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(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
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夕暮れの街道高くに飛行機が飛んでいる
思わず嘆いて云う
僕が乗っているのは自転車だ
どうしてあれではないのか
しかしながらよく考えてみると
機内に在す方の僕は
紫色の空も
遠い潮風に押される雲もわからないのだ
ああホワイトノイズが聞こえてくる
色彩と夕餉の香りに満たされた過去の街を振り返って
そのあまりの芸術に涙する僕だ
千葉の底から見上げる
花の街から歌い上げる
明日も昨日もやってこない
永久の今日が続くだけ
三浦様 詩の評をありがとうございます。
今回は僕にとってはちょっとしたチャレンジで、今度は心の公園で咲く花ということでこのモチーフを再度使ってみました。
実際僕は寝る時に、なかなか寝付けない方ですので、このような妄想をすることがあります。佳作の評、ありがとうございます。
いつも本当にありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
三浦志郎様、「文」に評をいただきありがとうございます。特に今回平易なものを心がけたというわけではないのですが、漠然とした存在を題材にしたかったので、焦点の位置、度合いを少しいじってみました。地に足をついている時こそが、最も高く飛べる時であると信じて。
おそらく相手がいてこその何か、を書いているものと思われます。作品そのものよりも読み手の解釈の方がはるかに多くのことを語っています。書くという行為が結局何なのか、それだけが書きたかったのですが、私は普段からよくそういったつまりそれは何なのかという詩を書いたりしてて、なかなか最後の結び方が難しいんです。今回はそんな焦れた気持ちをそのまま表してみました。
丁寧に読んでいただきありがとうございます。またよろしくお願いいたします。
ある朝
車の多い交差点の片隅に
小さな花束が置かれていた
数日前そこには
何人もの警察官が立ち働くなか
無惨にひしゃげた
原付自転車の残骸が横たわっていた
小さな白い花束
誰がどんな想いで置いたのか
わからないが
花はいつも
人の想いを担う
摘み取られ
根から切り離された花は
数日のうちに萎れ散りゆき
決して実をつけることはないが
そこに託された想いが
誰かに届いたとき
花はその人の心のなかに
実を遺す
たとえ眼に見えず
気づかれなくても
我らの内には
担われた想いと
担った花とにより稔った実が
常に届けられていて
たとえそれが
喜びでの実であっても
悲しみの実であっても
それは我らのうちに
深く深く沈みこみ
時を経て
更に熟して
形を変えて芽吹きだす
交差点の片隅に置かれた
小さな花束が
どれだけの実を遺したかは
わからない
だがそれは
消えゆく命の
ただ滅するのではなく
いつかどこかで
形を変えて芽吹くことへの
切なる祈りを
担っていたのかもしれない
この度は私の詩の「白い枯木」に丁寧な評をいただき、ありがとうございます。
上席佳作との評をいただき、たいへん嬉しく思います。
この詩は、石灰華段丘の湖の映像を見て書いたものですが、映像と思考の配分ということはあまり意識していませんでした。
そのような配分も、詩の分量とともに考慮に入れて書いてゆきたいと思います。
今後とも宜しくお願い致します。
三浦志郎様
皆既月食の時に拙作を思い出していただけたこと、とても嬉しいです!ありがとうございます!
終連は推敲している時に書き足したのですが、確かにそれまでの流れを止めてしまいました。終連の前の文まで一つのことに心が囚われていたので、推敲は冷静にならなければはと思ったのですが、逆効果になってしまいました。推敲難しいです。勉強します。
評をありがとうございました。
さすがに、深い読みに感服いたしました。
私の、意図は、全部読み取って、頂けたうえに、私の、意識しない
心理まで読み解いていただきました。
まことに、作者冥利に尽きるとは、このことでしょう。
ありがとう、ございました。
これをいい機会に、研鑽してまいります。
1 喜太郎さん 「日の当たる場所へ」 11/4 初めてのかたなので、今回は感想のみ書かせて頂きます。
よろしくお願い致します。2連までは「仮想・この世の終わり」とも言うべき内容です。
大まかな流れを要約すると……
絶望→行動すること→希望の兆し→赤い雨の恵み。
ここで注目しておきたいのは、旅立つのは若者で他者は見送ることです。オーソドックスな考え方だと見送るのは、非若者=老人がイメージされますが、確かに新しい世界を造っていくのは、多くの場合、若者ですが、ここにことさら書かれているのはー理由は明かされませんが―何か作者さん独自の考えが潜んでいるように思えてきます。コロナや戦争など昨今の世界観が寓話的に関わっているのかもしれません。「赤い雨」には、少し引っかかるものがありました。何故、赤なのか、たとえば青ではいけなかったのか? このあたりにも独自の思考が隠されているように思います。きれいな写真もありがとうございました。教会のようなものが見えます。また書いてみてください。
