>お返事は、ないだろうと思っていますので、ご安心を。でも、あったら嬉しいです。
返事はするに決まっています。ただし、こちらは9カ月(前回の書き込みからは1年9カ月)も待たされたのですから、一週間くらいは間を置いてもいいかなと思って――しかし1日で書きます。私の忍耐力など、その程度のものです。
さて、息子さん、苦しい青春時代を送っているみたいですね。お母様(ネルさん)も、相手はもう子どもではありませんから打つ手もほとんどなく、不安に思いながら見守る他、道はなさそうです。しかしやはり、不安は不安ですよね。
希望の大学に入れず、“おそらく仮面浪人しているだろう”という状況、よくわかります。「自分はこんな場所(こんな大学)にいるべき人間ではない」と、等身大の自分を受け入れられずに、いつまでも勝負を続けている--それに似た男の子は世の中に山ほどいます。
俳優崩れ、芸人崩れ、ミュージシャン崩れ、司法浪人、作家志望、画家志望――もちろん俳優や芸人、作家志望の中にはとんでもない遅咲きもあるので諦めもなかなかつかないのですが、多くは30歳になる前に、才能の芽は見えてくるはずです。それでも芽が出ないならやめた方がいいのに、今度はそれまでに費やした人生が重すぎて、投資したエネルギーや時間が諦めきれなくなります。失った分を取り戻そうと、さらに損を重ねる悪いギャンブラーのような人生を送り続けなくてはならない、そういう人もたくさんいます。
(ただし、「それでも、みんな生きてるじゃん」という視点は大事です)
息子さんも、自らの能力に頼むところは多いのでしょう。ほんとうの自分はこんな大学で終わる人間じゃない、そう思えば学部の試験に身が入らないのは当たり前ですし、来年、仮面浪人の末に志望の有名大学に合格していれば、こんな大学の成績など、全部どうでもいい話です。
そこには障害とはまったく別の、男の子によくある、昔からの「晴れ姿」だの「故郷に錦を飾る」だのといった人生観があるのかもしれません。なかなかうまくいかない人生を、一発大逆転。有名大学に合格するとか、賞をもらうとか、大金持ちになるとか――そうでもしないと、惨めな自分に押しつぶされてしまいそうになるのです。
「男の子に」と限定したのは、こうした悪い人生を送るのは男の子中心で、女の子には少ないように思うからです。もしかしたら女の子には別の道、「いざとなったら結婚で人生をひっくり返せばいい」が残っているからかもしれません。
そんな古い人生観が今も生きているのだろうかと訝る人もいるかと思いますが、現在でも、「プロポーズは男性が片膝ついて指輪を示してやるものだ」と思い込んでいる人がいて、「結婚式にはウェディングドレスを着るものだ」と何の疑いもなく信じている人が大勢いる以上、是非とは別に、「女の子はいざとなれば結婚」という考え方は存在するものだと私は思っています。
もちろん男の子にだって逃げ道はあります。「30歳まではやりたいことをやって、それでだめなら普通のサラリーマンになる」というものです。高度成長やバブル経済の時代の、「職種さえ選ばなければ、誰でも簡単にサラリーマンになれた時代」の遺物で、私自身もバブル経済の始まりと20歳代がほぼ重なりましたから就職は楽で、だから30歳まで遊んで、それから教師になったという面もあります。
20年に及んだ平成不況の中で忘れられていた考え方ですが、人手不足の今なら、それも復活できているのかもしれません。ただし時代が許しても、個人の資質や障害がそれを許さない(もしくは許さないだろうと思い込んでしまう)とするなら、その子は切羽詰まります。
「自分は普通のサラリーマンになれない」と思いこんでいる若者が、人生の優待券(超有名大学の学位や特別な才能、賞や、尋常ではない資金等々)からも遠ざけられていると感じたら、それは本当に必死でしょう。どう生きたらいいのか分からないのですから。
そういう子は、ほんとうは世の中の包容力とか弾力性といったものをもっと知る必要があるのです。障害があろうともなかろうとも、多少偏屈あってもそうでなくても、何らかの問題をかかえていても、人間関係が下手くそでも、世の中は案外受け入れてくれるもので、自分の居場所は必ずある。有名大学出身だの名家の出だの、背が高いだの見栄えがいいだの、そういうことがまったくなくても、面白おかしい人生は必ずあるのであって、大切なのは人を圧倒するような力(パワー)ではなく、楽しく生きられる術なのだ、ということです。
