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ビッグマンモスを研究することは、同時代の文化史を研究することにもなります。当時の少年服は、戦後の貧しさを脱却して非常に洗練されてきました。ここでは、歌と共に、私服のビッグマンモスの姿を通して、当時の日本の少年ファッションをご覧ください。また、この当時の少年服が世界的にどうであったのかは、ホームページの関連部分の文をお読みください。
君達は太陽さ
熱く!バビューン
オーシャンゼリゼ
わんぱくマーチ
なお、ビッグマンモスが活躍したのは、昭和41(1966)~昭和57(1982)まで放送された『ママと遊ぼうピンポンパン』という番組の最後の7年間です。この番組の全体像を描いたホームページとしては、『ピンポンパンの部屋』があります。ビッグマンモスの研究も、『ママと遊ぼうピンポンパン』という番組の全体像や、当時の幼児番組について発展していくことが考えられます。
https://jrmkyushu.ojaru.jp/pinponpan.html
これまでも、奏やんの歌を追いかけてきましたが、YouTube動画チャンネル「奏やんの音楽部屋」は、一人のボーイ・ソプラノを与えられた少年の成長記録としても価値あるものだと思います。
このホームページでは、世界のボーイ・ソプラノの成長記録を追っています。日本にもこのような少年がいるのです。ほかにも素晴らしい歌がありますので、「奏やんの音楽部屋」を検索して鑑賞してください。
「いのちの歌」(小6)
「心の瞳」(小6)
「Far away / 彼方の光」(中1)
「Sento nel core」(中2)
「花」(中3) https://www.youtube.com/shorts/OhbQ01xkZeY
ところで、奏やんのソロコンサートが、8月23日(土)夕方 常盤アリーナ 小ホール(兵庫県神戸市長田区)で開かれる予定です。詳細は、追ってINDEXページでご紹介します。
中田喜直「ちいさい秋 みつけた」
テルツ少年合唱団コンサート
00:00「野ばら」 02:24「菩提樹」 05:22 「ローレライ」 08:07 「流浪の民」
以下は、テルツ少年合唱団による親しみやすい曲の動画を挙げました。
「天使の糧」
「まことのおからだ」
「南国の薔薇」
テルツ少年合唱団の初来日の演奏は、CD化されましたが、2000年の来日は、テレビ放送されました。これは、2000年の演奏で、ルートヴィヒ・ミッテルハンマー (Ludwig Mittelhammer)が中心的なソリストです。
「ミリアム勝利の歌」 (part 1)
「ミリアム勝利の歌」 (part 2)
「ミリアム勝利の歌」 (part 3)
「ミリアム勝利の歌」 (part 4)
「流浪の民」
アーチ―・ホワイト(Archie White)は、ボーイ・ソプラノからカウンターテナーに移行したので、その境目がよくわかりません。また、個人のYouTubeチャンネルを持っていますので、その歌声を追うことができます。また、アンドルー・ロイド・ウェッバーの『レクイエム』のボーイ・ソプラノソリストとして来日演奏したマックス・トーマスとデュエットをした動画もあります。
YouTubeチャンネル https://www.youtube.com/@archieomwhite9147
ピエ・イエズ (フォーレ)
スターバート・マーテル(ペルゴレージ)
しかし誰が耐えられるだろうか(ヘンデル『メサイア』)
マックス・トーマスとアルト・アーチー・ホワイトがアントニオ・ヴィヴァルディの「ラウダマス」を歌う
20世紀のうちは、民放(テレビ朝日系列)も含め、テレビ放送がありました。
1994 Wiener Sängerknaben
1994 Wiener Sängerknaben 「流浪の民」 &list=PLz6nrEwheoYEqm6y6KWjMiDr34n8k41zt&index=10
1994 Wiener Sängerknaben アンコール
また、ウィーン少年合唱団の生活を撮影したビデオも発売されました。
1993 Wiener Sangerknaben Documentary Part I
Wiener Sangerknaben Documentary Part II &list=PL84A45E67C91A76A3&index=42
昨日に続き、1983年~1989年の放送です。1989年には、後年、カウンターテナーになったマックス・エマニュエル・ツェンチッチが来日しています。
Vienna Boys Choir in Tokyo Japan in 1983 Part 3
Vienna Boys Choir in Tokyo Japan in 1983 Part 4
Vienna Boys Choir in Tokyo Japan in 1983 Part 5
Wiener Sängerknaben Concert in Japan 1986 &list=PLz6nrEwheoYEqm6y6KWjMiDr34n8k41zt&index=2
Wiener Sängerknaben Concert in Japan 1989 &list=PLz6nrEwheoYEqm6y6KWjMiDr34n8k41zt&index=3
1970~80年代は、ウィーン少年合唱団は2~3年に1度の来日でしたが、テレビで放送されることも多くありました。なお、この時代までは、第1部 宗教曲 第2部 オペレッタ 第3部 歌曲とウィンナワルツ・ポルカという構成で、現在の2部構成とは違います。
1978 "Pueri concinete" by Herbeck
1978 Vienna Boys Choir - operetta-1
1978 Vienna Boys Choir - operetta-2 &t=9s
Vienna Boys Choir in Tokyo Japan in 1983 Part 1
Vienna Boys Choir in Tokyo Japan in 1983 Part 2
これまで同様、それぞれの歌を歌った少年の名前ではなく、その原曲を歌った歌手の名前で紹介しています。この時代には、子どもののど自慢番組が多くありましたが、今ではほとんどありません。ところが、海外に目を向けると、結構あるんですね。半世紀前にビッグマンモスが示した道を、今、ウィーン少年合唱団が追いかけているのではないかとさえ思います。
また、このホームページは、クラシック系の音楽が中心ではありますが、クラシック音楽だけが尊いという考えではありません。20世紀後半になって、なぜクラシック音楽が衰退してきたのか、そこには何が欠けていたのかということを真正面から問いかけていきたいと思っています。数少なくなった日本の少年合唱団(隊)を側面から応援してこそと考えています。
新沼謙治「村祭りの前に」
あいざき真也「セクシー・レディー」
狩人(11才)「あずさ2号」
清水健太郎(12才)「失恋レストラン」
西城秀樹(12才)「ボタンを外せ」
前回同様、それぞれの歌を歌った少年の名前ではなく、その原曲を歌った歌手の名前で紹介しています。ビッグマンモスとその時代を理解するためには、同時期の日本の歌謡界を理解する必要があります。
沢田研二「勝手にしやがれ」
野口五郎「むさし野詩人」
布施明(12才)「旅愁・斑鳩にて」
小林旭(10才)「昔の名前ででています」
森進一「おふくろさん」