽る淑子さん。折から仲秋の名月が煌々と中天に輝いている。この場合、月が出ていることが前提だ。月が無く、月見台だけがあったのでは季語にならないと私は思う。
破芭蕉とうとう八方破れかな (えのころ草さん)
芭蕉の葉は見るも無残に破れ、その無残な様を破芭蕉と称し、格好の句材となってきた。破芭蕉の究極の姿を「八方破れ」としたが、ここまで来ると開き直りに近い。「とうとう」と入れたところに作句のセンスを感じる
幾度も秋草の名を尋ねけり (ゆめさん)
私なども覚えがあるが、物の名を聞いてもちっとも覚えられない。特に印象の薄い草花となるともういけない。いきおい、何度も同じ質問をして相手を呆れさせる。ゆめさんは何歳か存じ上げないが、ここにも同類の人がいて、私だけではないのだと心強く思ったものだ。そこはかとなくユーモアが漂って来る。
秋高し丸々肥えし地域猫 (蓉子さん)
公園などによく猫が屯している。昔は野良猫と言ったが今は地域猫という。ボランティアで餌を遣る人のグループがいて、猫は餌を漁らなくても十分に食べ物がある。ボランティアの人たちは百パーセント善意でやっており、かくして猫たちは例外なく丸々と太る仕儀となる。季語の秋高しがよく生きている。
葛の蔓切りて切りても切りもなや (てつをさん)
堤防や野原に葛が蔓延る。通路まで蔓が伸び、まことに生命力の強い植物である。丁度今頃、紫色の花が咲く。中七から座五の「切りて切りても切りもなや」と「切り」の三連発で畳みかけた。読んだ時のリズム感と作者のうんざりした気分を表現して面白い。てつをさんは当句会には初参加だが、これからも宜しくお願いします。
敬老日棹物菓子を厚く切る (ABCヒロさん)
この句の肝は「棹物菓子を厚く切る」という楚辞を選択した作者の俳句センスに尽きる。高齢者に対する敬いの気持ちを諄く言わないで「厚く切る」とのみ表現した。普通に羊羹を切ったのではただごと俳句になりかねないが、紙一重のところで傑作に変えてしまう手腕は流石。特選にいただいた。
避難所へ行くも危ふし秋出水 (ヨシさん)
この稿を書いている最中に台風14号が上陸し列島を縦断し、まことにタイムリーな句となった。避難勧告が出ても、着の身着のままという訳にもいかず、準備に手間取っている間にも風雨が強くなり、近くの避難所に行くだけでも危険を感じるほどだ。大方の場合は大したことにならないのだが、その安易さが大事に至る。
完
移ろう季無言で告げし彼岸花 について
「ふうりん」さんの◎、そして「アイビー」さんの温かな感想文に出会い、私の気持ちが伝えられたと嬉しく感謝しています。特に移る季「を」と助詞を入れる助言、有り難うございました。
暑い暑いと言っていたのにもうこんな時季なのか。忘れていた大根の種まき、白菜、キャベツ等の植え付け期を教えてくれるのです。他の花のように、咲くよ、咲くよとの気配を見せず、ある日静かに忽然と。
かをりさん、ちとせさん、メッセージを有難うございます。実験句、まことに結構と思います。権威や大勢に制肘されず
自由に投句出来る句会は当句会ぐらいかと自負しております。どんどん実験して下さい。
ちとせさんのお説、必ずしも美しいものだけが俳句の句材ではない、私も同感です。
葛の蔓切りて切りても切りもなや (てつをさん)
高速道や樹木に絡まる葛を見ると覆いつくしうんざりと思っていましたが
散策の鉄路の傍に葛の花
葛も有りかなと思いました
アイビーさん、双角の子宮の句は私です。
うーん、最後に一句できなくて、暴走のコケ脅かしの句です。無点句、納得しております。
3 加齢てふ診断下る残暑かな (萩) 3
「様子見と加齢の二語で済ます医者」の川柳を思い出した。「加齢てふ診断」の受け止め方はそれぞれと思うが作者は「残暑」と受け止めた。医師も診断に困る程度の症状と理解してもやはりもやもやは残る。 でも秋は目前。
11 感情はすぐにもつれて萩の花 (ABCヒロ) 1
萩の花の花言葉は「内気」「思案」「柔軟な精神」とあった。当初一読して季語が気になったが上五、中七と読み進めストンと収まった。作者は計算づくなのだろう。季語を活かした佳作と思うが支持が無かった。
13 淡き色狭庭に散らし秋海棠 (森野) 2
秋海棠は参道などの句をよく見かけるが家庭園の句は初めて接した。一読すっと胸に収まった。何気ない風景だが作者の思いが庭の隅々まで行きわたり、秋海棠を介してふんわり一体になっている様に感動を覚えた。
23 風そよぐ白絨毯や茅道 (淑子) 2
茅は「ち」秋で「かや」のこと。白茅(ちがや)、真茅、浅茅(あさじ)、春は茅花(つばな)と歳時記にあった。辞書では、萱とともにイネ科の植物、チガヤ・ススキなどの総称とあった。いずれにしても白絨毯の茅道を心地よい秋風に身を任せる作者。まさに極楽の世界。
