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ガブリエル・マルデールの歌声を集めて(2)

「別れることは考えていませんでした」 

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「あなたは私の春」 2023 
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リサイタル ヘルマンシュタット フェスト 2024  

「私の優しくて甘い獣」  


 ガブリエル・マルデールは、YouTubeチャンネルをもっていますので、その歌声を追うことができます。
https://www.youtube.com/@louisemardale/videos

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ガブリエル・マルデールの歌声を集めて(1)

「私の心は続く(My Heart Will Go On)」(映画『タイタニック」のテーマ)


「木」 (アウレリアン・アンドレースク)2021  

「許し」- ミハエラ・ランセアヌ・トロフィー 2022  

10~12歳部門 - 最優秀賞 - マルデール・ガブリエル・マリアン (スロボジア)  
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「それは本当だよ、愛しい人」 
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桃太郎少年合唱団第62回定期演奏会

 公開された桃太郎少年合唱団第62回定期演奏会の映像をご覧ください。コンサートレポートは、ホームページのコンサートコーナーに書いております。

プログラム https://momotaroboyschoir.blogspot.com/p/past-concerts.html
第1ステージ 僕たちが選んだ歌


第2ステージ 児童合唱と管弦楽のための組曲(ピアノ・ディダクション版)「えんそく」より 

第3ステージ 団員によるソロ・アンサンブル

第4ステージ OBとともに

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第二次世界大戦中の外国における子ども向けの戦意高揚の歌

 第二次世界大戦中、日本だけでなく、参戦した各国で子ども向けの戦意高揚の歌が作られました。代表的なものをいくつか紹介します。事実を知ることは大切です。

(連合国)
アメリカ 「Praise the Lord and Pass the Ammunition」(主を讃え、弾薬を渡せ)
 1942年に発表された曲で、米軍兵士を鼓舞する内容でした。子ども向けに直接作られたものではないものの、学校やラジオを通じて親しまれました。



イギリス「There’ll Always Be an England」
イギリスの存続と団結を誇る歌で、戦時中に子どもたちも学校で歌いました。


ソビエト連邦 「Катюша」(カチューシャ)
1938年に作られた歌ですが、戦時中に特に人気となりました。少女が戦場へ行った恋人を想う内容ですが、戦意高揚の側面もあり、子どもたちにも親しまれました。なお、日本では、戦後、「歌声運動」と共に、 若者の間でよく歌われるようになりました。

「ポーリュシカ・ポーレ」も、本来、赤軍賛美の軍歌ですが、日本ではテレビドラマ『冬の雲』の挿入歌として仲雅美が歌った曲として恋愛の歌として伝わりました。映画『独立少年合唱団』も、合唱団の顧問教師・清野(香川照之)が過激派崩れという設定のためか、生徒にロシア民謡・軍歌を歌わせています。

(枢軸国)
ドイツ(ナチス・ドイツ)「Unsere Fahne flattert uns voran」(我らの旗は翻る)
ナチス青少年団(ヒトラーユーゲント)の公式歌で、子どもたちにも歌われました。ドイツの未来と国のために尽くすことを奨励する内容でした。なお、「このビデオはナチズム等を支持するために作られたものではありません。」というお断りの文が載せられています。


イタリア「Giovinezza」(青春)
イタリアのファシスト党の公式歌で、学校や子ども向けの行事でも頻繁に歌われました。ファシズムの理想と国家への忠誠を称える内容でした。

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東京少年合唱隊の録音

 東京少年合唱隊は、昭和26(1951)年に誕生し、3年後に東京少女合唱隊が結成され、昭和39(1964)年に統合して、東京少年少女合唱隊になっています。東京少年合唱隊の頃は、そのころは、まだ日本でほとんど指導されていなかった頭声発声のモデルとして文部省唱歌をはじめとする曲を録音し、そのレコードは、主として小学校の音楽室にあったと考えられます。(そして、自分たちの歌声と全然違うと感じた子どもも多かったのでは?)当時録音されたレコードには、アヌイ神父が指揮した宗教曲もありました。宗教曲の指導は、公立中学校の教師であった長谷川新一先生にとっては、批判もあって困難もあったことでしょうが、信念として大切にしてきました。

