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●江里川 丘砥さん「自然の摂理のように」
いい詩ですねえー
「自然の摂理のように」は、まさに!ですね。
心がどのようにあろうと、体は生きたがっている。心が思うに任せない時、コントロールできない時は、体の命じるままに従うのが良い。
窓をあけて空気を吸う。お腹がすいた。お風呂に入りたい。体の命じるままにあるのが良い。わからない時は、いち生物に戻る。それが基本。生物として世界と繋がるところが、物事の根本に思います。
うむ、しっかり書いてくれましたね。自問自答を繰り返して、一つの境地に達したかのようです。それに内向的・偏狭的でなく、頭でっかちでもなく、自分の前後左右を見渡して、経験も踏まえて結論に至ってるのがいい。
字下げから戻ったあとの部分(後ろ3分の1くらい)で、想いが星や風や地球のイマジネーションに膨らむところもいいね。これ、122行かな。うむ、しっかり書き切ってくれました。
名作あげましょう。誰もが突き当たるところのテーマを扱ってくれてることもあり、代表作の列に加えて良いと思う。
1点あります。
冒頭の1~2連なんですが、「~なら」を2回続ける形で書いているんですが、この「~なら」が、ちょっと疑問。
自己診断的に「自分がそういう時は」という意味で書いてるのかもしれないけど、他者への呼びかけにも見えてしまう。で、そう見えた場合に、ちょっと押しつけ感(説教的)を感じてしまう。
ここの「~なら」は、 →「~から(だから)」で書いてもらった方が、オール自分向きになって、その方がスッキリすると思うのだけど。(他になにか意図があるのかしらね???)
●エイジさん「心象風景 (アルバム「Merry Christmas, Mr. Lawrence」を聴きながら)」
この詩はしっかり書いてくれていて、気合いの入った連もあり、いいとこいっぱいの詩なんですが、またしても問題あるんですよねー
もちろんタイトル曲は知ってますし、この曲に思い入れもありますが、
でも、アルバムのことまで言われても困りますね。
これはJAZZの場合も同じで、歴史的名盤と呼ばれるものはまあまあセーフなんですが、その範囲を超えた個々のアルバムのことまで言われても困るわけです。エイジさんの好みと他の人の好みは当然ながら違うわけだから、知ってるだろう見込みで書かれても当然ながら困るわけですが、
この場合も同じで、「Merry Christmas, Mr. Lawrence」の曲は世界に知られる超有名曲だからいいのですが、このアルバムまで有名なわけじゃありません。アルバムまでオーソライズされていませんよ。
坂本龍一にとってはこの曲が代表曲の一つでもあり、この曲自体はいろんなアルバムで吹き込んでいますし、ライブでもさかんにやっているので、どの時の演奏と思うかは人により自由な存在です。「Merry Christmas, Mr. Lawrence」は、これ一曲単独で独立した魂を持った生きものというべき曲ですね。
ですから、この曲に関しては、標記のアルバムに限定されたものでは、全くありません。
まずもって、この詩はそこに思い違いがあるというか、ミスがあることを先に言っておきます。
ということで、私はこのアルバムは知らないんですが、これ映画のサントラ盤ですかね? 何が言いたいかというと、4連の、
魑魅魍魎がうごめく太古の島へ
音楽に誘われて訪れてきた
これが問題で、
これはおよそ「Merry Christmas, Mr. Lawrence」の曲イメージとはかけ離れているわけですが、
サントラ盤だから存在してる別の曲のことなのか、
それとも、3連の「音楽は」に入ったところから、アルバムとは全く関係ない、一般論としての「音楽は」の話をしてるのかが、識別不明です。不可能です。
(たぶん、その識別は、実際アルバムを持ってる人にしかできない)
これは「アルバム」と書いているから生じる問題ですね。
1~2連はタイトル曲のイメージどおりのいい詩行が続いていたので、気持ち良く読んでたんですが、私はこの4連アタマで完全に蹴躓きました。
これ、後ろの5~8連(終連)もよく書けてる、いい詩なんですけどね。あらかたはよく書けてる、いい詩なんです。もったいないね。
