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論語でジャーナル’25

19,子曰く、人の生くるや直し、これ罔(な)くして生くるや幸いにして免る。

 人間は生きていく、まっすぐに。曲げて生きていくと、偶然に助かっているだけだ。

※浩→古注では、人間が生命をまっとうすることができるのは正直の徳による。正直によらず、自他を欺いて生きながらえることもできるが、それはまぐれあたりで助かっているだけだ、と読みます。新注では、人間の本性は正直ですから、これに従って生きていけばそれでよい、と解釈します。邪念が起こっても、それを曲げると、かえって百害が生じる。生命の直接で純粋な体験を通じて語っている新注を、吉川先生も貝塚先生も採用されました。
 「まっすぐ=直」からの連想です。はるか昔、高校2年生のクラスに渡辺直(なおし)君という級友がいました。私たちは「ちょくさん」とアダナで呼んでいました。「直」と命名した親御さんは論語のこの一節をヒントにされたかどうかわかりませんが、彼はクラスの男子の中で身長が一番高いグループにいて、心もほんとにまっすぐだったと思います。私は中学2年生のとき身長がぐっと伸びましたが、高校1年生ではまだ真ん中より少し高い程度だったと思います。それが2年生になってまた伸びて、体育の時間などで高い順に並ぶと、直さんたちのいる最前列の一員になりました。不思議なことに、こういうことで友人関係が変化します。それまでは、中学時代からの親友・岡村鉄夫君(彼は背はあまり高くない)と常に一緒で、クラスは違っても、休憩時間ごとに会うほど親しかったです。部活動も同じ演劇部で、下校も一緒にしていました。彼は実家が九州(福岡県)のため下宿していて、しょっちゅうお泊まりに行って一緒に勉強していました。裕福なおうちの息子さんで、豪華な暮らしをしていました。参考書や問題集などが本棚に溢れていました。衣類も私は親戚などからもらったお古を直して着ていたのに対して、彼はいつも新しいおしゃれなものを着ていました。しかもハンサムでした。(今は廃校になりましたが)丸の内中学校で同じクラスになって、母親どうしが保護者会で知り合いになり、仲良しになっていました。成績は私は学年で常に2~3番を維持していました。2年生で身長が伸びてからは、最も親しくなったのが渡辺直君です。もちろん岡村君と疎遠にはなりませんでしたが、1959年3月の修学旅行では、岡村君とでなく、クラスも班も一緒の「ちょくさん」と四六時中、一緒に過ごしていました。バスに乗っても隣の席。宿も同じ部屋でした。コースは、まず国鉄(今のJR)で福岡市へ直行して一泊。宿は板付空港(福岡空港)の近くで、離着陸する飛行機の音がしょっちゅう聞こえました(おー、やっぱり聴覚型だ)。翌日は、久大本線で阿蘇へ寄り、草千里から中岳火口をめぐり、別府に落ち着いて一泊。ちょくさんとは当然お風呂も一緒に入っていました。フロイト心理学で、この時期を“同性愛期”というのがよくわかります。ほんとに四六時中くっついていましたから。翌日は、日豊本線で宮崎へ。この旅行での一番人気の場所が宮崎でした。バスガイドさんがモテモテで、目玉の青島や子どもの国などの魅力よりも、わがクラス一同は、ガイドさんにくっついて離れませんでした。記念写真に入ってもらうのに順番待ちをしたくらいです。このガイドさんから車中で教わった宮崎民謡「いもがらぼくと」は今でもはっきり覚えています。
 ガイドさんが歌ったのは1番と2番だっと思います。あとはネットから引用しました。
腰の痛さよ 山畑開き
春の霞の 日の長さ
焼酎(しょうちゅ)五合の 寝酒の酌に
おれも嫁女が ほしゅなった ヤレ
も今年ろたもろたよ いもがらぼくと
日向かぼちゃの よか嫁女
ジャガジャガマコッチ エレコッチャ

鞍に菜の花 ヒャラヒャラヒャット
七つ浦から 赤毛布(あかげっと)
かわい嫁女は、シャンシャン馬よ
今年ゃ田植えも 二人ずれ ヤレ
もろたもろたよ いもがらぼくと
日向かぼちゃの よか嫁女
ジャガジャガマコッチ エレコッチャ

