24,子曰く、斉(せい)、一変せば魯に至り、魯、一変せば道に至らん。
先生が言われた。「斉国を一度変革すれば魯国のようになり、魯国を一度、変革すれば理想の道(政治)へと到達することができる」。
※浩→「斉」は山東省の半分以上を領有する当方の大国で、「魯」は孔子の祖国で山東南部の小国でした。魯は周王朝の政治と文化の基礎を作った聖人・周公旦の後裔で、その周公・旦は文王の子、武王の弟で、王朝と同姓の親藩でした。それに対して、斉の君主は、姜を姓とする譜代大名ですが、その祖国はやはり周王朝創業の際の功臣・太公望でした。この二国に寄せる孔子の期待は、斉は少し政治を変化させれば魯の程度になり、魯の政治は、少し変化させれば完全な道徳政治に到達する、ということだったようです。古注では、斉も魯も大聖人と大賢人の後裔だから期待を持ったとし、新注では、孔子の時代、魯はなお礼教を重んじる文化国家であったのに対して、斉は実利を重んじる権謀の国家であったところから、このように差異をつけ、しかも絶望ではないと言ったとしています。吉川幸次郎先生は、孔子の真意がつかめないと述べられています。ただ、あとの「子路篇」には「魯と斉の政(まつりごと)は兄弟なり」というのが、魯の政治への絶望のように響くのに対して、ここではまだ期待をもって眺められているようだとも述べられています。新注では、斉は強国で魯は弱国で、魯は斉より劣るとするのが常識だったのに、孔子は勇敢に、「文化の存する所を上位に置いた」と讃えています。現在のウクライナとロシアの関係で、ウクライナが魯で、ロシアが斉に見えてきます。日本と中国の関係はどうでしょうか?かつてはどう見ても文化的には中国が上でした。現在の中国はもちろん優れた文化を保持しながら、経済的には資本主義の特徴が顕著に出てきたようです。経済は資本主義で、政治や文化面での統制が厳しいのは残念です。私の憧れる孔子聖人や孟子を生んだ素晴らしい国であり、日本文化のルーツでもあることを忘れてはいけないと思います。岡山には閑谷学校という江戸時代に庶民教育を行った孔子ゆかりの閑谷学校があって、誇らしいです。
第23課 存現文(存在文と現象文)
#存在文
・公式=「場所」+「動詞+“着”」+「人・物」
Zhuo1zi shang fang4zhe yi2 ge hua1ping2
桌子上放着一个花瓶。
机の上に花瓶が1つ置いてあります。
Chang2yi3 shang zuo4zhe yi2 ge lao3nai3nai
长椅上坐着一个老奶奶。
ベンチに1人のおばあさんが座っています。
#現象文
・公式=「場所」+「動詞+補語/“了”」+「人・物」
Yang2tai2 shang fei1laile yi4 zhi1 ma2que4
阳台上飞来了一只麻雀。
@飞=動詞(飛ぶ) 来=方向補語 了=実現
ベランダに雀が1羽飛んできた。
Qian2bianr zou3guo4lai linag3 ge ren2
前边儿走过来两个人。
前から人が2人歩いてやって来ました。
※名詞の部分は「数量詞」(数詞+量詞):不特定の人・物を表す
一个…,一只…, 两个…
※「存在」を表す“有”と似ている。
桌子上有一个花瓶。
机の上に花瓶が1つある。
<ピンイン>
uei :子音が付くと綴りは「子音+ui」になるが、発音は「e」が残る。
gui4 贵 (値段が)高い
hui2 回 戻る、帰る
shui3 水 水
da4tui3 大腿 太もも