話をまとめますと、
まず副題を「アルバム」にしない。
もし3連の「音楽は」で、もう坂本龍一を離れ、一般論をしてるのだとしたら、離れるのが早すぎる。副題に入れた以上、もう1~2連は副題の曲に触れてから、一般論に行くべき。
で、一般論でいろんな曲があるという話を始めるにしても、坂本龍一との中間色(共通項)があるところから話から始めるのが本当はスジなんですが、どうしても「魑魅魍魎」からスタートしたければ、話の流れからはかなり異質のところからスタートすることになります。こういう場合は、「時に魑魅魍魎が~」と、例示となる言葉「時に」は絶対つけた方がいいです。
以上3点一考下さい。現時点は秀作ですが、上記点を直したら、この詩はもっと評価良くなる詩です。いいところは随所にあります。
●freeBardさん「タンポポ」
大作ですね。
まずもって、一所懸命書いてるのが伝わる。
よくここまで思考が続いたなあと感心するし、結論として言ってることも悪くない。
また視野として、偏狭にならず、いろんなものへの観察があるのがいいです。
また、未完成ではあるものの、自分なりのリズム感があるので、長い詩ですがちゃんと読めます。つまり「語り」の形にはなってます。
うむ、努力賞的なとこもあり、秀作にしましょう。
ちょっとだけ改善案ですが、
やっぱり構成にメリハリをつけた方がいいと思うのです。
1~11連まで皮肉的、批判的なものが並びます。まずもってこれが充分に長いのです。
で、12連からは話が自分の考えの方に転じてきます。
どちらが優れているのでなく どちらが正しいわけでもなく
ほほぅと唸る愉しさを 互いに交換すればよい
13連のこれは作者の考え、この詩の一つの核心となるものです。
ここでもう話が転じてきてるので、もう一度、11連までのような皮肉・批判的なものに戻らず、話をまとめる方向に進んだ方がいいと思うわけです。
この視点に立った時に、私が気になるのは、後ろから4連目の、この連です。
あたりまえ ありえない みんな言ってる ジョーシキだから
そんな思い込みの向こうに花が咲く
誰にも綺麗な花が咲く
この連は、話をせっかくまとめにかかってる時に、話を逆戻りさせてる感(1~11連のような感覚)があります。そういう意味でない方がいいと思うのが1点と、
これはまた次の連に出る、
よく晴れた朝の光にタンポポは花開く
当たり前とはそういうことなのだ
この連の「タンポポ」と「綺麗な花」が花カブリになってるのが良くないと感じます。
私には「綺麗な花」と「タンポポ」が別の意味で使ってると思えるのに、ここでカブらせてしまってるのが、両者同じものとの誤解を受けて良くないと感じる。これが先の連を削除した方がいいと考える2点目の理由です。
文体もいずれ磨いていく必要がありますが、さしあたりで気になるのはここなので、ちょっと一考してみて下さい。
●凰木さなさん「残暑」
おもしろいですね。
前後をナチュラルな叙景で挟んでいるので、真ん中の飛躍展開部分とうまく中和され、バランスが良いです。
男は尖った靴とスパンコールの衣装を纏い
女は高いヒールと金の刺繍のドレスを身につけ
この連が秀逸ですね。この連の思い切りの良さが、この詩に映えています。
たぶん鳥なんでしょうけど、フツウはやはり鳥の色柄に似たもので衣装の想像を書いてしまうとこなんですけど、この連では、そこにこだわる外連味がありません。そこがいいです。誰もおもいつかないような想像を書いてくれている。個性がいい形で反映されてます。
また、正直、これなんの鳥かわからないまま、オチがない形なんですけど、全体、短めの詩ですから、謎を謎のままで置くのも、このサイズであればアリです。だから、このままでいいです。
やや甘ですが、秀作を。
一個いうと、1~2連の、基本の叙景のところがまだ甘いです。
絵でいえば、基本のデッサン力みたいなものなので、叙景の力をもうちょっと鍛えていくのが、今後の課題かなと思います。
すぐでなくていいのです。意識に置いておいて、ぼちぼちと鍛えていくといいです。
個性はいいものがあるので、おもしろい書き手だと思います。
●山雀詩人さん「一膳」
これ、パーフェクトじゃないですか?