別の言い方をすれば、良くも悪しくも、他人はキミのことなんか気にしていないよ、ということです。たまに何か言うことはあるかもしれないけど、それは瞬間的なできごとで、継続的には無関心なものさ、わざわざ絡みつくような人間関係を持ちかける人はそうはいないし、いたとしても特別の対処の仕方がある、それを学ぶことさ――ということです。
ただし、そうしたことは教えられる問題ではなく、自分で経験して学んでいくしかないことだと私は思っています。
もしかしたら的外れな話をしているのかもしれませんが、私にはネルさんの息子さんが、半世紀前の自分にそっくりな気がして、ついつい自分の経験を語る気になったのです。私も等身大の自分を受け入れるのに十数年もかかってしまいました。ほんとうに受け入れたのは、教員になって、結婚して、最初の子どもが生まれた35歳くらいの時でしたから20年以上も、自分を認めなかった計算になります。
この話、とんでもない方向違いかもしれませんが、そうだったとしたら、それで一つの可能性が消えるわけですから、それはそれで意味あることでしょう。
ネルさんにしても、
>私がいなくなったら子どもが困るだろう、というモチベーションだけで生きています。
とおっしゃいますが、私の二人の子はそれぞれ25歳の時には私を必要としなくなりました。下の男の子などは、金銭的には25歳まで面倒をみましたが、精神的には20歳の時はすでに、親の必要性を感じなくなっていたはずです。今や二人も手の届かないところにいます。子どもはあんがい早く巣立ちますよ。
まだ配偶者がいますので私の存在理由も失われずに済んでいますが、ネルさんもそろそろ次の時代の準備をしておかないと、意外な計算違いになってしまうかもしれません。
子どもには必ず居場所があります。子どものことを心配しないで済む、あるいは心配しても何もできなくなって、考えないでいる時間が圧倒的に長い、そんな時期が必ず来ます。そのあとの配偶者との距離の取り方、自分自身が死ぬまでにどんな生活を続けるのかといった計画、そんなものにも、そろそろ手を付ける時期かもしれません。
また来てください。
明日でも結構ですし、1年後でもかまいません。私は、忘れずに待っています。
いつもいつもご無沙汰しています。
1〜3月は上の子の受験で(気分的に)忙しく、しかも結局失敗したので、なんとなく書き込むタイミングを逃してしまいました。
自分が目指していたのとは違う(偏差値も低い…が私の出身大学よりは高い)大学に入学しましたが、コミュニケーション能力が低いために必要な情報を仕入れられていないようで、前期の成績は散々でした。
あー、これが発達障害あるあるなのか、と思った次第です。
おそらく仮面浪人をしているのでしょう。同級生だって、自分たちを見下す人とは関わりたくないですよね。
仮面浪人はおそらく失敗するでしょうから、来年度以降はどうするのだろう?と心配しています。
母には、お盆に連絡を取りました。
帰ってくるな、だそうです。
最近ずっと盆と正月は体調不良になっていましたが、吹っ切れました。
最近、本当に生きる気力が湧いてきません。
とにかく、私がいなくなったら子どもが困るだろう、というモチベーションだけで生きています。
うちの夫は、親としてやってはいけないであろうことをやらかす人ですので、いつも私が間に入ってなんとかしています。
以前、
> 私がここに来るのは、T先生が学校という場をよくご存知で、有益なご意見が聞けると考えるからです。
> メールではなく掲示板なのは、有益なご意見は私一人のものにするべきではないと思うからです。
このように書きました。
前半部分はその通りですが、後半部分は「のちの自分にとって有益だから」なのかもしれないな、と読み返して思いました。
カイトカフェは読んでいます。
ちょうど、AIのおかげでネットが面白くなくなったなと思っていたところです。
どうせAIでしょうと思ったら、心が動きません。
いろんな角度からのお話、これからも楽しみにしています。
(お返事は、ないだろうと思っていますので、ご安心を。でも、あったら嬉しいです。)
T先生、ご無沙汰しています。
昨年は、希望通りに異動でき、いきなり担任になりましたが、生徒にも恵まれて穏やかな日常を過ごしています。
と書こうとしていましたが、年始からバタバタしています。
虐待案件です。
