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村山忠義、石井亀次郎、金子一雄、小笠原英夫などは、名前だけでなくプロフィールも残っていますが、レコードにその名は刻まれていても、プロフィールが不明な、少年童謡歌手もいます。なお、日本少年赤十字団員の歌った「少年赤十字団歌」のレコードは、関東大震災があった大正12(1923)年のレコーディングです。また、第二次世界大戦前も兵隊さんあるいは軍人は、子どもたちにとってのあこがれの職業として歌われていたこともわかります。
小笠原 英夫 「旗は日の丸」 1932
小笠原 英夫 「おいつちにの兵隊さん」
桑原 邦夫 「ごむのまり」
桑原 邦夫 「輝け少年日本‐働く少年達の為に‐」 1935
「日本の少年赤十字 第二」(少年赤十字団歌 第二) 日本少年赤十字団員
金子一雄は、山田耕筰が作曲した多くの童謡と歌曲を録音しています。そこで、何回かに分けて年代別にご紹介します。
なお、師の山田耕筰は、明治37(1904)年、東京藝術大学音楽学部の前身である東京音楽学校に入学、明治41(1908)年に本科声楽科を卒業しました。声は、テノールであったと言われています。その後、東京音楽学校の研究科に進み、在学中の明治43(1910)年には岩崎小弥太の援助を受けてドイツに留学します。4年間のベルリン高等音楽学校留学中は、作曲を学びました。ということは、ドイツで、優れたボーイ・ソプラノの歌声に接したことはあるでしょうが、本格的な少年発声の指導方法を学んで帰国したとは言えません。
「結局、金子一雄は、山田耕筰にいじくられて自然な歌声を失ってしまったのではないかと評価している人もいます。」ということを含めて加筆したのは、そういうことも併せてお聴きくださいと言う意味です。
金子一雄 「酸模(すかんぽ)の咲くころ」 1931
金子一雄 「この道」 1931 &list=OLAK5uy_nlLW9n6LS6xvn24oBeCKBaIzRkhRlknYI&index=11
金子一雄 「赤とんぼ」 1931
金子一雄 「待ちぼうけ」 1931 &list=OLAK5uy_nlLW9n6LS6xvn24oBeCKBaIzRkhRlknYI&index=13
金子一雄 「あの子のお家」 1931 &list=OLAK5uy_nlLW9n6LS6xvn24oBeCKBaIzRkhRlknYI&index=14
今年は、昭和100年です。昭和の初めごろの日本の少年の歌声はどうだったでしょうか。
村山忠義と石井亀次郎のプロフィールの詳細については、「日本のソリスト」をお読みください。村山忠義は、第二次世界大戦で戦死しています。石井亀次郎は、童謡歌手引退後、東洋音楽学校に入学しますが中退。その後、奥田良三に師事して、石井肇及び、石井亀次郎名義で軍歌などを多く吹き込んでいます。声はハイ・バリトンです。戦後は、「やさしい和尚さん」(石井亀次郎とキングホウズキ会)で第1回日本レコード大賞・童謡賞を受賞しています。
村山忠義「子どもの大工」 1927
村山忠義 「時計屋の時計」 1928
平井 英子・石井亀次郎 「母を慕ふ歌」 1930
石井亀次郎 「どんぐり」 1931
石井亀次郎 「赤い汽車」 1931
森の木児童合唱団は、昭和54(1979)年に童謡歌手の川田正子によって設立された合唱団で、川田正子の母・須摩子が病に倒れたことを機に、童謡作家の海沼實が創設した音羽ゆりかご会の会員を引き連れて森の木児童合唱団を創立しました。最初は名前がなく、レコード収録の時に『川田正子児童合唱団』という仮名にしていました。平成18(2006)年1月22日に川田正子が虚血性心不全で亡くなった後、平成20(2008)年に解団しました。現在は、ことのみ児童合唱団として活動中です。
団名の由来は『一人一人に個性があって、それがハーモニーになれば、もっと大きな何かを生み出す。ちょうど樹木が集まって大きな木になるように。そうだ「森の木」はどうだろう。』と川田が考案したそうです。
林幸生は、古典的な童謡から「みんなのうた」や「ひらけ!ポンキッキ」新しい童謡まで多くの曲をレコーディングしています。
「どんぐりころころ」
「春よこい」
NHKみんなのうた 「しらんぷり」
NHKみんなのうた 「お兄ちゃんずるい」
ひらけ!ポンキッキ 「まけるなうんち」