私、何も言うことありませんよ。
割り箸を「一膳」としたとこが厳かですねえー
でもって、この名を使ったことで、初見では「これなんだろう?」と考えながら読ませてくれる楽しみがあり。一方で1回読み終えたら、割り箸とわかるので、わかったところでもう1回、最初から読み直して意味を取り直し、2度楽しめます。
読者的にも、一粒で二度おいしい、なんて親切な詩なんだろうと思うし、詩的にも、最初の謎かけの時に、いろいろなものに当てはめて想像できるように仕組んでくれてるところが通好みで、詩人的にも唸らせるものがあります。うまいねえー
また、割られた割り箸の片側の孤独は、テーブル、ソファーなどの物理に1つのものへの思考展開から、男(多分に作者的)の孤独感をも照らすのがいい。
擬人法は別のもののフリして、結局のところ、どこかで作者の人間性を反映するところがあってこそ、良いのです。この詩にも、その味があります。
うむ、文句ないですよ。名作を。
ちょっとユーモア系ですが、これは代表作の列に並べて良いと思います。よくできてます。
●えんじぇるさん「愛.」
ナルホドねえー 愛に関して、多彩な見解を聞かせて頂きました。
人により相違はあるでしょうが、これはこれで、えんじぇるさんの見解を徹底的に追求して、しかもオノマトペにこだわって表現してくれているのがいいです。
アリですね。少々おおざっぱ感はありますが、内容的にも表現的にも、この執拗なこだわり具合は評価できます。やや甘ですが、秀作あげましょう。
一点あります。
最後のアンサー部分なんですが、一般的に最後の部分というのは、話のマトメ的に読まれがちです。
でもオナラが係っているのは、どう見ても最後のQだけで、他のQには係っていないですよね。だから、全体的に係っているものでなくて、「そこだけ係っているもの」ということの意識をもって、言葉選びをすることが必要です。
「結局」という言葉は、マトメ的に使われる言葉だから、オナラに対して使っちゃ、絶対ダメですね。
現行の最後のセンテンスは、これらのQ全体が「愛」にも見え、「オナラ」にも見え、という構造の時に、初めて使える詩行です。この詩はそうじゃないので、変えるべきですね。
いや、でも、これはちょっと、オナラかもしれませんよ。
くらいの書き方の方が正解です。最後のQだけが違うのですから。
●上田一眞さん「カマツカの夢」
カマツカは、河川の主に中流域からちょっと下流域の、川底の砂地の方に棲んでるやつですね。
初連の、
水面から三尺下
水の重みを確かめる小さなカマツカ
のろのろと泳いでいる
鈍臭いやつ
この詩行は、作者の、上から水底を透かし見てる角度感がすごく良かった。「深さ」というよりも、三尺の「透明な水の厚み」ですね、これを透かし見てる感覚に、ちょっと感動しました。
ストーリーも良かったけど、正直、私の一番はここでした。
2連で、「おまえの夢は何?」と作者が聞きたくなったのは、
カマツカがなんとなく、いつも底の方に棲んでいて、底の方から上を見上げてるふうに見える生きものだからかもしれませんね。
カマツカの夢としては、もっと美しくなることではないかという想像から、「渓流の女王」と呼ばれるヤマメが登場するようです。しかしながらヤマメは上流域の魚なので、中・下流域では住めません。カマツカを説得するに、2連ではまずそのことが語られます。
説得するならば、まずはその生息域の話からなので、2連は必要ですが、
私はそこを経たのちの、3連の、
山女魚は孤独で寂しいよ
ぼくみたく訪ねてくるのいないから
この詩行がしんみりして良かったです。私は結構、ここ好きです。
