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編集・削除(編集済: 2024年12月26日 18:12)

青島様へ御批評のお礼 暗沢

御批評のお礼申し上げます。ありがとうございました。
気候の変動に身体が付いていかないのか中々今年の秋は憂鬱な気分が続くのですが、秋めいていく中の青蜜柑の青さにある種の救いのようなものを感じるものがあります。「にがい」「しょっぱい」は佐藤春夫の秋刀魚の歌を勿論意識して入るのですがどちらかといえば素直な抒情詩として投稿させて頂きました。
晩秋を迎え間もなく冬の時節ですが詩作に身を置く眼で景物を見ていければと思う次第であります。
改めて御批評ありがとうございました。

編集・削除(未編集)

11月 1日(火)~11月 3日(木)ご投稿分 評と感想です。 青島江里

11月 1日(火)~11月 3日(木)ご投稿分 評と感想です。 


☆帰れない二人   小林大鬼さん

有名なスターとの思いがけないお別れ。お二方それぞれのことを報道で耳にしたときは驚きました。この作品は、お二方が天国にいかれた時のことを思い描かれたということですね。作品のあとの注釈で、迷うことなくそのように拝見させていただきました。

誰かが亡くなられた時、よく思うこと。あちらにはあの人がいるはずだろうから、あの人ときっと再会を果たし、驚きあっているだろうという思い。それは、裏を返せば、あちらの世界でひとりぼっちになってほしくないという気持ちでもあると思います。作者さんのファンとしての、あちらにいっても寂しい思いをせず、この世と同じように、あちらの世界でもいろんな人に明るい気持ちを届けてくれたらいいなという気持ち。そして「今までお疲れさまでした。再会して、誰にも気を使わずにのんびりと過ごしてください」の二種類の思いを作品全体から感じさせてもらいました。

このままでもいいと思うのですが、小林さんは筆力のあるお方なので、小林さんを感じさせてくれるワンフレーズや醸し出すものがほしいところ。こちらの作品には、そのようなことを思いました。今回は佳作一歩手前で。



☆空色ベーカリー   紫陽花さん

桜に桜前線という言葉があり、私は書きためている個人のノートの中で、桜前線という鉄道に見立てて詩を書いたことがあります。その作品、引っ越しを機に見失ってしまいました。

こちらの作品、その時のことも思い出しました。何かに見立てて、ファンタジーのような世界を繰り広げていくって、とても楽しいですよね。秋の空をキッチンカーで旅するベーカリショップにたとえるなんて、聞いているだけでワクワクしてきます。しかも食欲の秋を思わせる季節感もよいですね。

とてもPOPでカラフルなリズム感もあるのですが、ただひとつ、着地点が気になりました。「今日はそろそろひと休みしましょう」で終わっているところ。あと少し踏み込んだものがほしかったかなぁと。秋という季節に対する思い入れとか。何かに見立てるものだけではなく、プラスアルファ、作者のこの作品を書きたかったのはこういうテーマからだという表現があれば、さらに良い作品になるのではないかと、個人的には思いました。今回は佳作半歩手前で。



☆ピアスホール  樺里ゆうさん

ピアスの穴は一回もあけたことはないです。友人の一人があけていましたが、作中の内容のように、金属アレルギーを発症しました。私も、そのぐじゅぐじゅになっている様子をみて、怖くなったことを覚えています。その人がいうには、おしゃれプラス、運命がかわるかもしれないからあけるって言っていたように思います。

拝読していても思うのですが、自分の体の一部が変わっちゃうのですから、ピアスホールをあけていた人として、運命云々は別として、どことなく、今までと違う人扱いにしたくなる気持ち、納得です。買ったのにつけずじまいになってしまったピアスというモチーフは、残念という気持ちを通り越して、じわじわと寂しい気持ちを伝えてくれますね。

作中で一番良いなぁって思った言葉は「わたしは/ピアスをつけた/わたしが/好きだった」というところです。

女の子のおしゃれをしたいっていう気持ちも感じられますし、変わろうとした勇気を認める気持ちも感じられますし、後悔はしていないよっていう気持ちも感じられますし。ぽつんと呟いた言葉の中に、女の子の甘さもしょっぱさもぎゅっと込められている、そんな言葉に感じられたからです。

