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水無川様 こんにちは。今回も優しく読んでいただいてありがとうございます。名前くらいで大騒ぎな私なのですが。こうして受け止めて頂けて、また自信がつきました。ありがとうございます。こんな、名前にこだわりのある私なので。我が子には、とっても簡単で結構な数ある名前の読みと漢字をつけました。すると、子供たちは、お母さんみたいなのがよかった!かっこいいのに!普通は嫌だ。と言ってます。無いものねだりですね笑
また、よろしくお願いします。
1 freeBardさん 「タンポポ」 6/2 初めてのかたなので、今回は感想のみを。
よろしくお願い致します。ひと言で言うならば、この世界の捉え方でしょう。アプローチとして細部ではなく包括的に。二元論的部分もあって、ありていに言えば、人間とこの世界の対し方について、偉大で進歩的な部分と人間の持つろくでもない部分の交錯で詩は進行するようです。分量から言って、ひとつの詩から、あと二つほど別の詩が取れそうな気配もあります。これは何を示すかというと、論理や修辞が四方に飛び散り、もう少し「核」が欲しいとは言えそうなんです。砕けた文体で書かれていますが、論調は意外と前向きなんです。特に後半です。「それでも進歩も~」あたりからですね。ちょっと過激に言ってますが、胸の奥にはそっと許容がありそう。エンドに近づくにつれ、その思いは高まり美しささえ備わります。エンドの2行は全く同感ですね。想像力もありそうですし。普通の文体で書いても、なかなか読ませるタイプな気がします。また書いてみてください。
2 晶子さん 「柔らかくうごめく」 6/3
ユニークな幼児論を詩で包んだ感覚が秀逸です。しかも幼児の側、論理に立って描かれる。
世にありがちな「可愛い、可愛い」だけの詩に非ず。考えてみると幼児の周りは危険な世界に満ちています。誤飲・転落・迷子・誘拐・病気。いわゆる”親がちょっと目を離した隙に“というアレです。この頃の子は論理・感情よりもむしろ本能で動くかもしれない。本能によって世界を掴もうとする。本能によって初期論理を組み立てようとする。その象徴が以下の言葉……。
なぜイスは硬く私に当たったのか
この詩におけるこのフレーズは大変重要です。幼な子のセリフとしても感覚的におもしろい。「君は怒りながら泣く」以降、全てが重要なのです。冒頭場面とも連動させ、痛覚によって世界を手探りし始める。すでに世界と繋がっている。それはイスであり母親であり周りの大人達でしょう。やや辛口ながら、世の若いお母さんたちは時にこんな視点があってもいい。(かわいい、だけじゃイヤよ)、そう幼児は泣くのかもしれない。思わぬ方向から詩が来た……!思わず佳作。
3 エイジさん 「悲しみの花」 6/4
冒頭2行。人の一生をある一定方向から観ずるならば、充分そう言えるわけです。
初連では「何故、赤い花=悲しみなのか? 青ではいけないのか?」といった、やや揚げ足取り的な感想も持ちながら読んで行きます。まずまず納得できるのです。続く2蓮。「赤心」が目を惹きます。これは故事成語で「偽りのない真心」とでも言いましょうか。さて、悲しみと真心の相関性です。付きそうで付きづらい、何かもう一つ、二つ媒介する考え方を持ってこないと整合しにくい、そんな気がするわけです。3蓮では死の問題。そこに含まれる「不滅の種子」と「復活」がイメージしにくい、ということがあります。肉体は滅んでも名は残る(つまり世上の名声のようなもの?)ということなのかどうか?終連は冒頭のテーゼを再録しているので、まずまずイマージは繋がっていきます。
普通に読めば、とてもきれいな詩なんです。あえて付け加えるとすれば、以下のようなことです。
今まで地道に培ってきた詩文体としての抒情美は申し分ないです。今回、書いておきたいことは、島さんが折に触れ言われる「思考や論理性を書く際の注意点」のような感覚です。そう考えて行くと、一般論としてやや悲観的に書くと、詩とはあるいは論理性が苦手なのかもしれない。論理性を貫くには、あまり適したシステムではないのかもしれない。そう思えるほどです。これは、ひとりエイジさんだけのことではなく、詩の全体像に関わってくる気がしています。それをどう乗り越えていくか?そろそろエイジさんもそんな境地に差し掛かったようです。これは高度なレベルと言えそうです。評価は文体面で佳作。論理性で佳作二歩前。総合して佳作一歩前という地点だと思います。
4 妻咲邦香さん 「省略される」 6/4
