9,季氏、閔子騫(びんしけん)をして費(ひ)の宰たらしめんとす。閔子騫曰く、善く我がために辞せよ、如(も)し我を復(ふたた)びすることあらば、則ち吾(われ)は必ず文の上(ほとり)に在らん。
季氏が、閔子騫を費という町の宰相(領主)に任命しようとした。閔子騫は使者に向けて言った。「私のためによく季氏に辞退の意志をお伝えください。もし、再び私を宰相に任命しようとするのであれば、私はきっと魯国を出て文水のほとりにいるでしょう」。
※浩→孔子の晩年には、孔子門下の有能・博学・有徳の弟子たちの名声が高まり始め、諸国から高級官吏や宰相として任命したいとの思いが寄せられることもありました。閔子騫という人物は、孔子の弟子の中で『徳行第一(もっとも人徳が高い)』と賞された人で、閔子騫は自身の名誉や栄達のために仕官することを好まない潔癖・清浄の君子であったそうです。吉川幸次郎先生は、なぜ閔子騫が任命を拒絶したのか、その理由は本文からは明かではないとしながらも、古注から、季氏が「不臣」であったこと、つまり僣上沙汰(身分を越えて出過ぎた行い)ばかりしている家であったこと、また、費が不安定な土地であったことを理由として挙げています。ここの語気から、閔子騫の潔癖さが最大の理由とも考えられます。かようにも清廉潔白な人物は、少々近寄りがたくも感じられます。そばにいると、直立不動で応対しないといけないかもしれないですから。「落語国」の住人には人間的な魅力があります。上方落語では「喜六」「清八」、桂枝雀の落語に登場する「松本留五郎」、江戸落語の「はっつぁん」「くまさん」です。私の落語とのつきあいは長いです。大学時代にボート部の柴田浩志先輩のアパートの隣室に一時住んでいました。先輩はラジオで落語番組が始まると、壁をドンドンと叩いて、私に知らせてくれていました。お隣どうしで笑いこけていました。その柴田浩志先輩は、農学部出身で大卒後は埼玉県鴻巣市の「植苗紙」というものを作る会社に就職されました。私は何度か彼を寮にたずねて泊めていただきました。その後、「チッソ」本社に異動され、水俣病関連の後始末に取り組まれたそうです。ずっと熊本市に在住でしたが、2022年のお正月に誤嚥性肺炎のためお亡くなりになりました。惜しい先輩をなくしました。名前は私と同じ「ひろし」ですが、彼の「ひろし」には「志」がついています。よく先輩から、「大森にはこころざしがない」と冷やかされていました。懐かしい思い出です。岡山工業時代には、歌舞伎と落語で国語担当の細川公之先生と親交ができましたが、残念なことにその細川先生も数年前に他界されました。あちらの世界には往年の名優さんたちや落語の師匠たちと談話していることでしょう。天王寺屋さん、京屋さん、成駒屋さん、中村屋さん、成田屋さん、大和屋さん、澤瀉屋さん、古今亭志ん生師匠、古今亭志ん朝師匠、三遊亭円生師匠、立川談志師匠、桂枝雀師匠、桂米朝師匠、……。細川先生の贔屓(ひいき)の役者は最近亡くなった中村吉右衛門です。細川先生はテレビドラマの「鬼平犯科帳」が大好きでした。
清廉潔白と言えば、やはり幼な子の清らかさを想います。最近、往年の名作「汚れなき悪戯」を観ました。ラストが主人公の死で終わるところが「フランダースの犬」と似ています。キリスト教世界では、神様に召されるのは喜ばしいことでしょうから、主人公がラストで死んでもハッピーエンドなんでしょうか?タイトルの「汚れなき悪戯」はスペイン語で「パンとワイン」)で、1955年製作のスペイン映画です。14世紀イタリア中部ウンブリア地方で起こったと言われる民間伝承を元にした、ホセ・マリア・サンチェス・シルバ(José María Sánchez Silva)が1952年に発表した小説が原作です。1955年のカンヌ国際映画祭で、主演のパブリート・カルボが特別子役賞を受賞しています。それはそれはかわいい子です。主題歌「マルセリーノの唄」は大ヒットしました。サントラ盤では修道士とマルセリーノの掛け合いが入っていて、これを聞くだけでも感動します。今でも泣けてきそうです。
映画は、祭礼のために丘の上の教会に向かう人々の流れと逆方向に歩き、町に住む病気の少女を見舞う無名の神父の話で始まります。彼は今日の祭りは何を記念するものか知っているかと少女とその父親に問い、祭礼の起こりを語り始めます。そのあとは枠物語の形式でストーリーが進みます。19世紀の前半、スペインのある町の町長を、2人のフランシスコ会神父と1人の修道士の3人が訪れ、侵略者フランス軍により破壊されたまま廃墟となっている丘の上の市有地の修道院を再建する許可を求めた。町民の助けを得て再建された修道院では、やがて12人に増えた修道士たちが働いていた。
