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イギリスの場合、基本的に少年合唱団というよりも少年聖歌隊ですから、聖歌を歌う時は、その宗派のカソック等の聖衣を着て演奏しています。イギリスの学校では、パブリックスクールでは伝統的に制服として半ズボンが長く残っていましたが、70年代後半から都市部の公立校で長ズボンへの移行が進みました。そこには、子どもの権利意識の高まりと、親の「幼く見せたくない」という意識変化が影響していると考えられます。
20世紀末(1996~2004)にイギリスの各聖歌隊のトップソリストを集めて作られたボーイズ・エア・クアイアの服をみると、その当時のイギリスの少年服を知ることができます。ただ、現在と時代が違うので、単純比較はできませんが、半ズボンが残っていることも注目すべきことです。
「青い鳥」
「静かにモイル」
「天には栄を」
「デュラマン&シュレ・アルーン」
「ミゼレレ」
東ヨーロッパの多くの国々の少年合唱団では、1980~1990年代まで半ズボン制服でした。ソフィア少年合唱団は現在でも半ズボン制服です。このように、制服も国による違いがあります。
(ポーランド)
ポズナン少年合唱団「美しい女性のとき」 - ポーランドのクリスマスキャロル(1993)
ポズナン少年合唱団「アヴェ・マリア」
(ブルガリア)
ソフィア少年合唱団 「モスクワサウンド」(2012)
プロヴディフ少年合唱団(1989)
プロヴディフ少年合唱団(2008)
ウィーン少年合唱団の制服は、ハプスブルグ王朝の宮廷聖歌隊(残っている写真では、詰襟の軍服)から現在の組織になって以来ずっとセーラー服ですが、この服装は19世紀後半から20世紀初頭における上流階級の少年服でありました。ところが、私服においては、いくつかの映画にも見られるようにドイツやオーストリアで伝統的に着用される、吊りベルト式の半ズボンレーダーホーゼンをはいていました。特に、オーストリアのトラッハト(民族衣装)のジャケットと組み合わせて着用されることがあります。また、村上春樹の短編小説「レーダーホーゼン」も有名です。このように、ウィーン少年合唱団も私服では半ズボンをはいていた時代もありました。
「トリッチトラッチポルカ」(1969)
パリ木の十字架少年合唱団は、ステージによって宗教曲を歌う時は、アルバ(長いローブ)を着、世俗曲を歌う時は制服があります。その制服は、水色の長袖シャツ(胸ポケットに「PCCB」の刺繍入り)、ネイビーブルーのセーター、ネイビーブルーの半ズボンまたは長ズボン、白いハイソックス、黒またはネイビーブルーの革靴で構成されます。なお、制服半ズボンの丈は1980年頃を境に長くなっています。
「フランスと世界の道路で」(1977) &list=RDg4ohpeGRH4M&index=17
「時が来る」(1989)
解散したドイツのシェーネベルグ少年合唱団は、創立時はともかく、長年にわたって半ズボンに白いハイソックスの制服がトレードマークでしたが、21世紀には、制服が長ズボン化しています。
「一年で最も美しい時期はクリスマスです」 (1995)
「メドレーベルリンメロディー」 (2002)
ビッグマンモスを研究することは、同時代の文化史を研究することにもなります。当時の少年服は、戦後の貧しさを脱却して非常に洗練されてきました。ここでは、歌と共に、私服のビッグマンモスの姿を通して、当時の日本の少年ファッションをご覧ください。また、この当時の少年服が世界的にどうであったのかは、ホームページの関連部分の文をお読みください。
君達は太陽さ
熱く!バビューン
オーシャンゼリゼ
わんぱくマーチ
なお、ビッグマンモスが活躍したのは、昭和41(1966)~昭和57(1982)まで放送された『ママと遊ぼうピンポンパン』という番組の最後の7年間です。この番組の全体像を描いたホームページとしては、『ピンポンパンの部屋』があります。ビッグマンモスの研究も、『ママと遊ぼうピンポンパン』という番組の全体像や、当時の幼児番組について発展していくことが考えられます。
https://jrmkyushu.ojaru.jp/pinponpan.html