どんなことが起こったか、虐待の様子を聞かされ、それがまさに数十年前に自分が母親から受けた仕打ちと酷似していて、固まってしまいます。
あの時は、周囲に話したところで誰も保護するなんて思いつきませんでしたが、時代は変わりました。
父がこの世を去って3年、もう実家に顔を出すことも、母の顔を見ることもないな、と思いながら対応しています。
発達障害を抱えながら、それに本人自身が気付けないばかりに虐待をしてしまう親世代(私たちの世代)がいる一方で、子どもの世代には、物心ついた時から診断が付いていて、自分を客観的に分析できる子ども世代(高校生)がいます。
我が子も高校生と中学生ですから、この子達が小さい頃から急速に「発達障害」という言葉が広まったことは、よく覚えています。
「早期発見」は、こうやって身を結ぶのだなと実感しています。
さて、少ししんどいですが、自分にも整理をつけて、今週も頑張ろうと思います。
ありがとうございます。
よく分かりました。
ありがとうございます。
医学的にどう定義されているのかは分かりませんが、
・発達障害で他者を傷つける人は、目の前にいる人が心に痛みを感じているかどうかが分からない(センサーが機能していない)ので、あとで自分が傷つけたことを知ると、ひどく落ち込む。または、心の痛みという概念自体が分からない。
・人格障害の人(を疑った生徒)は、相手が痛いと感じていることは分かるが、傷つけることを悪いと思っていない。むしろそれを利用する
というふうに見えます。
盲目の人が、目が見えないことに気づかずに車を運転しているか、ただの当たり屋か。
外しているかもしれませんが。
今回の件は、第三者の手が入って、本当に良かったと思います。
私もそうしたかった。
元気でやっておられるようで何よりです。
「血は水より濃い」という言葉は、ほんらい家族のきずなの強さを表すものですが、しがらみの強さという意味でも使えないこともないでしょう。普通の人間関係なら簡単に断ち切れるものも、親子兄弟だと容易に切り離せない場合が少なくありません。実際の、空間的距離を取ること以外に解決の方法がない場合もあります。ネルさんの場合もそうなのでしょう。いずれにしろ平和は保たれなくてはなりません。
虐待の問題は私にとって最も理解しにくいものです。先日も「うさぎの島」として有名な大久野島で、ウサギ77匹が不審な死を遂げ、25歳の会社員が蹴り殺したものとされています。私の家にもウサギが居ましたからとても信じられない話ですが、それが人間の子ども、しかも実の子に対して行われるというのは1mmも理解できるものではありません。
「大人の発達障害」はその外見上の答えのひとつですが、最近、私の中で「大人の発達障害」と「人格障害」の違い、あるいは関係が、分からなくなってきています。
もちろん原因が分からなければ解決できないというものでもありませんし、原因追及に時間をかけるよりもいま目の前で起きていることに対処することの方がはるかに重要だとおも思うのですが、県警機関への通報以外に有効な手段も思いつきません。
なんとも苛立たしい話です。
お礼など必要ありません。
かつてはこの掲示板が私の主戦場で、誰かが何かを書いてくださるというのは「お題」をいただくようなものだと心得ていました。本当は自分の周辺に自分で「主題(お題)」が発見できればいいのですが、なかなかそういう訳にはいきません。日ごろいつも考えているように、私の大きな弱点のひとつは年号や人の名前といった「無意味つづり」が覚えられないこと、そして「問題に気づく能力」の弱さです。他人が困っていることや周辺の問題性に、なかなかピンと反応できないところがあります。“ボーッと生きている”のでしょうね。
ですから何かを話してくださる方は大歓迎です。さて、今回のお話について--、
ネル先生も色々抱えておいでのようですが、
>おかげさまで、学級経営は上手く行っています。
この側面の一勝は大きいですよね。それしかなくてもいいくらいなものじゃないですか。
>生徒指導部の後ろ盾がない中で、自分一人で問題を全て解決し、全く気の休まる暇がなかった2年間でした。
これだってすばらしい。教育は厄介な仕事ですから一人で問題が解決できるようになるまでに、相当な熟練が必要なのです。