tou2kui1 头盔 ヘルメット
zhui1sui2 追随 追随する
Chang2yi3 shang shui4zhe yi2 ge zui4gui3
长椅上睡着一个醉鬼。
ベンチには1人の酔っぱらいが寝ています。
<補足>
小王走过来了。
王さんが歩いてやって来ました。
(動詞述語文)「人」が前に来る
Qian2bianr zou3guo1lai2 yi1 ge ren2
前边儿走过来一个人。
前から人が1人歩いてやって来ました。
(存現文の現象文)「人」があとに来る
下雨了。
雨だ(雨が降ってきた)。
「雨」が後ろに来ている。自然現象はこういう形になる。
<日本のお土産> 女性向け
化粧品 hua4zhuang1pin3 化妆品
梅酒 mei2jiu3 梅酒
ハンカチ shou3pa4 手帕
肌触り shou3gan3 手感
洋服 yi1fu 衣服
手拭い sha1bu4 shou3pa4 纱布手帕
<都合>
ちょっと都合が悪いです。Bu2 tai4 fang1bian4 不太方便。
あいにく都合が悪いです。 Zhen1 bu4 qiao3 真不巧。
また今度にしましょう。 Xia4 ci4 ba. 下次吧。
問題ありません。 Mei2 wen4ti2 没问题。
いつでも大丈夫です。 Sui2shi2 dou1 xing2 随时都行。
あなたにお任せします。Ni3 ding4 ba. 你定吧。
23,子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。仁者は寿し(いのちながし)。
先生がおっしゃった。「知者は流動的な水を楽しみ、仁者は不動の山を楽しむ。知者は人生の一瞬一瞬の変化を楽しみ、仁者はゆったりと長生きする」。
※浩→有名な一条です。「世界の名著」の貝塚茂樹先生の解説では、「孔子は、まず知者と仁者との差異を、水と山という風景に対する趣味の違いに見出す。そしてそれから出発して、活動し続ける知者と、どっしりと構える仁者の社会人としての行動の型を取り出す。最後に人生の生き方に移って、日々に楽しい知者の生活ぶりと、目立たないが健康で長寿を遂げる仁者の落ち着いた心境とを対比させる。静謐な幸福を享受するのが仁者なのであるというこの言葉によって、孔子は人生の真の幸福は何かという問題に答えている。たぶん孔子の最晩年の思想を述べたものであろう」と。
流れる「水」と、不動の「山」の対比で、「動」と「静」を対比させています。
学校などでの管理職と職員を対比してみると、職員は分掌の役割を果たすべく、機敏に動き回るかもしれませんが、管理職はどっと構えて全体を統率すると、組織全体がうまく機能するでしょう。その管理職が現場の動きに一々動揺したり、動き回って介入していると、組織は混乱するでしょう。大昔の話ですが、ある高校の職員会議で文化祭の企画をしているとき、校長が「当日はバザーを利用する人が多いから、食堂のうどんの数を減らさないといけない。うどん屋さんへ連絡しないといけない」と指示を出して、職員があきれていたそうです。わが国では、福島の原発事故のとき、総理大臣が真っ先に現地へ飛んでいったことがありました。野田先生が「あんたが動くなよ!中央にいて、あちこちに指示を出せよ」が激怒されました。「為政篇」にあるとおりです。「政を為すに徳をもってすれば、譬(たと)えば北辰のそのところにいて衆星のこれをめぐるがごとし」です。最上位のリーダーはじっとしていろよ!