28 早稲の架をこごまり往きぬ国訛り (かをり) 1
中七下五に惹かれた。特に「こごまり」稲架を潜り乍らの短い会話。家族だろうか親族か。お手伝いのお隣さんか。かをりさんの目線は常に土着の視点を保っている。無点の句では無いと思うが。
32 老い入れば老いたるように鯊を釣る (玉虫) 2
私は釣りはやらない。海の育ちだが漁師の子は船に乗るので磯釣りなどしない。ただ夕方突堤でフグを引っ掛け膨らんだ腹で遊んだ記憶はある。老いたる様にとはどのようにだろうか。知恵を働かせて場所、時間帯などを工夫するのか。いずれにしても漁果は若者に劣らないのだろう。経験で鯊の生態を知り尽くしているのだろう。鯊にとっては厄介なご仁だ。
44 古城跡妣の愛した月見台 (淑子) 5
アイビーさんのご指摘で無季と知った。月見台に惚れ込んで全く気付かなかった。今回古城跡のいい作品が並び迷ったが代表で特選に戴いた。淑子さんには推敲して無季を解消してほしいものだ。
了解しました。有り難うございました。
44番の句ですが、厳密には月見台は月の傍題にもなっていませんから、厳しい先生なら無季と言うでしょうね。私は厳しくありませんから、月という言葉が無くても、明らかに月が出ている情況が詠みこまれていればセーフのジャッジをします。
半田市立博物館で鈴木花蓑展を開催しています。鈴木花蓑は旧半田町(現在の半田市本町)の生れで、大正時代のホトトギスで度々巻頭を取った俳人です。写生の鬼と評されるほど写生に撤した作風で知られています。期日は11月6日(日)まで。
アイビ-さん、お世話になりました。
初めて投句させていただきましたが、多くの方が参加されていて
沢山の力作に触れ大変刺激になりました。
これからも引き続き出来る限り参加させていただくようにしたい
と思っています。
さて、小生の選句の感想です。
自分の選んだ句がトップ1、2に入ったのが先ず大変うれしく思い
ました。
○ 国境など小さなことよ天の川
世界で起きている戦争や紛争の原因は国境問題と宗教問題です。
とりわけ、国境問題は有史以来延々と続いていて、これからも
絶えることなく続くものと思います。
しかし、皆さんも選評で述べているように天界から見れば何を
小さなことでことで揉めているのかと滑稽に見えるかも知れません。
ロシアのウクライナへの侵攻を見るにつけ、この句に惹かれました。
○ 鬼灯の仏花となりてより赤し
この句はなにをおいても「仏花」が決め手になっていると思います。
「より」の解釈は、「なって更に赤し」ととるか、「なってから赤し」
ととるか二通りあると思います。私は前者の方にとりまとたが、いずれ
におもいます。おもいます。
ところで、小生の句で「蜻蛉やあの日に君は朝鮮へ」について複数人から
評をいただいていますが、皆様のご想像の通りです。
私が小学3年生の時に終戦を迎えましたが、同じ村にほぼ同じ年くらいの
「金あとごん(漢字名は不明)」と言う児がいました。両親は定職がなく
貧しい暮らしをしていました。差別がひどく学校にも行っていませんでした。
私は何故かその君と仲が良く蜻蛉取りなどしてよく一緒に遊びました。
しかし、戦後しばらくして村からいなくなりました。その時は何故急にいな
くなったのか、何処へ行ったのか分かりませんでした。
後年になって、北朝鮮への帰還運動により母国へ帰ったと云う事を知らされ
ました。
聞けば、多くの人々が期待に反して、大変厳しい生活が待っていて多くの人が
命を落とした言うことを聞きました。
果たして、金君がどのような運命をたどったのか、蜻蛉を見る度に思い出され
ます。
以上
てつをさん、感想を有難うございます。切ない思い出がおありになったのですね。特定の左翼陣営に限らずマスコミの大部分も「この世の楽園」と煽りました。今となっては詮無いことながら、罪深いことです。
嚶鳴庵の俳句教室は28日(水)です。そろそろ準備を始めてください。
開催場所 東海市しあわせ村 茶室 嚶鳴庵
参加費 550円 句会終了後にお菓子とお抹茶をいただきます。
時間 13時00分から15時頃まで
持ち物 筆記用具、歳時記、国語辞典、電子辞書など
兼題 秋彼岸、赤い羽根、または当季雑詠、合計5句を12時50分までに提出。用紙については規定のものが、
ありますので当日配られます。なお席題が出される場合があります。(参加人数により変更あり)
誰でも気楽に参加できる会です。みんなで575であそびましょ。ワイワイがやがやと、秋を楽しみましょう。