僕はタイトルもさりながら、途中頻繁に出て来る「途中」に興味を持ちました (こっちのほうが多いかもしれない)。3蓮までは比較的、具体事例でイメージすることができます。路上、AとBが相対している。讃え合いでもいいし口論でもいい。両者にとっては始まりがあり、ちゃんと終わりがある。それを見ていた行きずりのCはその途中を見せられる。一瞬の現象だけを見せられる。その場面が自分にとって途中であり何を意味するかもわからない、たとえばそんなイメージ。さて、それ以降、読み手の僕は何処へ行こうか?「省略」です、「省略」です!ちょっと負のイメージのあるこの言葉に少し長所を与えたい、「省略≒要約」としてみてはどうか?ある論を全て解説されてはたまらない。専門的・難解・時間かかる・だいいちウンザリする!そこで要約です。それは美しく整形された省略かもしれない。僕たちは「省略~要約」のお陰で世界と向き合っているのかもしれない。そんなフィーリングもこの詩中には含まれそうです。さて、僕の中で難しいのは、この詩に見る「省略と途中」の関係性です。その秘密は4蓮・5連に隠されている気がします。不思議なのは、省略肯定的な詩中にあって、最後は”省略から解放されたい“思いが綴られます。これを恋愛詩と見るならば、これは自然な事と思われます。なんだかよくわからなくなってきた。まだ書きたいことは山ほどあるのですが、紙数の関係で無理やり終わらせます。ただ、読み応え・考え甲斐ありで佳作です。
アフターアワーズ。
論理性・思考一発の詩は難しいものですが、妻咲さんの場合、抽象性というベールで読み手の論理的・正論的追跡を見事に晦ます、逃げ切る、無風地帯に入る。これは良い意味でも悪い意味でもコメントしたい(笑)。しかし、その両面性あってこその詩であるでしょう。
5 まるまるさん 「大人になるということは」 6/5
「2」 晶子さんの描いたものが人の最初期の関所とするならば、こちらは第二、第三の関所かもしれません。こちらもやや辛口ですが、少し突き放したニュアンスが感じられなくもない。それも教育。
お子さんのささいな事例で詩は進行しますが、僕の解釈としては、二通りの意見が考えられて……
A……子どものことなんだから、そこまでキツく言わずとも。軽く言っておけば?
B……いやいや、子どものことだから、最初が肝心。しっかり教えておいたほうがいい。
読めばわかる通り、この詩はBの立場を取ります。僕はどちらも適していると思っています。ただ選択の問題だけです。ただ個人主義の強い欧米では、このあたり、しっかり教育しそうです。
Bについて考えます。文中にもある通り「一部の犠牲を払って」「友達の傷みの上に」自分としての大人がある=自分自身が存在する。この課題はこの詩の子供の場面から発して同心円上に発展、拡大解釈すると大人の世界でも充分当てはまることです。これ、大人でもけっこう難しい課題ではあります。この詩の興味ある点は、言っている親御さんもその事に気づいて、自分への疑問ともしている点、読みごたえを見出せるわけです。大人さえ誰しも言い切れないことだと思います。ややシビアなテーマ、フィーリングですが、甘め佳作で中和しておきます。
6 ベルさん 「一秒」 6/5
「一秒ごとに色を塗る」―なかなか風変わりな隠喩でしょうが、時間と人生のひとコマに関わる点、なかなか高度なものを感じます。「懸命に」「前を向く」「暇はない」そして辿り着く「それは今はいい」―ここ、清々しく響いて僕は最も好きですね。若さの典型を感じたしだいです。時に想い出に戻ることもあるけれど、この詩はあくまでカラリ乾いている。「一秒」を思いながらも「さよならバイバイ」
あんまり品のある言葉ではないんですが「ケリの入った」というのがあります。「物事の決着をつける」「けじめをつける」といったフィーリングなんですが、この詩、決着ついてますね。それが「さよならバイバイ」―むしろ爽快。全篇に一生懸命さが漲っています。それを「一秒」が代表するかもしれない。ふとした終連の置き方も逆に効果的。いい意味で甘さが取れてきた。こういう方向性もアリですね。佳作。
アフターアワーズ。
大勢に影響ないので、こちらに書きます。冒頭3行目「だただた」は「ただただ」のことではないでしょうか?(それとも合ってる?擬音?) あと終連「想いで」は「想い出」にした方が読み間違いを避けられます。
評のおわりに。 付録 秋冬さん「時との対峙」
秋冬さん ご報告ありがとうございました。せっかくなのに出席できずに、ごめんなさい。
そうですか、良かったです。おめでとうございます。
「時との対峙」……前半は普通に読んでしまうのです。この詩が俄然、表情を変えるのは「医師から~」以降です。