また話が飛躍しますが、アウシュビッツを体験したヴィクトール・フランクルは、「3つの価値」を挙げていました。人間が実現できる価値は創造価値、体験価値、態度価値の3つに分類され、創造価値とは、人間が行動したり何かを作ったりすることで実現される価値で、仕事をしたり、芸術作品を創作したりすることがこれに当たる。体験価値とは、人間が何かを体験することで実現される価値である。芸術を鑑賞したり、自然の美しさを体験したり、あるいは人を愛したりすることでこの価値は実現される。態度価値とは、人間が運命を受け止める態度によって実現される価値である。病や貧困やその他さまざまな苦痛の前で活動の自由(創造価値)を奪われ、楽しみ(体験価値)が奪われたとしても、その運命を受け止める態度を決める自由が人間に残されている。
フランクルは、アウシュビッツという極限の状況の中にあっても、人間らしい尊厳のある態度を取り続けた人を実際に見ました。フランクルは人間が最後まで実現しうる価値として態度価値を重視します。フランクルの著作は、『夜と霧』があまりにも有名ですが、この本は読むとこわいので夜中のトイレに行けなくなると、野田先生がおっしゃっていました。わが家の本棚にもありますが、私もこわいから全部は読めません。同じフランクルの『それでも人生にイエスと言う』はあまりこわくなくて、これは完読できました。ニーチェの「永劫回帰」を連想しました。
自分のこれまでとこれからの人生では、在職中は主に「創造価値」を生きていて、退職前後はまだエネルギッシュで、贔屓の役者・三代目・市川猿之助のお芝居を観るためには、東京でも名古屋でも京都でも大阪でも福岡でも馳せ参じていました。退職後10年、15年、20年と経過して、加齢が進み、行動範囲はぐんと縮小しました。2013年に新装開場した歌舞伎座にはまだ行っていません。アドラー心理学会の総会は、2019年の千葉・幕張までは直接参加しましたが、翌20年はコロナの感染爆発で高松総会が中止。21年にオンラインで開催されました。22年の名古屋、23年の広島、24年の盛岡とオンライン参加が続いています。コロナ直前までは、北九州、名古屋、新潟、大津、能登・羽咋と、結構移動しています。「体験価値」たっぷりです。今後身体能力がますます衰えてくると、いよいよ「態度価値」の出番です。プロダクティブなことはあまりできなくなりますから、動いていろいろな体験するのでなく、どっしり構えた自分の存在そのものが、まわりの人たちをささやかでも勇気づけられるような、そんな生き方ができれば最高です。
<ジョブキソ52>
#テーマ
お店を気に入ってくれたお客様に
「ぜひクチコミで評判を広めてください」とお願いするには?
Thank you. Please spread the word. We would appreciate your help very much.
ありがごうございます。クチコミ大歓迎です。そうしていただければ大変助かります。
@ spread = 広げる
@ would = 「もし~なら」というニュアンス
#応答
You can count on me! 任せておいて!
22,樊遅(はんち)、知を問う。子曰く、民の義を務(つと)め、鬼神(きじん)を敬して遠ざく、知と謂うべし。仁を問う、子曰く、仁者はまず難(なや)んでのちに獲(う)、仁と謂うべし。
樊遅が知について質問した。先生が言われた。「人民に対して、なすべき義務を果たすように教え、祖先や神々に対して、十分に敬意を捧げて離れたところにお祀りしておく(ある距離を置いた存在として扱う)。これが知というものだ」。
また、仁について質問した。先生は言われた。「仁徳を備えた人は、まず難しい仕事を行っておいてから、あとで利益を収める(報酬を得る)、それが仁というものだ」。
※浩→樊遅は孔子より36歳年少で、戦いに大奮闘した勇士ではありますが、理解力の良いほうではなかったそうです。そのため、質問には、理論的でなく具体的に答えています。
樊遅の「知」や「仁」についての質問は他のところにも出てきます。また、「鬼神を遠ざける」については、「子は怪力乱心を語らず」と、このあとの「述而篇」に出てきます。孔子は、鬼神の存在を否定する無神論者ではなく、神よりもまず人をと考える合理主義者だったのです。そういえば、私の父に似ています。母が家族の食事の前に、お仏壇にお供えをしていると、「生きている者が先じゃ」と言っていました。そのころは、なんてバチ当たり!と義憤を覚えましたが、その後、父が他界して仏様になってから、ときどきお仏壇のお供えが遅れたら、母は「お父ちゃんは許してくれるよ。生きているころ、『生きている者が先じゃ』と言っていたから」、と逆手に利用していました。畏るべし、母の智恵!
