おはようございます(^^)
倉庫カフェに出没。神職の装束を縫える人になりたいので和裁の基礎を教えてほしいと見える人があったので、来るのが3時になり、今日は珈琲だけ。ペルーペラレスG1という豆。どうもお吟は、こういう軽めのものより、酸味がしっかりしているものが美味しいと感じるようだ。
窓辺に赤と白のシクラメンが置かれていた。早くも達磨型のストーブには寸胴がゆげを立ててる。で、↓こんな俳画に(笑)。
燃ゆるてふ白のあるなりシクラメン 芳野年茂恵
前向きな猫髭さん、応援しています♪
今日は、JAで、里芋・九条葱・小ぶりな柚子・美星満天豚・平子ちりめんなど買い、隣で野菜料理をたらふく食べ、腹ごなしに、大和の国にまけないほど栄えていた吉備の国の古墳群を散策した。田んぼや畑の広がる中に、ぽこんとある。高さ30mとあなどることなかれ。前方後円墳の造山古墳は、日本で四番目に大きい。しかも、自由に散策できる前方後円墳では、日本一大きいのだ。軟弱者のお吟は登山靴に履きかえて正解だった。
近くには、秀吉が水攻めによって包囲し攻略した毛利の高松城址がある。(この攻城戦の最中に、秀吉の主君である織田信長が明智光秀に討たれた、いわゆる「本能寺の変」が起きた。)面白いのは、前方後円墳の後円部に、毛利方が築城していたらしく、土塁も残っていること。古墳だと分かって築いたのかな?山なら何でも使えと(笑)。
古墳の斜面は、野菜が栽培されている如くに洋種ヤマゴボウがはびこって、たんぽぽや姫女苑の帰り花もまじる冬青草が逞しかった。↓は後円のてっぺんから前方を見たところ。
冬耕の音近くある古墳かな 田島 魚十
随分昔ですが、四日市公害の頃、板金工だったわたくしは四日市港に停泊していた那珂湊の漁船の方向探知機の修理でわざわざ出張して来たのですが、おどろおどろしい赤黒い地獄絵図のような夕焼の公害を見て驚いていました。
哲学科出身(ギリシャ古代哲学と実存主義専攻)の板金工というのも珍しかった時代でしたが、いやはや茂雄親方の再読には「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」とのけぞるくらい形而上学的解読で拙句も腰を抜かしました。小津安二郎的日常の世界を詠んだつもりでしたが、拙句と顔を見合わせて偉いところに持ち上げられたと、いや恐れ入谷の鬼子母神、ぽかんとするばかりで、初めて詠んだ句が実存主義の句であったとは、凄い深読みで恐縮至極、ありがとうございます。
毎週土曜日は病院で突発性難聴の治療で、高気圧酸素カプセルで一時間入っておりますが、左耳の難聴が厄介で遅々として進まないとはいえ、慣れというものは恐ろしいもので杖がなくとも歩けるまでにはなっています。スポーツ自転車ではなく、三輪車のおばさん自転車(後ろが荷台の三輪車)にすれば自転車も大丈夫かなと思うようになっています。一瞬にして障碍者になりましたが、切り替えと言うか順応力が高いので、障碍者として前向きに生きる方法に舵を取ろうということです。すくなくとも、自転車で介護に回るということは可能ですから。
茂雄様、何事か起これば、たちまちバタバタするのが「廊下」ですものね。「秋日和」で、その廊下が縁側にある広縁的な温かいものであることも分かりますものね。
今日は、倉敷の茶房にて、着物好きさんの集まりがあった。久しぶりにお会いしたのが、病院への通勤も着物という強者さん。以前縫ってさしあげた、星空のような久留米絣を着ておられた。帯は、うさぎと星の模様。この生地はお高いので少しだけ使い、あとはお安いデニム使いでお友達に縫ってもらったとか(笑)。
この夏は、与論島へ一人旅をしたそう。柳行李ひとつを下げて、旅装は浴衣。飛行機に乗るまでは、ちゃんと半衿をつけて単衣の着物風にしていたというのも彼女らしい。芭蕉を栽培して皮をはいで糸につむぐことからしている織り手さんから買ったという芭蕉布の帯を見せてもらうのも楽しみ。半年先になるそうだけれど。。。
いつ枯れむ島の芭蕉は冬青き 及川 貞
小筆遊びの後、いつものメンバーで小料理屋さんへ。足すものも引くものもないお店、実直に夫婦で味を守っている。柚子味噌の風呂吹き大根に始まり、大将手づくりのアイスクリームで終る。なかんずく好きなのが、↓鰆の炙り。天然ものの鮃もよかった。
我らがお茶人は、ころんで頭を打って、小皿をひっくり返して被せたほどのたんこぶが出来たそう。時間と共に、たんこぶが下がっていって、今は、首の後ろに暑さ対策のリングを巻いているようだと。へええ、たんこぶって、下がっていくんだ!
お茶人も書の師匠もよく転ぶので心配。旧家守り人とお吟は転ばない。
真つさらな紺の暖簾も十二月 三井ひさし