八連目と九連目。無事に傷が癒えて、ピアスをしない人になってからの寂しさの確認。八連目と九連目を逆にした方が、言いたいことが強調される感じがするかと思いました。「これが/淋しさだろうか」も「これが/淋しさというのだろうか」に変えるかな。個人的にはそう思いました。女の子の気持ちを感じさせてくれる作品。今回は佳作一歩手前で。



☆時間と空間は相対的、自我も相対的 森山 遼さん

時間と空間は相対的。私はそんなことを、深く意識して生活したことがなかったように思えます。ですが、人って割と、一つのことについて気になりだしたら、案外とまらないかもしれません。そんな時って、その時々に気づいたことを書き留めたくなるのではないかと思います。文章が好きなら文章で。詩が好きなら詩という形で。それぞれに好きな形や忘れにくい形で書き留めたいって思うのではないかと。

時間と空間は相対的ということについて、感じることを、思うままに熱心に書き留めている気持ちが伝わってきました。好奇心のままに突き進んでいる様子も感じられ、それは少年のようです。最後の最後におじいさんとされているのを拝見して、その若さに驚いたりもしました。

大小問わず、人が気づかないことを気づいたり、発見したりする時は、だれしもドキドキしてしまいますよね。そしてその時の記憶を、忘れずにいるかいないか。書き留めるかそのままスルーしてしまうかでも、それから先のことって、いくらか違ってくると思います。また、書いて発表するということで、全然縁のなかった人に見つけてもらって、知り合えたり語り合えたりすることもあると思います。

全体的拝見して思ったことは、相対性理論について思われる例を、セレクトされて整理されれば、もっと伝わりやすくなると思ったことと、全体的に相対性理論に関することを書かれているのに、最後の最後で「ユーモアが必要」という項目に入って、少し横道にそれたところで終わらせたところは、ちょっと残念かなぁって思いました。

ですが、思うことを突き詰めていくことの楽しさがたくさん感じられる作品になっていると思いました。感じるということの大切さを感じさせてくれる作品になっていると思いました。




☆車窓は語る  理蝶さん

車窓から見える景色って、何もおしゃべりできなくとも、自然と語りかけてきますよね。詩は、読み手に渡るといろいろな読み方をされると思いますが、今回、私はこの作品の「神との和解」と「窓に張った10年物の土埃」から、復興支援関連の内容を思い浮かべながら拝見させていただきました。

朝露に濡れた選挙ポスターを使って、今の政治に対する思いを感じさせてくれた表現、さりげないアイロニー、お上手だと思いました。

三連目の店の様子。枯れた花に爛れた看板、忘れられた店先という表現。無人で空き家の様子がわかり、さらに前衛的に覆う蔦からは、その年月を教えてもらえます。

ひび割れた、いまだに整備されないままのバス通り。でこぼこ道を走る、人を乗せるバスの音を「がなりながら」とするところにも、怒りや不満を感じさせてくれました。

最終連の「その車窓に/私は人のため息の2つの意味を知るのだ」では、問題提起を読み手に投げかけ「改めて考えてみませんか」と訴えかけてくれているようにも思いました。

復興支援関連の内容として拝見させていただきましたが、最近の、社会に対して国民の思うことを代弁してくれている作品として拝見することもできると思いました。大変難しい内容を、偏りすぎず、なおかつ難しくなりすぎず表現されているところ、お上手だと思いました。佳作を。



☆何かを失った味  cofumiさん

当たり前だったことが当たり前でなくなる時の衝撃。これは想像を絶するものだと思います。当人でしかわからない深い悲しみがあります。昔、手術で足を切断された方の部屋を仕事で訪問しないといけないことがありましたが、お互い、声になりませんでした。相当な年月が経っていますが、今でもはっきりと思い出せます。

気になったのは「右手がない」という表現でした。そのつもりはまったくなくても、不快語として誤解される危険性がありそうです。最近は、「二人三脚」という言葉でさえも使用を控えてくださいと言われた事例もあります。何かを失うというテーマで書くとしたら、このようなことを避けて、何か大切にしていたものなどに変えて表現していくようにしてみる方が安心して書いていけそうですね。このことを除けば、何も考えずに、いいなと思える作品の仕上がりになっていると思いました。

