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ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。
(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
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今回も読んでいただき、その上、細かな点までご指導をいただき誠にありがとうございます。自分でも逆さありきたりな表現かなと感じていました。もっと語彙力や表現力を勉強しなければと実感いたしました。そして、もっといろんな題材にもチャレンジして見たく思いました。ありがとうございました。
なるほど
あのころは
乏しい時代ではあったけれども
その代わり
ひとびとは互いに語り合い
思索を愛した
平和は長つづきせず
たびたび敵国の侵略にさらされたけれども
ひとびとは怒りと憎悪に身を滅ぼすことなく
常に冷静沈着
勇気と知略を持って
危難に立ち向かった
過酷な運命に
しばしば翻弄されながらも
ひとびとは
この世界の謎に目を凝らし
謎に挑み
やがて
万物の混沌の背後に
理を見極めようとして
哲学を生み出した
いつしか
ひとびとにとって
真理と美は同じものとなり
あふれる陽光と
打ち寄せる紺碧の波から
幾多の美しい神々の像を
創り上げた
まだ世界は若かった―
ために ひとびとは
世界は変えられる、
という信念を持ち続け
虚無に魂を売り渡すことを嫌った
精神と肉体を鍛え
徳を身につけることを忘れなかった
そうしたギリシア人の
叡智の結晶こそがオリンピック―
この祭典の間、いかなる戦闘も行わないことを
諸国間で取り決めた、ひとびとの平和への願いを
今こそ思い起こしたい
そして
爛熟と退廃の果てに
世界が老い、病み衰えていくこの時代に
ふたたび
かのひとびとの
永遠に若い理想を取り戻し
よみがえらせたい
夏になると聴きたくなる歌がある
夏になると行きたくなる場所がある
夏になると会いたくなる人がいる
今年も太陽が会いに来た
冬眠から目覚めて
春の息吹を吸って
甘い蜜のあるほうへ
心と体の境目なんて分からないくらいに
ジリジリ暑い夏
おもちゃ箱をひっくり返したような
毎日だ
午後七時の暮れゆく空を眺めて
キラキラほと走る夜が始まる
何かに期待して
空に弧を描いて
夜が揺れている
夏のユメはここにある
昔から変わらない
きっとこの夜は終わらない
そんな時間の中にいる
一瞬のヒカリたち
次の日も次の日も
やってくるのが当たり前で
何十年の時を経ても
今とここがあるように
心を彩るヒカリたち
夏のままだ
これから来る時間よ
その中にも
形を変えながら残る永遠はあるのだろう
夏のメロディーの中にそれを信じる
もしも僕が木登りしたって
みんな笑ってくれるから
曖昧に通り過ぎてしまうだろうけど
僕はゆりかごの中で眠っているよ
滝本政博様、「上海租界」に関する批評と感想をありがとうございました。
この詩はとある知り合いの女性から聞いた話です。
女性がまだ少女だった頃に外国で目にした、戦時下での過酷な現状や人間のエゴイズムを詩に盛り込むことに注視しました。また、こうした女性の当時見た光景や感じたことをできる限り客観的に描きたかったので、今回はあえて、一人称や文中での飛躍、そして比喩などのレトリックは扱いませんでした。
まだまだこの詩にも推敲が必要であり、詩人として更なる進化を遂げていきたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。
人は簡単じゃない
絶望に支配されても
それは一時のこと
人は複雑すぎない
希望に目覚める朝
それは毎日のこと
大丈夫 と 自分に言い聞かせて
それだけの 祈りを空へ 羽搏かせて
君は眠る 僕もそう
眠りに包まれれば リセットボタンが押される
希望 それは人間の始まり
けれど 絶望 それは人間の終わりじゃない
人は歩く
心臓は鼓動を止めない
力強く ドクンドクンと 生きている
君は確かに生きている
僕も確かにここにいる
そうして歩いていく
あせらずに
元気なときは 走ればいいさ
転ばないように
おいしいパンを焼いて
粒の立ったお米をよそって
食べる
食べることはしあわせ
だから
人間は毎日しあわせを噛みしめて
生きているんだ
しあわせはたくさんある
ふしあわせなこともある
マイナスかけるマイナスはプラスになる
数学の不思議を僕と君にも当てはめよう
希望を胸に
絶望を力に変えて
時には
振り返って
立ち止まって
正解を探して
心臓は止まらないから
脳も計算を止めない
誰にも訪れる
明日まで
歩みは続く
希望も絶望も
君も僕も
みんな
いっしょに
手を取り合って
パシャパシャ ピシャピシャ
おにわからおとがする
なんだろう?