これは実は父への為の時間との闘いだった。最期は時間の観念も捨てて父の「今」に向き合います、立ち合います、看取ります。
この詩を初めて読んだ時、(そうだったのか……)思わず唸っていました。
その気持ちは今も変わるところがありません。 では、また。
今回も深く読み込んで頂きまして
ありがとうございます。
わたしの訳の分からない気持ちを
見事に解釈してくださいました。
しかも、高い評価で驚いています。
励みになります。
また、頑張って書きます。
再度、ありがとうございました。
お初にお目にかかります。朝霧綾めと申します。
この度はお忙しい中、「アイスブレイクは砂糖がとけるように」に感想を下さりありがとうございます。丁寧に読み解いていただき感謝申し上げます。
爽やか言っていただけたことが何より嬉しかったです。それこそ私の表現したかったものでした! いつもこのような気持ちでいられるわけではないですが、この気持ちを忘れたくなかったので詩にしました。私の中で思い入れのある作品なので、推敲を繰り返して大切にしたいです。
水無川様から感想をいただくのは今回が初めてですが、いつも新作紹介は拝読していました。特に、去年の夏頃に新作紹介にのせていらした「海になるとき」という詩が大好きです。当時「こんな詩を書く方がいるんだ!」と、とてもびっくりしたのを覚えています。
また投稿させていただくと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
水無川 渉先生、感想ありがとうございます。
ネット詩誌MY DEARを見つけるまで、ずっと自分の詩は詩と言えるのか悩みながら書き続けてきました。
しかし、もう、私の居場所を見つけたので、ネット詩誌MY DEARに作品を発表していきたいと思いますので、
よろしくお願いいたします。
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また、全く存じないのですが、秋冬様、おめでとうございます。
好きな詩で生きられる幸せを噛み締めながら、創作に励んでください。
島秀生様、投稿がちょっと前後しましたが「春眠」に評をいただきありがとうございました。
季節的に少しずれてしまったかもしれません。実際春のまだ寒い時期にちょっと遠出して動物園に行った時に感じたことをそのまま書いたのですが、とてものんびりした感じの中に少しぴりっと張り詰めた緊張感を表現出来たらと思ったのですが、なかなか難しいですね。
4連に関してはほぼ読まれた通りで構いません。私も歌って何だろう?と思いながら書いていました。「春眠」というタイトルは結局どちらに帰結するのだろう?という問いかけでもあり、状況を肯定的に捉える俯瞰的な視点で結びたかったので、ややこしくてすみません。
秀作もありがとうございました。また次回よろしくお願いいたします。
お待たせいたしました。5/30~6/1ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。
なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。ですが、「私」=「作者」の場合はもちろんそのように読み替えて読んでいただければ幸いです。
●理蝶さん「路地」
理蝶さん、こんにちは。初めての方ですので、感想を書かせていただきます。
何やらハードボイルドな設定ですね。私も海外にいたときなど、治安の悪い地区は昼間でも近づくことができないところがありました。そんな都会の薄暗い路地に迷い込んだ「彼」を厄災が襲います。
この詩は実際の犯罪行為を描写しているようでもありますが、人生のメタファーという読み方もできるかもしれません。特に都会に生きる人間にとって、一歩間違えれば取り返しのつかない悲劇が待っている「路地」があるのでしょう。そう考えると、首に巻き付いてくる「黒いタイ」にも何か意味があるのかと思えてきます。
いろいろなことを考えさせられる興味深い作品でした。またのご投稿をお待ちしています。
●喜太郎さん「地球最後の日」
喜太郎さん、こんにちは。「明日世界が終わるとしたら何をするか?」というのはよくなされる質問ですが、意外と「いつも通り過ごす」という人が多いように思います。この詩はそんな選択をした夫婦の姿が描かれています。
この詩は世界の終わりに仮託して語られていますが、中心的な主張は
「何も無い日常ほど大切で貴重だと気付いたのだ」
ということだと思います。愛する人と過ごす、何の変哲もない日常のありがたみ、それを噛み締めている作者の思いが伝わってくるような、ほのぼのとした気持ちにさせられます。
