「アルプス一万尺」の原曲やこの歌が日本で広がってきた歴史は、本文をお読みください。この歌は、児童合唱団でもよく歌われていただけでなく、カメラのキタムラのCMソングをはじめいくつかのCMソングとしても使われています。
ビッグマンモス
西六郷少年合唱団
NHK東京児童合唱団
東京少年少女合唱隊
カメラのキタムラCM
「アルプス一万尺」の原曲やこの歌が日本で広がってきた歴史は、本文をお読みください。この歌は、児童合唱団でもよく歌われていただけでなく、カメラのキタムラのCMソングをはじめいくつかのCMソングとしても使われています。
ビッグマンモス
1970年代になって「みんなのうた」から児童合唱が減ってきた傾向について述べましたが、全くなくなったわけではありません。相互リンク先の「ルネサンス合唱曲と少年合唱の部屋」では、そのような曲を「多重録音・ボーカロイド作品」で紹介しています。ここでは、1970年代の「みんなのうた」児童合唱で聴いてみましょう。「小さな木の実」は、大庭照子が創唱しているのですが、今回は児童合唱で。
「小さな木の実」 西六郷少年少女合唱団
スタス・ミハレヴィッチ(Stas Mikhalevich)
マックス・エマニュエル・ツェンチィッチ)Max Emanuel Cencic
ヘンデルのオペラ『リナルド』(Rinaldo)は、1711年に初演された作品で、ヘンデルのイタリア時代の代表作の一つです。このオペラ『リナルド」中のアリア”Lascia ch'io pianga”は、「私を泣かせてください」あるいは「涙の流るままに」等と訳されていますが、このアリアは、ヒロインのアルミレーナが囚われの身となり、その苦しみと哀しみを歌う場面で演奏されます。シンプルで美しい旋律ですが、聴く人の心に深く響き、歌詞は、哀しみと苦しみを訴える内容であり、歌手の感情表現が重要です。また、バロック音楽特有の装飾音やハーモニーが取り入れられています。映画『カストラート』の中でも、主人公のファリネッリ(カルロ・ブロスキ)によって歌われる場面があります。
アクセル・リクヴィン(Aksel Rykkvin)
「童謡こどもの歌コンクール」と「一般社団法人 全日本こどもの歌教育協会」では、設立の理念が違いますから、当然のことながら、コンクールで歌われている歌やその評価は、重なりはあっても、審査基準は同じではありません。
「童謡こどもの歌コンクール」の理念 https://www.douyou-contest.com/greeting/
「一般社団法人 全日本こどもの歌教育協会」の理念 https://www.sing.or.jp/guide/
今回採り上げた髙崎佑心と新村京介の歌を聴き比べてもよいでしょう。今後も、全国大会に出場した少年を紹介しますが、動画のアドレスは同じです。
新村京介「てるてる坊主」
村山忠義、石井亀次郎、金子一雄、小笠原英夫などは、名前だけでなくプロフィールも残っていますが、レコードにその名は刻まれていても、プロフィールが不明な、少年童謡歌手もいます。なお、日本少年赤十字団員の歌った「少年赤十字団歌」のレコードは、関東大震災があった大正12(1923)年のレコーディングです。また、第二次世界大戦前も兵隊さんあるいは軍人は、子どもたちにとってのあこがれの職業として歌われていたこともわかります。
小笠原 英夫 「旗は日の丸」 1932
金子一雄は、山田耕筰が作曲した多くの童謡と歌曲を録音しています。そこで、何回かに分けて年代別にご紹介します。
なお、師の山田耕筰は、明治37(1904)年、東京藝術大学音楽学部の前身である東京音楽学校に入学、明治41(1908)年に本科声楽科を卒業しました。声は、テノールであったと言われています。その後、東京音楽学校の研究科に進み、在学中の明治43(1910)年には岩崎小弥太の援助を受けてドイツに留学します。4年間のベルリン高等音楽学校留学中は、作曲を学びました。ということは、ドイツで、優れたボーイ・ソプラノの歌声に接したことはあるでしょうが、本格的な少年発声の指導方法を学んで帰国したとは言えません。
「結局、金子一雄は、山田耕筰にいじくられて自然な歌声を失ってしまったのではないかと評価している人もいます。」ということを含めて加筆したのは、そういうことも併せてお聴きくださいと言う意味です。
金子一雄 「酸模(すかんぽ)の咲くころ」 1931
今年は、昭和100年です。昭和の初めごろの日本の少年の歌声はどうだったでしょうか。
村山忠義と石井亀次郎のプロフィールの詳細については、「日本のソリスト」をお読みください。村山忠義は、第二次世界大戦で戦死しています。石井亀次郎は、童謡歌手引退後、東洋音楽学校に入学しますが中退。その後、奥田良三に師事して、石井肇及び、石井亀次郎名義で軍歌などを多く吹き込んでいます。声はハイ・バリトンです。戦後は、「やさしい和尚さん」(石井亀次郎とキングホウズキ会)で第1回日本レコード大賞・童謡賞を受賞しています。
村山忠義「子どもの大工」 1927
森の木児童合唱団は、昭和54(1979)年に童謡歌手の川田正子によって設立された合唱団で、川田正子の母・須摩子が病に倒れたことを機に、童謡作家の海沼實が創設した音羽ゆりかご会の会員を引き連れて森の木児童合唱団を創立しました。最初は名前がなく、レコード収録の時に『川田正子児童合唱団』という仮名にしていました。平成18(2006)年1月22日に川田正子が虚血性心不全で亡くなった後、平成20(2008)年に解団しました。現在は、ことのみ児童合唱団として活動中です。
団名の由来は『一人一人に個性があって、それがハーモニーになれば、もっと大きな何かを生み出す。ちょうど樹木が集まって大きな木になるように。そうだ「森の木」はどうだろう。』と川田が考案したそうです。
林幸生は、古典的な童謡から「みんなのうた」や「ひらけ!ポンキッキ」新しい童謡まで多くの曲をレコーディングしています。
「どんぐりころころ」