タンポポ児童合唱団は、千葉県千葉市花見川区を拠点として、昭和58(1983)年に活動を開始した児童合唱団。指導者・大瀧秀子の「親子孫の三代で歌いましょう」という理念のもと、全国各地の老人ホームや施設で伸びやかな歌唱を披露し、多くのファンを生みました。従って、レパートリーは、童謡・唱歌が中心ということになります。その自然な歌声は数多くの童謡・唱歌のCDに残されています。27年間活動を続けた後、平成22(2010)年4月に少子化を理由に惜しまれつつ解団。代表アルバムは『歌は時代(とき)をこえて-明治・大正・昭和・平成をかけぬけたうた-』などがあります。タンポポ児童合唱団の理念は、「ゆりかごのうた」のバックに流れる文をお読みください。
なお、福村亮治は、「こいのぼり」「せいくらべ」「クマのぬいぐるみ」を独唱してレコーディングした代表的ソリストと言えるでしょう。
「こいのぼり」
「せいくらべ」
「クマのぬいぐるみ」
(字幕には、吉岡祐介と出てきますが、確認したところ、これは、福村亮治の歌です。)
なお、吉岡祐介(東京放送児童合唱団)の歌はこちらです。1987年に「みんなのうた」で放送されたものの録音です。
YouTubeを検索していたら、【高齢者・認知症の人が喜ぶ!】なつかしい童謡・唱歌集という題名のYouTubeチャンネルが出てきました。「やだねったら、やだね。この枕詞!」どうしたら、子どもたちや若者に好んで歌われ、鑑賞される童謡・唱歌になるかという発想が全くないと思います。
リンク先でもあるサキ・ルイスさんがコンサートを企画してくださったので、名古屋でマイキー・ロビンソンの歌声に直接接することができました。お母さまが日本人ですので、日本の歌も歌ってくれました。
「私のお父さん」
「きよしこの夜」
「浜辺の歌」
「(カッチーニの)アヴェ・マリア」
「花は咲く」
サキ・ルイスさんのブログやX(旧Twitter)は、現在新たな情報発信がない状態ですが、イギリスを中心に今ボーイ・ソプラノの頂点にある、あるいはこれから伸びることが期待されるトレブル(アクセル・リクヴィン、マイキー・ロビンソン、カイ・トーマス、コーマック・トンプソンなど)と、直接交流して日本に紹介されたという大きな功績があります。
ウィンチェスター大聖堂聖歌隊は、現在では少女も入れるようになりましたが、演奏は少年・少女別のものと、合同のものがあるようです。ここでは、少年と男声による混声合唱を集めていました。
「きよしこの夜」
「ああ偉大なる謎」
「明日はダンスの日」
「私たちに子供が生まれたのです」
「イン・パラディズム」(フォーレの「レクイエム」より)
ポール・マイルズ=キングストンのLPには、アンドリュー・ロイド・ウェバーの「レクイエム」の「ピエ・イエズ」は、入っていませんが、初演や、その後の歌声は、YouTube動画で視聴することができます。
ポール・マイルズ=キングストン 「ヌンク・ディミティス」
サラ・ブライトマンとポール・マイルズ=キングストンによる「ピエ・イエズ」初演(1985年 13歳)
サラ・ブライトマンとポール・マイルズ=キングストン(1987年 15歳)による「ピエ・イエズ」
親子の声はよく似ていると言われますが、ポール・マイルズ=キングストンとウィル・マイルズ=キングストンは親子であるだけでなく師弟でもあります。聴き比べてみましょう。
ウィル・マイルズ=キングストンChorister of the Year 2019)
ウィル・マイルズ=キングストン 「主があなたを祝福し守られますように」 (John Rutter)
少年時代の牛田智大の声の特徴は、高めの声ながらも、透明感のある澄んだ声で、品のある落ち着いたトーンでした。また、落ち着いた話し方で、大人びた印象を与えていました。インタビューでも丁寧に受け答えしていました。
牛田智大くんインタビュー
はしゃぐ牛田智大くん &t=4s
ねこ大好き牛田智大
牛田智大ピアノへの思い
「遥かなる時をこえて」牛田智大
牛田智大のピアノ演奏は、CDやDVD(BR)やYouTube動画で視聴できますが、ピアノに向かう姿勢を語る動画もあります。デビューした頃の声は美しかったのですが、変声後の今は普通です。まあ、声楽家ではないですからね。
【メッセージ】牛田智大:リサイタルツアーに向けて
第12回浜松ピアノコンクール特別対談(恩田陸・牛田智大)
牛田智大【ショパン/シューマン/シューベルト】
1月18日にも演奏したショパンの「バラード1番」とシューマンの「トロイメライ」をお聴きください。演奏も、年齢とともに変化していきますが。
牛田智大 - ショパン: バラード 第1番 ト短調 作品23
牛田智大 - シューマン:トロイメライ