東京少年合唱隊 「我は海の子」


東京少年合唱隊 「もみじ・村まつり」 1953年  
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東京少年合唱隊 「冬景色・スキーの歌」 1953年  

東京少年合唱隊 「牧場の朝・ふるさと」  
  
東京少年合唱隊 「グレゴリアンチャント:アニュス・デエイ」 

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 以前、TeaCupに書き込ませていただいたことを覚えてくださっていて、光栄です。2年2カ月ほど前には、メールで別名で長々と質問させていただいたこともありました。その時もご丁重にお答えいただき、ありがとうございました。
 私も昨日のNHKの「うたコン」は視聴しました。館長様が「みんなのうた」の変遷に関してご執筆されるのを楽しみにしております。

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 tamaさんは、コロナ禍の中、先代のTeaCup掲示板のときも、書き込んでくださいましたね。
昨日は、NHKの「うたコン」で、「みんなのうた」を採り上げていましたが、なぜ、「みんなのうた」で児童合唱が少なくなってきたのか等、「みんなのうた」の変遷についても執筆計画中です。

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 館長様、お返事ありがとうございました。今までもそうでしたが、これからもこのホームページを拝読し続けていきます。

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 tamaさん、お返事ありがとうございます。
 最近は、ほとんどメールでの交信になってしまって、このホームページを開設した頃は、掲示板でのやりとりだけでも動くホームページであったことを思い出し、この投稿をたいへん有難く思っております。
 1960年代から1970年代にかけてNHK「みんなのうた」を鑑賞したり、テレビの歌に合わせて歌って育ってきた人たちは、今でも少年合唱や児童合唱が好きな方が多いです。しかし、それは、「みんなのうた」や東京少年合唱隊を知っている世代の人に限られている傾向もあり、今、合唱人口や合唱ファンの高齢化が新たな課題となっています。その当時、全国各地に生まれた約40数団体の少年合唱団(隊)も、解散したり、少年少女合唱団になったりして、現在、日本でわずか8団体(+α)になっています。
 その魅力を伝え、発展させるために、微力を尽くしておりますが・・・いろいろと間口を広げて、少年合唱やボーイ・ソプラノの魅力を伝えていきたいと思っております。

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私が初めて東京少年合唱隊の歌声に出合ったのは、1961年に始まったNHK「みんなのうた」においてでした。テレビから流れてくる、澄んでよく響く高音の歌声に「日本にも、こんな声の出る男の子たちがいたんだ!」と、衝撃を受けました。まさに、館長様が書いていらっしゃる「自分たちの歌声と全然違うと感じた子ども」の1人は私(女の子)でした。
 以来今日まで、六十数年間、少年合唱ファンであり続けています。しかし時は流れ、少年合唱をめぐっては、さまざまな問題が出てきているようですね。

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改訂して戦後生き残った歌

戦争中の戦意高揚の歌は、戦後占領中は、GHQの支配の下で、放送されることはなくほとんど歌われることはなくなりました。(宴会等で軍歌が歌われることや、親が子どもに軍歌や戦時歌謡を教えることはあったと思います。)なお、子どもの歌の中にも、改訂して(歌詞を変えて)歌われたものもあります。どこが変わったか聴き比べてください。

 「兵隊さんの汽車」は、昭和20(1945)年 終戦後に「汽車ポッポ」と改作され、広く親しまれるようになりました。 
「兵隊さんの汽車」 齊藤達雄 大久保遼子  


「汽車ポッポ」 坂本秀明  

「汽車ぽっぽ」 NHK東京児童合唱団 


 「お山の杉の子」も同様です。
「お山の杉の子」(昭和19 1944年)安西愛子、加賀美一郎、寿永恵美子 

「お山の杉の子」(戦後の歌詞改訂バージョン)安西 愛子・川田 孝子・伴 久美子  

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戦時歌謡的な子どもの歌

 戦争が始まったころは、元気な歌が多いのですが、敗色が濃くなるにつれて明るい中にも悲壮感のある歌になってきています。

(童謠)斎藤 達雄 ♪僕等の行進曲♪ 昭和13(1938)年 78rpm record. Columbia Model No G ー 241 phonograph.  