「たいていのことは何とかなる」とタカをくくっていられるだけの実力を蓄えたことは、それだけでも喜びです。私も40歳代のどこかで、「あれ? 大抵のことは何とかなりそうだぞ(何とかならないことは、誰がやってもうまく行かないことだ)」
と思えるようになって、そこからは人生が楽になりました。学校だけでなく、家庭生活でもそんな感じでした。
下手に生徒指導部が入って余計なことをされるより、一貫した自分のやり方を押し通した方が上手く行きそうです。
さて旧暦の2023年も今週で終わり。私は二年続きの「天中殺」の解放です。実は私もさほど占いを信じない方ですが、都合の良い時だけは頼るようにしています。
すぐにお礼くらい書きに来れば良いのですが、なかなか遅筆で書けませんでした。
私がここに来るのは、T先生が学校という場をよくご存知で、有益なご意見が聞けると考えるからです。
メールではなく掲示板なのは、有益なご意見は私一人のものにするべきではないと思うからです。
「同僚や後輩は責任を取らなくてはならない相手ではない」とはまさにその通りです。
生徒も同僚も大事にしなければなりませんが、確かに同僚については責任を取るべき存在ではありません。
おそらくこれは、巷のカウンセラーなどには分からない感覚です。
他の同僚や上司からも、このような答えは出てこないでしょうし、そもそも、相手のことも知っているので、何も言えないでしょうね。
本当にありがたいです。
おかげさまで、学級経営は上手く行っています。
生徒たちには、「もうすぐ私大の一般入試だね。みんなが揃うチャンスは明日でおしまいかも」と言えば、みんな別れを惜しむために学校にやってきます。
他のクラスのように、推薦入試が終わって糸が切れたようにサボる生徒はいません。
ただ、生徒指導部の後ろ盾がない中で、自分一人で問題を全て解決し、全く気の休まる暇がなかった2年間でした。
生徒の一人が先日、「このクラス、僕も含めて1年の時に悪かったメンバーが集結してますよ」と教えてくれました。
確かに、一昨年度、崩れていたクラスがあったし、当時の名簿を見ると、今のクラスのメンバーがたくさんいました。
私は隣のクラスの担任で、生徒たちが「隣じゃなくて良かった」と口々に言っていたことを思い出します。
下手な手を打つとすぐ崩れるメンバーで、よくここまでやって来たなと思います。
私は占いは信じませんが、それでもエネルギーにしたことがあります。
一番思い出に残っているのは、通信制大学に入ったことでしょうか。
あまりにも何もかもうまく行かず、でも占いの本には今年から運気が上向くと書いてあったので、突拍子のない無駄遣いをしよう、と考えたのです。
今のようにネットバンキングがあるわけではないので、仕事を休んで銀行に行き、銀行から出て10万円が引かれている通帳をまじまじと見たことを覚えています。
あれが、今の自分の原点になっていることを思うと、占いを信じることも悪くありません。
慌てて確認したところ、同じ占いで、「去年は悪すぎた、今年は運気が上がる」と言っているようなので、ちょっと期待しましょう。
仕事では全く身動きがとれませんから、仕事以外で夢中になれることを探してみるのも良さそうです。
今日は立春ですし、気持ちを切り替えたいと思います。
ダメなら来週の旧正月を待ちます。
それでもダメなら、来年度が始まるのを待ってみます。
また来ます。
人は呼名の数だけ人格を持っています。
例えば20年くらい前、私は家で「お父さん」と呼ばれ、両親からは呼び捨てにされ、姪たちの「叔父さん」であり、学校では「先生」と呼ばれていました。さらに細かく考えれば家で呼ばれる「お父さん」も妻と子では私に求めるものが異なり、学校で呼ばれる「先生」も相手が児童生徒であるか、保護者であるか、あるいは同僚であるか、その同僚も先輩であるか後輩であるかによっていちいち少しずつ違っていたように思います。
私は他にも「兄貴」としての顔があり、ブログの記述者としての顔があり、SNSのあちこちで少し出している顔もありますが、生活の中ではむしろ小さな顔でした。
その顔の数はその時期の生きて行く場面の数であって、「夫婦関係も老いた親との関係もいいが、子どもがとても厄介な状況にある」とか、「学校でも児童生徒との関係はすこぶるいいが、同僚との関係が崩れてる」とか、そんなふうに数えて、「今のところ12勝3敗だ」とか「6割アウト」だとか、全体をみる方法もアリかな、と思ったりします。
ネル先生、
