12,冉求(ぜんきゅう)曰く、子(し)の道を説(よろこ)ばざるには非(あら)ず。力足らざるなり。子曰く、力足らざる者は中道にして廃(や)む、今汝は画(かぎ)れり。
冉求が言った。「先生の道徳の道が好きでない(嬉しく思わない)のではありません。私の力が足りないだけです」。先生がおっしゃった。「力が足りない者は途中で投げ出すものだが、今のお前は、初めから自分自身の力を制限しているだけだ」。
※浩→弟子の冉求が「先生の教えられる道徳の学説は素晴らしいものだが、私には実力がないのでそれを実践できない」と嘆いたところ、孔子はあっさりと「それは実力が不足しているのではなく、自分で自分の力に限界を見出しているに過ぎない」と指摘しました。「実力不足」というと客観的な評価のようで、「自分で自分の力に限界を見いだしている」というと、主観的判断のようです。つまり“自縄自縛”しているのに、それを客観的な実力不足を口実に言い訳をしていると解釈すると、アドラー心理学ふうです。まさに「自己欺瞞」「劣等コンプレックス」です。生涯を通して実践と決断の人であった孔子は、「自分の力を信じて行動する重要性」を冉求に説きました。現代の私たちにもとても有意義な言葉です。
私がかつて講演に行った近所の幼稚園で、園長さんが「幼児・児童はできないことでも“できる”と言うのに、中学生になるとできることでも“できない”と言いますね」とおっしゃっていたことを思い出しました。中学生が“できない”と言うのは、劣等コンプレックスです。理想と現実(実力)の差が大きすぎて勇気をくじかれていると、初めから取り組む気がしないのです。幼児・児童はまだそれほど勇気がくじかれていないでしょう。それと関わるライフタスクがそれほど困難なものでないのでしょう。早く大人みたいに何でもできる人になろうといく目標追求をしっかりしているのでしょう。勇気に満ちているのでしょう。小学校では先生が質問すると、ほとんどの児童たちが「はい」「はい」と手を挙げて、自分を指名してほしがります。中学・高校では、ほぼ全員下を向いて、「どうか自分が指されないように」と願っているようです。野田先生の講演「怠惰な子ども」では、「怠惰な子どもは勇気をくじかれた野心家」とあります。理想達成のためのアクションを起こして達成できれば喜ばしいですが、もし達成できないとどうなるかを考えて、失敗を恐れているのだとすれば、その人は、失敗を容認できない完全主義の人なのでしょう。孔子には、「勇気づけ」という概念はなかったかもしれませんが、冉求に、「お前は初めから自分の力を制限している」と厳しい意見を述べてはいます。でも、どうすればそれをクリアできるかは述べていないです。別の個所で勇気づけているのかもしれないです。劣等コンプレックスを解消するには、理想を下げるか現状を上げるかして、差を縮めればいいのですが。
<ジョブキソ58>
#テーマ
「商談の内容(合意に至ったこと=契約内容)を書面にするので確認してください」と伝えるには?
We will draft the agreement. Please confirm the conditions.
契約のたたき台を作ります。条件をご確認ください。
@ condition = 状況、状態、条件
@ confirm = 確認して同意する(checkでは軽すぎる)
#応答
No problem. I'll cehck it right away. 問題ありません。すぐに確認します。
(相手が)checkと言ったから要注意!
11,子曰く、賢なるかな回や、一箪(いったん)の食(し)、一瓢(いっぴょう)の飲(いん)、陋巷(ろうこう)に在り。人はその憂いに堪えず、回はその楽しみを改めず。賢なるかな回や。
先生が言われた。「顔回は何と賢明な人物であろうか。竹作りの弁当箱一杯の食事と瓢(ひさご)の水筒一杯の水で、寂れた路地の奥に住んでいる。普通の人はその憂鬱に耐えられないだろうが、顔回は質素な生活の楽しみを忘れることがない。回は、何と立派な人物であろうか。
※浩→最愛の弟子であった顔回の質素な生活と有徳なふるまいを絶賛しています。顔回は、一般の人だと退屈や憂鬱に押しつぶされてしまうであろうような状況でも、学問と徳行の日々を十分に楽しむことができて、顔回ほどに賢明で清廉な人物はそうそういるものではないと、ここまで師に愛される顔回はどんなに魅力的な(知性と徳性においてでしょうが)人物だったのでしょうか?素晴らしかったに違いありません。
吉川幸次郎先生の解説では「賢」を「かしこい」と訳さないで「えらい」という褒め言葉に訳されていましたが、アドラー心理学では「褒めるのは勇気くじき」となりますが、時代も場所も違いますから、そんなに細かいことにはこだわらないで、「美しい師弟関係」として素直に憧れます。
私は恩師・野田先生から受けたご恩を「倍返し」で、現在ともに学ぶ人々に自分がいただいた財産を彼らにしっかりと伝授し続けていきます。
第19課 否定の表現「~(し)ません」「~(く)ありません」
<キーフレーズ>
これはかわいくありません。
イゴン アニェッポヨ
이곤 안 예뻐요.