言葉って難しいですね。推敲の時にこのような点も意識してみることを片隅においておくと、楽かもしれないですね。少し話は、ずれますが、最近では、JPOPの有名人が他の方のカバーを発表したところ、その曲にNワードがあるとして、引っかかったケースもあったそうです。文化の違いや人それぞれの受け取り方、いろいろあるので、どこまでがどうかなんて、100%わかる人はいないと思いますが、本当に難しいですね。そんな感じで、今回は評の方は保留とさせてください。cofumiさんが、これからも、のびのびいきいきと作品の世界をひろげていけますように。



☆光る星 大杉 司さん

星に願いをかける。昔から人がやり続けていることですね。こちらの作品も、星に願いをかけるということをテーマにされていますが、そのテーマ、星に願いをかけるということではあるのですが、何を願っていいかわからないとしているところに重きを置いた点が、通常あるテーマとは少し違うものを感じさせてくれました。

孤独感や寂しさを表現するにあたり、遠くの街の賑わいをもってきたところはよかったなと思います。しかも遠くですから、見ようとしても見えない。おそらく、夜中でもキラキラと輝いている夜景の様子をみて想像しているのでしょう。賑やかな場所とは程遠い場所で自分はいるという距離感も、より寂しさは極まって伝わってくるようにも思えました。

また、好きな人に対する思いの強さも、願いごとがひとつに決められないという迷い方を表現することで強まっているように思えました。また、流れ星に対する願いごとですが、欲張らずに一つだけにしていることも「僕」の真面目なお人柄をしめすことに繋がっていると思いました。

四連目ですが、「逢う」は、「会う」の方がよいかと思います。あと「強く願い手を拝んだ」という部分ですが、手を拝むといい方よりは、手を合わせたという方がいいと思います。

全体的に読み渡すと、作品の中に人いきれや生活の空気を感じさせ、広い夜の寒空の星々に一人の人間の孤独を感じさせてくる作品となっていると思いました。



☆東北流転  北目気球さん

拝読の後、東北の歴史についての内容になっているのかと感じました。歴史については、教科書程度で、あまり専門的なことまではよくわからないのですが、今あるだけの、勉強からかなりはなれて薄れてしまった記憶をなぞりながら拝見させていただきました。中途半端な感じになってしまう感もあるので、今回は感想のみとさせてください。

三行目と四行目から八行目あたりが、作品の中に入りづらかったかなぁ。三行目から四行目にかけては、日本人というのは「他民族の民族のるつぼ」ということをさすことなのかと。東北ではそのようなるつぼ状態の中、昔、戦が繰り広げられたということなのかと。凍害の中でお互いに感じあったことはなんであるのかと。言葉的には「寒ずたもの」という言葉は、聞きなれないので、わかりにくかったかな。八行目の歩みを止むというのは、歩みを止むかということが読み取れませんでした。「戦」とすれば、下段の「私に歩め」という意味合いがおかしくなってしまうし、言葉や文化の進展についてなのか。それとも今の文化、国民性を保ち続けることなのかとも思ったり。最終行の「東北流転 日の出るところ」は、東北は日の本の国と呼ばれていたことからくるのかなと。

以上のようなことを思いつつ、この作品は、東国から東北地方にかけて先住していたといわれる「蝦夷(えみし)」について書かれているのかなと思いました。啀み合いとは、ヤマトの中央政権ではこの蝦夷たちとその土地を征服するために幾度となく軍隊を派遣し、長い間続いた戦闘状態のことをさされているのかなと。そのような歴史の背景の中で、先人は、日の本とも呼ばれたこの土地の風土や文化や歴史を大切に歩んでくださいと、今やあの頃の姿はどこにもないけれど、先人たちは、そのように言っているように思えたという気持ちを書かれた作品になっているのかなと思いました。何のお役にもたてませんでしたが、わかりづらい人がどのようなことがわかりづらいのかという点でお役に立てるかもしれないと思い、私なりに一生懸命書かせていただきました。作品の中には、うまく入りこめきれませんでしたが、作品全体の言葉のリズム感や切れの良さには、心地よいものを感じました。これからもいろいろなテーマで詩作を楽しまれてくださいね。