ある朝、修道院の門前に男の赤子が置かれていた。神父は赤子に、その日が祝日の聖人名「マルセリーノ」と命名して洗礼を授けた。両親はすでに亡くなっていたことが判ったため、修道士たちは近隣に里親を求めて歩き回った。しかし里親にふさわしいと考えられた人々の生活は苦しく、また引き取ると申し出た鍛冶屋は徒弟を乱暴に扱っているため修道士の方で断り、結局赤子は修道院で育てることになった。
5年後、マルセリーノは丈夫で活発な少年になっていた。彼は修道士たちから愛され、また宗教や学業の手ほどきを受けはじめていたが、細やかな愛情を注ぐ母親も同じ年頃の遊び相手もいない孤児の境遇に、修道士たちは胸を痛めていた。
ある日、町に行く途中で馬車の故障で修道院に立ち寄った家族がいて、マルセリーノはその母親と話すことで女性に初めて接し、また自分と同じくらいの歳だというマヌエルという息子の話も聞いた。マルセリーノが炊事係のトマス修道士に自分の母親のことを尋ねると「母親は美しい女性で、今は神様のところにいる」と修道士は答えた。そしてマルセリーノは、マヌエルを仮想の遊び仲間として独り言を言いながら遊ぶ癖がついた。
修道院の再建を許可した町長は、死ぬ前に土地の寄贈を採決しようと申し出たが院長は断っていた。しかし彼の死後に町長となった鍛冶屋はマルセリーノの里親となることを要求し、拒否されると他の議員への影響力を駆使して修道院を立ち退かせようと画策し始めた。
トマス修道士はマルセリーノに「農具や工具を保管する屋根裏部屋には決して入るな、奥の部屋には男がいてお前を捕まえる」と言いつけていたが、ある日好奇心から、おっかなびっくり階段を上がって行ったマルセリーノは、奥の部屋で大きな十字架上のキリスト像を見た。転がるように階段を下って逃げたマルセリーノだが、怖いもの見たさで再び様子を見に戻ると「男」は元の場所から動いていなかった。
トマス修道士の話を信じて「男」が彫像だとは思わないマルセリーノは像に話しかけた。男は答えなかったが、痩せて空腹そうだと思った少年は台所に走るとパンを持ってきて差し出した。すると像の腕が動いた。像はマルセリーノが大きな肘掛け椅子を勧めると降りてきて、「私が誰だか分かるか」と問うとマルセリーノは「神様です」と答えた。像は特にパンとワインを喜んだので、マルセリーノは毎日それらを盗んでは像に持って行った。それに気づいた修道士らは、訝りながらも気付かぬふりをして彼を見張ることにした。
キリスト像との会話の中で、話題はマルセリーノの母のことや像の母のことに及んだ。ついにある日トマス修道士が見張っていると、いつものようにパンとワインを持って行ったマルセリーノに、キリストは「おまえは良い子だから願いをかなえよう」と告げた。迷わずマルセリーノは「お母さんに会いたい、そしてあなたのお母さんにも会いたい」と言った。「今すぐにか?」という問いには「今すぐ」と答えた。ドアの割れ目から覗くトマス修道士の前で、像は少年を膝に抱きそっと眠らせた。
トマス修道士は階段上まで戻ると兄弟たちを呼んだ。駆けつけた神父と修道士たちは空になった十字架を見て、やがて像が十字架に戻るのを見て扉を開いた。輝く光のうちに、マルセリーノは椅子の上で微笑みを浮かべて死んでいた。
奇跡を聞きつけた町の人々が続々と集まる中、町長とその妻は彼らに混じって行った。やがて修道院には教会が建てられ、聖堂には奇跡のキリスト像が置かれ、その一隅にマルセリーノが葬られた。奇跡の記念日には遠近の町村から大勢の人々が集まるようになった。これが映画の冒頭で語られた祭礼の起こりなのであった。
あらら…また全部話しちゃった(笑)。
<電話>
もしもし。=喂? Wei2?
どちら様ですか?=您哪位? Nin2 nei3 wei4?
私ですが。=我就是。 Wo3 jiu4 shi4
ではそういうことで。=就这样吧。 Jiu4 zhe4yang4 ba
よく聞こえません。=听不清楚。 Ting1 bu qing1chu3
かけ間違いではないですか?=打错了吧? Da3cuo4 le ba?