種子は万倍 とり入れ日和
まこち目出度や出来秋の
飲みにござれや祝いの酒を
婢(かか)も珍らしゅ長着物(ながぎもん) ヤレ
貰ろた もろたよ いもがらぼくと
日向カボチャのよか嫁女(よめじょ)
ジャガ ジャガ マコチ エレコッチャ

ヤイヤ 霧島大雪ぢゃがい
大根(だいこ)千切 手が痛や
俺も来年(でねん)はすぐ人の親
きつや辛やと言うちゃおれん ヤレ
貰ろた もろたよ いもがらぼくと
日向カボチャのよか嫁女(よめじょ)
ジャガ ジャガ マコチ エレコッチャ

 宮崎では「埴輪」の人形がとてもかわいくて、お土産に買いました。これは今もわが家の人形ケースに収まっています。宮崎の街は大通りが印象的でした。フェニックスの街路樹が南国風情を醸し出していました。ラストは鹿児島です。城山、磯公園、桜島と見学して、その夜、夜行列車で一路岡山へ向かいました。
 鹿児島のバスガイドさんは、「鹿児島おはら節」を教えてくれました。あまりにも有名な歌ですが、この歌の中の「おごじょこらこら 手拭いが落ちた 持たぬ手拭いが オハラハー なぜ落ちる ア、ヨイヨイショイサット」だけ覚えています。
 ちょくさんとは、3年生では別のクラスになり、さらに受験地獄にも突入したため、いつの間にか離れてしまい、また岡村君とくっつきました。私は岡山大学へ、岡村君は広島大学へ進学しました。これで岡村君ともお別れです。身長が伸びたことの影響としては、岡山大学でボート部へ引っ張り込まれたことが追加されます。

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ハングル講座4/12

第11課 ヘヨ体の「あります(か?)」「ありません(か?)」
<キーフレーズ>
「席あります」
チャリ イッソヨ
자리 있어요.

#「あります(か?)」
・ハムニダ体
(初対面や目上の人に対して、あるいは公式の場で使われる丁寧な言い方)
あります=있습니다 イッスmニダ
・ヘヨ体
(友だちや家族など親しい間柄の会話で使われる。柔らかい印象を与える丁寧な言い方)
あります=있어요 イッソヨ
※疑問文にするには、文末に?を付けて語尾を上げて発音する。
チャリ イッソヨ?↗
자리 있어요?
「今ありません」=지금 없어요. チグmオpソヨ
「今ありませんか?」=지금 없어요? チグmオpソヨ?
「魚のアラはありますか?」
생선 서더리는 있어요?
センソン ソドリヌン イッソヨ?
「ここにあります」
여기 있어요. ヨギ イッソヨ
「(お刺身には)やっぱり焼酎です。焼酎がぴったりです!」
역시 소주예요. 소주가 딱이에요.
ヨkシ ソジュエヨ。ソンジュガ ッタギエヨ!

#「~です(か?)」
・名詞(パッチムなし)+ 예요 エヨ
・名詞(パッチムあり)+ 이에요 イエヨ

 @焼酎です=소주예요.   ソジュエヨ
 @ぴったりです=딱이에요.  ッタギエヨ

<聞き取り>
「プレゼントあります」
ソンムr イッソヨ
선물 있어요.
「僕です」
ナヨ
나요.

<おまけ>
@고소  コソ=告訴
@割り勘=더치페이   トチ’ペ’イ
@手をつなぐ=손을 잡다  ソヌr チャpタ
@浮かれている=신났다  シンナッタ
@散歩する=산책하다  サンチェ’カダ
@ストレッチする=스트레칭 하다  ストゥ’レチン ハダ
@映画を見る=영화를 보다  ヨンファルr ポダ
@実を食べる=열메를 먹다  ヨrメルr モkタ
@サックスを吹く=색소폰 불다   セkスポ’ン プrダ
@キスする=키스하다  キスルr ハダ
@運転する=운전하다  ウンジョナダ
@ドライブする=드라이브하다  トゥライブハダ
@腕を組む=팔짱을 끼다  パ’rッチャンウr ッキダ