そんなメッセージをSF仕立ての設定に込めているのがこの詩の面白さでもあるわけですが、その設定の作り込みが不足しているために、あまりリアリティを感じられなかったのが残念でした。どのような原因で世界が終わるのか、簡単でもいいので説明が欲しかったですし、世の中がいつも通りというのもどこか現実味がありませんでした。むしろ社会が大混乱している中、「私と妻」がいつも通り過ごしているというふうにした方が説得力が増したかもしれません。
この詩は少し手を入れるともっと良くなると思いますので、考えてみてください。評価は「佳作一歩前」となります。
●積 緋露雪さん「目玉」
積さん、こんにちは。初めての方ですので、感想を書かせていただきます。
私たちの目に見えている「世界」は実際の世界そのものではない、という哲学的思考を綴った詩ですね。私たちには世界そのものは決して認識できない、いやもしかしたら世界そのものが妄想かもしれない、そんな果てのない思考に「俺」はあえてはまり込んでいき、しかもそのことを楽しんでいるようにも思えます。哲学者というのはこういう種類の人々なのかもしれませんね。
それをただ書いたのではなかなか詩にならないところを、「ぎろり」と世界を見つめる「目玉」を中心に描いているのが、なんとも言えない独特の雰囲気を醸し出しています。旧仮名遣いで書かれているのも味があって良かったです。またのご投稿をお待ちしています。
●森山 遼さん「僕は僕の知らない遠くへ行く」
森山さん、こんにちは。人は生きている限り「自分」という存在から逃れられないわけですが、でも自分でない存在になりたい、「自分」がいないところに行ってしまいたい、という願いを感じることはあると思います。そういうかなわぬ願いを追い求める「僕」の葛藤が描かれた詩ですね。
僕はもう長く
僕とつきあってきたから
疲れたんだ
の部分から、その思いがよく伝わってきます。そんな「僕」を呼ぶ声がする。それが誰なのかは明かされていませんが、私は何となくあの世からの呼び声のような、不吉なものを感じました。
自分が自分でなくなる遠いところに旅立ちたい。けれども死んでしまいたいわけでもない。そんなどうにもならないやるせない気持ちが「きのうのつめたい死んだコーヒー」という表現にも表れています。この表現はとても良いと思いました。
最後の部分は正直よく分かりませんでしたが、結局「僕」は冷めたコーヒーを飲みながら想像の世界に旅立った、ということかと解釈しました。最終行の「sayonara」がローマ字で書かれているのは、自分が自分でなくなっていく様子を表したものかもしれません。
構成的に言いますと、内容的に最初の11行と残り7行の間に区切りがあるような気がします。前半でどこかへ行ってしまいたい、という思いがいつの間にか死への思いに向かって行くのに気づいて、「だけど僕は死んでしまいたくはない」と我に返り、冷めたコーヒーを飲みながら想像の世界に遊ぶことに甘んじる、という展開かと思います。もしこの解釈が正しければ、この2つの部分の間を1行空けた方がいいかもしれません。
細かい点をもうひとつだけ指摘しますと、最後から2番めの行の「僕の知らない遠くへいく」の最後はタイトルと7行目に合わせて「行く」と漢字表記にした方が良いと思います。
全体的になんとも言えぬ哀しみが伝わってきて胸を打たれました。評価は「佳作」です。
●樺里ゆうさん「探していた」
樺里さん、こんにちは。思春期の頃は自分が何者なのか、アイデンティティを探している時期だと思うのですが、その場合の「自分」とは「他者の目に映る自分」であることが多いんですよね。この詩ではそれが「他人という鏡」と表現されていて、なるほどと思いました。
けれども、そういった年代を通り過ぎた現在の「わたし」はもはや他者の目を気にすることもなくなりました。
あの頃のわたしは
他人とちゃんと向き合っていたとは言い難い
という部分は、昔の自分に対する客観的な視点が感じられます。この詩は全体的に若かりし頃の自分に対する冷めた視線が印象的ですが、それで過去を切り捨ててしまうのではなく、そういった「鏡探し」の時期があったからこそ今の自分がある、と肯定的に捉え直しているところに「わたし」の成熟した人格を感じます。それでいて最後は深刻ぶらないで「なんてね」と締めくくるところがとても良かったです。評価は「佳作」となります。
●紫陽花さん「紫陽花に戻っていいですか」