☆2022年11月3日の午後  秋冬さん

年齢を重ねるということについて、ご自身の思いを、ご自身のテンポで、飾ることもなく、どこにでもある言葉をていねいに選びながら、描かれていると思いました。

初めから九連目くらいまでの、これでもかというくらいのネガティブワードの行進。どっと、気分が沈んできます。さらに大きな問題提起に発展してからの、いやいや、実はそんなに悩んでいないのだよというかのようなオチ。まるで大人を悪ふざけでドッキリにかけるようなオチにみえるのですが、ここが、秋冬さんの詩の醍醐味であるような気がするのです。そのままに受け止めたいと思うけれど、そのままでは通り過ぎることのできない、どこか、人間臭いかすかな物悲しい香りが漂ってきて、一瞬、心をぎゅっと絞られたような気持ちにさせるような気がするのです。

作中のネガティブワードについては本当のことで、しだいに凹んでいく気持ちに気づき、自らを、無意識に軌道修正させているようにもとれるのです。そう考えていくと、作中の途中までは本当の思いで、途中からはそんなに深刻ではないという雰囲気に軌道修正され、最後の最後には茶目っ気のある、ユーモアと哀愁が宿っているようなものに落ち着くことができているのかなとも思いました。

最終連の「腕を組み」と「悩んだふり」という言葉には、半分深刻と半分冗談が感じられて、なぜだかちょっと切ない気持ちにさせられるのです。

どこにでもいる人間の、どこにでもある悩みを、どこにでもある言葉で、急ぎ足でないテンポで描いている秋冬さんの作品。でも、どこにでもある作品で終わらないのは、大き目の悩みにも、どんな小さな悩みにも、同じように向き合うことを忘れない気持ちが込められているからだと思います。そして飾りのない人間臭いぬくもりを行間の端々に隠し味として忍ばせているところも特徴の一つのように思います。

「ああ、そうだな。みんな同じなんだ。なんかほっとした。」・・・・・・。直接誰かを励ますような力強いメッセージはないけれど、温かいお茶の湯気のように包んでくれるものがあると思います。佳作を。



☆風が・・ りんさん

車を運転して帰宅するまでの道のりでの場面を描写してくれたのですね。

一連目。運転を始める背景、わかりやすく書かれていると思います。
二連目。しだいにスピードを上げて動く車の様子と自身の爽快な気持ちが伝わってきました。
三連目。先ほどの高揚感にも似た気持ちから一転。我に返る様子を「一本道はただの帰り道」という言葉を使って表現されているところ、「ふと、我にかえる」等、そのままの言葉を用いず、独自の言葉で表現されているところがいいと思いました。
四連目。一人で運転することから、個人としての自分を意識する様子が感じられました。
五連目。日暮れる様子を街の光を通じて表現できていると思います。
六連目。無事に一日を終える安心感が伝わってきました。「分散しそうな粒子を繋ぎとめ」という独自の表現では、あと少しとはいえ、運転で気の抜けない緊張感も伝わってきました。

詩の全体に理数系の言葉をちりばめていらっしゃいますね。ユニークで、夜の色と宇宙の色を同時に感じさせてくれそうな雰囲気も醸し出していると思いますが、個人的には、もう少しその数を整理され、砕けた表現にされてもよいかなと思いました。とても丁寧に書かれていると思います。これからもいろんなことに興味を持たれて、どんどん腕を磨いてくださいね。



☆青蜜柑 暗沢さん
みかんの季節になりました。店先ではオレンジ色のみかんが、たくさん陳列されています。とっても甘そうです。

さて、こちらの作品に登場するのは、オレンジ色ではなくて、青いみかんです。少し早い時期に店頭で並べられる青いみかんではなく、オレンジ色になるまでの青いみかんです。二連目の「鼻孔を抜く 柑橘の香り」・・・・・・わかります。実家に数本のみかんの木がありますが、青いミカンの匂いは正にその通りです。作者さんの青いミカンの成長を想像する過程、それはどこからかをきっかけにして、若き少年少女に対する思いへと移行されているように思えました。

「甘くあれ」は、多数決で決められたものに従えや、長いものに巻かれて生きろだとか、そのような意味合いにとれそうだと思いました。反対に、「御身のままに青くあれ」は、他人に振り回されずに自分を大切にしろ、信じて進めという意味にとれそうだと思いました。