私としては初連にあったような作者の位置取りを、後半でも出してきて欲しかったので、この3連は大事だなと思っています。
次いで、4連後半の、魚のオンパレードのとこですね。そこが良かったです。
最初のギギ(ナマズ目)とシマドジョウは川底の仲間で、後述のものとは生息の水深で分けてくれているようです。
正直、それら全部をいっぺんに見られるところは、なかなかないんじゃないかと思いますが、いてもおかしくない範囲のものを並べてくれています。そこはある意味、詩を楽しくするために、調べて書いてくれているんじゃないかと思います。(それとも昔の記憶の中では、それらが並列的に存在した時期があったんだろうか)
うむ、各連、それぞれの味わいを出してくれていて、良いですよ。秀作を。
ちょっとだけ気になったのは2点。
2連の「夢」を語る場面で、初見では中~下流域の魚だから、上流の魚になりたいのかなとただ思ったんですが、そうじゃないようで、
例えばカマツカが醜いとかいう下りがあるならば、逆に美しいものに憧れる、夢見るというところにも、読んでて意識が行くのですが、初見ではどっち方向に夢見た話をしてるのか、わかりにくいです。つまり、どっち方向の夢の代表として、ヤマメを登場させたのかが、わかりにくいです。
なので、ヤマメを夢見ることとなった、伏線(理由となるもの)を事前に配置しておいてほしい気がします。
それから3連、
一匹だけで淵に棲む
というフレーズで、先に浮かぶのはイワナの方(ヤマメよりイワナの方が水がゆっくり溜まったとこが好き)なので、もちろんイワナがいないところではヤマメがちゃっかりいるでしょうけど、「淵」って言葉は、ヤマメとあまり印象合わないので、私はこの言葉は変えたほうがいいと思います。「淵」という言葉はそこそこ深さがあるところの意になるので。
●妻咲邦香さん「愛しているもの
おお、前回といい今回といい、書けてきたじゃありませんか!!
これもジャストミートしてますよ。
電車を待ちつつ、あちらとこちらに人がいる。別れを想起させます。
詩中の「知っているもの・知らないもの」についての下りも、「愛しているもの・愛していないもの」についての下りも、すべてはこの二人のためにあるようです。
いい詩ですね。
どの連もよく書けてますが、とりわけは、
愛しているといくら口にしたって
この世界には、愛してないものの方が多い
愛しているものは、愛してないものに
ぐるりと取り囲まれている
取り囲まれて、そして
輝いている
この連で。暗誦してしまいそうなくらい、ステキなフレーズです。
思考と想いの感情がシンクロしてます。そして、美がある。
いいなあ、いい詩だなあ。これ、ぞっこんですね。
全く異議ありません。名作です。代表作入りです。
妹よ おまえは生を受けたとき
ふくよかで愛らしく
何より美しい亜麻色の瞳をもっていた
おまえのことが大好きな兄ちゃんは
本当は一番好きなのに
皆から愛されてるおまえへの嫉妬から
よく意地悪をした
甘いパンを買ってきたときも
欲しがるおまえにつれなくして
ただ見せびらかすだけ
なんて悪い兄ちゃんだろう
おまえは10歳で母を亡くしたが
薔薇を愛する 美しい女に成長した
亜麻色の髪と大きな瞳で遠くを見つめる
おまえに皆が振り返った
兄ちゃんに 紹介しろよ妹を
と言った奴もいたんだよ
妹よ おまえが死病に取り憑かれたとき
兄ちゃんはほんとうに狼狽えた
意地悪兄ちゃんを許して欲しいと
悔悟の海で泳いだものだ
そして 死病の淵から甦れと真剣に祈った
おまえはこよなく花や歌を愛し
