14,子游、武城の宰となる。子曰く、汝、人を得たるか。曰く、澹台滅明(たんだいめつめい)という者あり。行くに径(こみち)に由(よ)らず、公事にあらざれば、未だ嘗て(かつて)偃(えん)の室に至らざるなり。
子游が武城の領主(城主)に任命された。先生が言われた。「お前は、誰か有為な人物を見つけたのか?」。子游はお答えした。「澹台滅明(たんだいめつめい)という者を見つけました。道を行くときは近道をせず、公事がなければ今まで偃(子游の実名)の城の部屋に来たことがありません」。
※浩→孔子が武城の領主となった子游に、「誰か有能な人物を見つけたのか?」と問うたところ、子游は澹台滅明(たんだいめつめい)という面白い人物がいると答えました。この澹台滅明の並外れた学識と才知を孔子は事前に見抜くことができなかったというが、その理由は澹台滅明の外貌が醜悪であったからだと言います。容姿が醜いということで魯国であまり重用されなかったというエピソードを持つ澹台滅明ですが、のちに儒学の南方布教に大きな功績を残していて、呉国で多くの弟子を育成することに成功しているそうです。
公務でない限り子游の自宅を訪問したことがないというのは、過去の中国では地方の紳士が地方官(まあ、お代官様)に種々の請託を行うことはしばしば見られたそうですが、澹台滅明はそれをしない潔癖な人物であったということです。そう言えば、以前、菅元総理のご長男と総務省の役人が会食したことがニュースになっていましたが、このお役人のようなことを澹台滅明はしなかったのでしょう。
容姿が「ぶさいく」だから要職につけないなんて、今の世の中ではありえません。“差別”です。六代目三遊亭圓生の『淀五郎』という古典落語の“まくら”に、器量の良い赤ん坊が生まれたら、役者にでもなればいい」「不細工な赤ん坊が生まれたら噺家にでもなればいい」とありましたが、現在ではこれでは大ブーイングでしょう。昔、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」をもじって、「立てばゴミ箱、座れば火鉢、歩く姿はガスタンク」とふざけたり、「後ろ美人、前びっくり」を、「後ろびっくり、前卒倒」と言い換えて遊んだことがあります。井原市立高校在職中に住んでいたアパートの隣家の長男(亨ちゃん、当時小学校5年生くらいで、私はよく勉強を教えてあげていました)がお母さんを冷やかして、こんなことを言っていました。彼は私より一回り年下でしたから、今はすっかりおじいさんになっているはずです。井原市は私の最初の赴任地で5年間住みました。ちょうど父を亡くしたあとで、母と妹も同居するようになって、親子水入らずでわが家にとって最も幸せな一時期でした。やがて、ここから妹が嫁いでいきました。
<ジョブキソ48>
#テーマ
お会計の際「現金払いが助かります」とお願いするには?
If you don't mind, we very much prefer cash.
差し支えなければ現金が大変ありがたいのですが。
@ prefer = (~よりも)~を好む
very muchを直前に置いて強調している
#応答
Okay, no problem. I'll pay cash. Thank you so much!
問題ないよ。現金で払うから。ほんとにどうもありがとう。
13,子、子夏に謂(い)いて曰く、女(なんじ)、君子の儒となれ、小人の儒となるなかれ。
先生が子夏におっしゃった。「お前は君子のような器量と礼節のある学者になりなさい。小人のような偏狭で落ち着きのない学者になってはいけない」。
※浩→ここでは子夏に対して孔子が理想とする儒学者の姿が述べられています。「儒」の意味は、古くは「儒は優なり柔なり」と言われていました。古いゆったりした衣服を着て、みやびやかに礼儀作法を習っていた孔子の一門に対して、他の学派が「儒者」と呼んだことから、孔子の学派を「儒学」「儒教」と呼ぶようになったそうです。孔子は、有徳の士大夫(君子)となるための教育に心血を注ぎ、貴族的な鷹揚さと礼儀作法を身に付けた儒者になることを弟子に勧めていました。枝葉末節に過度にこだわる小人の学者を非難し、「大局を見通すビジョンを見た学者(為政者)」であることが求められました。子夏は文学には長じていましたが、行儀作法の枝葉末節にばかり精を出していたことを非難しています。
大局を見るということは、特に指導的な立場に立つ人には必須です。テレビで国会中継を見ますが、多くの議員や大臣の発言が枝葉末節にこだわりすぎていたり、過去の事件や過去の首相が関係するトラブルにしつこくこだわり続けている様子を見るにつけ、「この国はほんとに大丈夫なんだろうか?」と疑わしくなります。チコちゃんに「ボーッと生きてんじゃないよー!」っと、叱ってもらわないといけません。
昔、ある高校の校長先生が、文化祭の打ち合わせで次々に大まかなプランが決定していく中で、「当日は食堂でのうどんの注文数が変化するからその対策をきちんとしておくように」とおっしゃったそうです。校長の言葉とも思えない。こんなのを「ケツの穴が小さい」と言うんですね。古き良き時代の校長さんの中には、「責任は私が取る。しっかりやってください」と部下を激励したそうです。私の在職中にもいらっしゃいました。備前高校時代のN校長さんとか、岡山工業のW校長さんを思い出します。
第9課 「この」「その」「あの」
<キーフレーズ>
タッカンマリヌン イ チビ マシッスmニダ
닭한마리는 이 집이 맛있습니다.