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論語でジャーナル’25

18,子曰く、質、文に勝るときは則ち野(や)、文、質に勝るときはすなわち史(し)、文質彬彬(ひんぴん)として然してのちに君子なり。

 先生が言われた。「内容が表現を圧倒すると野人になる。表現が内容を圧倒すると文士になる。表現と内容が渾然として、はじめて君子になる」。

※浩→「世界の名著」の解説から引用します。
 「野」は古代都市の城壁の外、つまり遠い郊外を「野」と言い、そこに住む人、つまり農民が「野人」の意味だそうです。
 「史」は元来、神をまつるときの祭文、神殿の年代記、卜(うらない)の言葉などを起草し書き写し記録する役であったのが、一般の「書記役」に発展した。書記の分掌は、とかく形式的になる傾向があり、この傾向をさして孔子は「史なり」と言ったらしいです。
 質は具体的には素朴、文は装飾をさし、「礼」つまり文化の2つの形式と考えられました。殷王朝の文化は質であり、周王朝の文化は文であると言われます。しかし、孔子は、2つがいろいろの形態で結合して、異なった文化を創っていくとしています。
 文章については、すでに「巧言令色鮮(すく)なし)仁」がありました。口先だけうまく、顔つきだけよくする者には、真の仁者はいない。「巧言」は「言を巧(たく)みにす」とも読め、「口先・言葉を飾っておべんちゃらを言うこと」とも読めます。「令色」は「色(いろ)を令(よ)くす」とも読め、「顔つきを物柔らかにすること」とも読めます。そういえば「令和」の「令」です。「鮮」は、滅多にないという意味。真の人格者はむしろ口が重く、愛想がないということですが、「朴訥こそ良し」とも考えません。ここでの孔子は、2つの結合、調和を良しとしているようで、この考えは孔子の孫の子思の『中庸』へ受け継がれていくのでしょう。
 「中庸」の『中』とは、偏らない、しかし、決して大小や上下の中間を取りさえすればよいという意味ではありません。アリストテレスの「中庸」がそうでした。とかく「中途半端」や「50対50の真ん中」と混同されています。中間、平均値、足して2で割るというものではなくて、常に、その時々の物事を判断する上でどちらにも偏らず、かつ通常の感覚でも理解できるものです。
 『庸』については、「平常」だったり「常」「不易(ふえき)」だったりします。
 話がどんどん脱線していきました。シンプルにまとめると、文を書くときはある程度の装飾も必要ですが、あまり技巧に走りすぎると、「鮮し仁」となって真意が伝わりにくくなります。
 カウンセリング場面で、アドラー心理学のロジックにもとづく技術を用でクライエントの抱える問題を解決に導いていくとき、ロジックをそのまま伝えても、理解されないでしょうから、レトリックが必要です。そのために、文学的な才能が要求され、小説やドラマやお芝居などに描かれている人生模様を知ることが大きな手がかりになります。メタファー(隠喩)もよく使います。メタファーは比喩の1つで,「氷の刃」「彼女は天使だ」のように,「~のような」にあたる語を用いない喩えで、「氷のような刃」「彼女は天使みたいだ」などの表現を「直喩 simile」と言います。隠喩の目的は,上の例では,刃や女性の性質,状態を直喩よりも一層印象深く聞き手や読者に伝えることであり,そのためには,使い古されていない新鮮な喩えが必要とされます。私などは、滅多に見事な使い方ができないのですが、まれにヒットすることがあります。そういうときはクライエントさんに明らかな認識反射が現れるので、すぐわかります。

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中国語講座4/10

<比較構文> 「~よりも…だ」
#肯定形
Jin1 tian1 bi3 zuo2tian1 leng3
今天比昨天冷了。
今日は昨日より寒いです。
 A「比」B=AはB「より」~だ。A=今天、B=昨天
Ta1 bi3 wo3 xiao3 liang3 sui4
他比我小两岁
彼は私より2歳年下です。
 AはBより、两岁(2歳)の差がある。
#否定形
Wo3 mei2you ta1 mang2
私は彼ほど忙しくありません。
我没有他忙。
 否定は「没有」。
AはBより~ではない。

#「同じ」「違う」も比較の一種
Zhei4ge Hn4xi4 gen1 nei4ge Han4zi4 yi2yang4
この漢字はあの漢字と同じです。
这个汉字跟那个汉字一样。     @跟=比べて
 A=这个汉字、 B=那个汉字 
Wo3 er2zi gen1 wo3 yi2yang4 gao1
私の息子は私と同じくらい背が高いです。
我儿子跟我一样高。
 AはBと同じくらい~(高)だ。
 ※「違う」は、「A跟B不一样」gen1 bu4 yi2yang4
 ※「比」を使う文でよく使う形容詞:年上だ=da4 太