<結果補語、可能補語>
※補語=動詞の後ろに置かれる文法上の成分
#結果補語
食べてお腹いっぱいになった。=吃饱了。Chī bǎo le.(動詞+結果補語)
私は今日は歩き疲れました。
我今天走累了。
Wo3 jin1tian1 zou3lei4 le 走=歩く、累=疲れる
あなたはお腹がいっぱいになりましたか?
你吃饱了吗?
Ni3 chi1bao3 le ma?
#抽象的な結果補語
彼女の電話番号はあなたはしっかり覚えましたか?
她的电话号码你记住了吗?
Ta1 de dian4hua4 hao4ma3 ji4zhu4 le ma?
@她的电话号码=「彼女の電話番号」(主題)
@记(覚える)=住(「結果補語」安定する、定着する、固定する)
鍵は見つかりましたか?まだ見つかっていません。
钥匙找着了吗?还没找着。
Yao4shi zhao3zhao2 le ma? Hai2 mei2 zhao3zhao2
非定型は“没”、で“了”は消える
@找 = 探す @着 = (結果補語:何かの目的・目標に到達する)
#可能補語(結末補語の可能形)
あなたは中国語の新聞が読めますか?
你看得懂中文报吗?
Ni3 kan4dedong3 Zhon1wen2 bao4 ma?
@看 = 読む @懂 = 理解する、わかる
本来は、看懂(見てわかる)では、懂は「結果補語」だった。
動詞と結果補語の間に“得”を挟んで、そういう結果段階に達成できるかできないか可能の意味を表す。
「動詞+得+結果補語」=~できる
「動詞+不+結果補語」=~できない
彼女の電話はいつかけても通じません。
她的电话总是打不通。
Ta1 de dian4hua4 zong3shi4 da3butong1
<ピンイン> ünとüan
・ün:üのすぐあとに、舌を上の歯茎に当てて「ン」
・üan:üのあとに滑らかに「アン」の発音が続く
※子音j, q, xのあとに続く場合はuの点々はつかない。
菌=菌 jun1
云=雲 yun2
选=選ぶxuan3
劝= 勧める quan4
均匀=均等である jun1yun2
源泉=源泉・源 yuan2quan2
眩晕=目まいがする xuan4yun4
军犬迅速的跳过了火圈。
Jun1quan3 xun4su4 de tiao4guo4le huo3quan1
軍用犬が非常に速いスピードで火がついている輪を飛び抜けた。
<補足> 結果補語
中国語 日本語
動作→結果 動作→結果
chi1 bao3 le 吃饱了。 (食べて)→お腹いっぱいになった
he1 zui4 le 喝醉了. (飲んで)→酔っ払った
ting1 dong3 le 听懂了. (聞いて)→わかった
8,季康子(きこうし)問う、仲由(ちゅうゆう)は政に従わしむべきか。子曰く、由や可なり、政に従うに於いて何かあらん。曰く、賜(し)は政に従わしむべきか。子曰く、賜や達(たつ)なり、政に従うに於いて何かあらん。曰く、求(きゅう)は政に従わしむべきか。子曰く、求や芸あり、政に従うに於いて何かあらん。
季康子がお聞きになった。「子路は政治に用いることができるだろうか?」。先生がおっしゃった。「子路は決断力に優れていて、政治を行わせるのに何の問題がありましょう」。季康子がお聞きになった。「子貢は政治に用いることができるだろうか?」。先生がおっしゃった。「子貢は計画力に優れていて、政治を行わせるのに何の問題がありましょう」。季康子がお聞きになった。「冉有(ぜんゆう)は政治に用いることができるだろうか?」。先生がおっしゃった。「冉有は政治的な技芸に優れていて、政治を行わせるのに何の問題がありましょう」。
※浩→魯に帰国した晩年の孔子と魯の若い家老・季康子との対話で、「弟子の為政者としての適性・能力」について問われた孔子が、自慢の弟子たちの長所を述べた部分です。季康子はすでに「冉有」を地頭(地方官)に任命していましたが、孔子は自分の門下には冉有に負けず劣らずの優秀な弟子がいることを話したのです。果断な行動力と決断力を持つ「子路」は、孔子が最も深く愛した弟子の一人で、学識抜群の英才として知られた「子貢」も孔子の大きな期待を寄せられていました。
吉川幸次郎先生の解説では、子路は果敢、子貢は道理に達していて、冉有は秀才であるとあります。ビッグスリーと言うべきお弟子さんたちでしょう。