まどからそとをみるとトリたちが
おにわのみずたまりでみずあそびしてる
つばさをバタバタさせて
からだいっぱいにおみずをかけてシャワーみたい
あおいトリきいろいトリ しろいトリ
なかよくパシャパシャ ピシャピシャ
トリたちはみんなたのしそうにわらっている
なつのあついひにみずあそび
トリたちはみんなきもちよさそう
わたしもみずあそびしたいな
つめたいみずですずしくなるよね
雷が怒号のごとく
怒号が雷のごとく
稲光がたまに落ちる
負の連鎖のフラッシュバック
肉体に記憶され世代を超えて伝播する
目はよく見ろと叱られた
泣かされたら涙で見えない
耳はよく聴けと叩かれた
耳鳴り響いて聞こえない
口は「バカなことを言うな」と殴られた
うまく呼吸ができないから
酸素や愛を摂取できない
仕方がないから頭と体を切り離し
野に解き放ち痛みをなくす
それぞれに名前をつけて
役割与えて世界へ放つ
梅雨が開けたと
光トカゲが教えてくれた
人を殺せる程の暑さだ
父も母も死んでしまった
眼耳口がそれぞれに
刻んだ記憶を持ち寄って
お盆に集まる時が来たのだ
目は光トカゲを食べる国をみたという
耳は光と影が毎日争っている国のことを聞いたという
口は影のない国の料理を食べたという
最初は話が噛み合わなかった
光と影は対立しない
無意識と意識は争わない
諦めないで対話を続けて折り合いつけて
負の遺産を売りに出すのだ
このままでは誰も買わない
互いの個性かき集め
新たな物語を創作する
光トカゲはずっとみていた
俺も光と影をずっとみていた
身の危険を感じると
影の尻尾を切り落とす
夜が更けると世界が影に覆われる
光トカゲは空に張りつく
尻尾は稲光流れ星となり闇を切り裂く
光と影は混じり合い
一つの躰に統合された
朝には光が生えてくる
俺には未来が生えてくる
「人に伝わる詩が書けるようになりたい」という思いを胸に投稿を続けている私にとっては、またしても評して下さることで完成する詩となってしまいました。どうしても読み手に甘えてしまうのです。書いている時には気づきません。本当は第二連以降、燻製を通じて、生命が生まれ、人類が生まれ、これら繋がり、人類の未来を描くファンタジーの中に私が伝えたいことがあったはずです。三浦先生の感想を伺って、私も作中の燻製の煙に巻かれてしまい自分を見失ったことに気づかされました。推敲する際はもっと生み出した言葉に責任を持ちたい。改めて、世に残る素晴らしい作品達は自立しているからこそ私の胸に届くのだと痛感しました。今後は論理的な側面と、自由な側面を両立させることを諦めないで描き切りたいと思います。もちろん楽しんでおります。
拙作「石ころ」について丁寧なご感想をありがとうございました。長く生きてきてつくづく思う事を書きました。世の心理学者は性格は変えられる、と説きます。でないと皆さん前向きに生きられないからか、と私は思います。私は自身についても出会ってきた沢山の人々を見て、そう思わないのです。芥川は性格は運命である、と言いましたがそれが真実と思うに至っています。いい性格に生まれた人はそれだけで天の祝福を享けた人、でも世には自分の意思でなく性格、人格障害を持って生まれたり極端には生まれながらのサイコパスという人も稀ではありますが、存在します。そのような宿命だけでなく、誰もが自分の資質を選べない。すべては外因ゆえで内因ではないと思います。天才に生まれた人もなみならぬ努力をしなければなりませんが、ろくでもない資質ばかり天に与えられた人の人生は誰にも認められず不運の人生を余儀なくされる場合が多い。昔ならそれも分と心得て諦め、受け入れて生きたと思いますが、現代はそのような心持を持つのは難しい時代です。天運に恵まれなかった人はどう生きるのか。実は投稿作と末尾は現在変えました。実体験から、変えられず変われなかった悲しみを描きましたが、改作して、それでも石ころとして恥じずに生きよう、という風に。(表現は抽象化しましたが)運命は宿命とは違う。文字通り、命を運ぶのだ、と思いを転換しました。今後もこのようなテーマで書くと思います。長文失礼、又、よろしくお願い申し上げます。