これも良くありません。
イゴット アン ジョアヨ
이것도 안 좋아요.
これも良くありませんか?
イゴット クェンチャ’ンチ アナヨ?
이곳도 괜찮지 않아요?
これもかわいくありませんか?
イゴット イェップジ アナヨ?
이것도 예쁘시 않아요?
うちの店は配達しません。
ウリ ジプン ペダl ア ネヨ
우리 집은 배달 안 해요.
ぴったり合いませんか?
ッタk マッチ アナヨ?
딱 맞지 않아요?
※注意:하다で終わる動詞の場合は해요の前に안を置く。
勉強する=공부해요 → 勉強しません=공부 안 해요 コンブ ア ネヨ
<公式>
1)「안+動詞・形容詞のヘヨ体」=「~(し)ません」「~くありません」
2)「動詞・形容詞の語幹+지 않아요」
=「~(し)ません(か?)」「~(く)ありません(か?)」
<練習>
行く=가다 → 行きません=안 가요 アンガヨ or 가지 않아요 カジ アナヨ
<聞き取り>
(電話が鳴っているが出ない)
出ないの?
アン バダヨ?
안 받아요?
「電話に出る」は「電話を受ける」と言う。
<ワンポイント>
마법사 マボpサ=魔法使い
#旅行で使えるフレーズ
お湯が出ません。
ットゥゴウン ムリ アン ナワヨ
뜨거운 물이 안 나와요.
荷物をちょっと受け取ってください。
チm ジョm パダ ジュセヨ
짐 좀 받아 주세요.
タクシーを呼んでください。
テkシ プルロ ジュセヨ
택시 불러 주세요.
鍵をなくしました。
ヨlスェルl イロボリョッソヨ
열쇠를 잃어버렸어요.
フィットネスクラブは何時からですか?
ピトゥニスクlロブン ミョッ シプト ヘヨ?
피트니스클은 몇 시부터 해요?
10,伯牛(はくぎゅう)、疾(やまい)有り。子(し)、これを問う。扁(まど)よりその手を執りて曰く、これを亡(ほろ)ぼせり、命(めい)なるかな。斯の(この)人にして斯の疾あるや、斯の人にして斯の疾あるや。
冉伯牛(ぜんはくぎゅう)が病気に罹っていた。お見舞いに行かれた先生は、窓から冉伯牛の手を取って言われた。「病気が伯牛を滅ぼそうとしている(こんな道理があってよいはずはない)、これが運命というものなのか。この優れた人物が、こんな病気に罹ってしまうとは、この優れた人物が、こんな病気に罹ってしまうとは」。
※浩→伯牛は姓は冉、名は耕で、顔淵・閔子騫・仲弓に並ぶ孔子門下の有徳な君子と見られていた人物です。孔子は、自分が期待と情愛をかけていた伯牛が重い病気に罹ってしまったと聞いて、見舞いのために伯牛を訪れてその手を握って、どうしようもない病状への悲嘆の思いを吐露しました。孔子は徳行第一とも評価されていた伯牛の重病(ハンセン病とも言われる)に対して、人間の意志や仁徳では対抗しようのない「運命の不条理」を悟ったのです。「こんなに立派な徳のある人物に、このような重い病気が起こるのか」という言葉には、孔子の深い慨嘆と悲しみ、弟子への愛情が込められていて、人為的な努力や徳性を超越した「不可避の運命」を痛感しています。
異説として、孔子が伯牛の顔を見ずに窓から手だけを取ったのは、「形式的な儒教の礼制」に従っただけという説もあって、孔子が人情と礼節のどちらをより重視していたのかについては議論があるそうです。
「こんなに立派な徳のある人物に、このような重い病気が起こるのか」「運命の不条理」は、私も声を大にして叫びたいです。岡山工業高校で同僚だった細川公之先生や田村剛章先生(デザイン科の先生で、ご一緒にアドラー心理学をお勉強したこともあります)もすでに亡くなられました。わが親族にも若くして他界した該当者がいます。新型コロナの犠牲者の方々の災難も不条理です。カミュの『ペスト』も読み直しました。チャップリンの『独裁者』も観ました。1940年の現実にヒットラーが存在しているときに、この映画を製作したその勇気には驚きます。『ペスト』は措いておいて、『独裁者』について書きましょう。