野田俊作先生のお弟子ビッグスリーはどなたでしょうか?私がアドラー心理学に出会った1990年代に私にとってのビッグスリーは、「鎌田穣さん&名越康文さん&萩昌子さん」でしょうか。2025年の現在、鎌田さんも名越さんも抜けられて、萩昌子さんだけになりました。私がカウンセラー資格をいただいたころに、カウンセラー養成講座の優等生は「東の伊東毅さん、西の大森浩」と言われたことがあります(野田先生がどこかでおっしゃったらしい)。現在その伊東さんまで抜けられて、私だけが残りました。その私も、コロナ禍以後は80歳えお過ぎたためもあってか、講演依頼はすっかり途絶えました。唯一、昨年度まで相棒K先生の勤務校でスクールカウンセラーをさせていただいていました。今年度はK先生が岡山工業高校に戻られましたので、私も同行?して私にとっても古巣の岡工で講座を再開できました。今日(3月22日)今月講座が開催されます。ちょうど1年経過しました。ありがたいことに来年度も継続できそうです。
NHK朝ドラ「あぐり」で有名になった“吉行あぐりさん”も、たくさんの美容室を経営されていましたが、高齢になられてからは、客席1席だけの小さな美容室を1軒残して、残りはすべてお師匠様の返上されました。私もお仕事は1箇所だけになりました。まだ講演依頼があれば行けそうですが、まったく来ません。この6月には84歳になりますが、運転免許も更新して、当分は働けそうです。
<ジョブキソ45> 特別編:日本のおもてなし最前線(外国人観光客@和風旅館)
#テーマ
外国人の宿泊客に「湯船の中で体を洗うのは禁止!」とびしっと注意するには?
Did you not know? We strictly prohibit the use of soap in our communal bath.
ご存じありませんでしたか?湯船で体を洗うのは禁止です。
Weを使うことで「個人の意見」ではなく「旅館のルール」として伝えられる
@ strictly prohibit ~ = ~を厳格に禁止する
※禁煙の場合は、
We strictly pohibit smoking here.
#応答
Oh, I'm so sorry, I did not know. Please accept my sincere apology.
ごめんなさい。知らなかったもので、心からおわびします。
7,子曰く、回や、その心、三月(さんがつ)仁に違(たが)わず。その余は日月(にちげつ)に至るのみ。
先生が言われた。「顔回(顔淵)は道徳の中心である仁から三か月間、心を遠ざけずにいることができる。その他の弟子たちは、一日間あるいは一か月間ぐらい仁の境地に到達できるにすぎない」。
※浩→短い一節ですが、解釈はずいぶん違うようです。吉川先生は、古注を採用されています。顔回は孔子の最愛の弟子ですから、彼への愛情がこの一節にも溢れています。
貝塚先生は、いかにも顔回に語りかけている孔子の様子がうかがえるという解釈です。 ↓
子曰く、回や、その心、三月(さんがつ)仁に違(たが)わざれ。その余は日月(にちげつ)に至らんのみ。
先生が言われた。「回よ、ただ三か月の間でよいから、心が仁徳に背かないようにしなさい。三か月を過ぎてしまえば、仁以外の残りの徳も、自然な日月の流れの中で身についていくだろう」。
吉川先生はこれは定説とはしがたいと述べられています。
顔回は、孔子の最愛の弟子で、名は回、字(あざな)は子淵(しえん)です。顔淵とも言います。孔子門下第一の賢者で、孔子は仁を最高の徳としていて、時人を評して仁者と認めたことはないですが、顔回についてはここで述べられているように、「回のみは三か月も仁の心を継続しうる」と唯一仁者と認めて、また弟子中で好学と言えるのは回のみであるとも言っています。貴権に仕えることもなく、その生涯は至って貧しかったですが、それを意に介せず道を楽しみました。孔子より30歳(37歳説もあり)年少と言われますが、孔子より先に亡くなりました。孔子は「ああ天、予(われ)を喪(ほろ)ぼす」と慟哭(どうこく)しました。顔回は孔子門下で隠者の風があり、道家の書にも賢人として取り上げられているそうです。
「仁」とアドラー心理学の「共同体感覚」を重ねたくなりますが、安易に「そうそう」と言いにくいことに気づきました。人間の生き方ですからある程度の類似点はあるでしょう。しかしながら、「仁」は「真心とか思いやり」とか個人の「内的構え」を言っているのに対して、「共同体感覚」は「共同体」という人間集団を生きる個人としての「態度」「構え」を言っているようです。アドラーのお弟子の誰かが、「共同体感覚を人に教えるには?」と質問したのに対してアドラーの答えは「Live it.」でした。「あなたがそれを生きてみせなさい」。顔回はお師匠様より先に他界しましたが、わがお師匠様は、生徒の私たちよりも先立たれました。とても残念です。