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まず、評をありがとうございます。
ご指摘の「筋を通す」ですが、感情もひっくるめて反自然的な存在の人間その在り方、つまり、可能性として自然の暴力的な振る舞いからは免れうる存在としての人間が、野分け何ぞの暴力性に負けてなるものかという反自然的な生き物の筋を通すということです。
また、歴史的仮名遣いを使うのは梶井基次郎の熱狂的な読者で、大正期の文章への憧れが一つ。
もちろん、中原中也への憧れもそこには含まれます。
二つ目に、昭和21年に現代仮名遣いに変わったのですが、川端康成を読んでいて、この改訂は文化の破壊に繋がるということに賛同してのことです。
また、これは私だけの感覚ですが、現代仮名遣いは目玉に突き刺さるように痛いのです。
その点歴史的仮名遣いは柔らかいのです。
また、量子論的な理由もありますが、それはここでは省略します。
以上が私が歴史的仮名遣いを使う理由です。
佳作一歩手前との評ありがとうございます。
感想をいただきありがとうございました。
私もちょっと書き足りないのではと思っておりました。
そうですね、もう少し書き足してみたいと思います。
またご指導よろしくお願いします。
感想をありがとうございます。
時期的に、終戦記念日映画をテレビで観ていて、このような詩が浮かびました。
当時の計り知れない気持ちや、一瞬でも自然を感じられたのだろうか?など頭の中を駆け巡っていました。
現在の平穏無事とは言えない状況に対して、何と答えてくれるのだろうか?
そうした事も思いました。
早く、笑いながら過ごせるそんな日が来るのを願います。
また次回も評価をお願いいたします。
三浦様
詩の感想ありがとうございます。
今回の詩は子供向けですが、社会性を取り入れてみました。子供向けでもこんな感じでも時にはありかなと思いました。
これからも宜しくお願いします。
言葉が出てこないほどに
こころが枯れてしまったのなら
今は世界からにげていよう
明日のことも考えられない
昨日を思い出したくもない
今だけで精一杯なら
にげていよう
逃げるという言葉からも
にげていよう
そうやって
一歩も外に出ず
カーテンも開けず
昼夜もわからないまま
何日経ったかも知らず
過ぎていく時間を気にも止めず
誰にも会わず
世の中で何が起こっているかも知らずに
ただ来る日を消化していたら
だんだんと
お腹が空いてきた
着替えたくなった
お風呂に入りたくなった
空気を入れ替えたくなった
外の世界にはまだ出ていけそうにない
人に会いたいとも思えないけれど
なせだろう
ふと
空を見たくなった
空はいいよな
何も考えずに
そこにいられて
ぼくは
何者にもなれやしなかったよ
こんなに絶えず
考えているのに
落ちぶれたままだ
何にも考えなかったら
空みたいになれるかな
空〈くう〉を説いたのは誰だったっけ
ぼくには無理だろうな
考えるいきものだもの
あれこれと思い悩んで
たくさん詰め込んで
パンクして
ある日
とつぜん
動けなくなる
いきものだもの
ぷつん と糸が切れ
動けなくなってから
幾日過ぎたのだろう
気づけばいつも
また同じ部屋 同じ布団で寝ている
もう何年も
この調子の繰り返し
だけど どうしても
人生を
諦めきれないような
気持ちに
なってしまうんだ
ぼくが立ち止まっていても
山の色や
聴こえる生き物の鳴き声は変わる
外気も
夜空の星も
街並みも
人も
少しずつ変わっていく
ぼくがいなくても
どうってことない世界に
虚しく取り残されたまま
生きていることも虚しい
そう呟いたら
強い風が吹いた
地球が
大きなため息を
ぼくに向かって
ついたような気がした
ぼくがいなくても
まわる世界のなかで
特別な何かはしていないけれど
呼吸をつづけていた
それが
ぼくが世界とまわるために
唯一必要なことだった
それなのに
どうしてそんなに落ち込んでいるのかと
あの風は言った気がしたんだ
窓を開けて
外気を吸い込む
夜の空気が
ぼくに流れ込んで
夜がぼくの呼吸を
受け止めてくれた
星が綺麗だ
まだ人には会えそうもない
けれども
ぼくは
ここで
世界のなかで
まわっているよ
そうして
また歩きだそうとしてしまう
転んで擦りむいてもまた
ぼくは
そういういきものなのだろう
まるで
自然の摂理のように
齋藤様 おはようございます。
暑すぎて、頭が妄想でいっぱいになってます。星の子妄想してました。もちろん踊ってます笑もう少し書いてみますね。ありがとうございます。エアコンは、つけてるのですが、29度信仰をしているので暑いのです。すみません。29度が地球と私に優しいかなという変な妄想です。すみません。もうすみませんしか言う事がありません笑暑さが続きすぎるせいです。またよろしくお願いします。
空の彼方から亡き者のいななきが
眼の前に迫って来ては通り過ぎる
地の底からは深淵からの叫びが
心の奥底深く深くに響いてくる
そんな音楽に手を触れて感じてみる
何でもない景色を一変させるような
そんな音楽を聴きながら
普段の景色の向こうに
もう一つの景色を見ている
音楽は
どこか遠くへ連れて行ってくれる
自分のことを誰も知らない
遠い遠い所へ誘ってくれる
魑魅魍魎がうごめく太古の島へ
音楽に誘われて訪れてきた
朝の静かな静かな時間に