このように拝見していくと、全体的に若き世代に対する熱い祈りを表現している作品になっていると感じました。青蜜柑にかかわる自然の背景を重ねることで、益々の人への息吹のような気持ちを表現できているように感じました。佳作を。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

いつのまにか十一月になってしまいました。今月の初めにあった、四百四十二年ぶりの皆既月食&惑星食。夜道を歩いていると、あちらにもこちらにも月の写真ととる人。こんなにもたくさんの人が一斉に同じ月をみていると感じた夜は、ここ数年なかった気がします。あっというまの夜でした。

日に日に寒くなってきました。どうぞご自愛ください。
みなさま、今日も一日おつかれさまでした。

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夜のムード  理蝶

ドイツ語がそそる
小さな頃の夢
寝る前のひと時に
天井に描いた一代記は
終わりを見ないまま
埃をかぶっている

あの頃は
空を飛びながら
海に潜っていたんだっけ

ボディソープが語る
都市生活者の悲哀
弱いシャワーを浴び
空の浴槽と冷えた背中は
もはや義務的に
明日に備えている

あの頃は
理由もなく恋に落ち
キスだけが頬を染めたっけ

そうだった、あぁ、そうだったなぁ

古い写真が見つかる
物置の地層の中
僕は寂しい目をしてた
フレームの外にある
何かを見ていた
友が戯れる様子か
ただの遠景か

それともこの未来を既に
見透かしていた…?

いいや、
僕はそんなに頭の良い子供ではなかった

そうだった、あぁ、そうだったなぁ

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あと一年、あと一日  秋冬

昨日
明日には
世界が終わる
と聞いたのだけれど
今日が
まもなく
終わろうとしている

どうやら
今日で
世界は終わらない
らしい

あと
七分あるから
まだ
分からないけれど


 あと
 一年で
 死ぬとしたら
 何をしますか?

先日
駅前で
声を掛けられた

 考えたことも
 ないので
 分かりません

無気力に
答えたら
パンフレットを
渡されて
勉強会に誘われた


昨日
明日には
世界が終わる
と聞いたのだけれど
今日
僕は
何もしなかった

ただ
ただ
本当に終わるのか
布団に潜って
時計と睨めっこしていた

あと
三分だ


 あと
 一年で
 死ぬとしたら
 何をしますか?

 ただ
 ただ
 本当に死ぬのか
 日常に潜り込んで
 カレンダーと睨めっこして
 その日を待ちます

 あと一日になったら
 その日が
 過ぎることを
 息を潜めて
 待ち続けます


あと一分で
世界が終われば
結局
何もしない人生も
終わる

僕は
冷蔵庫を開け
缶ビールを飲む

あと一分で
死ぬとしたら
僕がしたいこと

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時間 りん

まわりながら乾いた音で降り注ぐ
しゃらしゃらと光の断片と混ざり合う
一人立ち止まって目を閉じると
胸のあたりに何かが染み込む

緩やかな波長
あなたが居たような記憶
現実をすぅーっと辿ると
居なかったような気もするなんて

重なり合うやわらかい温度は
ずれはじめれば
流れて消える

声帯のふるえのないさけび
どこに居ても
響かない
そうだとして
それがなんだというのだろう

見えないものが
何もかもをくるみこむことが
あったりするんじゃないか
なんて

緊張していた喉もとがゆるむ
少し冷えた空気が肺胞に入っていく
歩き始めると
街のざわめきに引き戻される

三次元が二元化し
二重螺旋のように交わらずに安定化し
それをただ見ている
感情のない現実

わたしは
確実な存在ではない
足裏がアスファルトに反発する一瞬を
見逃してはいるけれど

夕日に赤く染まる
ぼんやりと歩きながら
位置を確認する

優しい時間に
いるみたいだと空を仰いだ

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雨音様、批評のお礼です  U.