2 妻咲邦香さん 「文」 11/4
冒頭佳作。書き方、解釈のさせ方が、以前よりマイルドになりました。
今まで評者としての僕も、妻咲さんには背伸びしていた部分があったのです。上手く言えないのですが、今回は足が地から浮かぶことなく、しっかり着地して書ける、みたいな……。
何かを書いている。詩でしょうか、手紙でしょうか。まあ、それはどうでもよくて、とにかく文であり、言葉です。それに対する自己の向き合い方のことです。文とは書けば残ってしまう。書けばー多くの場合―読まれるもの、その事に対する躊躇や逡巡、高揚や気組みのようなものが窺えます。
3連はこの詩をきれいに飾る部分になりますが、以前の“ぶっ飛び”をセーブして美へと向かう。叙情性として一級品でしょう。終連を読むと、どうやら手紙のような気もしてきました。妻咲さんは自己の路線を追求していくはずですが、こういう振り方も充分あっていいと思います。
3 晶子さん 「月が見ている」 11/4
11/8に皆既月食を観ていました。ずっと観ていたら、この詩を思い出しました。(なるほど)と―。
自分が見える、ということは相手からも見られる、ということ。その同時的相互性は当たり前のことですが、案外軽視されやすい。この詩はそんな構図を有効に取り込んでいるように思えます。
もうひとつは、日本語でいう倒置法(~する、~を。目的語後ろ)、英語でいう(S+V+O。目的語後ろ)に上手く乗って前半を機能させているのがおもしろい。その目的語にはめ込んでくる言葉群が、抽象的、幻想的に振って、晶子さんにしては珍しく、これは新境地かもしれません。6連からは、自己がクローズアップされてくる。ここも特に違和感ないムード。「吠えて」とあるように、ここは吠えるパーツにあたるでしょう。ここは月に関わる女性の身体性を暗示しているのかもしれない。
なんとなく、「萩原朔太郎・月に吠える」を思い出させるものがあります。 さて、終連は今度は夏目漱石を思い出させるのですが、この着地はどうですかね―。ここまで硬質にきて、此処だけ違うトーンになってないですかねえ。惜しい。95~6%まで、安定的佳作状態で来てますが、この行でコケたか? 惜しまれる佳作半歩前で。しかし、それ以外は、ちょっと新機軸気味で良かったんです。
4 ゆきさん 「早く目が覚めた朝に」 11/5
場違いな推測かもしれませんが、これはある意味、失恋の詩ではないかと―。
「暖かく包んでくれる大きな手」の持ち主、そのうち続く不在。その影響下にある3連までの心模様が綴られます。早く目覚めたのも、その不在が原因かもしれない。そんな雰囲気がこの詩にはありそうです。
「まだ夜には別れを告げられない」
この句は印象に残りますね。「まだ夜を引きずっているような朝」が映像として浮かんでくるようです。タイトルは朝なのですが、ここで夜を持って来たのが、かえっておもしろい。もしかすると、この句は冒頭の人のことも同時に暗示しているのかもしれません。短く、一見、物足りない気味もあるのですが、読み込んで行くと、じんわり来る、そんなタイプの詩でしょうか。甘め佳作を。
5 エイジさん 「心の公園」 11/5
ずっと以前にエイジさんは、生活に根差したリアルな公園をモチーフに使われたことがありました。
少し以前に「夢想花」という、なかなかユニークな作品もありました。好意的に見ると、これら二つが上手く別作品として結晶した、そんな観方もできそうです。心の中に公園がある、というのは、これまたおもしろい発想と言えそうです。(心の公園とは、一体全体、どのようなものなんだ?)とは、大袈裟に考えないほうが、読み方としてはいいでしょう。ただ少し思うのは、ある意味、公園って人生や社会の縮図かもしれません。自然があって、人がいて、事物が置かれている。そんな要素がエイジさんの心の中にもあって、この詩の示すところは、「自由に、気ままに、きれいなものを見て、楽しんで。イヤなことがあれば、この公園を訪れればいい」―そんなフィーリングですね。
ポイントは心の持ちようのことだと推測します。たとえば、辛いことが仮にあったとしても、その公園をそぞろ歩けば、きっと癒されることもあるのでしょう。そんなことも同時に想像されていい。最後の言葉が印象的に響きます。 そんな日向性に佳作を。
6 成城すそさん 「始点」 11/6
前回、僕の読みの浅さもあって、ちょっとちぐはぐしましたが、今回はなかなか詩になってきたと思います。2連までは「清新の気」―のようなものを感じました。2連はタイトルさえも担って。
3連は少し負のベクトルに振って、テンションをつけている。正の方向だけじゃ、かえって平板でつまらないというもの。これでいいと思います。この詩はやっぱり終連でしょう。上記と同じような感覚で、タイトルとは反対語を持ってくる。詩的な化学反応のようなものを感じます。言葉も良く練られています。終わりに来てますが、これがこの詩の旗頭。