生徒の指導に漬かれ、同僚・後輩・上司との関係にうんざりし、お母さまとの関係にギクシャクして――と、そうなると八方塞がりみたいなもので、かなりの苦戦ですよね。そういうときはもう「勝とう」などとは思わず、とにかく負けなければいつか勝機は見えてくると思い定めて、防戦一方、土俵を割らないように俵に足をかけ、ひたすらグルグル回り続ける。
本来の持ち味が生徒に切り込んでいく生徒指導、教科指導であっても、今はひたすら「訴えられない指導」「保身の指導」。母娘関係も下手に修復しようとすればかえって傷を広げることになりかねない時期は、放置。時間が解決してくれることも少なくありません。
同僚や後輩は――別に責任を取らなくてはならない相手ではありませんよね。放置。
私は、結局のところ人生は運だと思っています。有卦に入っているときは何をやってもうまく行きますが、無卦に入れば5年、浮かばれないのです。
幸い私たちには文章によって事態を「見える化」するという技があります。深夜2時近くに長い文章を書いているのは健康上、あまり褒められたことではありませんが、必要な時はそうしましょう。
ブログのなかでも書いていますが、私も2023年はものごとがうまく行かない年でした。いいこともあったのですが、ここ数年、心にわだかまっていたことが、悪い方向で決着したりといったことが、いくつか続いたのです。
いつの間にか四柱推命にハマっていた私の娘の見立てでも、2023年はかなり悪い年だそうですが、その23年が終わったので喜んでいたら、四柱推命は旧暦で動いているので、旧正月が来ないと悪運も消えないのだそうです。
今年の旧正月は2月10日(土)から。それまではうまく行きませんから、諦めず、土俵を割らないように逃げ回ろうと思います。しかしそのあとも悪運が続くとしたら、元教師としての体内で動いてるもうひとつのカレンダー「会計年度」に従って、4月1日が来ないと2024年(度)にならないと考え、そこまではもうひと頑張りしようと思っています。
また書き込みにきてください。お互い悪運を嘆き合いましょう。
T先生
ご無沙汰しておりました。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
とご挨拶に来たかったのですが、年末年始は体調を崩していました。
体調というよりは、メンタルの調子と言って良いのかもしれません。
年賀状は年が明けてから、いただいたものだけに返信して終わりました。
気づいたら、年賀状の繋がりはほとんどなくなっていました。
自分が出さないのだから当たり前です。
でも、寂しい気がします。
わがままですね。
昨年は、今まで仕事において大事にしていたものが、ことごとく失われた年だったように思います。
本当に仕事が面白くありません。
生徒や保護者と会話する度、自分がすり減ります。
優しい言葉を発する度、嫌になります。
今までなら「すべては生徒のため」でしたが、今は「問題がこっちに降ってこないようにするため」です。
厳しい言葉を発することはありません。
虚しくなります。
昨年は、実の母親と音信不通になりました。
お盆に、私がお供物を持たずに帰省したことに腹を立てた母は、今までの恨みつらみを、LINEのメッセージとして立て続けに送り付けてきました。
関係ない義姉のことも長文で送りつけられました。
ネガティブなメッセージを文字で送りつけてはいけないということ、デジタルネイティブ世代なら知っていることですが、高齢の母は知らなかったのでしょう。
面と向かって「お供物は?」と言えば、「お母さんごめん。常識なかったわ。ちょっと買ってくる」で済んだはずです。
でも、LINEを開いたらそのメッセージが目に入るし、さらに幼い頃からの母に対する恨みつらみが思い出されるので、気づいたら正月も連絡せずじまいになりました。
清々しいほどに、母への未練はありません。
しかし、きっと私も我が子たちから同じことをされるだろうと思いました。
私は母によく似ているからです。
きっと私が覚えていないことで、我が子たちは私を恨む日が来るでしょう。
お正月以降、メンタルの調子がさらに悪くなったのは、そのせいです。
(あとは、お正月から災害関連の報道を見たことも、関係ありそうです。)
最近は、職場の同僚とも上手くいきません。
アスペルガータイプと思われる若手の同僚に、やんわり仕事を断ったら上の者が出てきて、そこで私の堪忍袋の緒が切れた、という事件が起こりました。