朝の涼し気な時間に
脳は異次元の島に旅していた
或いは時空の歪みに旅してきたとも言える
ものすごい勢いで風が渦を巻き
時間がぽっかりと穴の形をして
目の前に迫って来る
そんな図像を脳は旅していた
音楽はもう一つの映画だ
眼に見えない形で映像を形作る
作曲家は即ち映画監督でもある
見えない絵を描く画家でもある
音楽は
どこか遠くへ連れて行ってくれる
自分のことを誰も知らない
遠い遠い所へ誘ってくれる
精神旅行への案内人
音楽は詩の言葉と同じように
亡き者たちの声なき声を伝えてくれる
あの世とこの世の媒介なのでは
作曲家は皆シャーマンなのでは
音楽を聴きながら
そんな思いが脳裏に焼き付いた
三浦様、詩の感想をありがとうございました。
そうですね、生き急いでいるというか、背伸びしてるんですね。背伸びしても十分に背伸びできない。そんな感じで書いた詩です。
これからは自然体で書きたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
たとえ私一人がこの一雫の水を惜しんでも 世界は何にも変わらない
馬鹿だとみんなが嗤ってる
野原で転んで膝擦りむいた 助けたタンポポ笑ってる
馬鹿だとみんなが嗤ってる
テレビのニュースで人が死ぬ 遠くの国なら関係ない
名前も知らない遠い人 目にも入らぬただの草
関係ない 関係ない みんながそう言う 関係ない
踏んでる草も関係ない 殺した虫も関係ない
魚を食べる 肉食べる 野菜は嫌いだ捨てちまえ
あたりまえだろおれたちは 言わずと知れた人間様
だからなんだと大地が割れる 陽射しはグラグラ照りつける
そんなときだけわかってる 敬意と畏れを抱いてる
だけどそれきり諦めて 天災だからと考えない
結局だあれも気がつけない
今この一雫の水を大切に想っても 津波が引いてくわけじゃなし
あたりまえだろそんなこと おまえは馬鹿だとみんなが嗤う
自分もたかだか自然だと 自然の中の一部だと
本当のことには知らんぷり 不便になるのは嫌だから
関係ない 関係ない あたりまえ あたりまえ
大きな森に逃げ込んで 思い込みで目が見えない
本当は不安な胸の内 みんなでいれば怖くない
そうしてますます目が見えない
だからせっせと灯を灯す
ギラギラ機械の灯を灯す
ギラギラギラギラ照らされて ピカピカ輝く思い込み
科学だ 進歩だ 人間だ ステレオタイプの九官鳥
ほれ見ろ あそこのあのビルを
アホウドリさえ飛び立った
それでも進歩も大切だ だからみんなで考えよう
フザケ半分でもいいよ シャレで世界を憂うフリ
本気で憂うヤツなどいるもんか それがどうやらいるらしい
成程そういうこともある 色んなヤツいておもしれえ
どちらが優れているのでなく どちらが正しいわけでもなく
ほほぅと唸る愉しさを 互いに交換すればよい
小賢しうるさい奴もいる まあ、まあ、ひとつ聴いてみる
野原に根差す意志がある 堅く貫く意志がある
虐げられた夜の扉を開かんとする信念は 風を熾して種を運び
対話の種をひらく光は 時空を超えて文化に宿る
あちら側とこちら側 立たねば知り得ぬ景色もあろう
向こうに立つのに邪魔なもの
それはいつでも翻り こちらに立つには大事な指針
正義だ主義だ経験だ 事実 真実 科学の粋
それらを信じるあっち側
感謝 寛容 可能性 伝説 神話 普遍性
それらを信じるこっち側
いやいや二極だけではない
そっちもどっちもバッジは様々
十人十色の千色万花
正義や信念とかいう思い込みに気をつけて
彼の話し終わるまでの僅かな数秒間
知らない国の音楽でも聴くように
彼の話を聴いてみよう
君の話も聴いてみよう
いつでも何かのキッカケが
平凡な野原にだって埋もれているかもしれない
どんなことにでも まさかがいつでもありえると
偉そに誰かに教えてやり 良い気分になってやろう
不純な動機でいいんだよ 私が良ければそれでいい
そんな気持ちはいつもある 色んな気持ちが誰にもある
人の心はまったくお天道さん 雨降り晴れて火事オヤジ
がっかりすること多いけど 明日は明日の風が吹く
今日のアイツは明日にはいない 今日の私も明日にはいない
変化が見えずにイライラしても ちょっとちょっとは進んでる
少し多めに見てやるか 少し多めに見てください
あたりまえ ありえない みんな言ってる ジョーシキだから
そんな思い込みの向こうに花が咲く
誰にも綺麗な花が咲く
よく晴れた朝の光にタンポポは花開く
当たり前とはそういうことなのだ
私たちに決めつけられることなんて
実はひとつもないのだろう
唯の一つもないのだろう
三浦志郎様、「生活詩」に感想をいただきありがとうございました。かなり細かな、それでいて鋭い分析、お見それいたしました。懸案に感じてた部分をあらかた言い当てられた感じです。
タイトルは本当どうしようかなと思ってたところで、最初は「生活」だけだったのですが、「生活の詩」にすると「の」は入れたくない、「生活してしまう」だと本文中のインパクトが薄れる、ということで苦肉の策で仮に「生活詩」にしてあります。
今ざっと読み返してみたのですが、やはり所々甘いという印象ですね。私としては実はもう何度も繰り返し取り上げているモチーフなのですが、最後の辺りはもう少し掘り下げた方がいいと思いました。
ご指摘ありがとうございます。また次回よろしくお願いいたします。