「まず難(なや)んでのちに獲(う)」は新旧で訳の違いがあります。古注では、「まず苦労してあとで功を得る」で、いろいろと骨を折ってから目的に到達する。つまり安易な到達を嫌うということです。新注では、「難きを先にして獲ることをあとにす」と読みます。人が嫌がって後まわしにする難しいことを後まわしにせず先にやる。また、人が利益のある事柄として先にやりたがる事柄を後まわしにする、ということです。私の母は、私たち子どもに、「苦あれば楽あり」と言っていました。何しろ明治生まれの人ですから、「辛抱」は美徳だったんです。そのおかげで、中学から高校にかけてコツコツ勉強を重ねたおかげで、幸せな今日があります。感謝感謝です。
孔子は相手の知的レベルに応じた教育をしました。野田先生もそうでした。私は、1991年に初めて岡山市内で野田先生の公開カウンセリングを見学して、“目から鱗”体験をしました。そして92年には「カウンセラー資格」を修得しました。それから数年間は、自分のケースのほとんどを大阪のアドラーギルドの「事例検討会」へ持参して、スーパービジョンを受けました。どのケースに対しても、その都度、野田先生から丁寧なコメントとアドバイスをいただいて、そのおかげで、現場でのカウンセリングが順調に運びました。もともと野田先生は、学校の教師がカウンセラーになるのには反対でした。教師は来談者と学校の板挟みになって、真に生徒や保護者といった来談者の味方になるのが難しいからです。私はそれでも熱心にお願いしてお許しをいただいて、「カウンセラー養成講座」を受けました。幸い試験に合格しました。教師でカウンセラー資格をいただいたのは私が最初ではなかったかと思います。その当時まだ加入していた「日本カウンセリング学会」で発表することになったときは、野田先生にお許しをいただいて、さらに丁寧なアドバイスをいただきました。持ち時間の15分で発表し終えるコツを教わって、実際そのとおり実行して、本番を無事終えました。その学会の重鎮は筑波大学の国分康孝先生でした。國分先生は野田先生より18歳年上で、お立場は折衷主義でした。國分先生が編纂された『カウンセリング辞典』(誠信書房)には、アドラー心理学に関する詳しい説明が掲載されていて、そこは野田先生が執筆されました。そのためでしょうか、私が「國分先生の学会で発表する」と野田先生に申し上げたら、先生は「國分先生にくれぐれもよろしく」とおっしゃいました。國分先生のお弟子さんたちからは、現在も大活躍のカウンセラーやセラピストが続出しています。私も、「グループエンカウンター」や各種講座に参加して、それはそれは暖かいご指導を受けました。國分先生ご夫妻はおしどり夫婦でした。國分先生は、「カウンセリングは妻の久子のほうがうまい。私はしゃべるほうが得意」とおっしゃっていました。野田先生は、カウンセリングもおしゃべりも神業のようでした。私は偉大な指導者に恵まれたことをとても感謝しています。
さて、一昨日は運転免許更新のための高齢者講習会に行きました。わが家のすぐ側に「教習所」があるのに、そこでは予約がとれなくて、車で40分かかる「運転免許センター」まで行きました。ここでの講習は2回目です。3部構成で、最初は「認知機能検査」です。ここでの難関は16枚の絵を記憶することです。私はこれまでに4回受講していて、検査には馴れていますが、これまでのようにほぼ満点を得られるかどうか不安でした。もしも不合格ならほんとに運転しないほうがいいということですから、実態を知るために検査を受けるんだと納得すると、落ち着いて受けることができました。結果は、16枚の絵をノーヒントで思い出すのは「13枚」できました。続くヒント付きでは「16枚」すべて思い出しました。これで楽勝、合格です。絵の内容はこれまでに一度体験しているものでした。1枚目は、「戦車、目、太鼓、ステレオ」。これは順番どおりです。1枚目からは順不同です。「トンボ、トマト、百合、コート」。「万年筆、レモン、飛行機、机」。「金槌、ペンギン、うさぎ、ヤカン」。以上でした。
たくさんの数字が並んでいて、指定される数字を消していく作業は満点でした。
次の検査は「視力」でした。これは加齢のためと理由ははっきりしていますが、特に「動体視力」と「夜間視力」は最低でした。動体視力は以前から低かったです。運動神経は子どものころから鈍かったですから、仕方ないです。
最後は、実際に運転をします。指導員が同乗してくれて、その指示どおりにコース内を走ります。これは伸び伸びと実行できました。ひとつだけ、交差点で左折すため信号待ちしているときに、車の位置が道路中央よりで、左が空いているのはそこへバイクなどが進入していると死角で見えないので、もっと左よりに詰めて停止するように注意を受けました。次の交差点で指示どおり停止したら、指導員から「あなたは順応性が高いです」とお褒めの言葉をいただきました。こうして延べ3時間の講習は無事終了しました。夕食のビールはとてもおいしかったです。