家族や友を優しく包み込む
こころ豊かな女だね
兄ちゃんはおまえの兄で誇らしい
だから慈愛の瞳で皆を見つめ
いつまでも健やかにいて欲しい
それが兄ちゃんのただ一つの願いだ
妹よ…
劫初の時に思いを馳せ
海の時の流れを想う
海は天からの恵みだろうか
海神ポセイドンが
最初の海を創り出したのだろうか
海のような大いなるものは
神々しか創りえないものだろうか
青春を過ごしていた頃
よく海を見に行った
海を見に行きたい
欲求に駆られ
海で何をするでもなく
ただ砂浜に立って
海をぼんやりと眺めていた
青空の下の海は
鏡のように真っ青に空を映し
いっそう私の心を慰めてくれた
青空と海との対話を聞くように
そっと音に耳を澄ました
劫初の頃からの
空と海の永遠の対話に
海の大いなるうねりに
この世の縮図を見ていた
波が静まったかと思うと
小さな波がおこり
やがて大きな波を生み
浜辺に押し寄せてくる
あの大いなる波のうねりが
さらに大きなうねりを呼び
何もかも飲み込んで
永遠に向ううねりとなって
押し寄せていくのだろうか
まるで人の世のようだ
永遠の自然の律動を
身じろぎもせず
じっとこの小さな身体で
身体全体で受け止める
空では大いなる太陽が
私に微笑みかけている
トマトは夏を連れて行く
帰るお家があると言う
ヘタがジャマだと言ってたね
帽子をかぶる時もジャマ
お辞儀をする時も
でんぐり返しの時も
ジャマじゃないのは人生を語る時
思い出し笑いをする時
いいかい? 技術は習得だ
トマトの道は険しいぜ
本物になりたけりゃ、ウマく出来ても
ヘタだと言うんだぜ
だってヘタなんだから
誰が何と言ったって
ヘタクソなんだから
おっと「クソ」は余計だな
トマトは秋とすれ違う
世界はとっても狭いから
ヘタがジャマだと言ってたね
キスする時は少しジャマ
膝枕だとうんとジャマ
宿命なのさと開き直って
あそこのナスよりはマシ
パイナップルよりはうんとマシ
赤くなれなかった実を片付ける
さびしくなるねと誰かの声がする
風鈴の音とともに
樹木は揺らぎ
小鳥は囀り
子供たちは遊んでいる
それは一つの音楽で
とても心地良く
とても柔らかく
僕らを癒やしている
しかしその声も次第に消え
今あるのは風の音のみ
なんだか寂しい気にもなったが
皆明日に向けての準備をしているのだろう
仕方ない
夏の終わりは日に日に増し
遠出をしている人も
遠吠えをしている犬も
皆居場所へ帰っている
その風景を見ていると
夏の終わりを強く感じ
心機一転しようと言う気持ちが
強く湧いてくる
長いようで短いこの8月に
僕はいろいろな声を聞き
ゆったりまったりして
過ごしていた
それもしばらく聞くことはない
子供たちの声も何もかも
夏が終わると勢いをなくし
やがて風の音だけが残る
それだけ夏は特別で
どこか不思議な雰囲気に包まれており
魅了する何かがある
やがて夜になると
スズムシが鳴きだした
物悲しく鳴いている
僕はその鳴き声に耳を澄ませ
この8月を振り返る
有意義に過ごせて
とても充実した日々だった
風鈴の音もやがて
聞こえなくなった
暑くて暑くて あまりに暑くて
あの頃は夏が憎かった
夏は長かった
永遠に思える程 長かった
やりたい放題の暑さ
阻止しなければと立ち上がっても
どうすることのできるはずなく
じっと 怒っていた
たぶん湯気をたてて
今年も 暑い
体にまとわりつく 不快
汗をかくことが まず嫌だ
なのに今年は
笑っている 怒ってはいない
皮膚ごと夏を脱ぎ捨ててしまいたい
わけじゃない
憎かったはずの真夏の暑さを 今は
味わっている