ここ2年ほど、上から言われたことを忠実に(考えることなく)守ろうとした若手から中堅に怒ることが激増しました。
怒る私が悪いのです。
何かないかな、と思います。
環境を変えたいです。
今年は、振り返ったら良い方向への転換点だった、と思えるような年にできたらと思います。
(具体策はありませんが。)
※追伸で失礼します。
さっきまで消えたいほど辛かったのですが、書いたら少しは楽になりました。
眠れるかどうか分かりませんが、少し眠れそうな気がします。
立派なベテランにおなりのようですね。
面倒くさい生徒指導部に任せず、難しい問題を解決して颯爽と去っていくなんて、格好いいじゃないですか。
世の中、できる人が仕事を多くやって、できない人が支えてもらうようにできているのです。
私がそう言うと、
「自分ばかり仕事をさせられて、不公平だ!」
とおっしゃる方がいますが、その人は有能だから仕事が集まってくるわけで、そもそも有能に生まれたというだけで。能力のない者から見れば不公平な話です。仕方がないのですね。
いちいち言い訳めくのは嫌なのですが、書き込み通知のメール、今度は日常使用のメーラーのspamファイルに行っていました。通常、どなたであっても1週間以上放置するということはないので、返信がなかったら何かの自己と考えてご容赦ください。
さて、生徒指導の場において、若い教員が何かにつけて手探りで、仕事になっていないというお話、とても理解できるところです。私も、生徒指導だったら何とかやり過ごしますが、現代に生きていて、まだ若くて独身だったら、恋愛問題で大いに躓くだろうな、と思ったりします。
心惹かれる女性がいても、うっかりデートに誘って、
「オマエが誘うのはセクハラなんだよ」
とか、
「顔がセクハラなんだから声をかけるな!」
とか言われたら二度と回復できそうにありませんから、絶対に声をかけたりできないのです。
最近のニュースで、職場結婚の復権、全体の25%とか言っていましたが、テロップのすぐ隣に「婚活アプリ25%」と同率であって、「ああ、職場で4年5年とたっぷり時間をかけてプロポーズするか、婚活アプリで全手札を晒し、前もって『変なことさえしなければ、基本的に顔だけでセクハラとか言いません!』と保障を手に入れないと、結婚への第一歩が踏み出せない時代が来たのだな」と思ったりしました。
学校は間違えるところ、子どもはもっと間違いを犯していいなどという人がいますが、その間違いを正したり、誤りっぱなしにならないように支える仕組みが生きていないと、安易に間違えさせることもできません。
もはや誰とも分かりませんが、世の中を動かしていこうとする人たちは、社会をどこに導いて行こうとしているのか、ほんとうに不安です。
学校を昭和に戻すなんてことはできないに決まっている――という面はあるにしても、教職員を増やすか仕事を減らすしかない二者択一で、もはや人間を増やす方向はなくなっています。つい先ごろまでは《これだけの赤字財政で、予算を増やすことは絶対にできないから》というのが理由でしたが、そこに加えて《教員になってくれる人がいない》と言う事情が被さってきましたから絶望的です。
あとは仕事を減らす話しかないのに、いま挙げられているのは部活の外部への移行、運動会や文化祭など歴史も定評もある行事の縮小ばかりです。形骸化した全国学テや教員評価・学校評価、誰も見ないキャリア・パスポート、道徳や総合的な学習の評価欄、結局、中学校英語の学力と生徒の意欲を下げるしか効力のなかった小学校英語、ChatGPTに絶対勝てないレベルのプログラミング学習。そうしたものをなくそうとする動きがまったくないのには驚かされます。
生徒指導も令和は令和らしく、学校で扱うのは勤務時間内として――などといいますが、じゃあ児童相談所や警察は《学校が手を引く令和》にふさわしく、担当者を4倍~5倍に増やしているかと言うと、そんなことはありません。
学校が手を引けば空隙ができるだけです。
平成時代に増やしに増やした学校の仕事を昭和程度に減らし、部活や生徒指導の問題は「変動労働時間制」で凌ぐしかありません。今の制度では不可能みたいですが、部活顧問と生徒指導担当者は、長期休業はすべて代休にして一日も出勤しなくていいようにすればいいのです。もちろん長期休業中も部活や生徒指導はありますが、これはすべて休日出勤の対象として、普通の地方公務員並みの残業手当を出します。