<ピンイン>
・iou = 子音が付くと綴りは「子音+iu」になるが、発音は「o」が残る。
  diuだと[diou]と発音。
  @liu4 六   = 六
 @jiu3 九  = 九
 @niu2 牛  = 牛
 @Niu3yue1 纽约  = ニューヨーク
 @xiu1li3 修理   =修理する
 @qiu2jiu4 求救   =救助を求める
Tie3ban3 niu2liu3, zhi1maqiu2 he2 pi2jiu3 yi2gong4 liu4whijiu3 kuai4.
牛ヒレ肉の鉄板焼き、ごま団子とビール、全部で69元です。
铁板牛柳,芝麻球和啤酒一共六十九块。

<補足>
Ta1 de xing2li3 bi3 ni3 de xing2li3 duo1
他的行李比你的行李多。
彼の荷物はあなたの荷物より多い
他的行李=A+比+你的行李=B   のB(行李)は省略することが多い。

他的行李比你的多。 さらに「的」も省略して

他的行李比你多。
 ところが省略されないものもある。
Lao3hu3 de zhao3zi bi3 lao3shu3 de2 zhao3zi dai4
老虎的爪子比老鼠的爪子大。
虎の足はネズミの足より大きいです。
老虎的爪子比老鼠的大。
虎の足はネズミより大きいです。→これは意味が変わるから省略できない。

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論語でジャーナル’25

17,子曰く、誰か能(よ)く出づるに戸(こ)に由(よ)らざらん。何ぞ斯(こ)の道に由ることなきや。

 誰だって、室から堂へ出るときは、戸を押し開け、そこを経由して出ていく。それは決まったことである。人間の「道」も同じで、誰も経由しなければならないのが「人道」である。それなのになぜ人々は、この人道に頼ろうとしないのであろうか。

※浩→古代中国の家は、南に向いた横に長い矩形で、南半分が「堂(表座敷)」、北半分の西側が「室(寝室)」、東側が「房(居間)」でした。堂と室の境に「扉」があったのです。
 家の中の道ですから「家道」と仮に名づけておきます。そこは誰でも通るのに、人の道「人道」には人々は頼ろうとしない。政治的に対立していても、「人道的」立場から食料などを援助することはよくありました。現実は、どこかの国の非道に対しては対立する諸国による「制裁」とそれへの「応報」の連鎖で、国際緊張は一向に改善されません。現在、紛争のある地域ではいったいいつになれば平和が戻って、人々が安全に幸せに暮らせるようになるのでしょうか?核兵器保有国の動向によっては、いつ地球が核汚染されるかわかりません。もっと身近なところでは、学校では「いじめ」が、家庭では児童虐待が、高齢者には特殊詐欺の被害が……と、今の世の中は危険でいっぱいです。乱世です。「治にいて乱を忘れず」は、自然災害に備えることには適用できますが、人的災害・紛争・戦争にはどう対処すればいいのでしょうか?ロシアとウクライナは先祖は同じなのに。中国と台湾は同じ漢民族です。南北朝鮮も同じです。それなのにどうして和解できないのでしょうか?そういえば、血のつながっている者同士の諍いや争い、家族や血縁者が互いに対立して争うことを「骨肉の争い」「骨肉相食む」と言われます。
 孔子や孟子では「仁」や「義」、アドラー心理学では「共同体感覚」の育成です。共同体感覚については、たびたび触れていますから、ここでは、『孟子』の「仁義の徳」について引用してみます。
 孟子曰く、仁は人の心なり。義は人の路(みち)なり。その路を捨てて由らず(よらず)、その心を放ちて(はなちて)求むることを知らず、哀しいかな。人は鶏犬の放つことあらば、これをさがし求むることを知るも、心を放つことあるに求むることを知らず。学問の道は他なし、その放心を求むるのみ。
(仁は本心にかかわる徳、義はその心を実現していく手段にかかわる徳だ。真の人としての生活は、片時もこれから離れることはできないはずであるのに、人々はその本心を放ち失いながら気がつかない。鶏や犬が逃げれば大騒ぎをして探すのに、肝心の心がなくなっているのにおかまいなしである。道徳修養の方法、それは他でもない。自らこの放心つまり糸の切れた風船のように離れ去っている本心を取り返そうと勉めるだけのことだ。)
(←『中国古典選 孟子(下)』朝日新聞社、金谷治先生の訳から)

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