紫陽花さん、こんにちは。名前は私たちのアイデンティティの重要な要素ですね。けれども子どもは自分で名前を選ぶことができませんので、親に付けてもらった名前に対して様々な思いをもつことがあります。この詩では普通には読めない名前に対する「私」の葛藤が描かれています。
学校で病院で店で
何千回も何千回も
の部分はその大変さがよく伝わってきました。そしてついに平仮名表記にすることにした。「私」にとって、それは自分でアイデンティティを決め、親から自立する一歩でもあったのでしょう。けれども一方で、それは親から受け継いだ大切な遺産を手放すことにもなる。「父」が亡くなって、「私」はそのことに気づき、ふたたび「紫陽花」に戻ります。ある意味で、亡き「父」は紫陽花(ひさえ)という名前を通して「私」の中に生き続けているのだと思います。
最終連も「父」から授かった名前への誇りが伝わってくる心温まる終わり方でした。評価は「佳作」となります。
*
ここからは評から離れます。冒頭にも書いているように、私は基本的に投稿された詩の作者さんと詩中の語り手は区別して読んでいるのですが、もしこの詩が作者ご本人のことを書かれているのだとすると、これまでずっとお名前を間違えて「あじさいさん」と読んでいたことになりますので、本当の読み方が分かってよかったです。紫陽花(ひさえ)さん、良い名前ですね。
●朝霧綾めさん「アイスブレイクは砂糖がとけるように」
朝霧さん、こんにちは。初めての方ですので、感想を書かせていただきます。
世の中には初対面の人となかなか打ち解けられなかったり、人見知りしてしまって話しかけにくい人が多いようです。だからこそビジネスや学校などで顔合わせの時に緊張をほぐすための「アイスブレイク」がよく行われるのですが、「私」にとって初めての人と知り合うのは、ティータイムのような楽しみなのでしょう。冷たくて固い氷を、さっと溶けてなくなり、しかも甘みを与える砂糖というイメージで置き換える発想はとても新鮮でした。
この詩は全編このポジティヴな思考と他者への信頼に貫かれていて、とても爽やかな読後感を覚えます。またのご投稿をお待ちしています。
*
以上7篇、今回も読み応えのある作品に出会うことができました。ありがとうございます。
今月で私の福祉の学校の授業が終わる
私の隣には中国から勉強に来ている
20代の陳さんがいる
私は彼女の日本語が好きだ
彼女の日本語は歌うように
優しく発音される
そうっとそうっと発音される
巣から落ちた小鳥を拾い上げるように
壊れないようにそうっと
そしてなにより
単語選びと言葉遣いが丁寧だ
私の言う
ここ分からないから教えてが
陳さんが話すと
ここに大変な問題があります
教えてください
になる
彼女の教科書を読んでるような
日本語は少しかしこまっていて
よそ行きで憧れる
そんな日本語を半年聞いてきて
伊予弁も聞いてみたくなった
一緒にペットボトルのお茶を
飲みながら陳さんに
ペットボトルの蓋開かんけん
開けてもらえる?
と私は言った
陳さんはいつものように丁寧に
ペットボトルのふたあかんけん
開けてもらえる??と真似して
あかんけん??と笑っていた
私は開かんけんは
開かないからっていうことよと
説明して
それから方言のこと
愛媛は語尾にけんって付けるから
使ってみてねとおすすめした
それから二人で練習した
開かんけん 開かんけん
閉めるけん 閉めるけん
知らんけん 知らんけん
見たけん 見たけん
来たけん 来たけん
帰るけん 帰るけん
2人でけんけん言うと
また私の好きな日本語が
優しく育ったような
幸せな気持ちになった
島様、詩の評をありがとうございました。
自分の詩に何やら違和感を感じていたのですが、理屈っぽいという事だったのかもしれません。今後詩作するうえで大きなポイントになると思います。
原文に近い形での直しをありがとうございました。よくよく読んで、検討したいと思います。条件付きではありますが、名作をいただき、とても嬉しいです。「あっち」という語も今回は採用しようと思っています。それと書き方、理屈っぽい部分も重なりますが、大きなポイントだと思います。
いつも本当にありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
後ろ姿はどれもいい
用事があるのだろうか
ここにいたくないのだろうか
後ろ姿ほど
正直なものはない
普段人に見せない
あるいは
自分でもわからないなにかが
宿っている
ピカソもダリも
初期には後ろ向きのモデルばかり
たくさん描いた
嘘はつけない
月の裏側は
泣きながら笑っている
いずれ誰もが
後ろ姿に
旅立つのだろうか
故郷へ帰るのだろうか
あなたの
後ろ姿はとてもいい