さて、今回から評価ですが、余力を見て、佳作二歩前から“始点”としましょう。
7 荻座利守さん 「白い枯木」 11/6
冒頭上席佳作。 昨今で屈指の作かもしれない。
前回も映像提示がありましたが、今回のほうが抒情性という観点から進化を感じました。鬱蒼と茂った木々の緑と澄み切った湖の緑。そこにあるのは白樺でしょうか、枯木の白。鮮やかです。意外にありそうな風景ですが、誰しも幻想やロマンを掻き立てられるものがあります。
荻座さんの場合は、風景を語りながら、もう一歩踏み込んで枯木に詩的質量を与えている。それは人間が充分納得しうる精神を伝播させるかのようです。映像にある枯木の孤高、それが美や有為な意識として人々に何がしかの糧を与える。その事を荻座さんは語り、枯木を慰め、労わるのでしょう。終連はこの詩の総括として美しくも相応しい。この詩のように、映像:思考=40%:60%くらいの配分を、このくらいの分量で展開するのが、ベストコンディションに思えます。
8 森山 遼さん 「世界」 11/7 初めてのかたなので、今回は感想のみ書かせて頂きます。
よろしくお願い致します。最近「世界観」といった言葉が安易に使われている気がして、少し釈然としないのですが、この詩は、その言葉を使ってくれないで、詩全体を使って世界を探っていく感覚があります。“ひとつひとつ検証していく”といったニュアンスが注目されます。中間部は今日的、世界的な意味が問われ、「あなたと わたし」が両端から挟んでいる。この「あなたと わたし」がこの詩のポイントの気がします。
たとえば、戦争を伝えるニュースを見ながら二人がビールを飲んでいることの意味(その世俗性)。あるいは混沌としたこの世界の中で、二人は瞳を閉じて立ち、互いに手のひらを合わせて考えているような気高さ(その幻想性)。具体風景は何処にも書かれていませんが、そんな構図が浮かんで来る気がしました。 また、書いてみてください。
9 黒い木さん 「希少価値」 11/7 初めてのかたなので、今回は感想のみ書かせて頂きます。
冒頭、幻想的な光景が提示されます。おそらく絵画の展覧会の様子と思われます。
詩の中でアスファルトと宝石が対立概念として表現されますが、自然に考えれば「アスファルト=暗・醜、宝石=明・美」、そういったものが暗示されるでしょう。それらが明滅するように交互的に登場します。絵画への視点とはピンポイントが基本でそれが時間・空間的に並行移動していくものですが、この詩の示すところは、そういった瞬間、瞬間と理解しています。
終連は少し愁いをもたらすものではありますが、これも絵についての、ひとつの状況ではあるでしょう。この内容が、タイトルとどう結びつくかは、僕にとって不明ですが、この詩の特徴として、幻想的ビジュアルと現代的抽象思考の融合・並立を感じています。また書いてみてください。
アフターアワーズ。
後付けで思ったのですが、これは街のありようの高濃度の比喩と取れないこともありません。両用として付記しておきます。
10 詩詠犬さん 「もの」 11/7
この詩は逆から行きます。終わりの2連からです。つまり、ささやかですが微笑ましいエピソードから始まる、この詩、この思考。この部分、もっと言うと「お父さんが誕生日に買ってくれた 大切な本」ここ、案外、ポイントで、詩詠犬さんは、まだ学生さんと言っていいぐらいお若い?同時に、いい感じの父子関係が見て取れます。このエピソードを契機として「もの・物」についての一般論に広がっていく。それがこの詩の全体像です。ここでおもしろいのは前半の本を物と断定しながらも、父からの本は物と言い切ってしまうことに躊躇している。ここに物への心の在り処が確認できます。
読み方としては、後を捉えて逆算していくのが邪道なのは自明です。書き方としても、そういう事は言えてしまうかもしれない。「お父さんが~」から書くのが常套で、多くの人がそうするでしょう。でも、全体の仕上がり具合を見ると、僕はこれでもいいと思う。仕上がり良ければ全て良し。逆発想の良さがあり、特に違和感なく読めました。レコードで言うと、たまにB面から聴いて、A面に行くような。佳作半歩前で。
評のおわりに。
某月某日、某宴会に(詩がらみで)出たのですが、もう、鍋がど~んと出てきました。具も汁もおいしかったです。
そのせいか、しこたま飲んだなあー。 失礼しました。では、また。
初めてなので、こんなに丁寧な評を頂けることに、驚きもし、感激致しております。
長くて、理屈っぽくて、読みにくい作品を、深く読んでいただいて、本当に嬉しく
思っております。
また、拙作を励まして頂いて、何と感謝したらいいのか、戸惑っております。
ご指摘のとおり、最後の「ユーモア」の部分は、蛇足でした。そのことに、気づかせて
頂いたことだけでも、本当にいい経験でした。
これを励みに、もっといい作品を書こうと思えました。
本当にありがとうございます。