日本子供の歌(鈴木安江・小坂勝也) 昭和13(1938)年 少国民愛国歌

みくにの汽車 [テイチク少国民合唱団] 昭和18(1943)年 躍進鉄道歌

霧島昇「勝利の日まで」昭和19(1944)年 

加賀美 一郎・岡本 美智子・♪お國のために♪ 昭和20(1945)年 78rpm. Columbia Model No G ー 241 phonograph.  

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戦争が始まると

 昭和初期といっても、昭和12(1937)年の日中戦争以前と以後では、子どもの歌にも大きな変化が見られます。戦時中には、戦時歌謡的な要素を持つ曲が多く作られ、それは、大人だけでなく、当時「少国民」と呼ばれた子どもによって歌われることもありました。この時期の代表的な曲としては、「愛国行進曲」「海ゆかば」(昭和12 1937年)「同期の桜」(昭和16 1941年)などが挙げられます。これらの歌は、当時の社会情勢や国民の心情を反映しており、戦時中の日本の文化や歴史を理解する上で重要な資料となっています。また、子どもたちも「国を愛する心」や「戦争への協力意識」を育てることが重視され、歌の歌詞やテーマにそのような要素が強く表れました。「兵隊さんありがとう」や「愛国行進曲」のような軍人や戦争を賛美する内容が多く含まれています。これらの曲は、子どもがすぐに覚えられるよう、単純でリズミカルなメロディや、繰り返しの多い歌詞が用いられました。これにより、歌は広く普及し、短期間で多くの子どもたちが共有できる文化となりました。一方、「赤とんぼ」や「七つの子」といった詩的で感傷的な歌は、戦時色が強まる中で次第に影を潜めました。なお、これは、日本だけのことではなく、他の国々でも戦時中に士気を高めたり、愛国心を鼓舞するための歌が多く作られました。

兵隊さんよありがとう  昭和13年当時、新聞社の一般皆唱募集にての童謡 松原操・飯田ふさ子・コロムビア児童合唱団   


愛国行進曲 斎藤 達雄・大久保 澄子・矢島 英子・佐々木 陽子  

童謡 足なみ揃えて 望月 誠 

童謡 ニコニコピンピンの歌 小坂勝也  

童謡 小馬 小坂勝也 

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金子一雄の童謡と歌曲(その4)

金子一雄 御誕生、御誕生 1933


金子一雄 砂山 1934 

金子一雄 蘭の花 1935 


1935年と言えば、金子一雄は16歳です。変声前から変声後まで一人の少年の歌声を追って聴くことができます。「御誕生、御誕生」は、現在の上皇陛下のお誕生を祝って作られた歌ですが、国歌「君が代」がアレンジされています。

 この時期の童謡には、「昭和の子供」(昭和7 1932)年、「早起き時計」(昭和9 1934)年のように、戦争とは関係ない歌が歌われています。昭和12(1937)年の日中戦争以後、戦時歌謡的な要素を持つ子どもの歌が多く作られ、歌われました。しかし、これらは、現在ほとんど歌われていません。
小笠原 英雄「昭和の子供」 

上山 隆「早起き時計」

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変声前と変声後の原田光

 映画『馬頭琴夜想曲』(メイキング映像)では、ボーイ・ソプラノの原田光の歌声や話し声を聴くことができます。 
映画『馬頭琴夜想曲』 https://vk.com/video-136471876_456241883
木村威夫監督作品映画『馬頭琴夜想曲』メイキング映像  

 

 変声後のバリトンの歌声をお聴きください。
シューマン作曲「私のバラ」 

武満 徹作曲「死んだ男の残したものは」 

ヴォルフ作曲『炎の騎士』  

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