変わったのは
「夏」への思い
どんなに暑い日も
一日は二十四時間であることを
承認
夏が終わるまでは夏のまま
秋が来るのはこの後で良い
夏に対して私は
少し優しくなっている
それは歳のせいと すんなり納得
暑さに鈍感になってきた
経年の諦めも手伝って
イライラすることも減ってきた
「歳のせい」 実は裏面がある
こっちの方が ずっと深刻
足早に夏が過ぎてしまうと
つられて私も走り出す
ゴールがどんどん近づいてきて
元気でいられる自分の距離が
どんどん短くなってしまう
急いで過ぎないで欲しい 夏
暑さは我慢すればいいから
涼しい顔さえしていれば
強がっていてもわからないから
暑い夏と共に一分一秒
ゆっくり歩んでいけるなら
ひと時ひとときを 大切にできる
通り過ぎていたものが見えて 聞こえて
私の時間は長くなる
いろんなことに気づくかもしれない
夏のこのつらい暑さには
実は大きな意味があった
私は夏に 試されていたんだ
朝の風が
少し冷たくなってきた
空を見上げると
雲がもくもく頑張っていない
ついに夏休みが明日で終わる
この夏を乗り越えた庭木に
長いホースで 水をかける
葉っぱが揺れる
揺れる葉っぱの間から
バッタが カエルが
ぴょんと飛び出したり
そのまま乗っていたり
風が心地いいので
そのままホースを右左に
水は放物線を描きながら
メダカの水槽にもかかる
水面が揺れる メダカが揺れる
こうやってみんなで
ゆらゆら ゆらゆら
夏休みを見送る
私がゆっくりと夏休みに
さよならをしている時に
家の中では子供達が
どたばたとプリントを
かき集めたりばらばらにしたり
忙しそうにしている
朝起きても いつもの朝と分かると
あくびとため息が混じる
夜になれば不安を抱えて 眠れぬ夜
暗い天井を眺めれば 意味を持たない涙が頬を伝う
振り子のように同じ所を行ったり来たり
何のために生きているの?誰かのため?
生きる意味を考えるふりだけしても
生きることに意味を持たせたいだけ
どれだけ汗を流せば認めてもらえる?
どれだけ涙を流せば許してもらえる?
生きてていの?無意味じゃないの?
流れに身を任せるわけでなく ただ流れを見つめてる
その流れに身を投じたくても不安しかなく足が出ない
普通になれない普通が怖い
昨日に後悔して 明日に不安を抱いて
また今日を見失う毎日
答えは無いのか あちこちと手の届く範囲で探すふり
答えはあるのさ あちこちに足元にも転がってるのに
見て見ぬ振りの面倒臭がり 手渡して欲しいだけ
もう気づけよ もう気づかないと
明日と言う確証は何も無いのだから
今を惰性だろうが何だろうが生きてる事に気づけよ
気づけば振り子の糸は切れて転がり前へ進むさ
空回り
私は今日も
空回り
嫌いなあいつに
回し蹴り しようとしたら
すてんと転んで
尻もちついた
みんなが笑う
すべり台の陰まで
急いで逃げて
わんわん泣いた
あいつは今日も
私の足がおそいことをからかったんだ
一年生よりおそいって
鬼ごっこではいつも私が
最初につかまって
あいつは
「またかよ、おせぇー」と言って
にやにや笑ってやがるんだ
膝小僧に涙が
ぽつぽつこぼれた
雨降って地固まる
人生万事塞翁が馬
わかっているけど
今がきらい
涙をぬぐう
汚れたズボンを
はたいて立ち上がる
戻ってみると
みんなは何事もなかったかのように
鬼ごっこの続き
誰が鬼かわからない
「誰が鬼なの?」
大声で聞いてみても
みんないそがしそうに走っているだけ
空回り
空回り
私は
空回り
みんなから目を背けて日陰で
水筒の麦茶を飲む
氷が
からんからんと鳴った