映画は第一次世界大戦における戦場の場面から始まります。チャップリンは、架空の国トメニアの陸軍重砲部隊に所属する無名の二等兵(以下、役名を「床屋のチャーリー」とする)として登場します。前線で味方とはぐれたチャーリーは負傷した士官のシュルツを救出して、シュルツが所持している重要書類を本国に届けるべく飛行機で飛び立ちますが、2人の乗った飛行機は燃料切れで墜落します。2人は生き延びますが、トメニアはすでに降伏していました。チャーリーは墜落のショックで戦争中の記憶を失って病院で過ごしますが、この間にトメニアでは政変が起こって、アデノイド・ヒンケル(チャップリン:一人二役)が独裁者として君臨し、内務大臣兼宣伝大臣ガービッチと戦争大臣ヘリング元帥の補佐を受けつつ、自由と民主主義を否定し、国中のユダヤ人を迫害するようになっていました。……その後どうなったかは、長くなりますので省略しますが、ラストで、ヒンケルと入れ替わったチャーリーが、侵攻した隣国オストリッチの大群衆を前に行なった演説が心を打ちます。チャップリンの主張が圧縮されているようです。以下引用しておきます。
↓
悪いが、私は皇帝になりたくない。支配するよりも人々を助けたい。ユダヤ人も、黒人も、白人もお互いに助け合わねばならない。他人の幸せを願い、憎みあってはいけない。地球には全ての人を包む豊かさがある。
人生は自由で楽しいはずなのに貪欲が心を支配し、憎悪をもたらし悲劇と流血を招いた。スピードも役に立たず、機械は貧富の差を広げた。
知識を得た人間は優しさをなくし、心の通わない思想で人間性が失われた。
知識より大切なのは思いやりと優しさ。それがなければ機械と同じだ。航空機やラジオで人々が近づき、それで世界をひとつにできる。私の声が世界中に伝わり、失意の人々にも届いている。彼らはこの歪んだ支配体制の犠牲者である。
人々よ、希望を捨てるな。
貪欲が招いた不幸も、人として生きる不安も独裁者の死と共に消え去る。そして民衆は政権を取り戻す。
兵士よ良心を失うな!独裁者に惑わされるな!君たちは支配され、まるで家畜のように扱われている。彼らの言葉を信じるな!彼らには血も涙もない。君たちは機械ではなく人間なのだ。
人を愛する心を持て。愛があれば憎しみは生まれない。
“神の国は汝らの中にある”聖書の言葉だ。君の中にも私の中にもその力がある。すべてを創造する力は君たちの中にあるのだ。
自由で希望に満ちた世界を作ろう!民主主義の名のもとに団結しようではないか。新しい世界のために戦おう!雇用や福祉が充実した社会を作ろう!独裁者たちも同じ約束をした。だが口先だけで約束を守らなかった。
約束を果たすために戦おう!世界を解放し国境を無くし貪欲や憎しみを消し去るのだ。
良心のために戦おう!科学の進歩が人々を幸福に導くように。
兵士よ民主主義指数ために団結しよう!
ハンナ(床屋の恋人)、聞こえるかい?顔を上げるんだ。太陽が顔を出し、明るく照らし始めた。
新しい世界の始まりだ。人々が憎しみや貪欲や暴力を乗り越えた。
見上げてごらん。人の魂には翼があったんだ。やっと飛び始めた。虹に向かって飛んでいる。希望の光に向かって。すべての人の輝く未来に向かって。
さあ見上げてごらん。
↑
引用終わり。
ウクライナとロシアの人々やイスラエルとパレスチナの人々にこのように語りかける人はいないのでしょうか?