そうでもしないと(部活が死に果てるならいいかもしれませんが)、今より酷い中途半端なまま学校に残されかねません。
と相変わらず私は怒っています。
T先生
夜中に一気に書きましたので、文章に不明瞭な点があるのはご了承ください。
それから、こちらのタイミングで好きな時に投稿していますので、返事がなくても当たり前だと思っています。
お返事をいただけて、とても嬉しいです。
先日、管理職面談兼人事希望面談がありました。
校長に、うちの職員が急速に主体性を失ってきていること、私はそれに耐えられず、できれば異動したい旨を伝えました。
今の校長は、タヌキですが、基本的には良い人です。
最大にして唯一の砦である校長が来春に定年になった後、学校がどうなるか考えるだけで恐ろしいというのも、異動を希望する理由です。(とは伝えていませんが。)
校長は、思い当たるところもあるのか、何とも言えない顔をしていました。
今の勤務校がつまらない理由の一つは、生徒指導部が崩壊しているところです。
県教委から下りてきた通達をバカ正直に受け取って、ほぼ一切の指導をしなくなりました。
確かにブラック校則はダメですが、全ての髪型を許さなければならないわけではありません。
寒い日に制服のみでの登校を強要するのはダメですが、制服を着崩すのを許さなければならないわけではありません。
ですが、彼らはその匙加減が分かりません。
なぜなら、それらは彼らにとって未知の世界であるネットと連動しているからです。
また、従来の生徒指導の中で、彼らは生徒を抑えつけることしかして来なかったのかもしれません。
本当は、ブラック校則を排除した上で、教職員が組織的に生徒指導すべきです。
でも、今の勤務校の生徒指導部は全く当てになりませんから、私は一人で立ち向かいます。
先日、生徒どうしのネットトラブルで、片方の親が学校に来られました。
双方の生徒及び保護者とも、昨年度以前に学校と揉めた経歴があります。
今回も揉めることが容易に想像できましたが、どちらにもそれなりに納得していただくことができました。
生徒指導部や管理職といえば、初期の段階では動こうとせず、いよいよもう片方の保護者が学校に怒鳴り込んできた時に、やっとアリバイ作りの会議を開くだけでした。
双方に納得していただけた具体的な手法は伏せますが、とにかくそれぞれの生徒と保護者に対して、心情を理解していること、こちらも心配していること、この件に関してこれ以上ネットで言及すると傷が深くなるので、ネットへの書き込みは中止すること、を伝えました。
本来、これは学校が組織的に動く事案ですが、全部自分で片付けました。
(ネットが絡むと、トンチンカンな命令を を担任に出してくるので、その前に片付けることにした、ということでもあります。)
最後に会議で報告したので、一応組織的に動いたことにはなっていますが。
生徒の話をしっかり聞くこと、こちらが心配していることを伝えることなどは、昭和ても平成でもやっていたはずです。
そんなに生徒指導の基本は変わっていないように思うのですが。
なぜか、新時代に対応した生徒指導部にハシゴを外されっぱなしです。
何しろ、生徒の話をしっかり聞くのは時間がかかり、勤務時間を超えてしまいますから。
個人的には、やはりとりあえず昭和に戻すのが良いと思います。
平成以降に導入した数々のことをリセットするのです。
その後に、新しい時代を築けば良いのです。
でないと、若い人たちにとっては、平成以降に導入されたものは本務で、部活動や(過剰に見える)生徒指導は本務外ですから、部活動などは削ってしまうべしという結論しか出なくなります。
(追記:今は本務ですら正規の勤務時間からはみ出す分量ですから、部活動までやると、生活が成り立たなくなります。また、今の時代は女性だけでなく男性も家事をするのが当たり前ですから、「男は仕事」と生活から逃げることも許されません。)
リセットができないのなら、今の学校制度は崩壊するしかないのかもしれません。
これだけ人手不足の世の中になりましたから、一条校を出ていなくても稼げるようにすべきだという言説を見ました。
小学校の勉強でつまづいている生徒に大学受験をさせるのは至難の業です。
彼らを大学(や高校)に縛り付けるのは無意味とは言いませんが、あまり幸せではないとは思います。
長々と書きましたが、これが私の周りだけなら良いなと思っています。