ご批評ありがとうございました。
ご指摘を受け、もう一度見直してみたいと思います。
何処をどう引き算すれば良いか考えてみます。

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足跡

置いてきた足跡は
歩まなかった未来を空想するかの様に
大きく膨らんだ

それを見た僕は怖くなって
ひたすらに前だけを見て歩むようになった

振り向けば後悔で
押し潰されるかも知れないと思っていた

ある日、歩む先に光を見つけて
大きく息をつく

やっと見つけた
安堵の息のような、ため息のような

ようやく僕は振り返る

後ろを見て気がついた
ああ、全部僕なのだと

あったはずの理想の僕も
それを選べなかった僕も
そんな後悔を重ねてきた僕も

不甲斐ない自分を受け入れた
今の自分を作る為の僕だったと

置いてきた足跡は
置き去りにした僕を祝福するかの様に
綺麗に色づいていた

再び僕は前を向き
もっと綺麗かも知れない
光に向けて歩き出した

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ありがとうございます  紗野玲空(ピロット)  

青島江里様 妻咲邦香様
横浜詩人会入会につき、お祝いのお言葉をいただきありがとうございました。
今後とも、ご指導、ご鞭撻のほど、宜しくお願いいたします。

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こころ  Liszt

青春時代
うかつにも
わたしは気づいていなかった―
こころとは
限りなく豊かな
鉱脈じゃないってことを

あのころ
どんなに挫折しようが
どんなに絶望しようが
どんなに憂鬱な気持ちに襲われようが
辛抱して
こころの中を
新たな鉱脈まで掘り進めれば
夢や希望を取り戻し
この世界に感動する気持ちを
またいくらでも
手にすることができた

それなのに
青春が飛び去ってしまい
年齢を重ねるうちに
どうがんばってみても
どこまで坑道を掘り進めても
もはや ひとかけらの鉱石も
見つけられなくなってしまった

長年 浮き世のアカに
どっぷり まみれていたせいか
むかし抱いていた希望が
すっかり色あせて
若いころ感動した音楽を聞いても
本を読んでも
絵を見ても
何もかも味気なく
さっぱり感動しなくなってしまった

いったいどうしたことだろう
あんなに豊かだった
こころの鉱脈は
すべて掘り尽くされてしまったのだろうか?

やぶれかぶれになった わたしが
狭苦しい坑道の中で
やみくもにつるはしをふるい
壁にハンマーをうちつけているうちに
そのはずみか とつぜん
砂や小石が雨のように降り始め
天井に大きな裂け目ができたかと思うと
不気味な音がとどろいた

しまった!
落盤が起きたに違いない
わたしは いそいで
こころの中から逃げ出そうとして
ひたすら坑道を駆け上がったけれど
時すでに遅し…
地上にあともう一息のところで
崩れ落ちた大きな岩が道をふさぎ
進退きわまってしまった

だから言わんこっちゃない
希望なんか持とうとするから
感動なんて求めようとするから
こんなことになる…
傷つくだけじゃないか!
だいたい人生に
夢とか期待とか持つもんじゃない
自分のこころに蓋をして
ただ無関心に生きていけばいいのさ…

こみ上げる後悔と絶望に押しつぶされて
へなへなと しゃがみこんだそのときだ
ヘッドライトの電池がなくなり
すっかり暗闇となった坑道の中に
どこからか
か細い光線が差し込んでいるではないか!

ふらつく足を踏ん張りながら立ち上がり
辺りに転がっている石ころや岩に躓きながら
光線の差し込んでくる場所を
必死に探し求め 見上げれば
はるか上の方 地上と思しきあたりが
小さな天窓のように明るくなっている
きっとあそこから脱出できるに違いない

そればかりではない!
光の線にそって浮かび上がり
キラキラと金色に輝いているのは
新しい鉱脈ではないか!
落盤が思いもかけない富を
もたらしてくれたのだ
―この鉱石を地上に持ち帰り
また人生を生き直そう―
しだいに わたしの中に
若き日の情熱が甦ってきた

ほとんど垂直に切り立った岩壁を
地上に向かってよじ登りながら
わたしは学んだことを何度も呟いていた―
自分のこころとの苦しい格闘なくして
何も新しいものは得られない、と

編集・削除(編集済: 2022年11月09日 18:20)

月食のソネット   小林大鬼

月食、月食と言うけれど
月が食われる訳じゃない

地球の影がゆっくりと
月を覆って暗くなる

月食、月食と言うけれど
月が欠ける訳じゃない

眩い光が揺らめいて
人の視力じゃそう見える

月食、月食と言うけれど
月が無くなる訳じゃない

誰もが天体観測中
夜空を見上げて夢を見る

途中で疲れて寝てしまい
月が笑って人の時を刻む

編集・削除(編集済: 2022年11月09日 11:57)
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