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ここでは、少年が独唱(一部合唱)した昭和30年代に(作曲されたもの・録音されたものを含む)童謡を集めてみましたが、実際、多くの童謡は歌のおばさんや圧倒的多数であった少女の童謡歌手によって歌われました。
大場 博之 「ハモニカ小僧」 昭和31(1956)年
ニッポン少年合唱団 「風」 昭和32(1957)年録音 なお、西條八十、草川信の「風」は、大正10年(1921)の作曲です。
鳴海 日出夫 ・コロムビアひばり児童合唱団「鞍馬天狗の歌」 昭和33(1958)年
岡田孝・千野光男 「ター坊の歌」 昭和33(1958)年
鈴木結斗「ドロップスのうた」 昭和34(1964)年作 録画は最近のものです。
『ちいさい秋みつけた』(作詞:サトウハチロー / 作曲:中田喜直 / 昭和37(1962)年)
しみじみとしたメロディと詩的な歌詞が特徴の秋の童謡。
中谷友香 森の木児童合唱団
『アイアイ』(作詞:相田裕美 / 作曲:宇野誠一郎 / 昭和37(1962)年)
動物(アイアイ)をテーマにした楽しく覚えやすい曲。
横山だいすけ
『大きな古時計』(訳詞 保富康午 / 作曲 ワーク/ 昭和37(1962)年)
「みんなのうた」で、保富康午の訳詞で発表され、それ以後も歌い継がれています。
重永 大武
『山のワルツ』(作詞:丘灯至夫 / 作曲:井上武士 / 昭和38(1963)年)
自然を愛する気持ちを込めた、ワルツ調の童謡。
はいだいしょうこ
『マーチングマーチ』(作詞:阪田寛夫 / 作曲:服部公一 昭和39(1964)年)
行進曲調の明るい曲で、東京オリンピックの年に作られたというのも機縁です。
はいだいしょうこ
この時期の童謡は、子どもたちに夢や自然を愛する心を育むものが多く、現在でも広く歌い継がれています。
同時に、この時期は、歌謡曲の黄金時代でもあり、後期には、10代後半の歌手によって歌われる青春歌謡というジャンルも誕生しました。また、テレビやラジオの連続ドラマの主題歌も人気を集めました。だから、校門を出た少年少女たちは、むしろ、そのような歌をよく歌っていたという実態もあります。
昭和30年代(1955年〜1964年)の童謡は、戦後の復興期から高度成長期にあたり、子どもたちに夢や希望を与える内容の曲が多く作られました。この時期の童謡には、戦後の混乱が落ち着き、日本が高度経済成長へ向かう中、明るく希望に満ちた曲調の前向きで元気な曲が増えました。
また、昭和28年にテレビ放送が本格的に始まり、昭和34(1959)年の皇太子殿下のご成婚、プロレスの爆発的な人気などもあってテレビを持つ家庭が急増し、同時にテレビ番組を通して童謡が広く普及するようになりました。NHKの「みんなのうた」(昭和36 1961年〜)もこの時期にスタートし、新しい童謡の発表の場になりました。
この時期に誕生した童謡は、学校教育の一環として、自然や道徳をテーマにした童謡が多く作られました。それまでの伝統的な童謡に加え、服部公一、中田喜直、岡本敏明、吉岡治などの作曲家・作詞家が活躍しました。
代表的な作品
『森のくまさん』(アメリカ民謡、日本語詞:馬場祥弘 / 昭和31(1956)年)
明るく楽しい物語調の童謡で、日本で広く親しまれました。
NHK東京放送児童合唱団 田島好一
『おなかのへるうた』(作詞:阪田寛夫 作曲:大中恩 / 昭和34(1959)年)
ユーモラスで親しみやすい作品。言葉遊び的な面白さもあり、子どもたちの共感を呼びます。
齋藤誠
『サッちゃん』(作詞:阪田寛夫 / 作曲:大中恩 / 昭和34(1959)年)
子どもらしい純粋な視点で描かれた、短いながらも印象的な童謡です。
皆川おさむ
『犬のおまわりさん』(佐藤義美作詞 / 大中恩作曲 昭和35(1960)年)
迷子の子猫を助けようとする犬のおまわりさんのやりとりを描いた、ほのぼのとしたかわいらしい童謡です。
村方乃々佳
『手のひらを太陽に』(作詞:やなせたかし / 作曲:いずみたく / 昭和36(1961)年)
生きる喜びを伝えるメッセージ性の強い童謡で、現在でも多くの人に愛されています。
フレーベル少年合唱団
今年、1月13日 京都市コンサートホール大ホールで行われた京都市少年合唱団第131回定期演奏会のうち、輝(男子部)は、3曲歌ったのですが、現時点では2曲が公開されています。輝が歌ったもう1曲や、約200人の合同合唱は、まだ公開されていません。
京都市少年合唱団第131回定期演奏会 輝「地球の歌」
京都市少年合唱団第131回定期演奏会 輝「ひとつの朝」
ルクセンブルク少年合唱団の広島公演の動画も公開されました。4月12日に広島のエリザベト音楽大学で行ったコンサートの模様です。オルガン奏者のピエール・ニマックス氏とともに、合唱団「プエル・カンターテス」や「広島根渚中学校・高等学校合唱団」、そしてもちろんルクセンブルク音楽院の「プエリ・カントーレス」とも共演。