これまでも、奏やんの歌を追いかけてきましたが、YouTube動画チャンネル「奏やんの音楽部屋」は、一人のボーイ・ソプラノを与えられた少年の成長記録としても価値あるものだと思います。
このホームページでは、世界のボーイ・ソプラノの成長記録を追っています。日本にもこのような少年がいるのです。ほかにも素晴らしい歌がありますので、「奏やんの音楽部屋」を検索して鑑賞してください。
「いのちの歌」(小6)
「心の瞳」(小6)
「Far away / 彼方の光」(中1)
「Sento nel core」(中2)
「花」(中3) https://www.youtube.com/shorts/OhbQ01xkZeY
ところで、奏やんのソロコンサートが、8月23日(土)夕方 常盤アリーナ 小ホール(兵庫県神戸市長田区)で開かれる予定です。詳細は、追ってINDEXページでご紹介します。
中田喜直「ちいさい秋 みつけた」
テルツ少年合唱団コンサート
00:00「野ばら」 02:24「菩提樹」 05:22 「ローレライ」 08:07 「流浪の民」
以下は、テルツ少年合唱団による親しみやすい曲の動画を挙げました。
「天使の糧」
「まことのおからだ」
「南国の薔薇」
テルツ少年合唱団の初来日の演奏は、CD化されましたが、2000年の来日は、テレビ放送されました。これは、2000年の演奏で、ルートヴィヒ・ミッテルハンマー (Ludwig Mittelhammer)が中心的なソリストです。
「ミリアム勝利の歌」 (part 1)
「ミリアム勝利の歌」 (part 2)
「ミリアム勝利の歌」 (part 3)
「ミリアム勝利の歌」 (part 4)
「流浪の民」
アーチ―・ホワイト(Archie White)は、ボーイ・ソプラノからカウンターテナーに移行したので、その境目がよくわかりません。また、個人のYouTubeチャンネルを持っていますので、その歌声を追うことができます。また、アンドルー・ロイド・ウェッバーの『レクイエム』のボーイ・ソプラノソリストとして来日演奏したマックス・トーマスとデュエットをした動画もあります。
YouTubeチャンネル https://www.youtube.com/@archieomwhite9147
ピエ・イエズ (フォーレ)
スターバート・マーテル(ペルゴレージ)
しかし誰が耐えられるだろうか(ヘンデル『メサイア』)
マックス・トーマスとアルト・アーチー・ホワイトがアントニオ・ヴィヴァルディの「ラウダマス」を歌う
20世紀のうちは、民放(テレビ朝日系列)も含め、テレビ放送がありました。
1994 Wiener Sängerknaben
1994 Wiener Sängerknaben 「流浪の民」 &list=PLz6nrEwheoYEqm6y6KWjMiDr34n8k41zt&index=10
1994 Wiener Sängerknaben アンコール
また、ウィーン少年合唱団の生活を撮影したビデオも発売されました。
1993 Wiener Sangerknaben Documentary Part I
Wiener Sangerknaben Documentary Part II &list=PL84A45E67C91A76A3&index=42
昨日に続き、1983年~1989年の放送です。1989年には、後年、カウンターテナーになったマックス・エマニュエル・ツェンチッチが来日しています。
Vienna Boys Choir in Tokyo Japan in 1983 Part 3
Vienna Boys Choir in Tokyo Japan in 1983 Part 4
Vienna Boys Choir in Tokyo Japan in 1983 Part 5
Wiener Sängerknaben Concert in Japan 1986 &list=PLz6nrEwheoYEqm6y6KWjMiDr34n8k41zt&index=2
Wiener Sängerknaben Concert in Japan 1989 &list=PLz6nrEwheoYEqm6y6KWjMiDr34n8k41zt&index=3