タッカンマリはこの店がおいしいです。
@집 チp=家、店
@맛 マッ=味
@있습니다 イッスmニダ=あります
@맛있습니다 マシッスmニダ=味があります=おいしいです
<単語>
@この=이 イ
@その=그 ク
@あの=저 チョ
この/その/あの~ = 이/그/저+~
@これ=이것 イゴッ
@それ=그것 クゴッ
@あれ=저것 チョゴッ
@것 コッ=もの、こと
※会話ではパッチムがなくなることが多い。
これ=이거 イゴ
それ=그거 クゴ
あれ=저거 チョゴ
「これどうですか?」 이거 어때요? イゴオッテヨ?
「これください」 이거 주세요. イゴチュセヨ
<ステップアップ>
会話では縮約
これは=이것은 イゴスン→이건 イゴン
それは=그것은 クゴスン→그건 クゴン
あれは=저것은 チョゴスン→저건 チョゴン
これは=이것이 イゴシ→이게 イゲ
それは=그것이 クゴシ→그게 クゲ
あれは=저것이 チョゴシ→저게 チョゲ
<ワンポイント>
・청혼 チョンホン=プロポーズ
・집 チp=家、 다방 タバン=喫茶店、 호텔 ホテル=ホテ’ル、
・빌딩 ピルディン=ビル、 은행 ウネン=銀行、 병원 ピョンウォン=病院
12,冉求(ぜんきゅう)曰く、子(し)の道を説(よろこ)ばざるには非(あら)ず。力足らざるなり。子曰く、力足らざる者は中道にして廃(や)む、今汝は画(かぎ)れり。
冉求が言った。「先生の道徳の道が好きでない(嬉しく思わない)のではありません。私の力が足りないだけです」。先生がおっしゃった。「力が足りない者は途中で投げ出すものだが、今のお前は、初めから自分自身の力を制限しているだけだ」。
※浩→弟子の冉求が「先生の教えられる道徳の学説は素晴らしいものだが、私には実力がないのでそれを実践できない」と嘆いたところ、孔子はあっさりと「それは実力が不足しているのではなく、自分で自分の力に限界を見出しているに過ぎない」と指摘しました。「実力不足」というと客観的な評価のようで、「自分で自分の力に限界を見いだしている」というと、主観的判断のようです。つまり“自縄自縛”しているのに、それを客観的な実力不足を口実に言い訳をしていると解釈すると、アドラー心理学ふうです。まさに「自己欺瞞」「劣等コンプレックス」です。生涯を通して実践と決断の人であった孔子は、「自分の力を信じて行動する重要性」を冉求に説きました。現代の私たちにもとても有意義な言葉です。
私がかつて講演に行った近所の幼稚園で、園長さんが「幼児・児童はできないことでも“できる”と言うのに、中学生になるとできることでも“できない”と言いますね」とおっしゃっていたことを思い出しました。中学生が“できない”と言うのは、劣等コンプレックスです。理想と現実(実力)の差が大きすぎて勇気をくじかれていると、初めから取り組む気がしないのです。幼児・児童はまだそれほど勇気がくじかれていなくて、劣等コンプレックスを使う必要がないのか、あるいは課題の困難さを認識していないのでしょうか。そういえば、小学校では先生が質問すると、ほとんどの児童たちが「はい」「はい」と手を挙げて、自分を指名してほしがります。中学・高校では、ほぼ全員下を向いて、「どうか自分が指されないように」と願っているようです。野田先生の講演「怠惰な子ども」では、「怠惰な子どもは勇気をくじかれた野心家」とあります。理想達成のためのアクションを起こして達成できれば喜ばしいですが、もし達成できないとどうなるかを考えて、失敗を恐れているのだとすれば、その人は、失敗を容認できない完全主義の人なのでしょう。孔子には、「勇気づけ」という概念はなかったかもしれませんが、冉求に、「お前は初めから自分の力を制限している」と厳しい意見を述べてはいます。でもどうすればそれをクリアできるかは述べていないです。別の個所で勇気づけているのかもしれないです。劣等コンプレックスを解消するには、理想を下げるか現状を上げるかして、差を縮めればいいのですが。