平和祈念の旅や、練習風景も公開されています。
映画『野ばら』~愛しい兄弟よ
映画『ほがらかに鐘は鳴る』~南国の薔薇
映画『サミー南へ行く」主題歌 ファーガス・マクリーランド
映画『コーラス』~凧
映画『チップス先生さようなら』~大人になったら
ここでは、東京少年合唱隊と東京少年少女合唱隊の歌声の違いを中心にお聴きください。(「東京少年合唱隊」で検索すれば、いくつかヒットします。)ただし、タイトルは東京少年合唱隊となっていても、演奏が少年のみか、少女のみか、はたまた合同なのか、これらが明示されていない例があり、これは、残念な実態です。
また、東京少年少女合唱隊の隊員の男女比は常に変化するでしょうが、男子率は、合併した頃と比べて次第に低下してきているのではないでしょうか。
東京少年合唱隊 「こきりこ」
東京少年少女合唱隊の「上を向いて歩こう(スキヤキソング)」以下19曲を聴きたい人は、「On Tour」のところからお聴きください。
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東京少年少女合唱隊 「故郷」
東京少年少女合唱隊 「約束」
東京少年少女合唱隊 昭和62年度全国学校音楽コンクール小学校の部課題曲A 「亜麻色の風の中へ」
先週ご紹介した文献 佐藤慶二著NHK「みんなのうた」の商業主義への転換−「ゼッキーノ・ドーロ」楽曲の輸入を契機として− は、書籍のコーナに掲載しております。
日本のソプラニスタは、岡本知高が有名ですが、木村優一も台頭してきて、いろんなジャンルの歌に挑んでいます。「木綿のハンカチーフ」は、太田裕美の原曲と比較して聴かれても・・・検索したら出てきますよ。
Lascia Ch'io Pianga ~私を泣かせてください~
木綿のハンカチーフ
もっと若い世代では、岡山楷の木少年少女合唱団所属の萩原 宏飛も、中学生ですが、カウンターテナーから、ソプラノに移行しているようです。
萩原 宏飛(カウンターテナー)A.カルダーラ/たとえつれなくても T.ジョルダーニ/いとしい女よ(第44回全日本ジュニアクラシック音楽コンクール全国大会)
2023年3月23日(木) 曳舟文化センター・ホール
萩原 宏飛(ソプラノ)T.ジョルダーニ「いとしい女よ」 A.スカルラッティ「私は心に感じる」(第46回全日本ジュニアクラシック音楽コンクール 全国大会)声楽部門 中学生の部
2024年4月3日(水) 清瀬けやきホール・大ホール
広島テレビで、ルクセンブルク少年合唱団が広島市長を表敬訪問したニュースが流れていました。
「こぐまのテディ」の名前の由来は、日露戦争の仲裁をし、ポーツマス条約の締結に尽力したセオドア・ルーズベルト大統領に由来し、エルビス・プレスリーの「テディ・ベア」が原曲です。日本では、ビッグマンモス(ソロ 山崎圭一)によって歌い広められました。
こぐまのテディ
エルビス・プレスリー(Elvis Presley) - (Let Me Be Your) Teddy Bear (Official Lyric Video)
エルビス・プレスリー(Elvis Presley) - (Let Me Be Your) Teddy Bear - Loving You 1957 HD
ヒーローになれ
やっぱり僕は僕なんだ
ビッグマンモスの7年間を追ってみました。ビッグマンモスを採り上げたYouTube動画も現れては消えの繰り返しですが・・・
「火の玉ロック」
「ぼくらは未来のベーブ・ルース」
「星物語」
「青空特急」
「ピンポンパン最終回」
ビッグマンモスだけでなく、『ママとあそぼう!ピンポンパン』の全体像を採り上げたshige shoさんのYouTube動画は貴重です。ボブ・マグラスさんも出演されていたのですね。ビッグマンモスの曲が分割されているために全体像が見えにくいのが惜しまれますが、贅沢は言っておられません。
オレグ・リャーベツ 「恋とはどんなものかしら」
マイケル・マニアチ 「ああ、あなたは神々しい」
岡本 知高 「オリンピック賛歌」(東京オリンピック閉会式)
岡本 知高 「赤い屋根の家」
「天使の歌声」初の日本公演から70年 ウィーンで記念式典というニュースが入ってきました。(4月10日 10時37分)
ウィーン少年合唱団にとって、日本は国際親善の場であると同時に有力な収入源だと思います。近年、海外の少年合唱団の来日が減った最大の理由は、日本における少年合唱の人気が衰退してきて、観客が高齢化して以前ほど観客動員が見込めなくなってきたことです。かつてウィーン少年合唱団は約3か月間全都道府県で公演していたこともあります。先ずは、日本の今ある少年合唱団を応援して、少年合唱の魅力を伝えることが大切ではないでしょうか。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250410/k10014775261000.html
なお、合唱曲に編曲された「ほたるこい」は、日本各地の少年(児童)合唱団はもとより、ビッグマンモスも歌っていました。